第 2 章 道徳的観点の再構成 35
2.2 カント的構成主義
すでに確認したように、1980年の「道徳理論におけるカント的構成主義」論文では、
道徳的人格の構想が三点で説明されていた。道徳的人格の構想は、正義感と善の構想の 二つの道徳的能力、二つの能力を実現し行使することへの「最高次の関心」、善の特定の 構想を追求することへの「高次の関心」の三点で規定されていたのである(Rawls 1980,
312-313)(13)。この規定によって、道徳的人格の構想は、人間の自然本性を実質的に規定
するものとしての理解から切り離される。ロールズは、「民主的社会の公共文化」(Rawls
1980, 306)のなかに暗黙のうちに含まれ、民主的社会を導く人格の「道徳的理想」(Rawls
1980, 321)として、道徳的人格の構想を説明していたのである。
それゆえ1980年の論文では、正義の理論が、「社会の基本構造の正義」をめぐる特定の 問題の解決をこころみていると説明される。ロールズによれば、正義の理論は、民主的社 会において対立している「自由」と「平等」の価値の調停という特定の問題を解決しよう としているのである(Rawls 1980, 305-307)。
1980年の論文においては、「適切に秩序づけられた社会」(Rawls 1980, 308, cf. Rawls 1971b, 4-5, Rawls 1980, 322-327)の合理的側面と理性的側面のもとで、道徳的人格の構想 が説明される。このことで、「適切に秩序づけられた社会における市民」(Rawls 1980, 308) と理解された道徳的人格の構想が、正義の諸原理と結びつけられる。ここでは、どのよう な「人生の合理的計画」の追求にも役立つと説明されていた基本財(Rawls 1971b, 62)が、
二つの道徳能力の実現と行使、ならびに善の特定の構想の追求に必要な基本財と再定義さ
れる(Rawls 1980, 314)。ロールズによれば、二つの道徳的能力の実現と行使、ならびに善
の特定の構想の追求を確実なものとすることを望むことは、「合理的」であり、正義の諸 原理という協働の条件が「普遍的」・「一般的」に受け入れられる公正という意味で正しい 規範であることを求めることは、「理性的」である(Rawls 1980, 316)。
こうして人格の構想は、原初状態に反映させられ、正義の諸原理と結びつけられる。
「指導的観念は、構成の手続きという手段によって、人格の特定の構想と正義の第一諸原 理のあいだに適切な結びつきを確立するというものである。カント的見解においては、人 格の構想、手続き、第一諸原理がある特定のしかたで関係づけられなければならない」
(Rawls 1980, 304)。
(13)第一章第二節を参照のこと。
「人格の構想」、原初状態と呼ばれる「手続き」、そして正義の諸原理のあいだに「適切な 結びつき」を構築するのが、カント的構成主義の観念である。この観念においては、「一 般的で広い反省的均衡」(Rawls 1980, 321)の観点から、「適切に秩序づけられた社会にお ける市民の観点」と「正義の諸原理」が、原初状態において結びつけられる。理論の外部 の「私たちの観点」からみて適切な関係を、「市民の観点」と「正義の諸原理」のあいだに 構築するのがカント的構成主義の観念である(14)。
したがって、道徳的人格の「理性的関心」が「合理的関心」に優位し、公正という意味 で正しい規範として正義の諸原理が導出されるように、原初状態が整えられる。「私たち の観点」からみて、道徳的人格の自律を反映し、公正という意味で正しい規範が導出され るように原初状態が構成されることで、正義の諸原理が道徳的人格の構想と結びつけられ る。カント的構成主義では、私たちの観点からみて、原初状態の当事者の記述と当事者に 課される制約が、適切に秩序づけられた社会の市民によって理性的に受け入れられ得る諸 原理を導くように、「市民の観点」と「原初状態の当事者の観点」を結びつけることが肝 要なのである。
それゆえ市民の「完全な自律」が当事者の「合理的自律」を制限するように原初状態が 構築されることで、正義の諸原理が、公正という意味で正しい道徳規範として「構成」さ れ、「正当化」される。
したがってカント的構成主義においては、「道徳実在論」(Rawls 1993a, 91)の立場に訴 えることも、相対主義に陥ることも回避しながら、正義の諸原理が、「私たちにとってもっ とも理性的な諸原理」(Rawls 1980, 340)であると説明される。「合理的直観主義(rational intuitionism)」(cf. Rawls 1980, 343-345, Rawls 1993a, 90-92)のように私たちの理性や精 神の働きから独立した「道徳的秩序」や「真理」の「実在」の想定に訴えることで正義の 諸原理の「真 (true)」を主張することも、普遍的妥当性を断念することも回避しながら、
正義の諸原理の普遍的妥当性が主張されるのである。
道徳規範を構成するカント的構成主義の立場は、「理由」にもとづいて相互に擁護でき るとみなされた「正義の理性的構想」の「客観的」な「社会的観点」のもとにあるからで ある。
「カント的構成主義は、すべてのひとが受け入れることができる適切に構成された社会的
(14)ロールズの構成主義については、ベインズ、オニール(Onora O’Neill)の研究の他、福間の研究がある(cf.
