第六章 考察 -初期騎馬遊牧文化の展開過程-
第3節 青銅武器と馬具にみる地域間関係
先行研究においては、草原地帯東部の地域間関係に関わる問題の検討はあるが、青銅武 器と馬具の形態を体系的にとらえて本格的な型式学的と機能的な考察を行うことは、課題 として残されている。この課題を解決するため、本章の第 1 節では、第二章~第五章で検 討した青銅武器と馬具の型式・編年と分布状況を踏まえつつ、墓葬単位の一括遺物と放射 性炭素年代測定の結果によって青銅武器と馬具の時間的関係を詳しく把握した。本章の第 2節では、第1節で設定した青銅武器と馬具の展開の時間軸に沿って、青銅器の組み合わ せの分布状況を整理した。本節では、草原地帯東部の青銅武器と馬具の展開過程を、青銅 武器と馬具と関連した、多様な考古学的現象をみながら、詳しくみてきた。また、本論の 第一章で指摘したように、草原地帯東部の物質資料の拡散という問題をめぐって、先行研 究においては、物質資料が生成し展開する経済的、社会的な変化を追求する視点は乏しか った。よって本節では、青銅武器と馬具の階層性の検討を加味しながら、青銅器の副葬と 墓葬構造を整理することによって、どのような背景で地域間の関係が具体的に展開してい るかを読み取りたい。
1.第Ⅰ期(紀元前9~前7世紀)
第 1 段階は、本章の第2節で述べたように、ミヌシンスク盆地以西では短剣A類と刀 子A類を、東では短剣B類と刀子B類を使用されているという大きな違いがあったこと をまず指摘しておきたい。また遼西地域では結合式の轡(銜Aa1型)の出土数が少ない が、ミヌシンスク盆地以西ではその出土数が多く、銅鏃群①がミヌシンスク盆地以西に集 中するという地域的偏在もある。次の第 2 段階になると、燕山地域では、短剣D類、刀 子F類、鏃群②、挿入式の轡(銜Ca1型)という青銅武器と馬具の新型式が登場する。
すると、この時期には草原地帯東部ではミヌシンスク盆地を挟んで青銅武器と馬具の諸型 式の東西差が存在するといえるだろう。
ひとつの考え方として、こうした文化的な東西差は墓葬構造と密接に相関したと考えら れる[松本圭太 2018]。墓葬構造については、まずツヴィクタロフ氏によれば、板石墓は モンゴル高原の東部を中心に、ヘレクスールはモンゴル高原の西部を中心に分布し、両者 がモンゴル高原中央部で交錯した分布をなすという[Цыбиктаров 1998]。この枠組みの中 においては、板石墓がモンゴル高原の東部から中部にかけて広がり、ヘレクスールがモン
ゴル高原の西部から中部にかけて広がり、両者を相対して拡散するとする[Cybiktarov 2003]。また宮本一夫氏によれば、モンゴル高原西北部を中心として分布するヘレクスー ル文化墓葬Ⅳ類(四隅立石をもった方形の積石塚)は、紀元前9~前8世紀においてミヌ シンスクのタガール文化バイノヴォ期に連続するいっぽうで、モンゴル高原西部から東部 へ広がりながら、板石墓文化墓葬Ⅱa 式(典型的板石墓)に変化していった[宮本一夫 2016a、
2018]。なお、松本圭太氏によれば、こうした文化的な東西差を示している墓葬構造は紀 元前 1500 年頃からの青銅器様式(型式群)の変化の背景として、鹿石や動物紋の動態と 軌を一にするものと考えられる[松本圭太 2018]。
このような墓葬構造の東西差を青銅器の諸型式の変化の背景とする研究と異なり、ここ では、特定型式の青銅武器と馬具の副葬の組成や意味の違いを注目し、墓葬構造という文 化的な東西差の枠組みのなかで、各地域に青銅器の階層性を検討したい。
(1)南シベリア・新疆
南シベリアでは第Ⅰ期第 1 段階に相当する墓葬はあまり多く調査されていないが、その ような状況のなかで盗掘されてしまったトゥバ地域のアルジャン 1 号墳は青銅武器と馬 具の副葬に関しての重要な情報を与えてくれた。アルジャン 1 号墳は、直径が 120mであ る円形の積石塚の墳丘と、その周りを囲む小さい円形の石堆からなっている。石積みの下 には地上に丸太で組まれた構築物がある。墓主人と思われる中央の墓室から放射状に取り 囲む空間には大量の馬が副葬されていた。墓葬のまわりには小さい円状の石堆があり、こ れらの石積から犠牲として羊、牛、馬の骨が発見された。中央の墓室の遺物は、短剣C1 類 3 点、銅鏃A類 5 点、銅鏃E類 4 点、銅戈 1 点および、結合式の轡などが発見されて
いる[Грязнов 1980]。いままで公開された資料によるかぎり、きわめて少ないが、トゥバ
では第Ⅰ期第 1 段階にあたる墓葬はティギル=タイダゼン(Тигир Тайджен
)
-Ⅳ号墓地 1
