第一章 先行研究における課題と本研究の目的、方法
第3節 問題の所在
1.初期騎馬遊牧文化の展開過程の研究における問題点
以上、草原地帯東部における初期騎馬遊牧文化の研究の到達点を総括した。これらの初 期騎馬遊牧文化の研究では、現在に至って研究の枠組みとしての小地域の内部の動態と、
地域間関係を目的として検討と分析を進めるものがある。しかし、初期騎馬遊牧文化の展 開過程を追求して騎馬遊牧形成期という時代の歴史性の変化を解明し、この草原地帯東部 の全体規模の文化動態の検討を行ったものがあまり多くない。遊牧国家の起源地とされた 草原地帯東部は、紀元前1千年紀の初期騎馬遊牧文化の展開過程がどのように遊牧国家に 向って発生するかという点に、重要な役割を果した。本論の緒章に論じたように、青銅器 時代から遊牧国家の成立にかけて草原地帯東部では、北の遊牧社会と南の農耕社会の対立 が歴史展開の原動力になったと指摘した。こうした二項対立の枠組みでは、遊牧社会から 農耕社会へ転換する過渡としての長城地帯と南シベリアを中心とする遊牧地帯といった 広域の地域間関係の研究の重要性がいうまでもない。
先行研究においては、紀元前 1000 年頃の物質文化の相似性を草原地帯の遊牧文化の普 及と理解し、紀元前5~前4世紀の長距離の交換(貿易)、富の集中化、墓葬構造の複雑
化を政治的統合と初期国家の形成への過程と評価するものがあるが、これは個々の地域を 専門とする研究者によってそれぞれ行われる場合が多い。紀元前 1000 年頃から紀元前3 世紀にかけて、草原地帯東部の全体規模の地域間関係の形成の背景としての通時的な社会 変化と特質を、一つの連続な歴史的視座から考える考察は、これまでのところは不足とい える。
草原地帯の考古学では、物質文化の要素の拡散に表現される地域間の関係の形成は人間 集団の移動と密接不可分の関係をもったと考えられる。紀元前 1000 年頃から、新たな初 期騎馬遊牧文化が草原地帯全体で普及する背景には、物質形態の相似性に基づく草原地帯 東部からの文化要素の伝播があり、それは遊牧集団(スキタイ集団)の移動を伴ったと説 明されている。システム論の観点から考慮するなら、研究対象の統合体は、経済、社会、
物質文化などといった内部の構成要素と、気候、地理、動物、植物からなる外部の構成要 素と相互に影響するものと考えられる[Clarke 1968]。そうすれば、遊牧集団の移動は、社 会の本質的な変化(経済・社会・文化)と自然環境の変動が関連した相互作用から総合的 に評価する必要がある[Frachetti 2011]。しかしながら、本論の第 1 章第 1 節で述べたよう に、遊牧文化(シベリア=スキタイ文化、タガール文化)が草原地帯で普及する背景とし て、遊牧集団(スキタイ集団)の移動に関しての研究は、紀元前 1000 年頃の湿潤化とい う自然環境の変化が重視されるいっぽうで、物質資料が生成し展開する経済的、社会的な 変化を追求する視点は乏しかった。遊牧社会の形成から遊牧国家が成立する複雑化の過程 においては、家畜飼養に目立った進歩がないことから、生業の変化や牧畜の生産力の発展 についても論じられることがなかったが、経済手段よりも軍事力と機動力による戦士階層 の形成が本質的な文化・社会の変化を評価する指標とされる見方がある。このように、軍 事力と機動力に関連する表現として、草原地帯東部の青銅武器と馬具は本質的な文化・社 会の変化の評価という問題を解決する中核になる。
ところが、具体的な研究に立ち戻ってみれば、南シベリアにおいてはむしろ編年研究の 基礎資料の蓄積状況が不足していることが否定することができない。ただ、個々の地域の 時間軸の確立の研究にせよ、異なる小地域の交流関係の解明の研究にせよ、具体的な検討 の手順から言わば、とりわけ時間軸の確立あるいは地域間関係の解明の基礎とした型式学 と編年学的検討という点には問題がある。すなわち、考古学文化の研究を時間軸の枠組み として検討を行った研究においては、個々の小地域におけるさまざまな物質資料の特徴の 相似性と差異性が明確されたが、厳密な型式学的な型式分類が行われていなかった。
