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朱自清「你我(あなたわたし)」における三人称代名詞「他」

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第1章 「羅生門」の中国語訳と三人称代名詞の近代的変遷

第 2 節 「她」が「伊」を凌駕した理由について―翻訳の漢字新造語および現代中国語の

4. 朱自清「你我(あなたわたし)」における三人称代名詞「他」

1933年に、朱自清は「你我」22で当時の口語における人称代名詞の使用上の問題を論じて いる。朱自清は、冒頭に新しい現象についてこう指摘している。「受过新式教育的人,见 了无论生熟朋友,往往喜欢你我相称」(新しい教育を受ける人は、よく知っている人と話 すときにも、よく知らない人と話すときにも、互いに「あなた」や「わたし」と呼称して いる)23。また、この現象を引き起こす背景については、「这不是旧来的习惯而是外国语与 翻译品的影响」(このことは、従来の習慣ではなく、外国語と翻訳の影響を受けたためで ある)と明言している。

朱自清は、一人称や二人称の代名詞のほかに、三人称代名詞「他」についても論じてい る。「他」は、対象と話し手や聞き手との位置関係や親密さによって使えないときがある ので、勝手に使ってはいけない。

「他」がその場にいないとすれば、前置きことばが必要だと、朱自清は指摘している。

そして、この前置きことばを五種類にまとめている。一、肩書き。たとえば「部长」(部 長)と先に呼んでおく。二、業界。たとえば、店主を「掌柜的」(マスター)、手芸の職

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人を「某师傅」などと先に呼んでおく。三、身分。たとえば、妻が夫を「六斤的爸爸」(子 供の名前の後ろにパパを付ける)、人力車の車夫が客を「坐儿」(お座りさん)、主人が 女中を「张妈」(張家の母)や「李嫂」(李家の兄嫁)などと先に呼んでおく。四、長幼 の序。たとえば、友達や子供を「老大」(一番目の年上)、「老二」(二番目の年上)など と先に呼んでおく。男の使用人を「张二」(張家の二郎)、「李三」(李家の三郎)など と先に呼んでおく。五、あざな。親子、夫婦、友人の間のなどで先にあざなで呼んでおく。

上述の三にあたる、身分に関する前置きことばの例として、朱自清が、主人が女中を「張 家の母」や「李家の兄嫁」と呼ぶ例を挙げていること、そしてさらに、五番目のあざなに 関する前置きことばの例として、親子や夫婦の間の呼称を挙げていることから、朱自清が 論じている「他」は三人称代名詞の総称であり、つまり男女を区別していないとわかる。

一方、前置きことばを用いない場合は、親しい人や隣にいない人を指すのに「他」を使 うことができると、朱自清が述べている。このとき、話者は「他」を使い、あたかも第三 者が目の前にいるように、親しい関係を理由にした遠慮のない口調で呼ぶ。それに対して、

目の前にいる第三者を敬称などで呼ぶことによって、その人物とは一定の距離を置く。す なわち、目の前にいない第三者をより身近な存在として語る。朱自清は、このような呼称 方法には親しみを感じさせる効果があると言う。

実は、距離を置くのは、話し相手に心地よく話を聞かせるためである。「彼」(他)が隣にいる 場合は、話の内容をいきいきと聞かせるために、距離を置いて話している。一方、距離を短くし、聞 き手に親近感を抱かせ、あたかも彼が見るように聞かせるという場合もある。ゆえに、「彼」(他)

は、「あなた」と「わたし」以外の第三者をさしているが、親近感と卑下という二つの気分をそれぞ れ表すので、曖昧に「同じように見る」わけにはいかない。24

恋人や夫婦同士の仲は、親密なものであるから、直接に「彼女」(她)あるいは「彼」

(他)を使い、上述の親しみを表すことができる。朱自清は最後にこうまとめている。

外国の影響は、私たちに簡潔な表現方法を与えてくれるのであり、「あなた」(你)・「わたし」

(我)・「彼」(他)・「私たち」(我们)・「あなたたち」(你们)・「彼ら」(他们)を使う方 法は、より分かりやすい。幸いなのは、声調の変化がたくさんできることである。「彼」(他)を三 つに分けることが、紙面上ではまだ必要だが、口頭では必要はない。「彼女」(她)を「ㄧ」と読み、

「それ」(它・牠)を「ㄊㄜ」と読む必要はないし、それは普及しづらいだろう。「それ」(它・牠)

は、どうみてもモダンすぎてぎごちないという感じがするので、場合によって、「これ」(这个)・

「それ」(那个)を使ったほうがよい。25

ここで、われわれには四つのことが読み取れる。まず、ここで言う「より分かりやすい」

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方法とは、おそらく書き言葉でも話し言葉でも「あなた」(你)・「わたし」(我)・「か れ」(他)を使うことで、言語に意志の伝達上の簡潔さと明確さを与える方法である。次 に、三人称代名詞の使い分けについて述べられている。三人称代名詞を具体的に男女と物 の三種類の言い方に分けることは、書き言葉においては一定の役割を果たすが、話し言葉 には必要はない。さらに、当時女性三人称代名詞として確立していた「彼女」(她)の主 な役割は、書き言葉において、「彼」(他)との男女の区別をすることであるということ が指摘されている。最後に、「それ」(它・牠)が西洋的すぎて、実用的な価値が小さい という主張がなされている。

朱自清の検討では、当時の口語は、外国語と翻訳の影響を受けていると明言されている。

とくに、朱自清の整理によって、当時の口語において、「彼」(他)は依然として三人称 代名詞の総称であると分かる。男女の区別は、話の内容や朱自清が言う前置きことばなど によって実現される。この背景を踏まえれば、「彼女」(她)の最も重要な意味は、おそ らく書き言葉における「彼」(他)との区別であったのだろう。

