(表 6)特定の遺蹟・遺物を中心とした論考
タイトル 刊行事項
1 「韓国京城廃大円覚寺石塔婆」 『考古界』第3巻第4号、1903年9月。
2 「廃奉徳寺の梵鐘‐新羅の遺鐘」 『考古界』第4巻第1号、1904年6月。
3 「高麗の旧都(開城)及王宮遺蹟(満月台)」 『歴史地理』第6巻第7号、1904年7月。
4 「韓国新羅時代の石燈」 『国華』第192号、1906年5月。
5 「韓国建築」 『工業大辞書』1、1909年9月。
6 「韓国の古美術」 『京都美術』19、京都美術協会、1910年4月。
7 「朝鮮の建築物」 『経済』第15号、大阪日本経済社、1910年9月17日。(月2 回発行)
8 「新羅時代の建築(1~6)」 『建築雑誌』302、303、305、306、307、309、1912年2、3、5、
6、7、9月。
9 「全羅道益山廃弥勒寺石塔婆」 『朝鮮及満州』第49号、朝鮮雑誌社、1912年3月。
10 「石窟庵の彫刻」 『美術新報』第11巻第9号(通巻214号)、1912年7月。
11 「朝鮮の石塔婆(1~5)」 『国華』267、271、277、278、280、1912年8、12、1913年6、
7、9月。
12 「朝鮮三国時代の工芸美術」 『日本及日本人』第600号、1913年2月。
13 「新に発見せる高句麗時代の壁画」 『美術新報』第12巻第4号、1913年2月。(談)
14 「現存せる朝鮮最古の木造建築」 『建築世界』7ノ3、1913年3月。
15 「朝鮮江西に於ける高句麗時代の遺蹟」 『考古学雑誌』第3巻第8号、1913年4月。
16 「朝鮮東部に於ける古代文化の遺蹟」 『建築雑誌』27-318、1913年6月。
17 「朝鮮古代の陶器に就いて」 『考古学雑誌』第3巻第11号、1913年7月。
18 「慶州の掛陵」 『建築工芸叢誌』1-19、1913年8月。
19 「朝鮮平壌付近の楽浪高句麗及支那輯安県付近 の高句麗遺跡」
『朝鮮及満州』第78号、1914年1月、pp.53-59。(講演筆記)
20 「新発見の朝鮮古美術」 『東京美術学校校友会月報』1914年1月。(談)
21 「平壌付近に於ける高句麗時代の墳墓及絵画」 『建築雑誌』28-326、1914年2月。
22 「朝鮮平壌付近並に満州輯安県付近に於ける楽 浪及高句麗の遺蹟」
『朝鮮教育会雑誌』25、京城 朝鮮教育会、1914年2月。
23 「平壌附近に於ける高句麗時代の墳墓」 『建築世界』第326号、1914年2月。
24 「朝鮮平壌及満州輯安県に於る楽浪及高句麗の 古瓦塼」
『建築工芸叢誌』第2巻第1号、1914年2月。
25 「朝鮮古墳の壁画に就て」 『美術新報』第13巻第5号(通巻234)、1914年3月。
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26 「新羅時代の銅鐘」 『美術新報』第13巻第7号(通巻236)、1914年5月。(談)
27 「満州輯安県及平壌付近に於ける高句麗時代の 遺蹟(一)(二)」
『考古学雑誌』第5巻第3号、4号、1914年11月、12月。
28 「高句麗時代の壁画(1~3)」 『国華』294、297、298、1914年11月、1915年2月、3月。
29 「国内城及丸都城の位置(付記;白鳥博士の「国 内城及九都城」に就きて)」
『史学雑誌』25ノ11、1914年11月。
30 「朝鮮平安道竜岡郡粘蝉碑」 『書苑』4-1、1914年。
31 「朝鮮釈王寺の一部焼失に就て」 『建築雑誌』342、1915年6月。
32 「朝鮮釈王寺の一部焼失に就いて」 『建築世界』第9巻第6号、1915年6月。
33 「新羅及百済の古墳」 『朝鮮及満州』第97号、朝鮮雑誌社、1915年8月。
