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オットーとジェイムズ:現象と実在、合理性と非合理性の間の緊

ドキュメント内 神学と宗教学の狭間で (ページ 165-200)

0.はじめに

前章において、トレルチが言及していたのは「プラグマティスト」としてのジェイムズ であり、まさにその点において、心を観念論的に捉える大陸的心理学が彼に学ぶべきであ ると述べていた。ただし、トレルチは、——この点ゆえに彼は心理学者ジェイムズを高く評 価するのであるが——、ジェイムズが経験論に「とどまっている」ことも指摘し、宗教哲学 の課題として、心理学と認識論との協働がなされるべきであることを主張していた。ここ で重要なのは、この「心理学と認識論との協働」こそ、オットーが捉えていた課題なので あるということである。このことを明確にするために、本章では、オットーとジェイムズ の宗教現象に対するアプローチの仕方、そして、その際に前景化してくる「現象と実在」

という問題から、両者の一致点、相違点を明らかにしたい。このことを通じて、トレルチ に「経験論にとどまっている」と表現されたジェイムズと対比した際に明らかとなる、オ ットーの立場、問題関心について論じたい。

1.オットーとジェイムズにおける宗教現象研究

オットー(1869-1937)とジェイムズ(1842-1910)は、直接的なやりとりはないものの、

ドイツでもベストセラーとなったジェイムズの『宗教的経験の諸相』(1902)は、オットーの

『聖なるもの』(1917)においても言及されている。この両者の著作は、宗教という同じ主題 を扱い、また多くの読者を獲得した。

1−1.ウィリアム・ジェイムズ

まず、ジェイムズの生涯を振り返っておこう。ウィリアム・ジェイムズは、1842年、ニ ューヨークで、ヘンリー・ジェイムズの長男として、その当時最も高級なホテルの一つで あるアストリア・ホテルにて生まれた512。アイルランドからの移民で、長老派の信仰を持

512 ジェイムズの生涯に関する記述は、以下を参照した。Willenborg, Hanno. Das Heilige zwischen Gefühl und Emotion: Die klassische Emotionstheorien von Charles Darwin, Wilhelm Wundt, William James und William McDougall im Vergleich zu Rudolf Ottos gefühlszentrierter Religionstheorie des Numinosen (Ed. Kirchhof & Franke, 2011), S.

っていた祖父ウィリアム・ジェイムズが、経済的な成功を収めていたため、ジェイムズ家 は裕福であった。父ヘンリー・ジェイムズは、長老派の牧師となるために、プリンストン の神学校に入学するが、やめてしまう。というのも、父ジェイムズはスウェーデンボルグ の思想に触れ、宗教をあらゆる教義とは離れて、「洞察と経験」として理解するようになっ ており、政治的にも奴隷制の廃止等、社会改良の思想を持っていた。このような父の下で 育ったジェイムズは、『鳩の翼』『ねじの回転』等で有名な作家、ヘンリー・ジェイムズ

(1843-1916)を弟に持っている。父ジェイムズは、子ども達が幼い頃から、ヨーロッパのさ

まざまな地を旅行しており、ジェイムズは 9 歳になるまでは学校に通わず、家庭教師をつ けられていた。18 歳の時に画家を目指すが、1 年で自分には才能がないと諦め、ハーヴァ ード大学ローレンス・サイエンティフィック・スクールにて化学を学び、その後、同大医 学部に進んだ。1865年から 1866年まで研究のためブラジルのアマゾン地域に滞在し、そ こで体調を崩してしまう。その直後に訪れたドイツでは、実験生理学や実験心理学の最新 の理論に触れた。その時の様子をジェイムズは、1867年の手紙に記している。

「私には心理学が一つの科学になる時が来たように思われる。すでに、神経における生理 的変化と意識の現象の発生の間に横たわる領域においては、いくつかの範囲の限定が企て られている…そして、そこからはより多くのことが生じてくるかもしれない。私は、すで に明らかになっていることの研究を続行していき、もしかしたら、ヘルムホルツやハイデ ルベルクのヴントという人が取り組んでいる研究にも自ら取り組むことができるようにな るかもしれない513。」

この時にすでに、ヴントの研究にも触れており、心理学を「科学」として進めていくこと の必要性を認識していたことが窺える。1868年にアメリカに戻ったジェイムズであったが、

体調は完全には回復していなかった。翌年医学博士号を取得したものの、1869年から1873 年の間、ひどい鬱に襲われる。そのような精神的な危機から回復しつつあった1872年、ジ ェイムズはハーヴァード大学で教鞭をとり、1875 年には彼の学生スタンレー・ホールと共 に、アメリカで初の心理学の実験室を設立する。1890 年には、『心理学原理514』を出版し

313-322. ; デボラ・ブラム 鈴木恵訳『幽霊を捕まえようとした科学者たち』(文春文庫、

2010年)。

513 Bonin, Werner F. Die großen Psychologen: Von der Seelenkunde zur Verhaltenswissenschaft (Düsseldorf: ECON Taschenbuch, 1983), S. 150.

514 James, William. The Principles of Psychology (Encyclopædia Britannica, 1990(1890))

有名となる。1899 年には、カリフォルニア大学において講演「哲学的概念と実際的効果」

を行い、パースの学説を敷衍した形で、初めて「プラグマティズム」について論じた。1902 年には、エディンバラ大学でのギフォード講義515として行われた講義が『宗教的経験の諸 相516』として出版される。1907年には、同年とその前年に行われた一般向けの講演をまと めた『プラグマティズム517』が出版された。プラグマティズムへの批判に対する反批判の 成果として1909年『真理の意味518』が出版される。1909年には、アメリカ旅行中のジー クムント・フロイト、カール・グスタフ・ユングとも会っている。その翌年の1910年、ヨ ーロッパ旅行中に体調が急激に悪化したジェイムズは、米国への帰国を強く望み、帰国後 すぐに病院で亡くなった519

1−2.ブルンナーによる両者の分析

同時代の神学者ピーター・ブルンナー(1900-1981)は、「ウィリアム・ジェイムズとルドル フ・オットーにおける宗教の概念520」と題した模擬授業(Probevorlesung521)をギーセン大 学で行い、のちにそれが『神学雑誌』に掲載されている。牧師、組織神学者であったブル ンナーは、ダルムシュタットでアビトゥーアを受け、1918年 6月から12 月まで第一次大 戦に参加、その後マールブルク大学にて、フリードリヒ・ハイラー、ルドルフ・オットー、

パウル・ナトルプの下で神学と哲学を学ぶ。1923年からはギーセンで学び、同年、同地で 第一次神学試験、翌年にダルムシュタットで第二次神学試験に合格する。その後、ボスト ンとケンブリッジで学び、特にウィリアム・ジェイムズを学ぶ。1927年6月にハーヴァー ド大学で博士号を取得した後、ギーセンにて『マイモニデス、トマス・アクィナス、スピ ノザにおける目的論の諸問題』によって教授資格を認可される。ギーセン大学組織神学の 正教授の職は、ヒトラーの権力掌握後に取り消される。1936年にはギーセン大学での教授 資格が取り上げられ、同年から戦争終了後まで「秘密国家警察」によって教鞭をとること

515 ギフォード講義は、アダム・ギフォード卿(1820-1887)によって設立された自然神学を 主題とした講座。スコットランドの大学で現在も行われており、ここで講演を行うことは 名誉あることとされる。

516 James, William. The Varieties of religious experience (1902)

517 James, William. Pragmatism: A New Name for Some Old Ways of Thinking (1907)

518 James, William. The Meaning of Truth: A Sequel to "Pragmatism" (1909)

519 Willenborg, op. cit.

520 Brunner, Peter. „Der Begriff der Religion bei William James und bei Rudolf

Otto“ (Gießener Probevorlesung) in: Theologische Blätter: im Auftrage des Eisenacher Kartells Akademisch-Theologischer Vereine, Nummer 4, 7. Jahrgang, April 1928., Sp.

97-104.

521 Probevorlsungとは、教授資格論文、もしくは教授に着任する際に行われるもの。その

人の専門分野における教授能力を確認するために行われる。

を禁止される。その間、牧師として、また告白教会の神学学校で活動した。1947年にハイ デルベルク大学の組織神学の教授となり、1968年までこの地で教鞭をとった522

1928年に『神学雑誌』に掲載された、ブルンナーによるジェイムズとオットーの比較は、

どのようなものだったのか。ブルンナーの分析を確認してから、ジェイムズとオットーの 宗教現象研究を見ていこう。

まず、ブルンナーは、オットーとジェイムズを比較する上で、方法の問題と内容の問題 とを分けて考えている。そして方法の問題に関して論じる前に、両者において宗教の定義 がなされていないという点に着目する。ジェイムズは、宗教の定義を行うのではなく、宗 教という言葉は、一義的な何かを示すのではない、集合的名称であるとするため、宗教を 定義するということはさまざまな諸要素からなるものを不当に

、、、

単純化することであるとす る。オットーも同様に、宗教の定義は行っておらず、カント・フリースの宗教哲学におい ては、宗教は精神生活の最も内的な深みであり、感情に位置するものであるとされる。ゆ えに、宗教は、感情を通じてのみ捉えられることができ、概念的分析や叙述から逃れてい るのだという。

ブルンナーによれば、このオットー的な叙述はジェイムズと似た方向性を示しているが、

ジェイムズとの重要な違いがここにはあるという。ジェイムズは、宗教的なものの要素が 多数あることから、それにただ一つの定義を与えることは難しいとするのに対し、オット ーにおいては、宗教のうちのある部分は概念的に把握可能であるとしつつも、宗教的なも のの質的な要素、その「異なっていること」、つまり、厳密な意味で定義可能な対象と異な るものがあるということ、がその定義不可能な理由として挙げられている。

しかし、我々が宗教という概念を提示できないのなら、どうやって我々の対象を捉える ことができるのか。その際に、両者ともに、記述的帰納法によって、観察者が内部からそ の現象を解釈するという方法が用いられている。このように、ジェイムズとオットーは、

宗教的経験のさまざまな現れを叙述しているのだが、しかし、その多様性だけではなく、

その多様性の中に共通のものを認識しようとする。ジェイムズにおいては、それは「あら ゆる宗教の核」とされ、オットーにおいては「あらゆる宗教の中に最も内的なものとして 生きるもの」とされる。しかし、両者はどうやってその目標に到達するかが異なっている という。ジェイムズは、還元的な方法によって、それぞれの個人的な経験を見たのちに、

それらを「偶然的な最も低い表現」へと還元する。それに対し、オットーは、個人的なも の、特殊なものを機械的に切り取るだけでは、宗教の最も内的なものは見つけられないと し、個々の現象の中心を発見するような、本質をみること(Wesenschau)によって、その目

522 Führer, Werner. „BRUNNER, Peter“ in: Bautz, Traugott. (hrsg.)

Biographisch-bibliographisches Kirchenlexikon (Herzberg: Bautz, 1998), Sp. 834-837.

ドキュメント内 神学と宗教学の狭間で (ページ 165-200)