5. おわりに

本稿では、近代の翻訳における漢字造語の視点から、女性三人称代名詞の「她」と「伊」

の字形と意味の関わりを見直した。漢字文化と西洋文化の間の巨大な差異と相互の妥協の なさのために、西洋から輸入された新名詞は、従来の漢字造語の習慣によるものではあり えなかった。新造語は、漢字文化と西洋文化の懸け橋となっている。多くの場合、新名詞 は、漢字の本来的な表意システムに従うことができない。一方、新名詞は、漢字表記のた めに新たな価値と概念の伝達を妨害され、一部の意味が損なわれる場合もある。

また、「社会」の語義の古今の変遷と西洋から東洋に輸入した後の意味の変化を例とし、

人々が翻訳にともなう新しい造語を理解し受け入れる主要な媒介は、それらを用いた当時 の翻訳文あるいはそれらが強調された当時の文脈であると説明できる。「社会」の例から、

女性三人称代名詞の普及に関しても、その当時「她」と「伊」がどう使われていたか、そ の実情を調べる必要があるとわかった。そのために、1921 年-1922 年に『小説月報』で発 表された作品を考察した。考察の結果を見ると、「她」と「伊」が多く使われていた理由 は、当時三人称単数を主人公とする西洋小説の新技巧を応用するためか、あるいは「彼」

(他)との男女を区別するためであった。そして、作者たちのこの新代名詞に対する理解 の違いによって、「她」や「伊」の採用が異なっていた。

ところで、ほとんどの場合は、三人称代名詞を人名の代わりに使っている。女性三人称 代名詞が出現する前の、前後の文脈あるいは人物関係によって男女を明かす方法よりも、

「她」と「伊」は、確かに文章表現上の簡潔さと明確さをもたらしている。また、女性三 人称代名詞はこれらの文学作品(書き言葉)によって、人々に馴染み、受け入れられるよ うになった。

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朱自清は、1933 年、口語における人称代名詞を論じる文章で、「他」を依然として三人 称代名詞の総称とみなしている。要するに、口語における三人称代名詞は、その当時、男 女の区別をしていなかったのである。朱自清は、文章の最後で三人称代名詞「他」を男女 と物の三種類に分けることは、書き言葉においてはまだ意味があるが、口語では必要がな いと明言している。朱自清の見解を合わせてみると、1923 年頃に女性三人称代名詞として 確立した「她」が担った最も重要な役割は、書き言葉において、「他」との使い分けによ って、男女の区別をなすことであった。視点を少し変えてみると、人々が書き言葉におい ても口語においても女性三人称代名詞「她」を理解し、認知する基礎は、やはりすでに長 く存在している「他」の影響によるものである。言い換えれば、「她」が「他」と同音で あることは、「她」が人々に受け入れられた理由の重要な一つであったと言ってもよい。

これは、前述の黄興濤が述べている理由の一つと一致している。ところが、使われた文脈 と口語の影響を受けたことによって、「她」の意義と概念は、単純化されている。つまり、

「她」が書き言葉において、「他」と区別されるだけになり、従来の三人称代名詞の固有 の意義に回収され、新名詞としての新たな意義と価値は、ある程度無視されることになっ た。中国語における女性三人称代名詞の「她」が確立したことは、新旧文化・価値が相互 に妥協し合った結果である。

西洋語の翻訳に由来する女性三人称代名詞の出現は、アジアに特有の現象だったと言っ てもよい。日本語における女性三人称代名詞「彼女」も、韓国語における女性三人称代名 詞「그녀」も、西洋語への対応によって生まれたものである。中国語にも同じ現象があっ た。以上の考察と黄興濤などの先行研究を踏まえ、現代中国語における「她」と「伊」の

「争い」は、近代以降中国における新旧文化・価値の間の衝突・妥協・融合などのいくつ かの側面を表していると言える。ゆえに女性三人称代名詞ないし三人称代名詞の全体にお ける使用上の変遷を整理し分析することは、特に近代以降の中国でいかなる新たな変化が 生じたかを探求するとき、重要な意義を持っているのである。

1 スウェーデン作家August Strinbdergの短篇小説「改革」の中国語訳のなかで、翻訳者周作人が、西洋 語の女性三人称代名詞に対応するために初めて「他」を採用した。この訳文は、『新青年』の第五巻の 第二号(1918815日発行)に掲載される。

2 黄興濤:《她」字的文化史—女性新代词的发明与认同研究》、福建教育出版社、2009年、148頁。

3 陳力衛:『和製漢語の形成とその展開』、汲古書院、20012月、64-66頁。

4 日本大辞典刊行会編『日本国语大辞典 第十巻』小学館、1974年、135頁。

5 漢語大詞典編纂処編纂《汉语大词典 第七卷》、漢語大詞典出版社、19916月、833-834頁。

6 ジョーゼフ T.シップリー著、梅田修・眞方忠道・穴吹章子訳『シップリー英語語源辞典』大修館書店、

200910月。第577頁。

7 《新英汉词典》編集部編纂《新英汉词典》。生活・読書・新知三聯書店香港支店、197510月、1306 頁。および、竹林滋ほか編『研究社 新英和大辞典』。研究社、20023月、2336頁。

8 羅布存徳(Lobsheid)原著、井上哲次郎訂増『近代日本英学資料⑧ 訂増英華字典』。ゆまに書房、1884 7月原本発行、19959月、987頁。

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