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ドキュメント内 『宗教研究』193号(41巻2輯) (ページ 60-71)

を  伝  理  全  ク丈 

以 

現 

斤 

太平天国 の 宗教思想についての 一考察 

註 

改宗した中国人︒この書はロンドン伝道会によって 認 められたキリスト教入門書という性格をもつ︒なお㍉ 幻想し第四章 二  ︵ ︶円円目 ハヨヴ の﹁的 づプ の せ @ ゑ コ ︵下目的のざ 円 お オの Ⅰ ダ ac 年 ﹁おぎの 藍 ︵ ゴの 木毛 りコ 幅 組Ⅰ コの目は ざ タ コむ ポ コ ︑ ︶のりも・ 

の下の ロ ・ ド この 酋 よりの引用は︑青木富太郎訳 司 洪秀全 の 幻想 口 ︵以下コ幻想﹂と略記する︒生活社・昭和 士 

‑  八年刊︶を 

︑簡 

・ 簡 又又課口 太平天国辺 義記 ︵中国近代史貸料叢刊 コ 大平天田口Ⅱ   

︵ ︶ 梁托著 ㍉勤仕良 @@ 仁 香港・一八三二年刊︵台湾 学生書局発行・中国史学叢書 第 Ⅱ 巻 ・民国五四年刊の ものを参照︶︒この  春の撰者突発︵又は丑岡光︑号は学 善 居士︶は︑ロン ドソ 伝道会の牧師ミルン ミ 辞す ミぎヨ の手によっ て キリスト教に  五 四六頁参照︒ ︵ 3 ︶月目 相ゅ ﹂ @ 第四章四七頁 参孟照 ︒ ︵ 4 ︶阿古︑第五章五三 四頁参照︒ ︵ ︐ f こ 同太平天日 口宍 太平天国資料 一九五九年中華 圭 同局 刊 所収︑一 0f 一頁︒以下︑一々 断 わらないが 司 太平天日 はこの 刊 

ボを 利用する︒︶参照︒ここでは孔子は︑その功は過 を 補 う ものとして許され︑天堂にて永遠の福を享ける ことを保証され  る ︒儒教は拝上帝という点でのみチェックされるので ある︒ ︵ 6 ︶ コ 太平天日 七 一 三頁参照︒ 

︵ ︶﹁ 原 道貞 世訓 ﹂は︑同太平詰圭三に収められてい る 現在口天平詔書 に収められている他の三篇︑﹁ 原道 救世 歌 ﹂・﹁目玉  歌 ﹂・﹁尿道 醒 世諦﹂の原型は︑一八四五 六年頃成立 したと 巴 われるが︑﹁ 原 追賞 世訓 ﹂は︑それより少々   

ものと思われる︒なお 日 幻想 ヒ 第七章七三頁 コ 太平入 目ヒ三 一頁参照︒また︑刊本の肝 旧 ︑接 牒丈に ついて 両舌 宙三 ﹁太平  天国詔書の改正について﹂台東洋学報 ヒ 第三三巻第二 号 所収︶参照︒本稿で利用するテクストは︑以下単に 負数のみを記す㊤     るほとどめるが 司 太平天国しⅠに所収のものである︵ 九二 九頁︶︒ 

も ︵ ︶﹁ 原 追賞性調﹂九四頁︒  ながらも︑当事者はこれを自己の属する儒教的 文化伝統の始源に仰いでいること︑また︑伝統的 宗教崇拝の否定や現 

在の社会に対する強烈な否定の態度の背後には ﹁ 善 1票﹂を 歓 然として峻別する思想形式が 伺 われること︑などは 

この運動の類 形的 特色とみることができる︒ 

︵ ︶阿古︑九三頁参照︒ ︵ 皿 ︶ 同右 ︑ 同頁 参照︒ 

︵Ⅱ︶国吉︑九四 五頁参照︒ 

︵は︶国吉︑九五頁参照︒ 

︵㎎︶阿古︑九六頁参照︒ 

︵Ⅱ︶ 同右 ︑ 九セ頁 参照︒ ︵ 蝸 ︶阿古︑ 同頁 参照︒ 

︵㏄︶﹁入集書 閂 太平天国 LI 所収︑以下真教のみ 記 する︶七四 セ ︑八二ー三頁 参昭 ︒その成立につい ては 司 幻想 口 第セ 章  八九頁参照︒また︑刊本の新旧︑操版本については︑ 両舌 宙三 ︐前掲論文参照︒なお︑洪秀全は︑一八四七 八年頃︑拝上  市会の首領に収まるが︑この頃押上帝会は宗教結社と して一つの限界に当面していたよさに 母 われる︒そし て ﹁六条 書 ﹂ の  成立㍉太平天日 の成立︑曲秀士が首領に収まったこ とが︑その限界の超克を意味すると筆者は考える︒㍉ 天 集書﹂は︑宗教  儀礼︑宗教的戒律の喜で曲り︑同太平天日 は︑教祖 洩 秀 全を権威づける書であるからである︒ 

