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ドキュメント内 教化研究 No.20 (ページ 116-132)

O

三 三

│ 一

、‑‑‑

永観に関する論稿はさまざまな研究者によってなさ

れて

いる

が︑

それらのなかでもまず挙げられるのは大

谷旭雄の一連の研究である︒また大谷は﹃浄土仏教の

思想

七(

講談

社︑

一九

三)において﹁永観﹂を担

当し︑永観の生涯やその思想をまとめており︑現在で

も永観に関する最もまとまった概説書である︒大谷の

一連の永観研究の論文は︑その著作集である﹃法然浄

土教とその周縁﹄

乾( 山喜 房仏 書林

︑ 二

OO

七)に所

収されているので︑永観について研究する研究者は必

ず手にとるべきものである︒本節では︑大谷の研究も

含め先学諸氏の研究成果をみていく︒ (ご戦前の克九状況まず︑戦前における

︑ 水 観 研究 につ いて みて みた いが

︑ さほ ど数 は多 くな く︑ 桑門 秀我

﹁往 生拾 因解 説﹂ (﹃ 宗 教界

八ー

一︑一九

一 二

)︑本多信雄﹁永観律師について﹂(﹃無

尽灯

﹄ 二

(‑ ﹃

龍谷大学論叢

﹄二

七四

一九二

七)

て︑

高西

賢正

﹁平

安末

期における南都系浄土教﹂(﹁大谷学報﹄九1一︑一九二

八)

などがみられるくらいである︒内容的にも永観や﹁往

生拾因﹄の概説的紹介にとどまっている︒

(二)戦後から一九六五年までの克九状況

次に戦後から一九六五年までの聞に発表された論稿

をみていきたい︒

まず稲葉秀賢﹁往生要集と往生拾因の念仏﹂(﹁印仏

研究﹄三│一︑一九五回/日本名僧論集四﹁源信﹄吉

弘文

館︑

一九

三)︑池田円暁﹁永観律師讃仰﹂(﹃西

研究ノート

山禅林寺学報

﹄三

︑一

九五七)︑藤堂恭俊﹁禅林寺永観 律師 の浄 土教 思想

﹂(

﹃日 仏学 会年

﹂報 二二

︑一

九五

七)

石田充之﹁南都浄土教の教学史的意義﹂(﹃南都仏教﹂

四 ︑

一九五七)があるが︑稲葉は﹃往生要集﹄と﹃往生

拾因

﹄をそれぞれ北嶺と南都の浄土教を代表する著作

であるとして両者を比較し︑鎌倉時代の浄土教(法然・

親驚

)

への影響を追究すべきであるとして︑その特質

に言及している︒その比較のなかで︑永観は北嶺浄土

教の影響を強く受けているとの立場に立って﹁往生拾

国の説示を解釈

して いる

藤堂 は

﹃往生拾因﹄によって永観の根本的立場とそ

の特異性に言及している︒藤堂は永観が聖道門的立場

にありながら称念の一行を重要視している根拠を善導

﹃観

経疏

﹂散善義の影響であると指摘し︑その浄土教思

想の特異性として︑法身同体説・仏凡の関係性を挙げ︑

永観は聖道門的実践の補助手段として口称を強調した

としており︑﹁彼の浄土教思想は聖道門に附順する実践 の上に展開された﹂と述べている

︒ また香月乗光は﹁法然教学の成立と南都浄土教│特に永観の浄土教との関係について│﹂(﹃印仏研究﹄三

‑二︑一

九五 五)

