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青銅刀子の展開と地域間関係

第三章 青銅刀子の展開と地域間関係

第4節 青銅刀子の展開と地域間関係

草原地帯東部における青銅刀子の展開様相は前章節で検討した青銅短剣の様相にほ ぼ一致するとはいえるだろう。これらの展開様相をまとめると、草原地帯東部においては、

カラスク式刀子が盛行してから衰えてなくなってしまい、タガール式刀子が南シベリアで 成立してから長城地帯へ拡散していくようになる。また、以上の分布状況の検討により、

玉皇廟式刀子の分布中心であった長城地帯において地域的差異が明らかとなった。

第Ⅰ期第1段階においては、カラスク式刀子(A類・B類)が南シベリア~長城地帯 のほぼ全域で盛行する(第 4-10 図)。系譜関係から考慮するなら、A類・B類は紀元 前2千年紀後半に南シベリア~長城地帯で広く分布する典型的なカラスク式刀子から引 き続いたものと考えられる。分布状況から考慮するなら、これらのカラスク式刀子が草原 地帯東部において東西の分布差を見せる。すなわち、A類の分布域はミヌシンスク盆地~

天山山脈に集中しており、B類の分布域はミヌシンスク盆地~長城地帯に集中している。

このような東西の分布差は当該時期においてカラスク式短剣(剣A類・剣B類)の地域 的特徴の明瞭化とほぼ一致している。しかし、第Ⅰ時期第2段階に至ると、カラスク式刀 子が草原地帯東部で存続しなく、衰えてなくなった。

分布状況から考慮するなら、タガール式刀子(C類~E類)の展開様相は発生と拡散の 2時期に区分できる。すなわち、第Ⅰ期には、C類がミヌシンスク盆地~トゥバ地域で発 生したと考えられる。当該時期、C類はタガール式の型式として長城地帯には存在しない。

第Ⅱ期には、D類・E類が南シベリアで発生し次第にE類が長城地帯へ拡散したと考え られる(第 4-11 図)。まず、C類はミヌシンスク盆地でD類・E類と一緒にきわめて 少なく検出されたことから(第 4-1 表)、新しい型式であったE類は従来の南シベリア に固有であったC類を入れ替える形(排他的)で成立してから長城地帯へ拡散していっ たと考えられる。また、分布域から考慮するなら、拡散したE類が長城地帯の東部に固 有であった玉皇廟式刀子(F類)と長城地帯において地域差は存在している。とりわけ、

第Ⅱ期第2段階には、E類は新疆を介した流入経路沿いに内蒙古中南部~寧夏南部・甘粛 東部といった長城地帯の西部へ拡散したことが明らかとなった。

第Ⅰ期第2段階においては、玉皇廟式刀子(F類)が長城地帯の東部で発達する。玉皇 廟式刀子といった地域色が強い特徴は長城地帯東部において強化する。系譜関係から考慮 するなら、このように強い地域的特徴をもったF類は典型的な燕国系青銅器であった青

銅刀子の直接の祖形とすることができる。したがって、これらの燕国系青銅器の発生は第

Ⅱ期第2段階において長城地帯的要素を受容する結果と見なせる。分布状況から考えるな ら、F類が北京北部や河北北部といった地域で発生したとすれば、F類の分布域は、第Ⅰ 期第2段階に比して、第Ⅱ期第1段階において内蒙古中南部へ拡大していることがみられ る。この第Ⅱ期第1段階における分布域の変化の年代が、長城地帯へのタガール式刀子の 拡散と凡そ同じであることは興味深い。ほかでは、分布の中心である北京北部や河北北部 でF類から生まれた燕国系刀子の分布域は第Ⅱ期第2段階において燕国の領域の拡張と 関連すると考えられる。先行研究が既に指摘したように、長城地帯の東部が完全に燕国の 直接支配地となるのとともに、燕国は北京や河北、遼西に紀元前6~前5世紀に進出して いく[宮本一夫 2007]。このような燕国の領域の拡張は、第 4-9 図で示すように、北京北 部や河北北部に端を発する燕国系刀子の遼東への東進の原因となっている。

本章では、刀身の形態によって青銅刀子の分類を行い、編年に基づいて分布を整理し、

草原地帯東部における青銅刀子の展開と地域間交流を明らかにした。結果をまとめると、

おおむね青銅短剣と一致する3点の結論が得られた。すなわち、第一は、カラスク式刀子 は第Ⅰ期第1段階に盛行しており、その分布域が東西の地域差を示しており、第Ⅰ期第2 段階になると衰えてなくなったことである。第二に、南シベリアで生まれたタガール式刀 子は第Ⅱ期において長城地帯へ拡散していったことである。第三、分布中心であった北京 や河北で発生した北方系刀子の分布域は第Ⅱ期第1段階において西へ拡大していったこ とである。

第 4-10 図 青銅製刀子の展開の模式図(1)

第 4-11 図 青銅製刀子の展開の模式図(2)