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民族心理学において現れる宗教という主題−W. ヴントへの批判

ドキュメント内 神学と宗教学の狭間で (ページ 124-150)

0.はじめ

これまで見てきたように、「宗教」という主題を伝統的に扱ってきた神学の分野でも、こ の時代には「宗教」という対象をどのように扱うかという問題が起こっていた。その一方 で、19世紀半ばに新しく成立した実験心理学においても、「宗教」がその関心を集めていた。

この章では、実験心理学の祖とされるヴィルヘルム・ヴントがどのように宗教現象を扱っ たかを確認した上で、オットーがヴントの何を、どういった理由で批判したのかを明らか にする。

1.W.ヴントと民族心理学 1−1.ヴントの生涯

ヴィルヘルム・マキシミリアン・ヴント (1832-1920)は、1832年、マンハイム近くのネ ッカラウに、プロテスタント牧師マキシミリアン・ヴントの息子として生まれた。ハイデ ルベルクで少年時代を過ごし、1851年からテュービンゲンで、その後ハイデルベルクにお いて、医学の勉強を始める。1855 年に医学国家試験を受け、翌年、「炎症し変質した器官 における諸神経の関係に関する研究416」で博士号を取得する。ハイデルベルクの大学病院 で助手を務めた後、ベルリンのヨハネス・ミュラー(1801-1858)、エミール・デュ・ボア=

レーモン(1818-1896)の下で、研究を行う。1857年には、ハイデルベルク医学部で筋肉の収

縮運動に関しての論文で教授資格を得る。この時期に、ヴントは大喀血を起こす。後の1920 年に出版される自伝『体験と認識』においても、この当時のことが詳細に想起されており、

瀕死の状態を体験したということが、彼の人生において圧倒的な転換点となったというこ とがヴント自身によって描かれている417。この体験は後のヴントの学問的活動にも影響を 及ぼし、ヴントは経験的な知識と並んで、哲学的洞察も強調することとなる。

「なぜならそのときから私は、私の体験と認識のどちらをもますますひとつのまとまった 調和的な世界観に属するものとして一緒に見るようになったからである。この世界観は感

416 Untersuchungen über das Verhalten der Nerven in entzündeten und degenerierten Organen

417 Wundt, Wilhelm. Erlebtes und Erkanntes (A. Kröner, 1920), S. 116-117.(=ヴィルヘ ルム・ヴント 川村宣元、石田 幸平訳『体験と認識』(東北大学出版会、2005)、122-123 頁。)

覚的世界のなかにその必然的実体を、そして精神的世界のなかに人間の意識に与えられた この実体の生きた形態を見いだすのである。ある程度哲学的認識ではないような科学的認 識などないし、また反対に、個々の科学的認識の全体と一致しないような哲学的認識もな いということが、このときから私には急にますますはっきりしてきた418。」

そして、療養した後、1858年、ハイデルベルク大学の生理学者ヘルマン・フォン・ホル

ツ(1821-1894)の助手となる。ここで、生理学、解剖学の講義を持ちつつ、1862年に初めて、

心理学の講義「自然科学的観点からみた心理学」を持つ。1864年、ヴントはハイデルベル ク大学医学部の人間学(Anthropologie)と医学心理学の員外教授となる。また、1864年から 68年まで、ハイデルベルクの議員も務めている。1874年には、チューリッヒ大学の哲学教 授として招聘される。その翌年、ライプツィヒ大学に哲学教授として着任し、1879年には 実験心理学研究所が設立される。1889年から 1890年までは、ライプツィヒ大学の学長を 務め、1902年にはライプツィヒの名誉市民となる。1917年、79歳の時に、教授職を辞し、

1920年ライプツィヒ近郊のグロースボーテンにて亡くなった419

また、学問史的に見た場合、ヴントは、実験心理学の祖とされ、独立した専門分野とし ての心理学の発展の前提条件を用意したとされる。1874/75年の『生理学的心理学の根本的 諸特徴420』では、実験心理学の方法論的側面を論じるが、そこでは意識されないものは排 除されている。ライプツィヒに移ってから、1879年に、世界初の実験心理学の研究室を設 立し、ここはすぐに世界的な実験心理学の中心となる。ただし、ヴントは、実験的方法は、

