0.はじめに
前章で見たように、19 世紀から 20 世紀にかけての神学においては、シュライアマハー やリッチュル学派によって宗教的認識が学的認識の外に置かれるという事態が発生してい た。そして、20 世紀初頭ドイツにおいて、特に神学の領域において、まさに宗教的認識を めぐる議論、「宗教的アプリオリ」に関する議論が、活発に行われていた390。オットー自身 も、この議論において主導的役割を果たしており、自ら、この議論が、超自然主義や歴史 的方法等によりさまざまな方面で行われたことを述べている391。この用語は、エルンスト・
トレルチによって作られたが392、議論が巻き起こり、トレルチは数年後に使うのをやめて いる。この議論にとって、オットーが重要だと考えたのが、フリース393の哲学であった。
また、オットーは、フリースの哲学に関する著作を書いた後、その哲学を基礎とする形 で、主著『聖なるもの』を書くこととなる。また、この著作の哲学的意味は、20 世紀初頭 のドイツを代表する哲学者の一人、エドムント・フッサールによっても高く評価され、フ
390 「宗教的アプリオリ」をめぐる議論については、第7章において扱う。
391 Rudolf Otto, Kantisch-Fries’sche Religionphilosophie und ihre Anwendung auf die Theologie. Zur Einleitung in die Glaubenslehre für Studenten der Theologie (Tübingen:
J.C.B.Mohr, 1909), S.3 (=Rudolf Otto, E.B. Dicker(trans.), The Philosophy of Religion:
based on Kant and Fries (London: Williams and Norgate Ltd, 1931), p.17) (以下、Otto, KFRと示し、それに続く括弧内はドイツ語、英語の順で頁数を示す。)
392 Ernst Troeltsch, Psychologie und Erkenntnistheorie in der Religionswissenschaft : eine Untersuchung über die Bedeutung der Kantischen Religionslehre für die heutige Religionswissenschaft : Vortrag gehalten auf dem International Congress of Arts and Sciences in St. Louis, M. (Tübingen: J.C.B.Mohr. (Paul Siebeck.), 1905)(=エルンスト・
トレルチ「宗教学における心理学と認識論」『トレルチ著作集』1, 森田雄三郎訳(ヨルダ ン社,1981))
393 ヤーコプ・フリードリヒ・フリース(Jakob Freiedrich Fries, 1773-1843)は、ドイツ、
バービーに生まれ、モラヴィア兄弟団の伝統で育ち、ハイデルベルク(1805)、イェーナ(1816) において教鞭をとる。学生の政治運動に関連してプロイセン、オーストリア両政府の圧迫 で停職となり(1819)、数年後講義を許された(1824)。カントを学びながら、これを批判的に 受容し、補完する。人間の認識は、意識的に反省される全てに先立つ、直接的に与えられ
る信仰(Glauben)に基づいているとする。悟性の統一は、まず、経験的知識に現れるが、こ
こではそれは不完全で相対的なものである。悟性の統一は、諸現象の後ろにある完全な現 実性への信仰(Glauben)のうちに、「永遠の感得(Ahndung)」という感情として現れる。彼 の学説はヘーゲルから痛烈に批判されたが、F.E.ベネケに継承され、のちにフリース学派を 形成した。フリースの哲学は、20世紀初頭にレオナルド・ネルソン、そして彼を中心とし た新フリース主義によって再発見され、ヴィルヘルム・ブセットやルドルフ・オットー等 の宗教哲学に影響を与えている。(Lüder Gäbe. „Fries, Jakob Friedrich“, in Neue Deutsche Biographie 5 (Berlin : Duncker, 1961), S. 608-609参照。)
ッサールは、この『聖なるもの』についての手紙をオットーに宛てて書いている。
