O
三 三
│ 一
一
、‑‑‑永観に関する論稿はさまざまな研究者によってなさ
れて
いる
が︑
それらのなかでもまず挙げられるのは大
谷旭雄の一連の研究である︒また大谷は﹃浄土仏教の
思想
﹂
七(
講談
社︑
一九
九
三)において﹁永観﹂を担
当し︑永観の生涯やその思想をまとめており︑現在で
も永観に関する最もまとまった概説書である︒大谷の
一連の永観研究の論文は︑その著作集である﹃法然浄
土教とその周縁﹄
乾( 山喜 房仏 書林
︑ 二
OO
七)に所
収されているので︑永観について研究する研究者は必
ず手にとるべきものである︒本節では︑大谷の研究も
含め先学諸氏の研究成果をみていく︒ (ご戦前の克九状況まず︑戦前における
︑ 水 観 研究 につ いて みて みた いが
︑ さほ ど数 は多 くな く︑ 桑門 秀我
﹁往 生拾 因解 説﹂ (﹃ 宗 教界
﹂
八ー
一︑一九
一 二
)︑本多信雄﹁永観律師について﹂(﹃無
尽灯
﹄ 二
(‑ ﹃
龍谷大学論叢
﹄二
七四
︑
一九二
七)
て︑
高西
賢正
﹁平
安末
期における南都系浄土教﹂(﹁大谷学報﹄九1一︑一九二
八)
などがみられるくらいである︒内容的にも永観や﹁往
生拾因﹄の概説的紹介にとどまっている︒
(二)戦後から一九六五年までの克九状況
次に戦後から一九六五年までの聞に発表された論稿
をみていきたい︒
まず稲葉秀賢﹁往生要集と往生拾因の念仏﹂(﹁印仏
研究﹄三│一︑一九五回/日本名僧論集四﹁源信﹄吉
川
弘文
館︑
一九
八
三)︑池田円暁﹁永観律師讃仰﹂(﹃西
研究ノート
山禅林寺学報
﹄三
︑一
九五七)︑藤堂恭俊﹁禅林寺永観 律師 の浄 土教 思想
﹂(
﹃日 仏学 会年
﹂報 二二
︑一
九五
七)
︑
石田充之﹁南都浄土教の教学史的意義﹂(﹃南都仏教﹂
四 ︑
一九五七)があるが︑稲葉は﹃往生要集﹄と﹃往生
拾因
﹄をそれぞれ北嶺と南都の浄土教を代表する著作
であるとして両者を比較し︑鎌倉時代の浄土教(法然・
親驚
)
への影響を追究すべきであるとして︑その特質
に言及している︒その比較のなかで︑永観は北嶺浄土
教の影響を強く受けているとの立場に立って﹁往生拾
国の説示を解釈
して いる
︒
藤堂 は
﹃往生拾因﹄によって永観の根本的立場とそ
の特異性に言及している︒藤堂は永観が聖道門的立場
にありながら称念の一行を重要視している根拠を善導
﹃観
経疏
﹂散善義の影響であると指摘し︑その浄土教思
想の特異性として︑法身同体説・仏凡の関係性を挙げ︑
永観は聖道門的実践の補助手段として口称を強調した
としており︑﹁彼の浄土教思想は聖道門に附順する実践 の上に展開された﹂と述べている
︒ また香月乗光は﹁法然教学の成立と南都浄土教│特に永観の浄土教との関係について│﹂(﹃印仏研究﹄三
‑二︑一
九五 五)
︑﹁ 永観 の浄 土教
l特に法然の浄土教と
の関連について│﹂(﹃悌教大学学報
﹄三
O
︑一九五 八
/
﹃法然浄土教の思想と歴史﹄
山喜 房仏 書林
︑
一九
七四 ) などの論稿を発表しているが︑﹁法然教学を考究する場
合には︑善導並に源信との関係が明確にされなければ
ならないことは当然であり︑更には善導を通じて支那
浄土教との関連︑源信を通じて日本浄土教との脈絡が
検討されることが必要である﹂(﹁永観の浄土教
l
特に 法然 の浄 土教 との 関連 につ いて
│﹂ )と の立 場に おい て︑ 法然教学への影響を考えるうえで永観に注目している
︒
また 香月 は
﹃往生拾困﹄
に加
