第2章 芥川龍之介の中国題材の作品をめぐって
第 3 節 「南京の基督」論の彼方へ
2. 金花一人の恋
黎の解釈によると、日米混血児が金花の部屋に飛び込む場面で、金花の幻覚のなかで は、彼が救世主キリストの役目を果たしているという。つまり、この外国人は金花を救っ ているということが読み取れるという。この救助の関係が成立しているかどうかについて 考える前に、金花が誰かに救ってほしい事柄を見ておこう。テクストによると、金花は一 カ月前から悪性の楊梅瘡を患っている。いろいろな治療法を試みたが、彼女の病気はなか なか治らない。金花が基督に捧げた祈祷の内容を見てみよう。
天國にいらつしゃる基督様。私は阿父様を養ふ為に、賤しい商賣を致して居ります。しかし
84 私の商賣は、私一人を汚す外には、誰にも迷惑はかけて居りません。ですから私はこの儘死んで も、必天國に行かれると思つて居りました。けれども唯今の私は、御客にこの病を移さない限り、
今までのやうな商賣を致して参る事は出来ません。して見ればたとひ餓ゑ死をしても、―さうす ればこの病も、癒るさうでございますが、―御客と一つ寝臺に寝ないやうに、心がけねばなるま いと存じます。さもなければ私は、私どもの仕合せの為に、怨みもない他人を不仕合せに致す事 になりますから。しかし何と申しても、私は女でございます。いつ何時どんな誘惑に陥らないも のでもございません。天國にいらつしゃる基督様。どうか私を御守り下さいまし。私はあなた御 一人の外に、たよるもののない女でございますから。
この祈祷文からいくつかのことを取り出すことができる。(一)金花が自分は天国に行 かれると思っている理由は、「私一人を汚す外には、誰にも迷惑はかけて居りません」と いうことである。金花はこの理由で自分を納得させ、安んじていられるようになる。(二)
病気で商売ができないが、餓死しても他人を不仕合せにしないと金花は決心している。
(三)金花が心配しているのは、自分が「いつ何時どんな誘惑に陥らないものでもござ いません」ということである。この(二)と(三)を合わせて、最悪の可能性を考えると、
金花が誘惑に陥り他人を不仕合せにすることである。そのようなことがあるとしても、金 花は常に基督様の御守りを願っている。つまり、金花には基督様が必ず自分のことを守っ てくれるという思いがある。こうみれば、この祈祷文は金花がキリスト教徒として基督様 に祈っていることである。また自ら安んじられるための自己救助の方法とみなしてもよい だろう。
その後金花は自分の病気を客にうつさないように客を断っている。それが原因で、彼女 の家計はいっそう苦しくなっていく。ところが、ある日見慣れない一人の外国人は、金花 の部屋に入ってきて、金花に不思議な経験をもたらした。
金花と外国人は互いの言葉が分からない。この外国人が金花に身体の商売を求めている のは、金花にも推測がついた。ところで、金花は最初にこの外国人の顔を見て一種の親し みを感じている。「金花はこの時この外国人の顔が、何時何處と云ふ記憶はないにしても、
確に見覺えがあるやうな、一種の親しみを感じ出した」。客の吐く息は酒臭くても、「今 まで彼女が見た事のある、どんな東洋西洋の外國人よりも立派であつた」。こうみれば、
金花はこの外国人に対して悪い印象をもつというより、むしろ少しの好感を抱くようにな ると思われる。金花は、その後「この顔に始めて遭つた時の記憶を、一生懸命に喚び起さ うとした」。しかし、金花はこれまで見た何人かの外国人の顔をいくら思い出しても、な かなかこの顔に似ているのがない。金花がこのことを考えているうちに、この外国人は金 花と金額の交渉をしはじめている。二人は「長い間、手真似と身ぶりとの入り交じつた押 し問答を續けてゐた」。しかし、この外国人は十ドルの大金を出しても、金花の決心は動 かせなかった。結局、外国人は金花と一夜を明かすことの交渉に失敗した。
ところで金花がこの外国人の顔を思い出そうとする努力は、やっとのことで実を結ぶ。
85 この外国人の顔は、基督様の御顔と生き写しだと金花は偶然に気付いた。その一瞬で、
金花の気持ちが変化しはじめる。酒気を帯びた顔や意味ありげな微笑など、この外国人 の容子を見て金花には「優しい一種の威嚴に、充ち満ちてゐるかのやうな心もちがした」。
金花は自分の「決心」も忘れてしまい、「そつとほほ笑んだ眼を伏せて、眞鍮の十字架を 手まさぐりながら、この怪しい外國人の側へ、羞しさうに歩み寄つた」。ついに、金花は
「唯燃えるやうな戀愛の歓喜が、始めて知つた戀愛の歓喜が、激しく彼女の胸もとへ、突 き上げて來るのを知るばかりであつた」。
こうしてテクストで示されるように、この外国人に対する金花の心理的な変化は三つ の段階を経る。一種の親しみ、基督様の顔と生き写し、恋愛の気分という三段階である。