このように、フリースの哲学は、オットーの認識論的枠組みを理解する上で、非常に重 要である。この発表では、オットーのフリース理解を取り上げ、その解明を目指す。この ことは、当時の議論において、オットーが何を問題にしていたのか、また、フリースの哲 学を導入することによって、どのような問題を解決できると考えていたのだろうか、とい う問題の解明につながる。さらには、冒頭で述べた発表者の関心、つまり20世紀初頭のド イツにおける精神的・宗教的情況を解明への一礎石となるであろう。
1.オットーのフリース理解
まず、オットーのフリース理解を確認していきたい。次の引用は、『カント・フリースの 宗教哲学』の導入において、オットーが自らの観点について述べている部分である。
「宗教哲学史家は、宗教的「感情」の理論の扱いにおけるフリースとシュライアマッハー とのある共通性を指摘してきたが、・・・しかし、宗教哲学においては、フリースとシュラ イアマッハーとの共通点は、その相違点よりは重要ではない394。」
ここで、フリースと対比されているシュライアマッハーに対するオットーの理解はいか なるものであったのか。オットーのフリース理解に入る前に、シュライアマッハーをどの ように捉えていたのかを確認する必要がある。
1-1.オットーのシュライアマッハー理解
オットーのフリース理解を探る上では、上に挙げた引用からもわかるように、彼がどの ようにシュライアマッハーを捉えていたのかが重要となる。まずは、そのために1899年に、
初版から100 周年記念で出版されたシュライアマッハー『宗教論』395に寄せたオットーの 序文を見ていきたい。
その序文においては、『宗教論』が持ったインパクト、シュライアマッハーの生涯、諸版 の特徴について説明されている。ここにおいて、シュライアマッハーの生涯を概観した上 で、彼が念頭においていた読者層など、同時代的な視点からこの著作を読み解く鍵が提示 される。
オットーは、この著作を、「そのラプソディー的な様式にもかかわらず、宗教哲学的研究
394 Otto, KFR (1, 15)
395 Friedrich Schleiermacher, Über die Religion: Reden an die Gebildeten unter ihren Verächtern. (Göttingen: Vandenhoeck und Ruprecht, 1899)
に対し、後まで残るような影響を及ぼした396」と評価している。そして、この著作の正し い理解を得るための糸口として、当時シュライアマッハーが直面していた歴史的情況、そ して彼は、どのような読者層を念頭に置いていたかを知らなければならないという。その 題名『宗教論―宗教を軽蔑する教養人への講話』からも分かるように、シュライアマッハ ーは、読者として非常に一般的に「宗教を軽蔑する教養人」を念頭においている。彼の時 代の観念論の快活さや自己意識、特に、フィヒテ的な英雄的、情動的「我」に対し、彼は 静かな謙虚さを明確にしようとしていた。そして、このような文脈において、宗教の「絶 対的依存感情(Gefühl der schlechthinnigen Abhängigkeit)」としての定義を明らかにする のだという。
さらに、この著作が、宗教の本質についての独自の直観を穏やかに叙述しているのでは なく、「闘いの書、、、、
」でもあるということを認識しなければならない、とオットーは述べる。
人々の宗教への無理解によって、宗教が軽蔑されているのだとし、シュライアマッハーは、
宗教に関する歪曲や誤った概念、表象を取り除き、その正しい概念を明確にすることを目 指す。シュライアマッハー自身は、啓蒙主義に対して、その啓蒙主義が産み出した宗教哲 学を道具立てとして闘った。そして、啓蒙主義が、宗教の本質を見誤り、台無しにし、そ して、宗教の本質を形而上学と道徳に結び付け、それによって、完全に独自で自律した宗 教の本質を曇らせてしまったのだと主張した。そこから、シュライアマッハーの要求は、
宗教的なものをあらゆる形而上学的なもの、道徳的なものから区別し際立たせようという ことになった。シュライアマッハーの攻撃は、宗教の領域から、認識と行為を排除するこ と、「形而上学」と「実践」を排除することとなった。認識と行為と並んで、シュライアマ ッハーは、宗教を人間存在の新たな独自な領域として示そうとした。もう一つの彼の目標 は、知識と道徳は永遠の感情、畏敬、敬虔がなければ何にもならないこと、そしてそれが 教養人によってまず認識されるべきであるということを示すことであった。