え︑
﹃往生講式﹄も用いて
永観の浄土思想を考察している︒
このほか︑林碩聞﹁南都における善導念仏の諸相│
永観・珍海を中心に│
﹂(
﹁東海高等学校・東海中学校
研究紀要﹄一︑一
九六
二︑明山安雄﹁永観・珍海の浄
土教 研究 序説
﹂(
﹃悌 教大 学研 究紀
要﹂
四 六
︑
一九
六四
)︑
近年における浄土学研究の状況 115
普賢晃寿﹁永観の念仏思想│持に源信・法然との関連
においてl
﹂(
﹁真宗学﹂三三・三
四合
併号
︑
一九
六六 )
奈良博順﹁永観の浄土教思想の性格﹂(﹃東京教育大学
文学部紀要﹄
五五
︑
一九六六)がある︒このなか明山
の論稿は永観研究における基礎的な伝歴・浄土教思想
についての整理が大谷に先駆けて発表されている︒普
賢は永観の﹃往生拾因﹄に示される思想を﹃往
生要
集﹄
をうけて発展し︑法然の浄土教を生み出す思想背景に
なったものとしてみたうえで︑媒介的役割を果たした
永観の念仏思想の立場について論及している︒
〆'旬、
一
)
一九六六年から一九七五年までの研究状況
一九六六から七五年にかけて大谷の永観に関する
研究成果が次々と発表される
︒
大谷の永観研究は
一九六二年の欧米滞在時に大英博物館に展示さ
れて い
た宝治二
年 ( 一 二
四八)版﹁往生拾因﹄に出会ったこ
とがきっかけである︒
いまそれらの論稿を年代順に列挙すると﹁﹃心性罪福 因縁集﹄と永観の密教的名号観│特に第七念仏項の影
響から│﹂(﹃仏教論叢﹂
一 一
︑一
九六
六)
︑﹁
永観
にお
け
る浄土思想形成の一面﹂(﹃日本仏教
﹂二 六 ︑
一九
六七
)︑
﹁﹁心性福罪因縁集﹂とその影響ーとくに﹃往生拾因﹂と﹃今
昔物語﹄l﹂(﹃印仏研究﹂一
八
│二一︑
九七
O )
︑﹁
永観
の念仏宗について﹂(浄土教思想研究会編﹃浄土教│そ
の伝統と創造│﹄山
喜房
仏
書林
︑
一九
七
二)
︑﹁
禅林
寺水
観の本願思想とくに第十八願を中心として﹂(﹃大正大
学研究紀芝五八︑一
九七
三
)︑
﹁善
導浄
土教
と
﹃往生拾恩
ーその直接・間接の受容と展開│﹂(藤堂恭俊編﹃
善導
大師
研市
己山
喜房
仏書
林︑
一九
八
O )
︑﹁
永観
にお
ける
普
導観の確立│﹃瑞応伝﹂の流伝を中心に│﹂(戸松啓真
編﹁
善導 教学 の成 立と 展開
﹄山 喜房 仏書 林︑
一九
八二
︑﹁
永
観作
﹃ 三
時念仏観門式﹂について﹂(坪井俊映博士頒寿
記念
﹃仏教文化論孜﹄
悌教
大学
︑
一九
八四
)︑
﹁永
観
﹁往
生講式﹄の撰時と往生思想﹂(戸松啓真教授古稀記念﹁浄
土教 論集
﹄大 東出 版社
︑
一九八七)などがある︒
丸山
博正
は︑
﹃法然浄土教とその周縁﹄乾・巻頭に﹁大
研究ノート
谷先生の学風﹂として︑大谷の永観研究の特徴を述べ
ているが︑それによれば︑大谷は永観と法然に共通し
た着目点があることを指摘し︑その共通点を通じて両
師の近似性・背反性を明確にし︑法然浄土教の独自性
を明らかにされているとしている︒また石井教道の指
導の影響から書誌学的検討を重要視しており︑書誌学
的な眼が注がれて永観の教学について論及されている
とも述べている︒
大谷自身も﹁永観と法然﹂(
﹃仏教論叢﹂
一 一
︑﹁ 伝統 宗学 の現 代的 理解
﹂︑
一九
六六 )
にお
いて
︑
その研究の目的を述べている︒
そしてこれら長年の永観研究をもとにまとめ︑
﹃浄土
仏教の思想﹄
七( 講談 社︑
一九九三
)に
﹃永観﹄を執
筆している︒その内容としては︑第一章において﹁永
