• 検索結果がありません。

通  れ

ドキュメント内 『宗教研究』193号(41巻2輯) (ページ 56-60)

用  な 

さ  い 

     

思  頭 

  

   ワ @ ‑ 

価  あ 

(156) 

% 太﹁ 善 1票﹂の二分法を根本的段階にまず 設 足 し︑つぎに︑その﹁ 悪 ﹂についても﹁ 善 1票﹂ 二分法を適用し ︑そ ㏄ 

時の捉える所となってしまった︒故に今︑皇上 帝は世人を哀憐 し︑ 大いに熊手を伸して世人を 救い 魔 鬼の手から脱せし     

天め 

︑世人を反省させて再び転じてこの大道を 歩ませようとされるのだ︒これは 乃ち︑皇 上帝の格外の恩典であ㈹  国 

︵ l, Q3 ︶ がる︒醒めざる者が ︑ 反って 番国 に従 う などと 説く ︑ 何と甚だしくも 魔鬼 に心を迷わされたこ とか︒﹂      はあるのを知らないのだ︒盤古 よ り三代に至る ︑君民は皆皇上帝を敬拝したのだ︒・・・⁝蓋し ︑ 皇上帝を拝するというこ 

いの大道は︑中国 

蕃 国の史実に鑑みて 考︐ えると︑当初 幾 千年は︑中国も番国も倶に同じく ︑この大道を行ったので 相ぃ ︐ ぬ ある︒だが︑西洋蕃国がこの大道を一貫して 歩んで来たのに対して︑中国は奏 漢 以降誤って 鬼路 に入り込み︑閻羅 妖  の一 

﹁ 又 妄説があって﹁皇上帝を拝するのは 番国 ︵ の やり方︶に従うものだ ヒ という︒中国には考慮 すべき史実の鑑が  %  後の両底地方には︑中華意識の昂揚がみられ たことであろう︒これに対しては︑次のように 云う︒  また︑第二は︑ 洋 上帝というのは西洋 蕃 国の 真 似 である︑という反論が取上げられている︒ アヘ ン 戦争後 セ 八年  伯 であった頃に︑両者とも上帝に 拝事 した事例 があるが︑それにも 拘 わらず︑上帝は両者を看 顧 し ︑湯王を王に ︑文 

王の場合はその子武王に天下を取らせているで はないか︑と追討ちをかけてい る ︒︵ 0‑3  このように反駁しておいて︑さらに︑ 商 ︵Ⅱ 殿 ︶ の 湯王がまだ王にならず諸侯であった頃︑ある いは周の文王が 西  子である︒君長だけが皇上帝を拝し ぅ るのだと 一 乙うのならば︑ここに家中の父母について問 う︑ まさか長子だけが 父 母 仁孝順たりうるというのではあるまい︑と︒﹂︵ 9 2 ︶  書 日は次のように言っている︒ 

やや ﹁⁝⁝今︑魔鬼に 心 腸を迷わされた者が ︑ 動もす れば同君 狂 ︵Ⅱ 王 ︶のみが皇上帝を拝し ぅる の だ と説く︒皇上 

帝は天下此間の共通の父であって︑君長はその 寵子︑善 正 なる者はその角子︑庶民はその恵子︑ 強暴なる者はその 頑  権利に関係する問題である︒即ち︑帝王のみが 上帝を祭 祖 できるのだとする考え方である︒この ことに関して㍉ 天条 

以上のように︑ 拝 上帝という根本教説の正当性 の 根拠は︑上古の世︑﹁ 自 盤古 圭 三代﹂の世に 仰 がれている︒ ま  た︑ 既にみた如く︑使命として実現すべき理想 社会︑﹁ 公 ﹂の世のイメージは︑ 向 礼記 L 社運 篇の 大同の世に仰がれて ︵︒ ウ 3 ︶ いるが︑これも洪秀全にとっては上古の世︑﹁ 唐 虞 三代﹂の世のあり方であった︒このように︑ 洪秀全および彼を首 ‑A Ⅰ U ︶ 領 と裁 く 太平天国は︑一貫して︑その根本思想 の 正当性の保証を﹁ 自 盤古 圭 三代﹂Ⅱ﹁唐虞三代 ﹂の 世 ︑ないし︑ そ 

の時代の大道に仰いでいるのである︒その時代は ︑他方︑儒教的歴史観に ょ れば︑聖王・先賢の 道 が行なわれた黄金  時代であり︑儒家の立てる道統の根源と仰がれ る 時代である︒勿論︑儒家と洪秀全とは︑その 思 想 内容という点では  同じでない︒しかも︑それにも 杓 わらず︑ 洪秀 会 は︑自己の思想の正当性の問題の解決に際して は ︑儒家の道統の考 ︵ 5 3 ︶ え方と ︑ 仰ぐ根源および形式において軌を一に しているのである︒従って︑洪秀全も︑主観的に は 中国の儒教的文化 