︑﹁ 永観 の浄 土教

l特に法然の浄土教と

の関連について│﹂(﹃悌教大学学報

﹄三

O

︑一

九五 八

/

﹃法然浄土教の思想と歴史﹄

山喜 房仏 書林

一九

七四 ) などの論稿を発表しているが︑﹁法然教学を考究する場

合には︑善導並に源信との関係が明確にされなければ

ならないことは当然であり︑更には善導を通じて支那

浄土教との関連︑源信を通じて日本浄土教との脈絡が

検討されることが必要である﹂(﹁永観の浄土教

l

特に 法然 の浄 土教 との 関連 につ いて

│﹂ )と の立 場に おい て︑ 法然教学への影響を考えるうえで永観に注目している

また 香月 は

﹃往生拾困﹄

に加

え︑

﹃往生講式﹄も用いて

永観の浄土思想を考察している︒

このほか︑林碩聞﹁南都における善導念仏の諸相│

永観・珍海を中心に│

﹂(

﹁東海高等学校・東海中学校

研究紀要﹄一︑一

九六

二︑明山安雄﹁永観・珍海の浄

土教 研究 序説

﹂(

﹃悌 教大 学研 究紀

要﹂

四 六

一九

六四

)︑

近年における浄土学研究の状況 115 

普賢晃寿﹁永観の念仏思想│持に源信・法然との関連

においてl

﹂(

﹁真宗学﹂三三・三

四合

併号

一九

六六 )

奈良博順﹁永観の浄土教思想の性格﹂(﹃東京教育大学

文学部紀要﹄

五五

一九六六)がある︒このなか明山

の論稿は永観研究における基礎的な伝歴・浄土教思想

についての整理が大谷に先駆けて発表されている︒普

賢は永観の﹃往生拾因﹄に示される思想を﹃往

生要

集﹄

をうけて発展し︑法然の浄土教を生み出す思想背景に

なったものとしてみたうえで︑媒介的役割を果たした

永観の念仏思想の立場について論及している︒

'旬、

一九六六年から一九七五年までの研究状況

一九六六から七五年にかけて大谷の永観に関する

研究成果が次々と発表される

大谷の永観研究は

一九六二年の欧米滞在時に大英博物館に展示さ

れて い

た宝治二

年 ( 一 二

四八)版﹁往生拾因﹄に出会ったこ

とがきっかけである︒

いまそれらの論稿を年代順に列挙すると﹁﹃心性罪福 因縁集﹄と永観の密教的名号観│特に第七念仏項の影

響から│﹂(﹃仏教論叢﹂

一 一

︑一

九六

六)

︑﹁

永観

にお

る浄土思想形成の一面﹂(﹃日本仏教

﹂二 六 ︑

一九

六七

)︑

﹁﹁心性福罪因縁集﹂とその影響ーとくに﹃往生拾因﹂と﹃今

昔物語﹄l﹂(﹃印仏研究﹂一

│二一︑

九七

O )

︑﹁

永観

の念仏宗について﹂(浄土教思想研究会編﹃浄土教│そ

の伝統と創造│﹄山

喜房

書林

一九

二)

︑﹁

禅林

寺水

観の本願思想とくに第十八願を中心として﹂(﹃大正大

学研究紀芝五八︑一

九七

)︑

﹁善

導浄

土教

﹃往生拾恩

ーその直接・間接の受容と展開│﹂(藤堂恭俊編﹃

善導

大師

研市

己山

喜房

仏書

林︑

一九

O )

︑﹁

永観

にお

ける

導観の確立│﹃瑞応伝﹂の流伝を中心に│﹂(戸松啓真

編﹁

善導 教学 の成 立と 展開

﹄山 喜房 仏書 林︑

一九

八二

︑﹁

観作

﹃ 三

時念仏観門式﹂について﹂(坪井俊映博士頒寿

記念

﹃仏教文化論孜﹄

悌教

大学

一九

八四

)︑

﹁永

﹁往

生講式﹄の撰時と往生思想﹂(戸松啓真教授古稀記念﹁浄

土教 論集

﹄大 東出 版社

一九八七)などがある︒

丸山

博正

は︑

﹃法然浄土教とその周縁﹄乾・巻頭に﹁大

研究ノート

谷先生の学風﹂として︑大谷の永観研究の特徴を述べ

ているが︑それによれば︑大谷は永観と法然に共通し

た着目点があることを指摘し︑その共通点を通じて両

師の近似性・背反性を明確にし︑法然浄土教の独自性

を明らかにされているとしている︒また石井教道の指

導の影響から書誌学的検討を重要視しており︑書誌学

的な眼が注がれて永観の教学について論及されている

とも述べている︒

大谷自身も﹁永観と法然﹂(

﹃仏教論叢﹂

一 一

︑﹁ 伝統 宗学 の現 代的 理解

﹂︑

一九

六六 )

にお

いて

その研究の目的を述べている︒

そしてこれら長年の永観研究をもとにまとめ︑

﹃浄土

仏教の思想﹄

七( 講談 社︑

一九九三

)に

﹃永観﹄を執

筆している︒その内容としては︑第一章において﹁永

観の生涯﹂と題して︑大谷が原稿を執筆した時点での

採訪

・調査によって知りえた関係の資料を駆使して

永観の生涯を述べている︒第二章には﹁別当永観︑歌

人永観﹂として︑別当在任中の足跡と永観の詠んだ歌

からその人柄をうかがっている︒第三章においては﹁永 観の業績﹂として︑永観の著作の解説︑および主著で

ある﹃往生講式

﹂ ﹃

往生拾因﹄を中心とした永観の浄土

思想の特色を挙げ述べている︒大谷の論稿は永観を研

究するうえでは現在もっとも基礎となるものであり︑

巻 末 は 参 考 文 献 が 観 伝 基 礎 資 料 永 観 浄 土 教 関

﹂係

﹁東

大寺

関係

﹂﹁

禅林

寺関

係﹂

﹁八

幡宮

関係

﹁﹂

和歌

関係

﹁永観および主著関係論文﹂に整理され︑また永観略年

譜が収録されている︒

以上の大谷による一連の永観研究の論文は︑先述し

たように著作集﹁法然浄土教とその周縁﹄乾(山喜房

仏書

林︑

OO

七)に所収されている︒

乙れら永観に関する諸研究のほかに大谷は﹃国訳

一切

﹂所収の﹁

往生拾因

﹂(和漢撰述部・諸宗部

五 ︑

一九七八)に対して︑宝治版を用いて再校訂・補注

を加え︑解説も行っている︒

この時期に発表された大谷以外の研究として︑中野

猛﹁説話の受容についての一例について│永観往生拾

因の 場合

│﹂

﹃( 国文 学論 考

﹂四 ︑

一九

六七 )︑ 伊藤 真徹

﹁日

近年における浄土学研究の状況 117 

本における聖道門諸師の浄土教義と述作解説﹂(

﹃浄

一五

︑解

説︑

一九

一/

浄土宗典籍研究﹃一山喜房仏

書林

一九七五)がある︒

伊藤の論稿は﹃浄全﹂一五に収録されている著作の

解説であるが︑具源・源信・永観・整碍の思想について

それぞれの著作から菩提心・十念・臨終の用心・社会

への 対応

・諸本の流布について概観している︒

( 四

)

一九七六年から一九九

O

年までの罪九状況

従来︑永観の著作として用いられていたのは

﹃往

拾因

﹄ ﹃

往生講式﹂

であったがこれはひとえに永観の

著作がそのほかに現存していないことに起因する︒

しかしながら︑ここにおいて末木文美士が﹁永観

﹃阿弥陀経要記

逸文について﹂(

﹃印仏研究

﹄二五│

一︑一九七六)を発表している︒これは永観の散供した

著作である﹃阿弥陀経要記﹂を︑良忠など諸師の著作

中に引用される﹃阿弥陀経要記﹂の文を管見のかぎり

収集して﹃阿弥陀経﹄の経文の順にしたがって整理し たものであり︑十一の典籍から二十四箇所を指摘して

いる

︒こ

﹁阿弥陀経要記﹂に注目した論稿として︑新井俊

夫が挙げられる︒

新井は末木とは別に︑独自に逸文を

整理したようであり︑﹁永観律師の﹁阿弥陀経要記﹂に

実 正

大 学浄 土

学 院 研

"

7u 

' "  

九七 五

を発表している︒

こちらは逸文自体の提示はしていな いが︑それらの逸文のみで永観の思想を断ずることは できないことを断りつつも︑あえて逸文からみられる

思想についてその特徴に言及している︒

続い て

﹁仏教文化研究﹄二三

号 (

一九七七)に浄土

宗教学院の

助成研究の成果として四つの共同研究と

つの個人研究が掲載されているが︑その共同研究のう

ち︑明山安雄を研究代表とする﹁日本中世における浄 土教家の善導教学の受容と新念仏義の組成についての 研究ーとくに永観・珍海・証空を中心として│

﹂にお

いて︑明山が﹁南都浄土教における善導教学の受容│

とくに永観﹃往生拾因﹂と珍海﹃決定往生集﹄を中心

ドキュメント内 教化研究 No.20 (ページ 116-132)

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