︵ n@ コ 太平天日ト 五 六頁︒ 

︵ ︶国君︑ 六 一五頁︒ 

︵㎎︶Ⅰ天晴道理 書 ﹂の成立は太平天国四年︵ 威豊四 Ⅱ 一八五四年㍉この書は東 王 ・ 楊秀 清の命によって 冊 述 されたもので︑ 金 

出超 事 以降に太平草に参加した﹁佳道者﹂︵﹁新兄弟﹂ ともいわれる︑﹁先進者﹂または﹁老兄弟﹂と 吋 比され る ︶を主たる 

対象とし﹁ 東 王の鴻恩﹂によって 拙叫 するという趣旨 の ︑思想・道徳教育の書という性格をもつ︒内拝はや や長 い序文 的叙  述 ののち︑上帝に よ る天地 剃造 ︑人類救済の歴史︵ 上 帝 のこと︑大兄基督のこと︑また︑太平真主供田倉 の 意味づ け ︑ 東王  楊秀清 のこと︑また︑ 南 ・ 西 ・ 北 ・翼の各 王 のこと など太平天国の意味︶が続 き ︑また︑金田 起 事前後から の 出来事が解 

乱される︒ 

この書には︑上帝は︑天王 涯 秀士をこの世に下して 救 世 させようとしたが︑なお世人が︑上帝を拝さず︑ ま た 太平真三 の  所在すら知らずして︑上帝に叛逆するので︑ 庶疫 を下 したが︑それでもなお︑仁慈 甘 発して︑ 東 王を下し︑ その身を以て ︑  世人の病気を賄わさせようとした︑という記述︑また 何 度 かの危機的状況においては上帝が下 凡し ︑ 束王 に付 体 ︑その口を通  じて己の意志を表明したという 神胆 りの記事もあるな ど ︑ 束 王の意味や地位の異常な高揚をば れ せるが︑ そ れでも︑構造的 

(162)@  fi2 

太平   天国の宗教思想に ついての一考察 

観点からすれば︑ 束 王は天王洪秀全の︑ 列 王の上に立 つ 実力ある筆頭 柑佐 ともい う べ き 意味を与えられるに 留まっている︒ 

テクストは コ 太平天国 ー︑三五三 四 六頁︒ 

︵ 笏 ︶ コ 大清道理 書 ﹂三六一 五頁参照︒ 

︵ れ ︶﹁ 原 逆党 世訓 ﹂では︑硅の始皇帝︑漢の文・ 式 宣 の各停︑後出の明・垣面前︑唐の憲宗︑宋の徴 宗 を 槍玉に挙げ︑かれ 

らの黄老・神仙・道教・仏教崇拝を中国の禍のもとと している︒回書︑ 

︵ 四 ︶﹁ 府 道 醒世訓 ﹂は大平天国包 書 のうち最も占いも のの一つ その成立は一八四五 六年頃である︒同大 平 詔書しに収められ 

ている︒テクストは コ 太平天国 ー︑九一で二頁のも のを利用する︒なお 刊 幻想 第七章七三頁︑同大平入 日 L  ニ一頁 参 

照 ︒また︑刊本の新旧︑異版 丈に ついては面白百三ニ 別掲論文参照︒ 

︵㌍︶﹁ 肺迫醒世訓 ﹂九一頁 号用 ︒ 宏 ︶本利の 註 ︵㌘︶参照︒ 

︵ お ︶﹁ 原道醒世訓 ﹂九一 二 Ⅱ参照︒ 

︵ 祁 ︶阿古︑九二頁︒ 

︵ 符 ︶㍉礼記目礼 連 第九の冒頭の部分参照︒ 

︵ ハ ︶本稿二節四八 九頁および 註 ︵ ︶ 古照 ︒ 

︵ 鴉 ︶コ大条里 こ 七二一頁︒ 

︵ 縫 ︶周君︑八一頁参照︒ 

︵㎝︶岡君︑八一 二頁︒ 

︵㏄︶岡君︑八二頁参照︒ 

︵㏄︶本稿三節五二 三頁参照︒ 

︵ 田 ︶上古の世に 拝 上帝が行われていた︑という主張 は︑ 既にコ原 道 常世 訓 ﹂にも﹁盤古より三代に至る ︑ 君民一体︑皆皇上帝 

を 敬拝 す ﹂とあり︵回書九六頁Ⅰさらに一八五四年に 成立するコ大晴道理 書ヒ にも﹁試みに思え︒上古の世 には︑ 祀だ真 

逆 だけがあり︑君民士庶を論ずることなく︑ 皆 皇上帝 を 出不生年 す ﹂とある︒ 

また︑同じく一八五四年に成立するコ天朝田畝制度 は ︑その成立の時期と︑その内容が国家の基本法的性   

ることから︑太平天国の憲法とも 称 すべ き 書であるが 

  