号墳 1 号墓もある。遺物は短剣C1類 1 点、刀子B類 1 点、銅鏃A類 6 点、銅鏃F類 4 点、銅戈 1 点、銅鏡 1 点が発見されている[Зайцевой, Боковенко 2005]。いっぽう、新疆 では、第Ⅰ期第 1 段階を代表する墓葬は和静県の莫呼査汗墓地があげられる[新疆維吾爾 自治区文物考古研究所 2016]。莫呼査汗墓地の墓葬は竪穴土坑とそのまわりを囲む馬鐙形 の石列による囲みからなるものである。多くの竪穴土坑は長さが 1.5mぐらいものである。遺物は、101 号墓からは短剣A類 1 点、刀子A類 1 点、土器 1 点が発見されている。54
号墓からは刀子A類 1 点、結合式の轡(銜 3 点、鑣 1 点)、土器 1 点が発見されている。
46 号墓からは結合式の轡(銜 1 点、鑣 1 点)が発見されている。しかし、多くの墓葬か らは刀子A類 1 点と土器 1 点のみが出土している。これらを整理すると、まず馬具とと もに短剣、銅鏃などの青銅武器が共伴している例として、アルジャン 1 号墓が知られ、そ の墓葬主人のランクが最も高いことが想定される。また、ほかの例をみると、多様な青銅 武器と馬具が共伴することがあるが、武器と馬具の種類には差異がみられる(第 7-6 図)。
やや不確実であるが、階層の分化が想定できる。
(2)遼西地域
遼西地域では、青銅武器と馬具が出土する墓葬群として内蒙古寧城県の小黒石溝遺跡が あげられる[内蒙古自治区文物考古研究所ほか 2009]。これらの墓葬の年代は第Ⅰ期第 1 段階に属している。このうち、8501 号墓は竪穴土坑墓であり、こうした竪穴土坑が小石 で囲まれている。残念なのは盗掘されてしまったから詳しい状況は不明瞭でなる。8501 号墓からは、鼎・簋・
罍・などの中原系青銅礼器、中原系青銅武器に関連した青銅戈・青
銅鏃、遼寧式短剣、刀子B類、空首斧などの工具、虎形の帯飾板などの装身具が発見さ れている。85NDXAIM2 号墓は竪穴土坑墓であり、墓葬の中央に木棺が置かれた。遺物は、遼寧式短剣、刀子B類、青銅戈、青銅斧、および帯飾板、連珠形装身具などが検出され ている。85NDXAIM2 号墓には中原系青銅礼器がみられない。また、ほかの墓葬からみると、
85NDXAIM5 号墓・ 85NDXAIM6 号墓などの多くの墓葬には銅釦のみが発見されている。青銅 器の副葬の組成を具体的にみると、第 1 段階に青銅武器と馬具をもつ墓葬は、先述した南 シベリアと異なり、中原系の青銅礼器も確認され、最も高いランクとして想定される(第 7-6 図)。これらの中原系の青銅礼器が少数の墓葬に集中する現象は燕山以南の地域との 交流や略奪品の可能性を示している[宮本一夫 2000]。文献記載には北方の勢力が春秋 中期の前に華北地域の燕国と斉国をしばしば攻撃することが認められる。これは遼西が中 原地域と拮抗した軍事的な接触と交流を示しているといえる。
したがって青銅武器、馬具、墓葬構造などの分布状況から地域間関係の具体像を整理す ると、第Ⅰ期の草原地帯東部では、これらの物質文化の要素が文化的な東西差を示してい る。こうした文化的な東西差は、遼西地域を中心とした長城地帯は、南シベリアと異なり、
その最も高い階層が中原地域と接触する結果と考えられるだろう。
第 7-6 図 紀元前9~前7世紀における墓葬の中の青銅器組成と階層性
2.第Ⅱ期第 1 段階(紀元前6~前5世紀)-東漸説の再検討-
第Ⅰ期とは分布の様相が異なり、第Ⅱ期第 1 段階になると、前段階に分布域が南シベリ アのみに限られた短剣C類と刀子E類は内蒙古中南部以西を中心とした長城地帯でも認 められる。これらの青銅器の分布の変化は南シベリアの青銅器が長城地帯へと広がったこ とを示している。先行研究においてもこの西から東への文化の伝播が注目された。すなわ ち、向い合った鳥頭形の装飾が付けられる青銅短剣と鶴嘴形の青銅斧など、スキタイ文化 要素は南シベリアから中国北方の太行山一線へ影響を与えていったことを指摘した[楊建 華・卲会秋 2015,楊建華・邵会秋・潘玲 2016]。しかしながら、現時点では、類似する形 態の特徴によって文化要素の拡散の方向が単純に指摘される段階にとどまるといえる。こ れらの論文のなかでは青銅器全体の形態を体系的にとらえて本格的な型式学的な考察を 行うことは課題として残されている。以上の章節では本論の第二章~第五章で行った青銅 武器と馬具の分類・編年の結果を踏まえつつ、青銅武器と馬具の展開の時間軸に沿って、
青銅武器と馬具の複数の型式と組み合わせの分布をより詳しい視点で通時的に検討した。
ここでは、広い範囲の地域間関係を数少ない資料で検討するのは容易ではないが、長城地