3
①鹿田遺跡における吉備系土師器椀の形態変化
ロ径/器高 4
点 数 10 5 0
② 工期
2。5
2。5
3
・こうもり塚
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図韓2吉備系土師器椀の形態比分布図
(5)生産体制と工入集団
椀の出現期には地域性を強く示すが、その後、法量面あるいは形態比において共通性を急速 に高めていく流れのなかで、工入集団はいかなる動きをするのであろうか。明確な地域性ある いは生産地の資料が希薄であり、産地の同定もできない現状でその状況を論ずることは非常に 危険ではあるが、展望的な意見を述べてみたい。
仁1期では遺跡数・出土数が非常に少なく、需要と供給のバランスを考えると生産地も限定 されるであろう。また、鹿田遺跡と備中の遺跡とでは形態比が異なっており(図142③)、別の 枠組であると考えられる。備中地域中では形態比は比較的近似する状態を示すが、遺跡ごとに 様々な相違点も見いだすことができ、吉備地域での枠組み、そしてその中での地域ごとの枠組 み、さらに工人集団ごとの枠組みという重層的な構造の存在が想定される。最も大きな枠組み が光沢があり硬質感をもつ白色の深椀という点で、次に法量およびそれに伴う形態比であり、
そして高台部や体部のカーブあるいは口縁部などの形態となる。この段階ではこの構造が比較 的明瞭であるといえる。つまり、基盤となる在地の工入集団の技術的背景が各地で異なってい たための結果である可能性が高い。
亙一2期〜 期には前段階の状態が踏襲されるが、地域間での法量面などの接近が進む。前述 したような重層的構造が解消される方向をそこにみたい。しかし、ここでも調整面に地域差が ででおり、この点が規制下にないことを窺うことができる。
亜期には前段階とやや異なる状況が出現する。形態比のばらつきが非常に大きくなるのであ る(図142)。しかし、いわゆるロ径と器高に注目した法量のばらつきは小さく(図137・138)、従 来と大きく変化は認められない。こうしたことは相矛盾する状態であるかのようであるが、遺 跡数・遺物量の増加を考慮すると、供給体制の拡大が当然考えられる。その要因としては、
個々の集団の大規模化あるいは小規模工入集団の増加が考えられるが、法量面での規制を受け つつ、その規制からはずれる形態比にそれぞれの特徴がでているとすれば、集団の増加を想定 するほうが的を得ているであろう。この段階でその後に続く体制がほぼ完成すると考えられる。
その後は亜期のあり方が継続され、N期以降は新たな再編成が行われると考えられる。
以上の検討から、椀の生産体制は比較的小規模で在地性の強いものであった可能性が浮かび 上がる。そうなると、従来から在地的で小規模な生産体制と考えられ、椀とは別の生産が想定 く
される傾向のある杯あるいは皿などの土師器生産との関係を見直す必要があろう。つまり、椀 が専業的に大量生産を行っていないとすれば、両者を分離して考える必然性はなくなるのでは ないだろうか。この点は製作技術とも強く係わるのであるが、「底部押し出し技法」の立場で 考えると、回転台使用による杯形成後継続的に椀に作り上げるわけで、同一集団内で器種を作
り分ける状態が考えられ、地域差などのあり方から導きだした生産体制と合致するのである。
胎土の違いがやや問題かも知れないが、助三畑遺跡の例では椀と杯は外見上ほとんど同じ胎土
く の
といえる。また、製作時に粘土を選択することは当然のことであり、胎土の同一性は問題にな らないであろう。以上の点から、椀も杯・皿と同一の体制の中で結びついた状態で生産が行わ れた可能性が求められる。それ故にあくまでも在地的体制から脱皮することなく、専業的な集 団として大規模生産に至ることはなかったのではなかろうか。
(6)おわりに
中世的土器様式が形成される過程で、従来からの律令的体制の崩壊が様々な様相を各地にも たらす中、在地の技術基盤の中から、外見上は共通域に属する椀が吉備地域に成立する。その 後は各々が有する地域性を徐々に同質化し一見拡大化をみせるが、あくまでも在地的な域を越 えることはなく、発展的拡大にはなり得なかったといえよう。そこには吉備系土師器椀の有す る意義が、本来ならば発展期に当たる段階に、成立当初に求められていたものとは異なるもの に転換していったことから、発展的には脱皮できず、いわゆる袋小路的方向に進むこととな かったのではなかろうか。その画期となる時期は吐1期,つまり、12世紀の末から13世紀初頭
