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高校地理教育における体系化の視点 1 実用的体系化の原則

A七

第2節 高校地理教育における体系化の視点 1 実用的体系化の原則

 高校地理教育の体系は、目的(何のために)、内容(何を)、方法(ど う教えるか)がシステム化されていることをいう。従って、その目的によ って高校地理教育のシステム全体あるいはその内部構造のバランスが変っ てくる。これらを研究対象とするのが教科論である。しかし、この教科論 をめぐって大きな対立点があり、今日に至ってもまだ解決をみていない。

それは、主知主義的教科論と経験主i義的教科論の対立である。

 戦後、社会科毅三論の歴史は、客観的知識内容を重視する主知主義的教 科論と児童生徒の主体的な経験を重視する経験主義的教科論の対立の歴史 であったともいえよう。前者の立場を主張する研究団体が、「教育科学研 究会」であり、後老の立場を主張しているのが、「社会科の初志をつらぬ

く会」および「コア・カリキュラム連盟」と後にその名称を変えた「日本 生活教育連盟」であった。これらの立場は、それぞれに長所と短所があっ た。前老の立場は、社会科学における客観的知識によって生徒の認識が保

証されながらも聴i実践的態度形成につながるという明確な方法論が、必ず しも確立されながつた。一方、後者においては、生徒の主体的な経験によ ってのみ認識が形成されるという方法論は確立されているが、それによっ て、高いレベルの客観的知識が必ずしも保証されてはいない。

 学習指導要領の変遷をみると、昭和22年版および昭和26年版では、

後者の立場をとり、それ以降は、前者の:方に傾斜を強めていった。そして 現在では、その反省期に入っているといえよう。このように、学習指導要 領は社会認識と人間形成との問題には、明確な立場を表明していない。む しろ両者の力関係や、時勢に左右され、論理的一貫性は、持たなかったと いえよう。それに対し、経験主義的立場と主知主義的立場とを論理的に統 合しようとしたのが広岡亮蔵である、広岡亮蔵は、「知識形成と人間形成 の統一的形成を教科教育の必須の条件」〔Dとし、両者の長所を引き出して 結合させた。すなわち、経験主義の立場からは問題解決学習という方法論 を、主知主義の立場からは教科内容論を結合したのである。換言すれば、

客観的知識や技術の内容を問題解決学習の方法を用いる教授法ともいえる。

 また鈴木喜代春の「社会科検証学習」も両者を結合させた学習過程法を とる。ω すなわち、社会科の学習過程を、2つの段階にわける。第1段 階では、国民の要求に従って編成された教育内容を、確実に子供のものに しようとする目的から、教師が事実を導入し、子供がそれを理解する段階 である。第2段階では、子供たちが獲得した事実を、より確実に、科学的 に子供自身のものとさせるため問題解決学習の方法をとる。

 しかし、以上のような折衷法は、教授理論において整合性が失われる。

全く異質な内容と方法が結合されても授業目標は達成されない。例えば、

主知主義の授業論に立てば、門標が内容を決定し、内容が方今を決定する。

従って、客観的知識や技術の内容が定まれば・当然そ:の内容に最も適した 方法が決定されるはずである。しかるに、問題解決学習は、学習方法のみ が決っていて、学習の内容は学習主体老によって選択されねばならない。

従って、学習内容が教師によって教授された時点で、問題解決学習の成立 基盤が失われてしまうのである。客観的知識学習と問題解決学習の統合は 理論的に不可能なのである。

 以上の考察から、筆者は、両者の統合ではなく、併用する立場をとる。

ソーンダイクは学習の転移に関して同一要素説を提唱した。それによれば、

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学習された事実が、ほかの場面に転移されるには、それら.の問に同tの、

または、共通の要素があるからであるとし、それまでに仮定されていたよ うな広い転移は、証明されえないことを示した。〔3〕すなわち、どのよう な優れた学習方式でも、それによって養われた能力が、全てに転移してい くパーフェクトな学習方式は、存在しないということである。概念探究学 習は、科学的認識能力を養うのには大変優れた学習方式である。しかし、

