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芥川の人生について

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第3章 翻訳者と研究者が「みる」芥川龍之介

2. 芥川自身と中国との関連

2.1 芥川の人生について

芥川の実母は、彼の生後八カ月で突然発狂した。これは彼の生涯に暗い陰を落し、後年 の芥川文学の深層部を形成する要因になったとされる。芥川全集の前書きにおいて、高慧 勤が、彼の人生について「出生之煩悩」というタイトルでまとめている。

実母の発狂後、芥川龍之介は正式に母の実兄の養子になって、芥川家で良好な家庭教育 を受けていた。しかし、養子としての彼は常に気を使い、次第に彼の個性に縛られて敏感 な性格になっていたとされる。

叶渭渠は前書きにおいて、芥川の言葉を引用し「遺伝、境遇、偶然、――我我の運命を 司るものは畢竟この三者である。」だから、彼の運命が決まるのは「僕 四分の一は僕の 遺伝、四分の一は僕の境遇、四分の一は僕の偶然、――僕の責任は四分の一だけだ。」

また、大学二年の時彼は実父家で働いていた女中の吉田弥生との初恋が家族の反対で破 局を迎え、この失恋経験は彼の人生観に少なくとも二点の影響を与えたと叶渭渠は前書き で述べている。

一、人間の利己主義の醜悪に深く傷ついた。彼は周囲の人を恨み、自分も恨んでいる心 理の中で彼の嫌悪な考えを深めていた。

二、本来の孤独な習性を助長して、現実に回避し更にユーモアな古典世界にふけってい た。

芥川は自らの豊富な人生経験を以て創作する作家ではなかった。三十五年の短い人生は 複雑な経験があまりなく一人の書生であり、書斎で創作を生活にする文人であった。しか し芥川は人性に深刻な認識を持って、「大導寺信輔の半生」の中で彼自身の考えを訴えてい る。「実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかった。寧ろ行人を眺める為に本の中の 人生を知ろうとした。それは、或は人生を知るには迂遠の策だったのかも知れなかった。

が、街頭の行人は彼には只行人だった。彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の 憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかった。本を、――殊に世紀末の 欧羅巴の産んだ小説や戯曲を。彼はその冷たい光の中にやっと彼の前に展開する人間喜劇 を発見した。いや、或は善悪を分かたぬ彼自身の魂をも発見した。」と高慧勤は全集の前 書きで、彼自身の言葉を引用している。

高慧勤は芥川の深刻な人性の認識を「人性の探求」にまとめて、芥川の作品の中に示さ れる人性への深い理解に驚愕している。それに人物の心理に対するリアルな描写は彼のず ば抜けた創作技巧を表していると全集の前書きで述べている。

芥川龍之介の短いあまり複雑でない人生は実母の発狂、父の事業の失敗、本人の失敗な 初恋それに養子として受けられていた厳しい家庭教育等といった原因で、彼の性格に深刻 な影響をもたらし、彼の精神に大きな苦痛を与えたと、「とんどの序跋ではこれらの芥川の 人生における重要なことを述べている。それゆえに彼の人生は芸術性に満ちている。彼の 人生観は個人と家庭の遭遇のほか、明治末期から大正初期にかけての激しい時代環境が更

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に重要な影響を与えている。時代の変化と不安は彼にもっと苦しい深い淵に落ち込ませた と叶渭渠と文潔若は前書きでそれぞれ述べている。

2.2 芥川の文芸観

多くの序跋において芥川早期の古典題材を借りる創作が注目され、例外なく彼の早期の 名作「羅生門」と「鼻」を列挙している。また夏目漱石が「鼻」を読んで芥川に激励の手 紙の内容を引用する例が多かった。

叶渭渠は前書きで芥川の創作における基本特徴を総括的に紹介している。

第一、歴史伝説と物語を通して、現実を反映し、人生について解釈している。例えば、

彼は早期に『今昔物語』の材料を借り、その後江戸時代の人物と事件を取り入れたりして、

人生を解釈していた。また、基督教の物語を借りて現実の社会を批判していた。いわば、

彼の早・中期の作品は歴史題材を多く借りて、現代的な解釈を試みている。

第二、東西の文芸精神と技法を融合して、独自の新しい芸術世界を作っている。芥川の 技巧についての追求は、ほとんどの序跋が言及し、その物語の構造と簡潔性を重視してい る。彼の歴史題材の小説は19世紀西洋文学の精練の心理描写の技法を用いて、物語に近代 文学の構造を保持している。

