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図韓3小睡の口径と璽量の変化

さらに明瞭で、30〜509台にとどまるものが大半となり、急速な軽量化が指摘される。13世紀        くら 

末あるいは14世紀初頭に下る6次調査溝2bでは、完形品約20点が一括出土したが、大多i数は 既報告の1点とほぼ同形同大であり、口径は80繍台前半、重量は30懸台前後に収まるとみてよ

く、小型・軽量化の定着が窺えよう。

 この段階の急速な軽量化の主因は、器壁を薄く仕上げることにある。とりわけ、底部をヘラ 切りする際に、できる限り薄く切り放すことに注意が払われた公算が強く、5次調査井戸6に は、ヘラ切り時に破れた底部を粘土で修復した形跡をもつ個体がみられる。器壁を薄くするこ とによって歪みや破れが生じやすくなり、粗放な製晶が増えるのもこの段階以降の大きな特徴

である。

 鱒糧翻(図143・+印ドット) さらなる小型・軽量化が進み、ロ径は70鞭台にまで縮む。

この時期の注目すべき現象として、底部のナデが再び施されるようになるが、これは器壁を薄 くすることによって生じた歪みや破れを補うための手法と理解されよう。

(4)形態変化の背景

 以上の検討から、鹿田遺跡の小皿は、U世紀から14世紀にかけて、径の縮小・軽量化ならび に粗放化という変化をみせることが明らかになった。このことは何を意味するのであろうか。

いま、鹿田遺跡の中では最古と考えた土鑛15の一群は、いずれも約90灘という一定の寸法を保 ち、底は分厚く、あるものは底部全面にナデが施され、重厚で整美である。また、これに伴な う他の器種をみると、いわゆる吉備系土師器椀は体部・高台とも丁寧に成形され、内外面にき

わめて精密なヘラミガキが施される。ことに、体部から口縁に至る独特の微妙な曲線が多くの 個体で一様に認められる点には注意されよう。杯では、分厚い底部から入念な回転成形を行な

うことによって、歪みの少ない重厚な器形が作り出される。

 これらの事実から、この段階においては、小皿のみならず椀・杯といった供膳具全体にわた り、寸法や形態の細部におよぶ比較的入念な注意が、製作時に払われていたことが窺える。言 い換えれば、この時期には、土器を一定の寸法と形に厳密に仕上げようとする意図、つまり製 作者の意識中の「範型」による形態の規制が、より強く働きうるような状況であった可能性が 高い。強固な範型の存在と、それによる土器形態の自由な展開の制限は、古代的土器様式のも つ特質のひとつと理解しうるが、中世的土器様式の成立期とみられるこの段階においても、一 方では新たな器形を生み出すなどの自由な展開をみせながら、他方ではまだこうした古代的な 理念が残存していると理解することもできよう。

 だが、範型を遵守しようとする意識はその後急速に低下し、それに比例するかのように、労 力やコストを削減する方向が表面化してくる。つまり、製作者の意識から形へのこだわりが薄 れるに従って、より楽に多く作ろうとする意図が徐々にあからさまとなるのである。12世紀に 入る頃からロ径のばらつきが激しくなり、底部のヘラ切り痕を放置するという工程の簡略化が みられる。さらに12世紀末〜13世紀初頭頃には、小型・軽量化が一気に進み、底部を中心とす る器壁の薄さに起因した器形の歪みなども生じやすくなる。工程の簡略化や、1個体当たりの 粘土量の減少など、労力・コスト削減の意図が、12世紀末〜13世紀初頭頃を画期として、小皿 の形態を大きく変化させたと捉えることができよう。

 同じ状況は、小皿とともに供膳具を構成する他の器種においても、はっきりと窺うことがで きる。吉備系土師器椀の場合、12世紀頃からミガキは粗雑となり、その後13世紀にかけて、器       く  高、続いて口径が急速に低下・縮小することが指摘されている。杯は、資料数に限りがあるた めに、その変化を明確に指摘することはむずかしいが、底部を中心として器壁が薄くなるとい う動きが認められるようである。

 なお、椀の場合も、このような変化が12世紀末から13世紀初頭頃にとくに急激に認められる         くの

ことが説かれており、小皿の変化の画期と重なる点は重視しなければならない。小型化・軽量 化・粗放化という動きは、ひとつの器種にのみ生じた変化ではなく、供膳具を構成する土師器 系の器種全体にわたって起こった普遍的な現象であったとみるべきであろう。その背景につい ては、さらに慎重かつ広汎な考究が必要である。

(5)展望と課題一土器の形態変化の遅速と社会一

従来、顕著な形態変化を示さないと考えられてきた中世の土師質小皿について、重量という

新たな要素を加味して分析を試みた結果、この器種もまた、椀と同様の方向での変化の過程を たどることが明らかになった。ただし、器形が単純であることや、小形であるために実際の計 測値として出てくる変異の絶対幅が小さいことから、目に見える変化はごく微弱であり、椀と は別の手法のデータ操作を経なければ、それを明確に示すことはできない。この点が、小皿の 型式学的研究を遅らせる原因のひとつになってきたといえる。

 小考では、こうした小皿の形態変化の根底に、範型による規制力の低下と、それに呼応する労 力・コスト削減への動きの顕在化を読みとろうとした。また、同じ状況が、土師器系の供膳具全体 を通じて認められることを指摘した。筆者は、土器の型式学的変化のスピードは、時代により、あ るいは社会により異なると考えており、それは、機能的な要請や労力・コスト削減への欲求などを 要因とする形態変化への志向性と、それを押しとどめる範型の規制力とのバランス関係によって決       定されるという図式を描いている。このような視点からみた場合、いわゆる古代的土器様式は、強 固な統一的範型の存在が土器の自由な形態変化にブレーキをかけていた段階と捉えられるのに対し、

中世的土器様式は、土器生産に対する国家的干渉の消滅による統一的範型の不在、および商業流通 の浸透に促された労力・コスト削減への志向性の強化によって、土器の形態変化が比較的速やかに 進行した段階と、大まかには理解することができよう。古代的土器様式と中世的土器様式との質的 な違いのひとつを、このような型式学的変化のダイナミクスの差に求めることも不可能ではあるま い。そのような意味において、小皿もまた、充分に中世的な土器のひとつと評価することができる のである。

 中世的土器様式の特質の一端に迫ろうという意気込みのもとに小考を綴ってきたが、検討の 対象としたのがひとつの遺跡の単一の器種に過ぎず、大きな錯誤や勇み足を犯した点も少なく

ないだろう。今後は、他の器種や他遺跡、他地方の資料も広く検討することによって、考えを 深めていきたい。

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鈴木康之「鹿田遺跡出土の中世土器について」吉留秀敏・山本悦世編『鹿田遺跡1』岡山大学構内遺跡発掘 調査報告第3冊,岡山大学埋蔵文化財調査研究センター,1988

山本悦世「吉備南部地域における古代末〜中世の土師器の展開」『中近世土器の基礎研究』㎜,1992 このような視点から中世小皿の変遷を検討したものに、たとえば伊野近富氏の論考がある。

伊野近富「『かわらけ』考」『京都府埋蔵文化財論集』第1集,1987 岡山県下の古代の土器については、武田恭彰氏の論考を参考にした。

武田恭彰「岡山県に於ける古代土器様相の再検討」『古代吉備』第14集,1992

土井基司編『岡山大学構内遺跡調査研究年報』8,岡山大学埋蔵文化財調査研究センター,199ユ 注2山本文献

注2山本文献

ドキュメント内 第3章 出土遺物の自然科学的分析 (ページ 66-69)

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