いかに優れていても、社会科の全ての学習を概念探究学習で押し通すこと はできない。逆の立場で、問題解決学習の場合も同様である。

 社会科学習の目的にはいろいろある。例えば、作図技術を高めることも 地理学習の重要な目標の一つである。このような技術学習にはドリル学習 が最も適しているといえよう。また、地域問題に生徒が強い関心を抱き、

それを更に深く探究しようとすれば、それを励まし、助言を与え、全体の 学習の場に引き上げていくことも大切であろう。むしろ公民的資質を重視 すれば、生徒が問題意識をもつように意図的に働きかけることが必要とさ れるであろう。地理教育における授業はワンパターンであってはならず、

あらゆる学習方式が、学習目的によって駆使されねばならない。

2 一元論的地理学習の原則

 地理学には、自然地理学と人文地理学および系統地理学と地誌の二重の 二元論があった。この二元論が地理教育の実践の場に大きな混乱をもたら してきた。筆者は、高校地理教育においては一元論的地理学習でなくては ならないという立場に立つ。以下これらの問題を考察していく。

(1)判然の取り扱い方

 地理学は、目然科学か、社会科学か、あるいは両者を総合する総合科学 か、古くから論争されてきた。わが国の地理学研究実態をみる限り、目然 地理学者は目然地理学のみ、人文地理学者は人文地理学のみの研究領域を かたくなに守り、そこから抜け出す努力をしていないように見受けられる。

すなわち、わが国の地理学会の実態は、地理学の理念とは別に、二元論が 定着しているように見受けられる。社会科の1科目として位置づけられて いる高校地理教育は、この地理学の二元論にどのように対処すべきであろ うか。まず高等学校学習指導要領を分析してみよう。高等学校学習指導要

領における丁地理」の目標は以下の通りである。

 世界の人々の生活の地域的特色とその動向を、自然環境及び社会環境と  のかかわりにおいて理解させ、現代世界に対する地理的な認識を養うと  ともに、国際社会における日本の立場と役割について考えさせる。

 つまb高等学校学習指導要領においては、自然環境そのものを教えるの ではなく、地域的特色とその動向を理解させるための手段として位置づけ ている。地理学習の目的はあくまでも地域的特色とその動向であって、自 然環境ではない。自然環境は単なる理解のための手段、換言すれば説明の 原理であって目的ではないのである。この点は、社会科の1科目としての 高校地理教育の体系を構成する際の重要な視点とされなければならない。

 しかし、この高等学校学習指導要領に準拠して作成された教科書の記述 は、必ずしもその意図が生かされているとは限らない。多くの教科書では、

自然が説明の手段としてではなく、地理学習の目的として位置づけられて

いる。っ一ワり、自然環境、もっと厳密にいえば、自然そのものを学習対象 とする教科書の記述が多くみられるのである。それでは、どうして高等学 校学習指導要領の目標とずれが生ずることになるのであろうか。それは、

学習指導要領にみられる内容構成の配列に問題があるように思われる。つ まり学習指導要領では自然環境の内容が学習内容の最初に配列されている からである。またこのパターンは、「世界の地域」の地誌学習の場合にも 同様にみられる。すなわち、学習する地域について、①自然環境、②産業

③住民と生活という同一パターンで学習内容が配列されている。これは、

いわゆる自然地理先習弊的学習論に根ざしているといえよう。この自然地 理男憎論は、古くからの地理学習のパターンで、伝統的に定着してしまっ ているように思われる。はたしてこの陶然地理習習論は、地理学地響とし て有効であろうか。この自然地理弊習論に理論的裏ずけを与えたのは、教 育科学研究会であった。教育科学研究会の自然地理先習論は、小学校、中 学校、高等学校のカリキュラム論で展開された。自然地理先習論について、

その根拠を以下のように述べている。

 自然がまず存在し、それを基礎に人間の生産活動がいとなまれているの  であるから、自然地理が基礎となり、そのうえで経済地理が学習されな  ければならないというのは当然である。㊥

 以上の理論は、一応整合性があるとみてよい。しかしこれは、理論とし

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