伝統に帰属しているのであり︑その運動の主観 的 意図は︑究極的には自己の帰属する中国の文化 伝統の根源に立ち帰 

ろ う とする︑復古主義であったのである︒ 

一般に︑思想ないし宗教は︑それが仰ぐ正当性の 根拠によって ︑大 ぎく二つに分けることがで き るであろう︒第一  ほ 復古型と体すべきもので︑正当性の根拠を自 己の帰属する文化伝統に仰ぐ型のものである︒ 第 二は自己の属する 文  化 伝統以外︵例えば外来のそれ︶にその正当性 の 保証を仰ぐ型のもので︑第一の復古型に対して 革新型あるいは変革  型 と称することができるであろう︒この両者は︑ 当面する現状に対する否定的契機をその姿勢の う ちに内蔵する点で  は 共通するが︑その否定さるべ き 現状の把握のし かた︑意味 づ げという点では︑対照的な相違を 示す︒革新型の場合 

ほ ︑現状は原理そのものが悪であり︑別な原理に 即して変革さるべ き ものとされる︒これに対し て ︑復古型は現状は    段 の 湯 ︑周の文・武の諸王や頴 壊が 為した洋上 帝は番目のまねか︑といい︑右の如く反駁するの           洪秀全は︑﹁書経﹂・﹁詩経 ヒ ・﹁易経﹂を典拠に ︑ 大昔から三代に至る間は君民一体で上帝を拝し たとし︑その上で︑ 

58 

原理が歪曲されて 惰 落した状態にあり︑その 原 理 に即して純化矯正し本来の姿に帰されねばなら ないとする︒両者と 

も 現状否定という態度をとる可能性をもつ点で は 共通するが︑注目すべき点は︑復古型の場合︑ 原理が歪曲されたと 

する現状にも︑どこかになお︑それを軸として 現状の転換をはかるべき要素︑それによって伝統 本源に連なること 

のできる要素の存在が︑原理的に承認されてい ることである︒例えば︑国学復古神道は︑神仏 習合以前の古い時代 

に ︑惟神の道・祭政一致という理想を設定し ︑そ こへの復帰を意図する王政復古の ス p ーガンを 掲げる点で復古型 思  想の典型であるが︑この場合︑当面する幕末の 現状に︑政権を剥奪され専ら祭礼のみにその機能 を 限定されていた 天 

皇嗣という要素の存在が︑原理的に承認されて いる︒太平天国の場合は︑かかる要素として︑白玉 帝 に限定された祭天 

の 儀礼と︑中国一般に行き一日一っている天の思想を 指摘することができるであろう︒この点でも︑ この思想は復古型の 

特徴を備えているということができる︒ 

しかし乍ら︑洪秀全の立てる上帝は︑実際には 各 種の神神を崇拝対象とする伝統的宗教思想の否 定の上に立つ唯一 

祭神的性格をもつ神であり︑また︑ノ ア の方舟 ︑ 田ヱジプト︑ イヱス の降臨という人類に恩愛 を 垂れ︑今また洪秀全に 考 か 救世を命ずる神である︒このような 神 観念は 中国の当時はおろか如何なる時代にも存在しな かったものである︒それ 

パは 

明らかに︑文化伝統を異にするキリスト教 との接触を契機とし︑洪秀全のそれに対する 独特の受け取り方によっ ‑ ㏄︶ いて︑形成されたものである︒ここに彼の思想 車新的要素を認めることができる︒だが︑ 洪 秀 全自身は ︑ 前に引用し   

恕た 

﹁ 天 集書ヒ の 考え方にみられるよさに︑ 西 洋 諸国のキリスト教を上古の世仁は中国にもみ られた 拝 上帝の道の生 き 

時た 

模範とみなしているのである︒その ょう に ︑洪秀全は︑外来のユダヤ・キリスト教的文化 伝統と︑中国の儒教的立 

ぬ化 

伝統が ︑ 全く別な起源をもっものである︐ ﹂とを識別することなく︑両者を同一源泉から 発 するものとして︑後者の 

かもっ天の思想や祭天の儀礼を手がかりに前者 に 属する 神 観念を習合し整理を加えて︑﹁天父 土圭皇上帝﹂の観念を作 

59@  (159) 

を  伝  理  全  ク丈 

以 

現 

斤 

ドキュメント内 『宗教研究』193号(41巻2輯) (ページ 56-60)

関連したドキュメント