個人的心理過程にのみ限定されており、社会的次元は、観察によって分析されねばならな いと考えていた。ヴントにおいては、歴史的な文化の形式は「集団的魂(Volksseele)」の構 築物と関連付けられている。その後、1900年から1920年にかけて10巻からなる、実験的 方法によらずに集団的な心理現象を取り扱った、『民族心理学421』を出版する。彼の学際的、

文化史的試みは、心的なものの歴史的、社会的次元を主題化しているが、19 世紀的な進化 論的図式にとどまっており、ヴントは、歴史的なものの心理学化を試みているが、心的な ものの歴史性が考慮されていないといった批判もなされている422。実験心理学の創始者と

418 Ibid., S. 124, 前掲書、130頁。引用箇所は翻訳から。

419 ヴントの生涯に関する記述は、主に以下を参照した。Wolfradt, Uwe. Ethnologie und Psychologie dieLeipziger Schule der Völkerpsychologie (Reimer, 2011), S. 24-25.

420 Wundt, Wilhelm. Grundzüge der physiologischen Psychologie (Wilhelm Engelmann, 1874)

421 Wundt, Wilhelm. Völkerpsychologie : eine Untersuchung der Entwicklungsgesetze von Sprache, Mythus und Sitte Völkerpsychologie (A. Kröner, 1900-1920)

422 Hermsen, Edmund. „Wilhelm Wundt“ in: Hans Dieter Betz u.a. (hrsg.) Religion in Geschichte und Gegenwart : Handwörterbuch für Theologie und Religionswissenschaft

してのヴントが世界的に知れ渡る一方で、彼の民族心理学はあまり価値のあるものとされ ず、彼の死後、民族心理学の後継者は生まれなかった。この理由として、第一次大戦中で ある1915年にヴントが出版した『諸国民とその哲学423』におけるプロパガンダ的要素の強 い記述によって、彼の学者としての評価は学者のサークルにおいても学問外の領域におい ても失墜したためとも言われている424。しかし、近年再び、心理学において民族心理学を 見直そうという試みも見られる425

1−2.ヴントの心理学が画期的だったこと 1 −2 −1 . デ ュ ル ケ ー ム と の 関 係

ドイツの宗教学者キッペンベルクによれば、ライプツィヒでデュルケームとヴントが接 点を持ったという事実は、宗教研究の歴史にとって重要な意味を持つという426。ここでは、

キッペンベルクの叙述に沿って、デュルケームがどのようにヴントを受け止めていたかを 追っていくことにより、「実験心理学の祖」としてのヴントという側面ではない、ヴントの 民族心理学がどのような点において画期的であったのかを確認していこう。

普仏戦争(1870-1871)での敗北の後、フランスでは、その敗北の原因の調査が集中的に なされ、自国の弱点のうちの一つとして、その大学システムが取り沙汰されることとなっ た。フランスの思想家エルネスト・ルナンは、ドイツの勝利は学問の勝利であったと述べ たという。そこで、フランスの公共教育省(Ministère de l’Instruction Publique)は、自国が その惨状から立ち上がるためには、ドイツの大学に学ばなければならないと考え、専門の 最先端の学問を学ぶことができるように、若い研究者を奨学生としてドイツに派遣した。

このようにして、将来有望とされるフランスの研究者が、当時の学問の最先端とされたド イツに派遣されることとなった。そしてこの内の一人が、後に宗教社会学者として名を馳 せることとなるエミール・デュルケーム(1858-1917)であった。

デュルケームが、ドイツを訪れた時、ヴントの『倫理:道徳的生活の諸事実と諸法則に

(Mohr Siebeck, 2008), Sp. 1732-1733.

423 Wundt, Wilhelm. Die Nationen und ihre Philosophie (A. Kröner, 1915)

424 Klautke, Egbert. “Perfidious Albion: Wilhelm Wundt’s Völkerpsychologie and Anti-English Propaganda during World War I” in: Horan, Geraldine (eds.) English and German Nationalist and Anti-Semitic Discourse, 1871-1945 (Oxford; Bern; Berlin;

Bruxelles; Frankfurt am Main; New York; Wien: Peter Lang, 2013)

425 Wolfradt, Uwe. Ethnologie und Psychologie: die Leipziger Schule der

Völkerpsychologie (Reimer, 2011); Jüttemann Gerd (hrsg.) Wilhelm Wundts anderes Erbe: Ein Missverständnis lost sich auf (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 2006)

426 Michaels, Axel. (hrsg.) Klassiker der Religionswissenschaft von Friedrich Schleiermacher bis Mircea Eliade (München: C. H. Beck, 2010(1997)), S. 103.

関する一研究427』が既に出版されていた。ヴントは、民族心理学という方法によって、道 徳を形而上学に基礎付けることよりも、心理学に基礎付けることの方が実り多いものとな ると考えていた。デュルケームは、フランスへ帰国した後、論文「ドイツの大学における 哲学教育の現状428」(1887)を発表し、ドイツにおける哲学の研究状況を記している。ここ では、フランスと比べた際の、ドイツにおける哲学に関する講義の豊富さについて触れ、

また、ヴントを「形而上学とのあらゆるつながりを絶った、初めてのドイツの心理学者」

と評価している。しかし、デュルケームが伝えるところによれば、ドイツにおいて、ヴン トは孤立しており、教養のあるドイツ人でさえ、パリを訪れた時に初めてヴントについて 知るということもあったとしている。このようなことから、デュルケームは、ヴントの経 験主義はドイツよりもフランスに馴染みやすいと考えていた。しかし、後述するように、

ヴントの影響はドイツにおいても大きなものであった。このことは、当時の宗教をめぐる 哲学の概説書においても、ヴントの名前が挙げられていることから、明らかである。

そして、「ドイツにおける道徳の実証的科学429」(1887)というもう一つの論文では、道徳 についての研究におけるヴントの新たな試みが、詳細に紹介されている。ドイツでは、道 徳哲学、、

とは異なった形で、道徳というものが、経験的な研究の対象となってきているとい う。そして、ヴントの試みの目的を明確にするために、ドイツの経済学、法学を、英国の それと対比させる。つまり、マンチェスター学派にとっては、国民経済はただそこに参与 する個人の総体とされるのであるが、ヴァーグナーやシュモラーといったドイツの学者は、

国民経済を、ある独自の事実

、、、、、

として捉えているという。経済行為は、道徳というものと結 びついており、その道徳は時代や環境ごとに変わってきたものである。道徳を通じて、個 人が社会に統合され、さらにその道徳が社会的諸行為を規定する。このような道徳は、集 団というものの下で発生し、これは多くの場合、行為者の直接的意識とは関わりのないも のだという。よって、社会的行為を個人的な意図から説明することはできない。そこでヴ ントは、意識から道徳を導き出すことをやめているという。しかし、このことを高く評価 しつつも、デュルケームは、ヴントを以下の一点においてのみ批判する。「義務付ける」と

427 Wundt, Wilhelm. Ethik. Eine Untersuchung der Thatsachen und Gesetze des Sittlichen Lebens (Stuttgart, F. Enke, 1886)

428 Durkheim, Émile. “La Philosophie dans les universités allemandes,” Revue

internationale de l’enseignement, 13, (1887), pp. 313-338, pp. 423-440.(=エミール・デ ュルケーム 小関藤一郎、山下雅之訳「ドイツの大学における哲学教育の現状」『デュルケ ーム ドイツ論集』(行路社、1993)、163-215頁。)

429 Durkheim, Émile. “La science positive de la morale en Allemagne,” Revue

philosophique, 24, (1887), pp. 33-58, pp. 113-142, pp. 275-284.(=エミール・デュルケー ム 小関藤一郎、山下雅之訳「ドイツにおける道徳の実証的科学」『デュルケーム ドイツ論 集』(行路社、1993)、81-162頁。)

ドキュメント内 神学と宗教学の狭間で (ページ 124-150)