34 「朝鮮の住宅建築」 『住宅建築』75ノ5、1916年5月。(『建築世界』10周年記念 刊行)
35 「朝鮮江原道五台山上院寺の鐘」 『建築工芸叢誌』2‐20、1916年6月。
36 「慶州芬皇寺の多層塔」 『美術之日本』第8巻第6号、1916年6月。
37 「六朝以前の墓塼に就いて」 『考古学雑誌』第6巻第11号、1916年7月。
38 「今回発掘した朝鮮古蹟の意匠模様」 『現代の図案工芸』33、現代の図案工芸社、1917年2月。
39 「平安南道大同郡順川郡竜岡郡古蹟調査報告 書」
『大正5年度古蹟調査報告』朝鮮総督府、1917年3月。
40 「新に発掘せる楽浪時代古墳」 『考古学雑誌』第7巻第7号、1917年3月。
41 「新に発掘せる高句麗時代の古墳」 『人類学雑誌』第32巻第3号(通縮第359号)、1917年3月、
pp.63-69。(講演筆記)
42 「楽浪時代古墳墓発掘の工芸品に就いて」 『現代の図案工芸』38、1917年7月。
43 「平壌付近に於ける高句麗時代の墳墓及壁画」 『国華』326、1917年7月。
44 「新に発見せられたる高句麗時代の絵画」 『国華』327、1917年8月。
45 「新に発掘せる楽浪時代の古墳」 『考古学雑誌』第8巻第1号、1917年9月。
46 「朝鮮及び日本に於ける古代鬼瓦と鬼面巴瓦」 『建築世界』第12巻第1号、1918年1月。
47 「朝鮮高句麗時代に於ける壁画に就て」 『美術新報』第17巻第3号、1918年1月。
48 「高麗真空大師碑」 『書画骨董雑誌』123、1918年9月。
49 「朝鮮高句麗時代の墳墓及壁画(上)(下)」 『書道及画道』4ノ4、5、1919年4月、5月。
50 「平安北道及満州高句麗古蹟調査略報告」 『大正6年度古蹟調査報告』朝鮮総督府、1920年3月。
51 「丸都城考」 『大正6年度古蹟調査報告』朝鮮総督府、1920年3月。
52 「慶州に於ける発見遺物に就て」 『朝鮮』第82号、1921年12月。
53 「朝鮮の古建築に就て」 『朝鮮と建築』1ノ3、1922年3月。(講演)
54 「朝鮮の瓦模様、其二~其九」 『建築世界』16ノ3、7、8、11、12、17ノ2、4、5、7、1922 年3、7、8、11、12、1923年2、4、5、7月。
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55 「慶州路西大塚の発掘に就て」 『史学雑誌』第33編第4号、1922年4月。(講演要旨)
56 「楽浪郡治の遺址、槨という字(遼東の豕 三)」 『建築雑誌』36-435、1922年9月。
57 「朝鮮最古の木造建築」 『朝鮮』第103号、第104号、1923年11月、12月。
58 「朝鮮最古の木造建築」 『朝鮮と建築』2ノ8、3ノ1、朝鮮建築会、1923年11月、1924 年1月。(講演速記)
59 「新出土楽浪土城の封泥、前漢永光三年の銅鐘
(遼東の豕6)」
『建築雑誌』448、1923年12月。
60 「前漢永光三年の銅鍾」 『建築雑誌』通巻448号、1923年12月。
61 「平壌出土の漢代銅鐘に就いて」 『史学雑誌』第35編第3号、1924年3月。(講演要旨)
62 「公州出土の百済時代の塼、(遼東の豕7)」 『建築雑誌』453、1924年5月。
63 「慶州芬皇寺の多層塔」 『書画骨董雑誌』195、1924年9月。
64 「高句麗の平壌城及長安城に就て」 『朝鮮』第117号、1925年1月。
65 「神韻漂渺たる遇賢里の壁画」 『国際写真情報』4ノ2、国際情報社、1925年2月。
66 「楽浪の漆器」 『史学雑誌』第36巻第6号、1925年6月。(講演要旨)
67 「古代東洋文化の精華 楽浪の古墳、日本文化 を世界に代表する法隆寺伽藍」