Baynes 1992a, 68-76, Baynes 1992b, O’Neill 1989, 206-218,福間2007)。
観点の見地から客観性を理解する。正義の諸原理を構成する手続きを離れたところには、
いかなる道徳的事実もない」(Rawls 1980, 307)。
正義の諸原理は、理由にもとづいて共有されることが見込まれる「人格」と「社会」の 理性的構想とこの二つの構想のもとで表象される「公正としての正義」の理性的構想のも とで「構成」され、「正当化」されている。自分自身を二つの道徳的能力によって特徴づ けられた道徳的人格とみなし、自分たちの社会を「相互」に受け入れることができる「一 般的」理由にもとづいて正当化された規範によって適切に秩序づけられていると考えるこ とで、公正としての正義を表象すれば、正義の諸原理が、私たちにとってもっとも理性的 な規範として構成され、正当化される。
それゆえ人間の自然本性としての理解から距離をとる「カント的構成主義」論文におい ては、道徳的人格の構想の普遍的妥当性が、いっそう強く主張される。道徳的人格の構 想は、人間の自然本性に関する「一般的事実」(Rawls 1971b, 51) をめぐる論争から「独 立」しているからである(cf. Rawls 1980, 321-322, 351-353, Rawls 1975c, 295-301, Rawls 1985, 403-404 n. 22, 395)。
むろん「道徳理論の独立」(Rawls 1975c)は、道徳理論が、人間の自然本性に関する理 論とのかかわりをまったくもたないことを意味しない (Rawls 1980, 321)。ロールズによ れば、道徳的人格の構想は、適切に秩序づけられた社会の構想と結びついた「道徳的理 想」(Rawls 1980, 321)であり、ひとびとが「履行(honor)」できるものでなければならな い(Rawls 1980, 321)。
したがって人格の「実現可能な理想(feasible ideal)」は、人間の本性的能力と社会生活 の必要によって制約されている(Rawls 1980, 321)。道徳的人格の構想は、「実現可能な理 想」として、人間の自然本性に関する理論や社会理論一般を前提し、これらの理論によっ て制約されているのである。
だが道徳理論の課題は、人間の自然本性や社会に関する一般的事実が許容する範囲内 で、適切な構想を特定することである(Rawls 1980, 321)。それゆえ道徳的人格の構想は、
人間の自然本性や社会に関する理論が正義の理論において担っている役割とは違う役割を 果たしている。
ロールズによれば、人間の自然本性や社会に関する一般的事実は、原初状態の当事者が さまざまな正義の構想と原理を、これらの構想や原理がもたらす帰結の観点で査定するた めに、すなわち、どのような正義の構想と原理が市民の「最高次の関心」と「高次の関心」
を充足し、安定した「適切に秩序づけられた社会」へと導くかを決定するために用いられ る(Rawls 1980, 322)。
「公正としての正義を第三の観点から定式化する場合に、私たちは、私たちの社会におけ る公共的知識の状態を前提に、私たちが真であるか、十分に真であるとみなす必要な一般 的事実を当事者に提供する」(Rawls 1980, 322)。
それゆえ原初状態における当事者の合意は、人間の本性や社会に関する一般的事実に
「相対的」(Rawls 1980, 322)である。これらの一般的事実を用いなければ、正義の理論は 前進できないからである。「私たちは、私たちがいるところから出発しなければならない」
(Rawls 1980, 322)のである。
だが道徳的人格の構想は、一般的事実とは異なった役割を果たしている。人間の自然本 性に関する理論が「原初状態の枠組み」のなかで具体化されている人格と社会の理想の実 現可能性を制約するとしても、「人間の自然本性に関する理論は、原初状態の枠組みの一 部ではない」(Rawls 1980, 322)からである。
人間の自然本性に関する理論は、人格や社会の構想の実現可能性に影響を与える。だ が、道徳規範が公正な正当化の条件のもとで正当化されることを要請する「公正としての 正義」の「理性的構想」とこの構想を反映する「原初状態の枠組み」は、人間の自然本性 の理論や社会理論によっては制限されない。人格と社会の理性的構想が実践理性の観念と して「一般的事実」によって制限されることがないように、「公正としての正義」と「原 初状態の枠組み」も、「一般的事実」によって制限されることはないのである。
むろん道徳的人格の構想は、適切に秩序づけられた社会の構想とともに、実現不可能な 構想ではない(Rawls 1980, 351-353)。
「私たちの特定の社会や歴史的環境との対照で、私たちが世界の一般的性質に関して知っ ていることを前提すれば、これら〔人格と社会〕の理想が実現可能でないと私たちを確信 させるようないかなる新しい知識も、現実的に想像することは困難である〔括弧内引用 者〕」(Rawls 1980, 352)。
ロールズによれば、人間本性や社会一般の事柄に関する知識は、「過去に遡ることができ る長い歴史」をもち、「思慮深く反省的なひとびと」によって分かちもたれている(Rawls
1980, 352)。私たちは、公正な正当化の条件のもとでなされた合意にもとづいて取り決め
を遵守すべきであると考えているし、また、遵守できる。ロールズは、道徳的人格の構想 とこの構想を中心にもつ正義の理性的構想の独立と普遍的妥当性を主張し、その実現可能 性を信じることができるのである。