また、先行研究では、物質資料の拡散に基づいた全般的な情勢の解明も同じく異なる地 域の物質資料の形態の比較の上で復元されたものであり、型式学および編年学的検討を基 礎としたわけではない。したがって、長城地帯と南シベリアといった大きな地域間関係を 検討する際、共有する情報ネットワークの背景の下で構築していた武器や馬具などの多様 なレベルの交流関係の解明が相変わらず言及されていなかった。とりわけ楊建華氏らによ り唱えられた草原地帯東部の広域間の地域関係のなかでは騎馬遊牧民にとって非常に重 要な馬具の位置づけが見当たらなかったといえる。
なお、物質資料の拡散とその全般的な情勢をとらえた検討に加えて、厳密な型式分類と その編年の検証に基づいて分布状況を示す量的な関係という分布論の重要性については いうまでもない。しかしながら、以上で言及された先行研究を振り返れば、全般的な様相 の検討は量的な分布状況の分析を通して物質資料が時間軸で地域的な展開の過程を復元 するものではない。
2.青銅器の型式分類と編年の研究における問題点
(1) 青銅短剣
以上、草原地帯東部における青銅短剣の型式分類と編年の研究の到達点を述べてきたが、
分類属性の設定、型式学的変化の想定、系譜関係、編年学的位置の検証という一連の検討 手順の点からみるならば問題がある。
青銅短剣の分類属性の設定について、分類基準としての属性設定の目盛りはけっして固 定的なものではなく、つねに精度と確度の向上が求められるものである。したがって青銅 短剣の先行研究では柄頭の装飾を型式分類の唯一基準とした有効性の検討が必要である と考えられる。とくに編年の手順に向って獣形の柄頭、鳥形の柄頭といった粗末な精度と 確度をもっていた属性設定の有効性である。なぜなら、柄頭の装飾によって青銅短剣に対 してある程度に大まかな分類を行うことができるが、ある種類の柄頭の装飾はかなり長い 時間に続いて使われた場合もある。そして獣形の柄頭や鳥形の柄頭といった型式分類の範 囲の内部でも豊富な個体の差異も存在する。いっぽう、先行研究では柄頭を基準属性とし て型式分類を行うやり方を除いての柄頭・柄・鍔などの特徴が分類基準とされたものがほ とんどである。たとえば、八木聡氏の分類案には同心円形の柄頭を青銅短剣 C 類に設定す
る基準としながら、八字形の鍔を青銅短剣 H 類に設定する基準とするものがある。ただし、
これらの各自の主要な形態特徴に基づいて行った型式分類は特徴属性以外の情報を共有 する可能性がある。それより、分類の結果の方面では煩雑や重複などの問題を存在する危 険がある。
いっぽう、青銅短剣の系譜関係については各組列の内部の系列の変化および各組列の間 の派生関係を含んでいる。もちろん、これらの各組列の内外の関係の検討は以上に言及さ れた詳細な型式学的変化の設定に基づいておこなったのはいうまでもない。また、いわゆ る長城地帯においては先行するカラスク式短剣との系譜関係の問題が焦点がしぼられて いるものの、玉皇廟文化出土の青銅短剣やアキナケス型青銅短剣に関する系譜関係の検討 は不足しているといわざるを得ない。とりわけ、形態の比較の上で両者の相似性を踏まえ て、ミヌシンスク盆地の青銅短剣と長城地帯出土の青銅短剣との関連性は多数の先行研究 にすでに指摘されたが、厳密な型式分類を設定する上で両者の関係を検討する必要がある。
青銅短剣の編年研究について、型式学的変化の検討の上で墓葬単位での各型式間の共伴 関係やほかの種類の一括遺物などの層位学的情報を踏まえて編年学的位置づけの仮説を 検証するのが多いといえない。八木聡氏の編年案においては、ある程度に長城地帯の青銅 短剣の型式学的変化を示していたが[八木聡 2014]、編年的位置は直接に青銅短剣を出土 する墓葬の年代を利用して確立する。すなわち編年案の妥当性に関する検証が明記されて いなかった。たとえば、玉皇廟墓地の一括遺物の資料からみるなれば八木聡氏の編年案の Hb1 類が春秋中期に年代的位置づけられる点には疑問がある。
(2) 青銅刀子
以上で言及された青銅短剣の研究史に類似しており、草原地帯東部の青銅刀子の型式学 的研究も同じく分類属性の設定→型式学的変化→系譜関係→編年学的位置の確立という 一連の作業の方法論において問題が存在すると考えられる。
前節では草原地帯東部の青銅刀子の型式分類が柄頭の装飾、柄の断面、全体形態によっ て個々の分類案で行われることがわかった。まずは青銅短剣の型式分類の問題に相似して おり、編年の作業に向って柄頭の装飾を型式分類の唯一基準とした有効性の再検討の必要 がある。とりわけて呂学明氏の分類案の分類結果においてはその煩雑さや重複さを避ける ことが課題である。なぜなら柄頭の装飾に基づいて青銅刀子を整理することができるもの