『太陽』31ノ8、1925年6月。
68 「東洋最古の壁画」 『東京日々新聞』1925年11月。
69 「順天郡北倉面の八角天井塚に就て」 『朝鮮と建築』4ノ11、1925年12月。
70 「高句麗時代の李王宮の跡」 『考古学雑誌』第17巻第11号、1927年11月。
(10/5『大阪朝日』記事)
71 「高句麗時代の平壌城及長安城に就て」 『史学雑誌』39ノ1、1928年1月。(講演筆記) 72 「壮麗を極める朝鮮の古代建築」 『国際写真情報』8ノ6、1929年6月。
73 「大倉集古館収蔵の石仏に就て」 『大倉集古館大石仏』1929年10月、大倉集古館(小冊子)。 74 「(時代概説)唐碑の様式(上)(釈文解説)大
唐平百済塔/太宗武烈王碑螭首及亀跌/華厳寺華 厳経刻石残片」
『書道全集』8、平凡社、1930年2月。
75 「朝鮮工芸概観」 『帝国工芸』4ノ2、帝国工芸舎、1930年2月。
76 「(釈文解説)鳳林寺真鏡大師宝月凌空塔碑/廃 廣照寺眞澈大師寶月乘空塔碑/廃興法寺眞空大 師碑/廃淨土寺法鏡大師慈燈塔碑」
『書道全集』12、1930年4月。
77 「(時代概説)漢碑の様式(釈文解説)楽浪秥蝉 平山君碑」
『書道全集』2、1930年8月。
78 「鐘(韓国の鐘、支那の鐘)」 『工業大辞典』2、1930年9月。
79 「(釈文解説)慶州新羅聖徳王神鐘銘」 『書道全集』10、1930年11月。
80 「古墳(楽浪の遺跡・高句麗時代の遺跡・慶州 『日本地理風俗大系』17、1930年12月。
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の古墳)」
81 「(時代概説)元碑の様式 廃普光寺重剏碑/
法住寺慈淨國尊普明塔碑」
『書道全書』19、1931年1月。
82 「(時代概説)南北朝時代の石碑(釈文解説)高 句麗広開土王碑」
『書道全書』6、1931年3月。
83 「雙磎寺眞鑑禪師大空塔碑/聖住寺朗慧和尙白 月葆光塔碑/月光寺圓朗禪師大宝禅光塔碑」
『書道全書』11、1931年7月。
84 「仏国寺舎利石塔」 『アトリエ』10ノ4、アトリエ社、1933年4月。
85 「仏国寺舎利石塔」 『美術研究』19、1933年7月。
86 「朝鮮建築」 『工業大辞典』11、1933年9月。
87 「朝鮮三国時代の彫刻」 『宝雲』第7冊、宝雲舎、1933年9月。
当該期の日本における美術とは、伝統的な絵画と彫刻を中心に建築物と工芸品がその範 疇に含まれていた。関野が本格的に研究活動を開始する明治
30
年代には、すでにそれぞれ の美術分野が確立されており、それぞれの専門家が研究活動を拡大していく時期であった。東京帝国大学建築学科の教授だった関野は日本中の古建築物の調査と研究に、多忙な日々 を送っており、日本における古建築専門家としての確固たる地位を獲得していたのである。
しかし、日本から朝鮮半島へその研究領域が拡大されると、いまだ美術研究が始動され ていない「前近代的」な朝鮮の学問状況を前にして、関野は建築部門だけでなく、美術関 連の全分野において自由に研究できる環境に置かれることになる。上記の特定の遺蹟・遺 物を中心とした関野の論考を、その美術のカテゴリーをもって分類してみると、その研究 領域の広さがわかるとともに、殊に彼が研究の重点を置いた関心領域が浮かび上がってく る。
(表
7)美術のカテゴリーの中における著作の数(重複あり)
建築分野 彫刻 絵画 工芸 遺蹟(考古学)
・建築一般:6
・石塔及び石灯:9
・木造建築:7
・彫刻一般:1
・仏像:1
・碑(文):9
・鐘:6
・古墳壁画:12 ・工芸一般:3
・陶器:1、漆器:1
・瓦:4
・古墳:23
・址:6
22 17 12 9 29