観の生涯﹂と題して︑大谷が原稿を執筆した時点での
採訪
・調査によって知りえた関係の資料を駆使して
永観の生涯を述べている︒第二章には﹁別当永観︑歌
人永観﹂として︑別当在任中の足跡と永観の詠んだ歌
からその人柄をうかがっている︒第三章においては﹁永 観の業績﹂として︑永観の著作の解説︑および主著で
ある﹃往生講式
﹂ ﹃
往生拾因﹄を中心とした永観の浄土
思想の特色を挙げ述べている︒大谷の論稿は永観を研
究するうえでは現在もっとも基礎となるものであり︑
巻 末 は 参 考 文 献 が 観氷 伝 基 礎 資 料 永 観 浄 土 教 関
﹂係
﹁東
大寺
関係
﹂﹁
禅林
寺関
係﹂
﹁八
幡宮
関係
﹁﹂
和歌
関係
﹂
﹁永観および主著関係論文﹂に整理され︑また永観略年
譜が収録されている︒
以上の大谷による一連の永観研究の論文は︑先述し
たように著作集﹁法然浄土教とその周縁﹄乾(山喜房
仏書
林︑
二
OO
七)に所収されている︒
乙れら永観に関する諸研究のほかに大谷は﹃国訳
一切
経
﹂所収の﹁
往生拾因
﹂(和漢撰述部・諸宗部
五 ︑
一九七八)に対して︑宝治版を用いて再校訂・補注
を加え︑解説も行っている︒
この時期に発表された大谷以外の研究として︑中野
猛﹁説話の受容についての一例について│永観往生拾
因の 場合
│﹂
﹃( 国文 学論 考
﹂四 ︑
一九
六七 )︑ 伊藤 真徹
﹁日
近年における浄土学研究の状況 117
本における聖道門諸師の浄土教義と述作解説﹂(
﹃浄
全
﹂
一五
︑解
説︑
一九
七
一/
浄土宗典籍研究﹃一山喜房仏
書林
︑
一九七五)がある︒
伊藤の論稿は﹃浄全﹂一五に収録されている著作の
解説であるが︑具源・源信・永観・整碍の思想について
それぞれの著作から菩提心・十念・臨終の用心・社会
への 対応
・諸本の流布について概観している︒
( 四
)
一九七六年から一九九
O
年までの罪九状況従来︑永観の著作として用いられていたのは
﹃往
生
拾因
﹄ ﹃
往生講式﹂
であったがこれはひとえに永観の
著作がそのほかに現存していないことに起因する︒
しかしながら︑ここにおいて末木文美士が﹁永観
﹃阿弥陀経要記
﹄
逸文について﹂(
﹃印仏研究
﹄二五│
一︑一九七六)を発表している︒これは永観の散供した
著作である﹃阿弥陀経要記﹂を︑良忠など諸師の著作
中に引用される﹃阿弥陀経要記﹂の文を管見のかぎり
収集して﹃阿弥陀経﹄の経文の順にしたがって整理し たものであり︑十一の典籍から二十四箇所を指摘して
いる
︒こ
の
﹁阿弥陀経要記﹂に注目した論稿として︑新井俊
夫が挙げられる︒
新井は末木とは別に︑独自に逸文を
整理したようであり︑﹁永観律師の﹁阿弥陀経要記﹂に
っ
て
実 正
大 学浄 土
美
学 院 研
"
7u' "
紀
豆
九七 五
を発表している︒
こちらは逸文自体の提示はしていな いが︑それらの逸文のみで永観の思想を断ずることは できないことを断りつつも︑あえて逸文からみられる
思想についてその特徴に言及している︒
続い て
﹁仏教文化研究﹄二三
号 (
一九七七)に浄土
宗教学院の
助成研究の成果として四つの共同研究と
つの個人研究が掲載されているが︑その共同研究のう
ち︑明山安雄を研究代表とする﹁日本中世における浄 土教家の善導教学の受容と新念仏義の組成についての 研究ーとくに永観・珍海・証空を中心として│
﹂にお
いて︑明山が﹁南都浄土教における善導教学の受容│
とくに永観﹃往生拾因﹂と珍海﹃決定往生集﹄を中心