つまり、オットーはシュライアマッハーの『宗教論』は、当時の啓蒙主義、理神論に向 けられた「闘いの書」であり、それにより宗教の領域から認識と行為を排除しようとした のであると理解していた。
1-2.シュライアマッハーとフリースの対比
さて、オットーのシュライアマッハー理解を確認してきたが、オットーは、シュライア マッハーとフリースとの相違点はどこにあると考えていたのか。オットーの叙述に沿って 見ていきたい。
396 Ibid., S.9
フリースは、シュライアマッハー同様、モラヴィア兄弟団の教育機関で教育を受けてお り、二人は、感情的な面から宗教を学んだ。また、フリースは、自らの著書『知識、信仰、
感得』397において、シュライアマッハーを引用しており、宗教における感情の重要性につ いて、両者は一致している。フリースの感得(Ahndung)398という概念は、シュライアマッ ハ ー の 初 期 の 宗 教 の 定 義 で あ る 、「 宇 宙 の 直 観 と 感 情(Anschauung und Gefühl der
Universums)」と密接な関係にある。しかし、フリースの感得(Ahndung)という概念は、カ
ントの判断力批判に基づいており、感得(Ahndung)は、フリースによって堅固な哲学的形式 において提出されている。それに対し、シュライアマッハーにおいては、それは「本能的 直感、思いつき399」である、とオットーは言う。「宇宙が、直観され感情において捉えられ るという方法が、より明確な表現において意味することは、詩的な暗闇の域を出ない。400」 そして、シュライアマッハーがその後期に、「宇宙の直観と感情」という定義に、より明確 な 表 現 を 与 え よ う と 努 力 し て 生 み 出 し た の が 「 絶 対 的 依 存 感 情(Gefühl der
schlechthinnigen Abhängigkeit)」であるが、それに至っては、非常に一面的な宗教の捉え
方しかしていないという。
つまり、オットーは、シュライアマッハーが初期において宗教を定義した「宇宙の直観 と感情」と、フリースの感得(Ahndung)という概念は、密接な関係にある401としながらも、
シュライアマッハーのそれは、「本能的直感」によるもので、後期においては「絶対的依存 感情」という非常に一面的な、宗教的感情の記述になってしまっているという。それに対 し、フリースの概念は、カントの判断力批判を基にして、哲学的形式において提出された ものであるとする。そして、最も両者が異なる点は、シュライアマッハーが宗教的感情と 宗教的確信との間の関係を築くのをあまり重要な課題だとみなしていなかったのに対し、
397 Jakob Friedrich Fries,Wissen, Glaube, und Ahndung (Jena : J.C.G. Göpferdt, 1805)
398 Ahnung (Ahndung)に対する訳語に関しては、山谷は「感知」、花園は「感得」、久松は
「予感」を当てている。哲学の領域においては、一般的にフリースのAhndungという概念 には「予感」という訳語が当てられている(林達夫監修『哲学事典』(平凡社,1971(1954), 1432頁。))。後に詳述するように、Ahnung(Ahndung)という概念は、感情(Gefühl)におい てのみ起こる把握(Auffassen)の仕方であることから、「感得」という訳語が現時点では最も 適当と思われるため、暫定的にこの訳語を使用することとする。
399 Otto, KFR (9, 23)
400 Otto, KFR (9, 23)
401 このシュライアマッハーの「世界の直観と感情」とフリースの「感得」の概念との関係 については、『聖なるもの』第20章においても、触れられている。(Rudolf Otto, Das Heilige:
Über das Irrationale in der Idee des Göttlichen und sein Verhältnis zum Rationalen
(München: C.H.Beck, 2004), S.172-182(=ルドルフ・オットー『聖なるもの』山谷省吾訳
(岩波書店,1996),225-240頁。;ルドルフ・オットー『聖なるもの』華園聰麿訳(創元
社,2005),273-291頁。;ルドルフ・オットー『聖なるもの』久松英二訳(岩波書店,2010),
285-304頁。)