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れる土坑が、用水路の脇や、地割の境界 とみられる地点に頻繁にみられるようになり、中世以前の耕地形態との 大 きな差異をなしている。また、近世に比定される耕作土層は、それ以前のものと比べ、槻 して砂質がつよく、
栽培作物が異なる可能性が考えられていた。
本調査地点における、アブラナ科を主体 とする花粉分析結果は、畑作の存在を裏づけるものといえよう。植物 珪酸体分析からは、イネのプラント・オパールが検出されてお り、稲作の存在 も指摘されている。敷き藁の結果 としてプラント・オパールが残存 した可能性 も考えられるが、当時、二毛作が普及しつつあった事実を考慮する と0、 水日の裏作 としてアブラナ科の作物が栽培 されていた可能性が高い。寄生虫卵の検出からは人糞施肥の可 能性 も示唆されているが、本遺跡における野壼 とみられる土坑の増加は、施肥を伴 う畑作がおこなわれていた事 実を反映したものとみれば、考古資料にみる耕作形態の変化 と、今回の自然科学分析の結果、および文献から知 られる農耕の実態はきわめて整合的なものと評価できよう。なお、アブラナ科に含まれるナタネ・ダイコン・タ カナは、江戸時代中期の備前・備中の産物 として、文献に記載を確認できるものである。
植生の変遷
縄文時代後期、弥生時代早〜前期、近世の各層で、花粉分析・植物珪酸体分析を実施 した。今回は、
種々の制約により、通時的な植生の変遷をあきらかにするまでにはいたらなかったが、概略的な変化を追うこと は可能であろう。縄文時代後期のカシ類などの照葉樹を主とした植生が、弥生時代早〜前期では、樹木花粉の比 率が減少 し、開かれた環境に変化 している点は注意される。近世では、さらに森林が遠ざかっているとみられ、
その植生 もナラ類・マツ類を主とする二次林 となっているようである。この状況は、同時期の本遺跡における木 材資源の利用が、アカマツおよびマツ属に大きく偏っている①ことからも窺えよう。
註
(1)阿部芳郎 1994「後期第Ⅳ群土器の型式学的検討」『津島岡大遺跡4』 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第7冊 (2)平井
勝 1993「縄文後期・四元式の提唱一彦崎K2式に先行する土器群について一」『古代吉備』第15集
(3)松井
章 1995「古代・ 中世の村落における動物祭祀」『国立歴史民俗博物館研究報告』第61集
(4)富岡直人 2002「百間川米田遺跡出土動物遺存体の分析」『百間川米田遺跡4』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告164
(5)加原耕作 1985「農業」『岡山県史』第7巻
近世 Ⅱ
(6)能城修‑ 2005「津島岡大遺跡第26次調査出土木材の樹種」『津島岡大遺跡15』 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第20冊
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図 版 l 縄 文 時 代 後 期 上 層 全 景
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縄文時代後期上層全景 (北か ら)2
縄文時代後期上層全景 (北東 か ら)ψ