また上述で分析したように、金花とこの外国人は言葉で交流できない。そして互いの 目的はまったく違うようである。金花は最初からこの外国人が彼女の身体を目的としてい るのを知っているにもかかわらず、あえてこの外国人をただの客と見なさずに恋愛の気分 で彼と接しようとしている。一方、この外国人は金花と一夜を明かすという目的に終始し ている。互いの言葉は分からないので、勿論この外国人には金花の心の変化が読み取れな いだろう。金花にはこの外国人の「顔」に惚れ、自ら恋愛を展開しようとしている。しか し、この恋愛のなかには金花しかいない。この外国人とは全然かかわっていない。
3. 「天国の夢」に託されている金花のファンタジー
ここまで見てきたこの外国人と金花はずっと平行線のままである。この外国人は金花 に身体の商売を求めている一方、金花はこの外国人との間で心理的な変化を起している。
一緒に一夜を明かしたことが、二人の間での唯一の実際的なかかわりである。しかし、金 花の心理的な変化はそれだけに留まらず、「天国の夢」は彼女のこころが頂点に達するの を表しているであろう。では、その夢のなかでこの外国人は金花にとってどのような存在 なのか。
金花は夢のなかで天国の基督の家にいるが、「絳紗の帷を垂れた窓」・「窓の外の川」・
「静な水の音や櫂の音」で、彼女の気持ちは秦淮らしいものである。そして、御馳走にな るものは豪華な中国料理である。またそこで一人の外国人に会った。「金花はその男を一 目見ると、それが今夜彼女の部屋へ、泊りに來た男だと云ふ事がわかった」というテクス トで、金花は夢のなかでもこの男は先の客だと認識していると読み取れる。ところが、先 の客と違い、「丁度三日月のやうな光の環が、外國人の頭の上、一尺ばかりの空に懸つて ゐた」。それだけではなく、彼は言葉で金花と交流できる。金花が一緒に食事すると誘う と、外国人は「まあ、お前だけお食べ。それを食べるとお前の病氣が、今夜の内によくな るから」と返事した。圓光を頂いている、無限の愛を含んだ微笑、金花の病気がよくなる、
この三つの情報でこの外国人は基督だという読みが生じるかもしれない。ところが、外国 人の次の返事「私かい。私は支那料理は嫌ひだよ。お前はまだ私を知らないのかい。耶蘇
86 基督はまだ一度も、支那料理を食べた事はないのだよ」によって、この外国人は耶蘇基督 ではないと示唆されている。ではこの外国人はいったい誰であろう。その後のテクスト「南 京の基督はかう云つたと思ふと、徐に紫檀の椅子を離れて、呆気にとられた金花の頰へ、
後から優しい接吻を與へた」によって、この外国人は「南京の基督」とわかる。つまり、
金花はこの夢のなかで南京の基督に出会いそして彼と恋に落ちている。南京の基督は、金 花の部屋に泊りに来た外国人でもなければ基督でもない。金花の夢に現われた架空の人物 である。彼女の病気がよくなると言ってくれる、彼女を助けに来る南京の基督である。
天国の夢が覚めた。金花は夢の記憶にうとうと心を彷徨わせる一方、昨夜不思議な外国 人と一夜を明かしたことははっきりと意識している。金花はその外国人に病気をうつすの ではないかと心配し始めている。ところがこの外国人はすでにいなくなっていた。「では あれも夢だつたかしら。」「やっぱり夢ではなかつたのだ。」金花は繰り返し自分に昨夜 のことを確認している。金花はこの外国人がこっそり帰ったことにショックを受ける。し かし、後の「それとも本當に歸つたかしら」という言葉はこの外国人への金花の未練を表 している。もちろん、金花の気持ちは複雑であり、単に彼の顔が基督に似ているので恋し ているのではなく、天国の夢で金花の心を慰めたり、病気がよくなると言ってくれたりし た南京の基督への感激をも含めてのものであろう。まとめると、金花は恋愛・願い・助け の思いをすべてこの外国人に託している。ところが、一旦金花は自分の病気が治っている と気付くと、この外国人に移したかもしれないと思い、ある種の罪悪感が湧いてきたので はないか。「ではあの人が基督様だつたのだ」と、金花が基督様にすがるという気持ちを 持ちながら、自分の罪悪感を最小限にしようとしている。「彼女は思はず襯衣の儘、転ぶ やうに寝臺を這ひ下りると、冷たい敷き石の上に跪いて、再生の主と言葉を交はした、美 しいマグダラのマリアのやうに、熱心な祈禱を捧げ出した」のなかの「再生の主」・「マ グダラのマリアのやうに」という表現は金花の懴悔の気持ちを表している。金花が自ら安 んじていられるためにはこの外国人を基督様だと信じざるをえない。
このように読んでみると、金花の部屋に飛び込んだ外国人は基督に代わって金花を助け に来たのではないとわかる。外国人と金花の関係はあくまで救助のそれではない。この 外国人はただ金花の部屋で彼女と一夜を明かした客にすぎない。それ以外はすべて金花の 想像によって生成しているものである。そしてそのなかでもっとも不思議なのは、やはり 基督が嫖客を派遣し金花を助けにくるということではないか。
4. 金花に投げられる難問
日本の旅行家は再び登場し、ひやかすように「まだ十字架がかけてあるぢやないか」と 金花に聞く。なぜ、日本の旅行家はこの質問をしたのか。おそらく前述のように、日本の 旅行家は金花が私娼をする事情をわかり彼女に同情しても、金花がキリスト教を信仰して