0.はじめに
神学者プフライデラー474は、自由主義神学と弁証法神学の台頭という 20 世紀初頭の神学 史叙述の難しさを指摘する。その上で、第一次大戦前後のプロテスタント神学史の危機的 なダイナミクスは、経験的・宗教学的な研究の台頭に直面した神学の学問としての自己理 解という問題の帰結として見ることができるというテーゼの下に、自由主義的な神学を神 学の危機に際しての「宗教哲学への参入」、弁証法神学を「宗教哲学からの撤退」という枠 組みで分析している。そして、プフライデラーは、「神のことばの神学」を展開したカール・
バルトを念頭に置きつつ、20 世紀初頭の神学的議論のダイナミズムを宗教哲学に対する態 度という参照点から分析し、オットーを「宗教哲学へ参入」する自由主義神学者の一人と 位置づけている。オットーは、宗教哲学に参入し、「合理主義者」と言われるほどまでに、
カント、フリースに依拠した宗教の認識論にこだわることとなった475。このオットーの態度 を解明的に捉える上で、非常に重要なのが、当時のドイツで繰り広げられた「宗教的アプ リオリ」をめぐる議論である。
「宗教的アプリオリ」という術語には、現在、エルンスト・トレルチとオットーの概念 規定による二つの説明が与えられている。トレルチによって、カントのアプリオリ概念と の類比において特徴付けられたものとする説明、もう一つとして、オットーによって哲学 者ヤーコブ・フリードリヒ・フリースに依拠した形で展開されたものとしての説明が挙げ られる476。現在はこのように整理されているものの、この概念をめぐる当時の議論は、非常 に混乱をきわめる展開を見せた。この収拾のつかなさは、その概念の意味が多様に解釈さ れたこと、議論に参加した者同士の関係の複雑性等々の理由もさることながら、トレルチ とオットーの取った態度の原理的な相違から起こっているように思われる。この両者にお ける相違を明らかにすることにより、オットーが取った態度、問題の解決方法の独自性が
474 Pfleiderer, Georg. Theologie als Wirklichkeitswissenschaft: Studien Zum Religionsbegriff Bei Georg Wobbermin, Rudolf Otto, Heinrich Scholz und Max Scheler (Tübingen: J.C.B. Mohr, 1992).
475 オットーのフリース理解に関しては以下を参照。Gooch, Todd A. The numinous and modernity:
an interpretation of Rudolf Otto’s philosophy of religion (New York: W. de Gruyter, 2000)
476 Hrsg. von Hans D. Betz, Don S. Browning, Bernd Janowski und Eberhard Jüngel, “Apriori, religiöses,”
in Religion in Geschichte und Gegenwart, 4. Aufl. (Mohr Siebeck, 2008), S. 660-662.
より明らかとなるだろう。そして、この議論においてオットーが依拠するフリースの哲学 は、彼の主著『聖なるもの』での議論展開の基礎となるものでもあり、オットーがこの時 代に取った、「危機」への対処法の固有性をより立体的に捉えることを可能とする。
よって、本章では、オットーにおける「宗教的アプリオリ」を、トレルチのそれとの対 比で明らかにし、オットーの「危機」への対処法がどのようなものであったのか、その独 自性を明らかにする。本章では、トレルチの「宗教的アプリオリ」に関する議論全体を扱 うことはできないが、オットーへ向けた批判という観点から重要と思われる点に限定する 形で扱う。またここでは、どちらが正しかったのかという判断ではなく、この議論を通じ て明らかとなる認識と認識外のものとの緊張を孕んだ関係が問題となる。それを通じて、
オットーの展開する議論の独自性が明らかとなるだろう。
1.「宗教的アプリオリ」の議論について
「『宗教的アプリオリ』!!この合い言葉においてまとめられる構想が近代の神学を営む若 者の間で、いかに魅惑的なものとなっているかは、驚くべきものである477。」
ここに表わされるように、この概念をめぐる議論は、20 世紀初頭ドイツの多くの神学者 を魅了した議論のうちの一つであった。この用語は、トレルチがカントの「アプリオリ」
概念との類比において使い始めたとされるが、議論は混乱を極め、トレルチ自身はこの問 題から距離を置くようになる。この議論に関わった代表的な神学者が、トレルチ、オット ー、ヴィルヘルム・ブーセット、カール・ボルンハウゼンである。
オットーが『カント・フリースの宗教哲学』を 1909 年に出版し、同年その書評をブーセ ットが、『神学展望』に掲載する。1910 年に、ボルンハウゼンが「神学における新フリース 主義に抗して」を『神学と教会のための雑誌』に投稿し、同年「エルンスト・トレルチと ルドルフ・オットーにおける宗教的アプリオリ」を『哲学と哲学的批判のための雑誌』に 投稿する。一九一一年、ブーセットは、『神学と教会のための雑誌』に「我々の批判者への 反論」を掲載、これに対し、同じ号にボルンハウゼンからの再反論と共に、雑誌編集者マ ルティン・ラーデによるこの議論への言葉も掲載される。ここで、「宗教的アプリオリ」を めぐる直接的な議論は、両者の立場の対立が解消されないまま終わることとなる。
議論は以上のような経緯を辿ったのだが、次にその議論の内容、つまり何をめぐってそ
477 E. W. Mayer, “Über den gegenwärtigen Stand der Religionsphilosophie und deren Bedeutung für die Theologie,” in Zeitschrift für Theologie und Kirche (J.C.B. Mohr, 1912), S. 59.
