朝鮮においては、朝鮮各道に散在する警察署及び巡査駐在所を含む各官署が担当すると定 められた。遺失物が発見されたとき、各道に存在する警察署はその遺物を確保し、夫々が 所属する道長官に報告するという段取りになっている。こうして各道長官もしくは警察官 署長は、管轄地域から報告・集められた遺失物を、中央の朝鮮総督府内務部の警務局へ最 終報告するというシステムが完備された。
1912
年から稼働した朝鮮版「遺失物法」はその後、改正されることも新しく作られるこ ともなく、1945年8
月まで継続した。植民地期間中において、朝鮮全域の遺物を対象にし た、最も包括的で強力な―警務局担当という意味からも―植民地的「文化財法令」であっ たといえる。朝鮮総督博物館の納付書には、この「遺失物法」に基づいて集められた遺物が、内務部 警務局を経由して、朝鮮総督府博物館に納められたことが記されている。植民地下、「遺失 物法」に基づいて朝鮮総督府博物館に納められた遺物は、以下の(表
6)の通りである。ここ
に植民地期「朝鮮文化財」蒐集に関するもう一つの経路が存在していたことが確認できる のである。(表 6)遺失物法第 13
条に基づいて博物館に送付された遺物56納付種類 物品番号 品目 納付者 納付日(西暦) 摘要
引受 195~254号 土陶磁器等 総督府物品会計官吏 16/1/12 保管転換
引受 296~313号 金属品等 総督府物品会計官吏 16/1/13 保管転換
引受 3,777~3,778号 仏像外 総督府物品会計官吏 16/7/6 保管転換
取寄 4,185号 葛項寺三層石塔 会計課 16/8/1 引継
引受 4,222~4,223号 土陶磁器等 総督府物品会計官吏 16/9/15 引継
引受 4,228号 高麗焼破片 全羅南道 16/□/□ 16/5/31引受
引受 4,231~4,233号 金属品等 江原道杆成郡庁 16/□/□
引受 4,241号 高麗焼破片 忠清南道 16/10/1 蒐集送付
引受 4,367~4,370号 高麗鏡等 開城支廰 16/11/11 送付
引継 5,147~5,179 石佛等 警務総長他 18/4/20 埋蔵物
引継 6,043~6,127号 金銅釈迦立等 内務部 18/5/15 埋蔵物
引継 6,128~6,142号 銅杆等 内務部 18/5/15 発見57
56 朝鮮総督博物館編『陳列品納付書』各年度別より作成(附録参照)。
57 「国有塔移転ノ際発見ニ係ル分」と記している。
167
引継 6,703~6,750号 漢式鏡等 馬場是一郎(主任) 19/6/4 埋蔵物
埋蔵 6,902~6,903号 青銅水注等 馬場是一郎 19/9/25 引継
埋蔵 7,806~7,807号 石劍等 馬場是一郎 20/3/10 引継
埋蔵 7,808~7,813号 銅洗等 馬場是一郎 20/3/9 引継
埋蔵 8,090~8,091号 金銅如来立像等 受入れ 21/6/15 発見
埋蔵 8,185~8,193号 鉄釜等 遺失物法
埋蔵 8,311号 木伊乃 22/3/1 遺失物法
埋蔵 8,312~8,321号 陶器破片等 全羅南道知事 22/3/1 遺失物法
埋蔵 8,399~8,402号 青銅佛像等 慶北 22/6/15 遺失物法
埋蔵 8,433~8,434号 銅製銃身等 京畿 22/8/7 遺失物法
埋蔵 8,435~8,441号 青銅日本式瓦等 江原道他 22/8/20 遺失物法
埋蔵 8,444~8,448号 周鉢旲等 江原道 22/9/20 遺失物法
埋蔵 8,914号 朝鮮釣鐘 江原道 23/2/27 遺失物法
埋蔵 9,466号 釈迦佛立像 慶北知事 23/12/25 遺失物法
埋蔵 9,484~9,486号 佛像等 全羅南道 23/12/□ 遺失物法
埋蔵 9,487号 銅座佛 忠清北道 23/12/1 遺失物法
埋蔵 9,536号 朝鮮古銭 平安南道知事 23/12/25 遺失物法
埋蔵 9,537号 朝鮮式釜 咸鏡北道 23/12/25 遺失物法
埋蔵 9,541~9,542号 石剣等 江原道知事 23/12/14 遺失物法
埋蔵 9,543~9,551号 石製壺等 忠清南道 23/12/19 遺失物法
埋蔵 9,598号 陶製水□ 慶尚北道 24/3/26 遺失物法
埋蔵 9,599号 鉄製金具 江原道 24/3/26 遺失物法
埋蔵 9,600~9,606号 青銅製瓶等 京畿道 23/12/19 遺失物法
埋蔵 9,773~9,775号 焼鉢等 慶尚北道 24/9/19 遺失物法
埋蔵 9,80058~9,803号 小形卍字柄鏡等 安東警察署他 25/1/6 遺失物法
埋蔵 9,805~9,814号 三島手鉢等 京畿道 25/1/13 遺失物法
埋蔵 9,815~9,816号 阿弥陀像頭部等 全羅北道 25/2/23 遺失物法
埋蔵 9,817~9,848号 鏡等 平安南道 25/2/20 遺失物法
埋蔵 9,849号 鉄製金鼓 慶尚北道 25/3/3 遺失物法
埋蔵 9,850~9,860号 鏡等 平安南道 25/3/16 遺失物法
埋蔵 9,891~9,894号 半彫天部像等 慶北・忠南 25/8/10 遺失物法
埋蔵 9,928~9,848号 青銅製朝鮮鐘 慶尚北道 25/9/10 遺失物法
埋蔵 9,949号 素焼大形壺 平安南道 25/9/11 遺失物法
埋蔵 9,974号 金銅製佛像 忠清北道 25/10/28 遺失物法
58 9799号は欠番。
168
埋蔵 9,975~9,976号 鉄製坐佛等 京畿道 25/12/17 遺失物法
埋蔵 10,02559~10,029号 青磁鉢等 忠清南道 25/12/21 遺失物法
埋蔵 10,169~10,175号 銅製弩器等 平南他 26/12/9 遺失物法
埋蔵 10,176~10,177号 鍍金佛像等 慶北・京畿 26/12/25 遺失物法
埋蔵 10,178号 素焼壺 平安南道 26/11/20 遺失物法
埋蔵 10,179~10,193号 高麗洞樽等 忠清北道 27/2/16 遺失物法
埋蔵 10,194~10,196号 銅製頭部ノ亀 京畿・慶北・平南 27/2/29 遺失物法
4.学務局の教科書編纂事業と史料調査
朝鮮総督府において、「朝鮮文化財」を調査・研究し、また最も有効に活用した部局とし て、「学務局」の存在も忘れてはならない。
朝鮮総督府内務部学務局のなかで、本格的に「朝鮮文化財」の調査を取り入れた人物は 学務局編集課長の小田省吾(1871-1953)である。小田は東京帝国大学文科大学史学科を卒業 し、「近代歴史学」を学んだ人であり、
1908
年からは大韓帝国学部書記官として勤めていた60。日韓併合と共に、小田は事務官(5等
2
級、正6)の官職を以て、朝鮮総督府内務部学務
局編集課長に命じられる。韓国へ渡り、朝鮮史への関心を持つようになった小田は1911
年、学務局編集課長として「朝鮮の史実を明にして教科書編纂の資料とせん」61とするための、
史料調査の事業を立ち上げることにしたのでる。
学務局の史料調査事業のため、内地(日本)の学者としてこのとき初めて委嘱されたのが 東京帝国大学人類学教室の鳥居瀧蔵であった。1911年
9
月から開始された鳥居の「半島有 史以前の人種と文化調査」は、1915年度まで述べ5
回に及んでいる。この学務局の史料調 査に、1913年度には京都帝国大学の講師となった今西龍が、1915年度には東京帝国大学教 授の黒板勝美が合流する。黒板勝美は、1915
年7
月、東京帝国大学の命を受け、「日本上代 史を半島上代史の遺蹟学的研究せんとの目的」を以て渡韓していたが、その時、学務局の 朝鮮史料調査も兼ねて依頼を受けたのである。学務局編纂課長である小田省吾は、東京帝国大学文科大学史学科出身の史学専攻者であ る。そこに同じく同大学の史学専攻者の今西と黒板が連携することとなった。小田の推進す る史料調査事業は、まもなく発足する中枢院の「朝鮮半島史編纂事業」へと拡大する。今
59 10024号は欠番.
60 小田省吾「小田省吾略歴自記」『辛未洪景來乱の研究』、1934年。『承政院日記』1908年10月24日付(旧暦)。
61 『朝鮮総督府博物館並古蹟調査事業概要』1925年。