また芥川は常に題材に基づいて文体を選択していた。文体の選択と重視は彼の芸術創作 における厳密さと創新精神が示されている。

芥川の作品はほとんど短篇で環境と社会面の描写があまりない。人物の心理変化、矛盾 の掲示、プロットの展開、性格の表現といったことに腐心が集中している。彼は人物を描 写する時、超然な態度を取り、いつも諦観している。彼は同情する人物に僅かばかりの善 意な揶揄を与えたり、否定する人物に少しの諷刺を当てたりしていると高慧勤は全集の前 書きの「芸術即表現」で述べている。

出生の悩み、古典的発見、人性への探求、芸術即表現、将来に対する「漠然とした不安」

といったことは、高慧勤が全集の前書きで芥川の人生と文芸観についてまとめていたもの である。

この 9 種類の翻訳集の序跋において翻訳者たちが芥川龍之介の人生と彼の文芸観に対す る見解は、これまで日本における芥川龍之介と彼の作品に対する研究の見解と大きな異同 がないが、考察の関連性を考慮して取り上げられている。

2.3 芥川の死と余韻

ほとんどの序跋は、芥川がその短い生涯で大量の優秀な作品を創作していたことと称賛 している。また、芥川は「鬼才」の作家と言われ翻訳者は序跋において、彼の死を惜しみ ながら、その死についての見方を示しているのでそれを以下の付表2に掲げてみた。

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付表2翻訳者の芥川の死についての見解

文潔若 芥川は現実社会と精神世界に対する矛盾した気持ちと「将来に対するぼんやりとした不安」

を抱え、三十五歳の時自分の生命を終えた。

叶渭渠 三十五歳の彼は、「希望が達成できた後の不安或いは不安を抱えている気持ち」を抱えなが ら大量の睡眠薬を飲んで自殺した。

楼適夷 (他人の見解を引用して)芥川はローマ帝国の政治家であり作家のガイウス・ペトロニウスに例え られ、過去の階級の最高の教養を持っているが、新たな時代に合わず,自殺を選らんだ。

聶双武 芥川龍之介が創作した短篇小説は、いつも哀愁にあふれ多くの短篇が「生と死」をテーマ にしていた。これは彼の家庭環境と自身に密接な関係がある。芥川はずっと母の発狂した思 い出を忘れず、自分も母のように発狂するのを心配していた。それに彼は小さい時から身体 が弱く、いつも小説の中に「悲壮な美」を流露していた。これらのことは彼の自殺した潜在 的な原因であろう。

艾蓮 ただ小説を例にすれば歴史の題材でも現代の題材でも、芥川は最初の創作から死後に発表 した遺稿までの作品が、始終人間性の問題を考えていた。彼は人生を討論したり人性を掘り 出したりして、結局現実の醜悪ばかり見ていて、「人生は地獄より地獄的である」と思ってい たので、苦しさと矛盾さを実感した。このような将来に対する「漠然とした不安」を抱えて、

三十五歳の若さで睡眠薬を飲んで自殺した。

高慧勤10 時代の激しい変化と階級の限界を超えられないことが原因で、1927724日人生の半 分しかない、まだ存分に腕を揮えるべき時に、芥川龍之介は将来に対する「漠然とした不安」

を抱えて、睡眠薬を飲んで自殺した。

林少華 (菊池寛の言葉を引用して)「彼の死因は、半分以上が身体的疲労、神経衰弱にあり、残る 半分が彼の人生及び芸術に対する余りの真摯と神経的過敏にある」

高慧勤11 時代の激しい変化と階級限界を超えない原因で1927724日に、人生の半分しかない まだ存分に腕を揮えるべき際、芥川龍之介が将来に対する「漠然とした不安」を抱え睡眠薬 を飲んで自殺した。

他にほとんどの序跋では芥川の自殺が日本社会に衝撃を与えたことを述べている。上記 の内容によって時代的な要因・彼自身の「漠然とした不安」といったことは、一般に思わ れる彼の死因だと分かった。しかし聶双武の前書きで芥川の小説に流露していた「悲壮な 美」を彼の自殺する潜在的な原因を述べているのは、他の翻訳者の視点とは違う見解であ る。聶双武が前書きで言及している「悲壮な美」はどう読み取るべきか。この「悲壮な美」

は芥川の小説に書いている「死」との関連性について今後の課題として筆者は明らかにし てみたい。

林少華は芥川の死に対する見解について前書きで菊池寛の言葉を引用している。筆者が 調べた限り菊池寛が1927年の「文芸春秋」で「芥川の事ども」を発表していたとわかった。

芥川の死に対し菊池は最初に芥川自身が言っているように主なる原因は「漠然とした不安」

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