の議論がなされていたのかについて焦点を当てて行きたい。まずは、この概念を使い始め たとされるトレルチの時代診断と結びついた彼の問題関心から確認していく。
2.トレルチ
2−1.トレルチの時代診断とそこから生まれた問題意識
トレルチが宗教哲学によって宗教を認識論的に基礎付けることの必要性を感じていたの は、世紀転換期のヴィルヘルム帝政期ドイツを襲っていた「宗教」をめぐる情況による。
トレルチは、1903 年、19 世紀の「宗教」をめぐる情況の大きな変化について、人々の思 考の変化、学問における宗教研究の変化という観点から、以下のように述べている478。 19 世紀初頭には、教会の伝統に対する批判的な態度がありつつも、真善美という見えな い世界とのつながりは「信じられるもの」として存在していた。しかし、19 世紀中頃にな ると、実証可能なものが絶対的に優位となり、目に見えない世界への際限のない不信が始 まる。これは政治、産業等の展開と関連して起こったものであったが、これが精神的生活 における大きな変化をも引き起こす。産業、技術と共に発展した自然科学は、次第に人々 の思考の方向性をも規定するようになる。そして、それまでの哲学的・観念論的な自然観 察が放棄され、人々は、ダーウィン主義への熱狂に見られるように、進化論が全ての哲学 を代替すると信じるようになった。このような中で、歴史学は哲学的観念論を排し、「歴史
事象(Historie)」を扱うことを目指し、文献学における宗教研究もまた、「真理への問い」
を扱うことはなかった。このような情況から刺激を受け、神学もまた内外からの批判とと もに展開した。聖書をめぐる歴史的な研究の進展とともに、人類の宗教史の中におけるキ リスト教の位置が問題とされるようになる。そこで、さまざまな宗教を等級づけるための 尺度が宗教哲学に求められるようになるのだが、宗教哲学は「消息不明」の状態となって おり、実証的な研究は宗教の目的については無関心であった。
このように、19 世紀における人々の宗教への態度の変化、宗教研究の展開を叙述した上 で、トレルチは世紀転換期の精神的情況を分析する。そこには、一方には「疲労と混乱」、
もう一方には「力や生への憧憬」、また、「空虚な懐疑、単なる実用性、単なる自然科学的 なもの、単に歴史的な教養への反感」があるという479。トレルチは、この問題に対するカト リック、プロテスタントの教会の対応は、近代主義を切り捨てる方向に進むものであると 指摘した上で、この問題が起きている現場がどこであるのかを強調する。「大きな現代の宗
478 Ernst Troeltsch, “Die theologische und religiöse Lage der Gegenwart,” in Gesammelte Schriften, Bd.
2 (Scientia, 1962).
479 Ibid., S. 20-21.
教的運動、再び目覚めた宗教的欲求は、教会の外、少なくとも神学の外で起こっている480。」
トレルチが上記の時代診断から形成していった彼の神学的試みをウルリッヒ・バルトは
「非教義学的弁証学の構想」と的確に表現している481。トレルチは、1909 年にも、自らが 問題とするのは、あらゆる現実を歴史化、心理化、相対化することによる認識
、、
の優位と、
それに対し、またそれ故に、客観的なものへ接近することを諦め、絶対的なものへの憧憬 だけで満たされているという精神的情況という生の問題、、、、
であると述べる482。これは先の叙述 にも述べられた、学問と生の乖離という問題である。そこで、トレルチは「今日の学問的 意識への連結」を探求しようとするのである。バルトは、トレルチの宗教的アプリオリ概 念は神学的弁証学の伝統に位置づけることができるとした上で、伝統的な弁証学との違い、
つまり「従来通りの神学的な手段ではなく、教義学外
、
の方法、つまり宗教哲学によって、
文化的な構造諸条件の中での宗教的意識を守ることと、妥当性を持ったものとすることが 成し遂げられる」(傍点筆者)という点を指摘する483。
このトレルチの議論の中で、特にオットーの宗教的アプリオリ概念との関連で重要とな るのが、彼のウィリアム・ジェイムズの宗教心理学の成果への評価である。というのも、
ジェイムズへの評価から得られる概念の区別が、トレルチ自身のその概念の展開、またオ ットーへの批判においても重要な役割を果たしていると思われるからである。
2−2.トレルチのジェイムズへの評価
トレルチは、ジェイムズの『宗教的経験の諸相』を現代の宗教心理学の最高の成果とす る。そこで評価されるのは、「全ての他の諸経験と同様に、分析の対象となることができ、
またそうならねばならない諸経験と諸現象484」、つまり宗教的経験を学問的な対象として扱
480 Ibid., S. 21.
481 Ulrich Barth, Gott als Projekt der Vernunft (Mohr Siebeck, 2005), S. 365. バルトは、トレルチを
「新カント派」とし彼のカント解釈が「誤っている」ことを指摘するが、ここは議論の分かれ る点である。これに関しては以下を参照。Maren Bienert, Protestantische Selbstverortung: Die Rezensionen Ernst Troeltschs (De Gruyter, 2014).
482 Ernst Troeltsch, “Zur Frage des religiösen Apriori. Ein Erwiderung auf die Bemerkungen von Paul Spieß,” in Zeitschrift für die Religion und die Geisteskultur (Göttingen: Vandenhoeck und Ruprecht, 1909); 後に“Das religiöse Apriori,” in Gesammelte Schriften, II (Tübingen: J.C.B. Mohr, 1913), S.
755-756.
483 Barth, op. cit., S. 365-366.
484 Ernst Troeltsch Psychologie und Erkenntnistheorie in der Religionswissenschaft (Tübingen: