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道徳的アイデンティティと道徳的動機

ドキュメント内 著者 藤森 寛 (ページ 189-200)

第 4 章 道徳性の根拠と理性的人格の道徳的アイデンティティ 136

4.4 道徳的アイデンティティと道徳的動機

「公正としての正しさ」という道徳性の構想が、こうして「経験的理論の枠組み」の内 部で再構成され、理性的人格の「道徳的人格」としての「自己理解」のもとで根拠づけら れれば、以下の三つの課題を果たすことができる。

第一に、「正当化の無条件的義務」を解明せず、この義務のもとで「正当化の原理」を、

理性的人格の「道徳的アイデンティティ」に根拠づけないハーバーマスの「討議倫理」の 難点を補完することで、ハーバーマスの討議倫理の構想が、「討議原理」とともに、「公正 としての正しさ」のもとで解明され、この構想のもとに吸収される。

第二に、「公正としての正しさ」のもとでスキャンロンの「道徳的経験」を説明し、「動 機づけの源泉」(Scanlon 1982, 138)を解明することで、「公正としての正しさ」おける「道 徳的動機」を解明し、「道徳性」のこの再構成に説得力という「正当化の重力」(Little 1984,

376)をもたらすことができる(29)

最後に、スキャンロンの「動機づけの源泉」のこの解明によって、ロールズがスキャン ロンの「動機づけの源泉」に訴えるだけで、解明しないままに放置した「道徳的動機づけ の原理」が解明され、ロールズの「正義の実質的理論」(Rawls 1971b, 51)における「道徳 的動機」が「公正としての正しさ」のもとで説明される。以下では、順番に第一から第三 の課題を考察することで、「公正としての正しさ」という道徳性の構想のもとで「道徳的 動機」を解明し、理性的人格の「道徳的人格」としての自己理解、つまり「道徳的アイデ ンティティ」に係留することで、公正としての正しさにもとづく形式的理論の再構成が補 完される。

「道徳の認知的内実に関する系譜学的考察(Eine genealogische Betrachtung zum

kogni-tiven Gehalt der Moral)」と題されたハーバーマスの論文では、「世界観的多様主義社会」

(Habermas 1996a, 56)のもとでの「道徳的観点の道徳理論的根拠づけ」(Habermas 1996a, 59)がこころみられる(Habermas 1996a, 56-64)。

1996年のこの論文では、カントが「理性の事実」から出発したように、ハーバーマスも 一定の「事実性」から出発点する (Habermas 1996a, 56-57)。ハーバーマスによれば、私 たちは、コミュニケイションによる「了解(Verständigung)」(Habermas 1996a, 56)を通じ て利害の衝突を解決しようとこころみている。だが、これだけではない。私たちはこの 解決を可能にするものとして、「言語を介した合意によって構造化された何らかのコミュ ニケイション的生活形態」(Habermas 1996a, 57)を共有してもいる。それゆえ、「相互的 な承認関係」(Habermas 1996a, 57)と不可分であり、何らかの「規範的内実」(Habermas

1996a, 57) を含んでいると考えられる「コミュニケイション的生活形態」の事実性から、

ハーバーマスは出発する。

ハーバーマスによる「道徳的観点」の根拠づけは、以下の三段階で行われる。第一に、

「協議(Beratungen)」という実践が、道徳的問いを「非党派的」に判定する観点の唯一の

資源として考慮に値するものであるなら、「道徳的内実」への訴えは、協議という実践形 態への訴えによって置き換えられなければならない(Habermas 1996a, 59)。この事態をあ らわしているのが、しばしば「(D)」と略記される「討議原理」である(Habermas 1996a, 59)。討議原理は、以下のように定式化される。

「実践的討議におけるすべての関係者の『一致(Zustimmung)』を見出し得るような規範だ けが、妥当性請求をかかげることができる」(Habermas 1996a, 59)。

(29)反省的均衡がもつ「正当化の重力」については、第二章第一節を参照のこと。

ハーバーマスにしたがえば、このように定式化された討議原理は、妥当な「道徳規範」

が根拠づけられる場合に充たすべき条件を示している。それゆえ討議原理においては、道 徳規範の観念が明らかにされている。だが討議原理が機能するためには、道徳規範がど のように根拠づけられるかを明確にする「論証規則」が不足している(Habermas 1996a, 59-60)。

そこで第二に、「(U)」と略記される「普遍化原則」が、「論証規則」として導入さ れる (Habermas 1996a, 59-60)。1983 年の「討議倫理‐根拠づけの綱領に関する覚書 (Diskursethik - Notizen zu einem Begründungsprogramm)」において「道徳原理」と呼ばれ ていたものが、この普遍化原則である(cf. Habermas 83, 103-104)。1992年の『事実性と 妥当性』のもとでいえば、道徳規範の正当化のために「討議原理」が特殊化された「道徳 原理」が、普遍化原則である(cf. Habermas 1992, 139)。1996年の論文では、普遍化原則 が以下のように定式化されている。

「その〔規範の〕普遍的遵守が各々すべてのひとの利害の状態と価値方向づけにもたらす と予見される結果や副次的影響が、すべての関係者によって強制なく共同で受け入れられ 得る場合にのみ、規範は妥当する〔強調原著、括弧内引用者〕」(Habermas 1996a, 60)。

最後に、普遍化原則のもとで行われる根拠づけが、「普遍的」に合意される「道徳規範」

や「人権」(Habermas 1996a, 60)の正当化に役立つことが明らかになり、正当化に関する 私たちの直観的理解に反していない限り、普遍化原則が、道徳原理として受け入れられ、

根拠づけられることになる(Habermas 1996a, 60)(30)

むろんハーバーマスが認めているように、「道徳的観点」のこの根拠づけにおいては、

「根拠づけの最後の一歩」(Habermas 1996a, 60)が欠けている。「道徳的観点」の根拠づけ においては、「道徳的観点」や「道徳原理」が「無条件的義務」にもとづいて理性的人格の

「道徳的アイデンティティ」に係留されていなければならない。「公正としての正しさ」の もとでいえば、「道徳的観点」や「正当化の原理」が「正当化の無条件的義務」によって理 性的人格の「道徳的アイデンティティ」に根拠づけられていなければならないのである。

しかし討議原理との関連で、「それにもかかわらず、論証(Argumentation)と私たちが呼 んでいる協議と正当化の実践が、すべての文化と社会のうちに(必ずしも制度化された形

(30)ハーバーマスのここでの議論においても、人権が道徳的権利として正当化され得ることが認められてい る。「道徳的権利としての人権」に関するハーバーマスの理解の問題点については、第三章第三節を参照 のこと。

態をとっていないとしても非公式な実践として)見出され得るということ、そして問題解 決に関するこの方法と同等のものが存在しないということから、私たちは出発することが できる」(Habermas 1996a, 60-61)と主張される。

そして普遍化原則との関連で、「道徳原理」に「ヨーロッパ中心主義的予断」が紛れ込 んでいるのではないかという懸念については、「一般に論証という実践にかかわるときに 行われること」が、「内在的」に納得されれば十分であると応じられる(Habermas 1996a, 61)。

「したがって、〔討議原理〕(D)で表明されている、規範の根拠づけ一般の構想との結びつ きにおいて、論証の普遍的前提に潜在的に含まれている内実から〔普遍化〕原則(U)が得 られるところに、討議倫理的根拠づけの理念がある〔括弧内引用者〕」(Habermas 1996a, 61)。

「論証の普遍的前提」に潜在的に含まれている内実、すなわち「討議原理」に含まれてい る「語用論的前提」の主要なものは、以下の四点にまとめられる(Habermas 1996a, 61-62)。 (i)関連する発言をなし得るひとを、誰ひとり論証から排除してはならない。それゆえ(ii) すべての可能的参加者に、平等な発言の機会が確保されなければならない。さらに (iii) 可能的参加者は、自分の考えを真摯に表明しなければならない。そして(iv) コミュニケ イションは、外的強制からも、内的強制からも、自由でなければならない。それゆえ妥 当性請求に関する賛成・反対の態度決定は、「よりよい根拠(bessere Gründe)」(Habermas