︑大同思想 

63  く 163) 

から街頭神地 世 Ⅲいている︒そしてその翌日︑彼は同 じ 人からか︑問題の㍉観世 臣 ロ を入手している︒ 二 同日 は ︑一八四  七 ︵道元二七︶年のことで︑このと ぎ は︑ 茸 弟で最初 の 帰依者である 洪 七 と 二人で︑広東の洗礼派宣教師 コバーツの所に  出かけ︑彼だけはそこに数十月に 已て 滞在している その間彼は︑キリスト教の実際に触れ︑聖書︑教 理を学び︑儀礼  にも参加し︑また︑伝道の手伝いもしたよ う である︒ この滞在の目的は ︑ 明らかに︑受洗にあったが︑ ロ ︒ハー ツ は示され  た 洪秀全の初期の著作などを 刀 るなどした 上 ︑︑彼の 受洗の申し出を拒否している︒なお㍉幻想 目 第三章 一九 二 芦 ︑  第七章七八 八一頁参照︒また︑ロバーツが︑一八 五二年十月六目付で出した 人ピあ の プぎ ののの当年のの コ の ︵ u‑ 目ず呂呂 pq 田 

  臼臼コの q,0 編集者へ出した報告参照︒これは同大平 天国 Ⅵに漢訳されて収められている︵ 羅 手金 著 ・ 簡 ス又 訳 ㍉洪秀全 

革命 之 真相し︒  社会保証制度的条項は﹁同道理世 訓 ﹂に引かれた︑﹁ 鯉 ・ ミ ・孤独・廃疾の者には︑養うところあらしむ﹂ という大同の 

原則を忠わせるものがある︒ 

︵㏄︶衆知のごとく︑ 迫駿 というのは︑儒家の古代 聖 王の道の伝統という考え方で︑すでに孔子にみられ︑ さらに孟子・ 萱 仲野  韓愈・程伊川・朱子と系甜を辿ることができる︒ 洪 秀全 はちこの思考形式があり︑とくに︑倉代の韓愈 ︵七六八 八二 

四︶から︑それを受け継いだと思われる︒﹁戻道救世 歌 ﹂ 宍 太平詔書 所収︶に︑﹁道の大原は天より出ず         唯一の 上 なり﹂という旬がある︒また︑ コ 太平詔書﹂ 所 収 の 著論 のうち二 届の標題は︑﹁ 原道 救世 歌 ﹂・﹁ 原迫 機七訓 ﹂・﹁ 尿 道 

﹁尿道﹂という観念を冠してい る ︒これは︑明らかに︑韓愈の著述同原 道 に対す る 洪秀全の肯定  内評価を示すものである︒なお︑洪秀全は︑韓愈が 時 の 皇帝憲宗に対し︑同論仏骨 表 を 捷 したことを評価し ている︵﹁ 原道 

  

︵㏄︶洪秀全は︑太平天国延享以前に︑二度キリスト 教 と接触している︒最初は一八三六︵道元一六︶年の ことで︑科挙受験の 

ために床虫 に 赴いた 刊秀全は ︑そこで︑科挙の受験生 を 対象とするキリスト教ミッシオンの二人の宣教師︵ 一人は助手か︶  庭面での展開とみることができる︒この書では︑社会 の 最末端の構成単位﹁二十五家﹂に一つずつ﹁国軍﹂ を 設けることに㎝ 

  なっているが︑その四悪 的 根拠は﹁・・・・・・蓋し天下は皆 天父上主皇上帝の一大家であり︑天下の人びとが私を 受けず物をすべ︶   て 上主︵ 上帝︶に帰するな ちば︑ 主の運用するとこ ろとなり︑天下という大家は処処平均し︑人は飽 緩す る ︒これが 乃ち 

天父上主皇上帝が︑とくに太平真主 洪秀全︶に 命 じて救世させる貴意である﹂︵傍点は筆者︶と打ち出さ れている宍人  早天国 ー 三 二二頁㌔また国庫の規定には︑﹁凡そ 天 下 の一夫毎に妻子三 四人⁝・・・あら ぱ 一人を出して 兵 となす︒その 会  0%. 寡 ・孤独・ 廃 扶の者は︑役を免じ︑皆︑国庫を 頒ちて以て養 う ︒﹂という一条がある 台 太平天国 ロ 二 ‑‑ 一 ‑ ハ百 ご ︒ こ 

ドキュメント内 『宗教研究』193号(41巻2輯) (ページ 60-71)

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