という鎌倉時代の開始前後にあたっている点は興味深い。
吉備系土師器椀の編年と地域性、それを生み出す生産体制について概観したが、資料的に限 定的かつ貧弱であり、椀の単純性からなかなか根拠らしきものを見いだすことは困難であった ため、推論の域をでない論の展開となった。椀全体の中での吉備系椀、瓦器椀との関係、椀が 希薄な地域との関係、技術的系譜の問題など、検討すべき点は山積している。鹿田遺跡の吉備 系土師器椀が基準資料として有効に活用され、こうした研究にとって一助となれば幸いである。
本論をまとめるに当たって、武田恭彰・高橋進一・草原孝典・馬場昌一には資料収集に当 たってご協力・ご教示をいただいた。深謝の意を表したい。
注
1 1990年頃から橋本久和氏によって提唱されている。
2a福田正継「中世の土器について」『旭川放水路(百間川)改修工事に伴う発掘調査韮』岡山県教育委員会 1981
b神谷正義「高台付椀に関する二・三の整理」『三手(庄内幼稚園)遺跡発掘調査報告』岡山市遺跡調査団 1981
c伊藤 晃「窯業」『岡山県の考古学』吉川弘文館1987
3a 福田正継「瀬戸内中部北岸域の土師質椀について」『中近世土器の基礎研究』日本中世土器研究会1985 b 橋本久和「中世土器の製作技法ノート(1)」『中近世土器の基礎研究劃日本中世土器研究会1987
c伊藤晃注2c
d 鈴木康之「土師器土器椀の成形技法に関する研究ノート」『草戸千軒』N◎2171991
e武田恭彰「吉備系土師器椀の成形技法について」『中近世の基礎研究珊』日本申世土器研究会1991 4a 鈴木康之「土師質土器の用途に関する研究ノート(1)」『草戸千軒』N◎197草戸千軒町遺跡調査研究所1989
b 同上 「土師質土器の用途に関する研究ノート(2)」『草戸千軒』N◎198草戸千軒町遺跡調査研究所1989 c拙稿「吉備南部地域における古代末〜中世の土師器の展開」『中近世の基礎研究礪』日本中世土器研究会 1992
5 文献1a
鈴木康之氏によって編年案が示された。その後、筆者は1992年に再検討を行い、新たな試案を提示した(注 4c)が、主要な資料が未報告段階であったため、中途半端な形のものとなった。今回、最古設階から終焉に 近い段階までの資料がほぼ揃ったため、鈴木案を基礎に整理しなおし、この編年案で訂正したものとする。
6 文献1c
7 橋本久和氏のご教示による。
8 文献1a
9 山本信夫・土橋理子両氏のご教示による。
10 文献1c
11文献la
12鈴木康之「草戸千軒遺跡における室町時代後半の土師質土器について」『草戸千軒』No195草戸千軒遺跡調査 研究所 1989
13 拙稿 注4c 14 文献6 15 〃
16注4 鈴木氏は土師器椀の用途を「まじないの器」と想定された。筆者も実用的椀から祭祀具への転換を考 えている。
17筆者はかつて底部押し出し技法への賛同を示した(注4c)。この技法は杯を成形した後に底部を押し出して 椀形態を作り出す。杯の成形には回転台を使用すると想定すると、ロ径・器高・高台径などは比較的決めや すい。しかし、押し出し時には手持ちによる成形となるわけで、調整を行っても、その形状は比較的不安定 で流動性に富む。その影響を直接に被るのが体部ラインで、ロ縁部の横ナデにも一部にはその押圧が及び形 状を不規則に変化させる可能性が高い。そのため、体部のラインから細かな分類することは困難である。
18 文献3
19形態比を出すにあたってはロ径を基準に据え、横軸に器高比(ロ径÷器高)、縦軸に高台比(ロ径÷高台)
をとっている。比率で現しているため、法量差は無視した形で、バランスの差として、器高比が高いほど浅 い椀として、そして高台比が高いほど高台径が小さい椀として形態が示される。図142一①は鹿田遺跡での形 態比の時間的変化を示し、同一②〜⑤は各時期の鹿田遺跡と周辺遺跡の資料の比較を行っている。同図一① の下の折れ線グラフは器高比の変化を出土点数の変化で示しているが、A・B類とC類が分離する状況が明 瞭に確認され、C類が構成する亜期にかけての器高の低下が端的に示されている。そして、それ以後法量の 縮小が急速に進む時期に当たりながら、形態比はほとんど変化していない点も興味深い。図142の作成に関 しては土井基司氏の御助言を得た。
20・21文献4 22 文献5
23 武田恭彰「吉備系土師器椀の成形技法について」『中近世の基礎研究珊』日本中世土器研究会 1991 24 文献11
25 文献1e