1996a, 62)のもつ説得力によってのみ動機づけられなければならない。

そして論証に参加する誰もがこれらの語用論的前提を充足すべきなら、道徳規範を正 当化する「実践的討議」において、これらの四つの前提条件は、以下のように理解される (Habermas 1996a, 62)。(i)すべての関係者の包摂と公共性、ならびに(ii)すべての参加者 にコミュニケイションに関する平等な権利が与えられているがゆえに、すべてのひとの 利害や価値方向づけに等しく配慮する根拠だけが力をもつ。そして(iii)ごまかしがなく、

(iv)強制がないことによって、このような根拠だけが規範に関する合意に決定的影響を与 える。

したがって「道徳的観点」のこの根拠づけにおいては、「道徳原理」が、「討議原理」の 含意する語用論的前提のもとで根拠づけられる。そして根拠づけに関するこの議論が「循 環論法」ではないかという懸念については、「論証の普遍的前提の内実は、いまだ決して 道徳的意味で『規範的』ではない〔強調引用者〕」(Habermas 1996a, 62)と応じられる。

「討議におけるコミュニケイション的自由の平等な分配と、討議に対する誠実さの要求は、

論証の義務と権利であって、決して道徳的な義務と権利ではない。同じく強制のなさは、

論証過程そのものにかかわるものであって、この実践の外部の間人格的関係にかかわる ものではない。論証というやりとりにとって構成的な規則は、論拠と肯定・否定という態 度決定の交換を規定する。これらの規則は、発言の正当化を可能にする認知的意味をも つが、行為を動機づける直接的な実践的意味はもたない〔強調原著〕」(Habermas 1996a, 62-63)。

道徳的観点の討議倫理的な根拠づけは、討議原理の含意する語用論的前提が、普遍化原 則を媒介にして、道徳規範を正当化する「実践的討議」に「伝達(übertragen)」されると ころに、その眼目があるのである。

「道徳的観点の討議倫理的根拠づけの眼目は、この認識上の言語ゲームの規範的内容が、

論証規則を媒介にしてはじめて-その道徳的妥当性請求とともに-実践的討議のなかに持ち 込まれる行為規範の選択へと伝達されるところにある。道徳的拘束力は、〔読者が考えて いるように〕論証の不可避な前提といういわば超越論的強制だけから生じるのではない。

それはむしろ、実践的討議の特別な対象、-すなわち、協議に招集された諸根拠が関係す る、討議に導入された規範に付着しているものである。私は、(弱いが、それゆえに偏見 のない)規範の根拠づけの概念とのつながりにおいて、論証前提の規範的内容から導出さ れた『U〔普遍化原則〕』が納得され得るものとされると定式化することで、この事態を強 調しておく〔強調原著、括弧内引用者〕」(Habermas 1996a, 63)。

それゆえ道徳的観点のこの根拠づけにおいては、「無条件的義務」のもとで「道徳的観 点」や「道徳原理」が、理性的人格の「道徳的アイデンティティ」に根拠づけられてい ない。ハーバーマスは、「道徳的観点」や「道徳原理」を、理性的人格の「道徳的アイデ ンティティ」に根拠づけていないのである。道徳的観点の討議倫理的根拠づけの眼目が、

討議原理の語用論的前提が、普遍化原則を媒介に、実践的討議に「伝達」されるところ にあるのであれば、実践的討議において道徳規範を正当化するのは、「正当化の義務」で はなく、「論証の義務」(Habermas 1996b, 62)であるからである(cf. Habermas 1996b, 63, Habermas 1991b, 191-192)。

したがって、ハーバーマスのこの議論を受け入れることはできない。「根拠づけの最後

の一歩」(Habermas 1996a, 60)を欠くとあらかじめ断られていること、そして一定の「事

実性」から根拠づけが出発していることを勘案しても、この議論を受け入れることはでき

ドキュメント内 著者 藤森 寛 (ページ 189-200)