第 3 章 追加融資を考慮した期待損失と VaR 93
3.3 追加融資を考慮した VaR と UL
3.2節ではEL最小化を前提として最適な追加融資量や初期時点でのELの評価,数値例によ るEL改善幅を考察した.期中時点でEL最小化を目的とした追加融資を行うことを想定したと き,ULが引き下げられるとは限らず,その場合,信用リスクが削減されるとはいえない.UL が上昇したときには,その分に応じて自己資本を積み増す必要がある.そこで,本節では,追 加融資を考慮した場合のULを導出し,追加融資を考慮しない場合との比較を行う.
3.3.1 VaRとストレス時期待損失
銀行の与信ポートフォリオのULをVaRとELとの差で定義する.VaRの算出にあたっては,
1ファクターのマートンモデルを用いる.すなわち,ポートフォリオを構成する各与信iの損失 Liは,共通ファクター(システマティックリスクファクター)Xと,それとは独立な個別ファ クターYiによって生じるとする.このとき,共通ファクターXを所与とすると,各債務者のデ フォルトは互いに独立となる.ポートフォリオが十分に分散化され,どの債務者のエクスポー ジャーも,ポートフォリオ全体に比べると無視しうるほど小さいという状況では,与信ポート フォリオの損失L=∑
iLiの分布は,大数の法則により,Xを所与とするときの条件付期待損 失E[L|X]で与えられる(Vasicek [2002]; Gordy [2003]; 安藤 [2005]).さらに,(1)共通ファ クターXは単変量,(2)全ての与信iについて,共通ファクターXの条件付期待損失E[Li|X]
は,Xについて連続微分可能で単調減少関数,という2つの条件が成立するとき,ポートフォ リオの損失分布のα分位点qα(L),すなわち,信頼水準αのVaRは,Xの1−α分位点x1−α
を用いて,(3.33)式で表現される.
qα(L) =E[L|X=x1−α] (3.33)
ここで,(3.33)式の条件付期待値について,
E[L|X=x1−α] =∑
i
E[Li|X=x1−α] (3.34)
が成立し,ポートフォリオのVaRであるqα(L)に対する各与信iの寄与分は,
SELi =E[Li|X =x1−α] (3.35) で表すことができる.(3.35)式を与信iのストレス時期待損失(SEL)と呼ぶ.信頼水準αで の与信ポートフォリオのULのうち,与信iの寄与分は,
ULi = SELi−E[Li] (3.36)
と表されるため,与信iのストレス時期待損失を求めることで,ポートフォリオのULに対す る与信iの寄与を算出することができる.表記の簡便化のため,以下では添字iを省略する.
3.3.2 ストレス時期待損失の算出
ストレス時期待損失(SEL)を求めるため,まず「ストレス」を定義する.(3.1)式で表され る企業の資産価値変動を導出する標準ブラウン運動Wtは,共通ファクターXtと√
Rという
相関を持ち,共通ファクターXt,個別ファクターYtは互いに独立な標準ブラウン運動で表現 されるとする13.このようなWtは,
Wt=√
RXt+√
1−RYt (3.37)
で与えられる.
X0 = 0とすると,「ストレス」は,XT =√
TΦ−1(1−α) =−√
TΦ−1(α)という値をとって いる状況を指す.したがって,ストレス状況下での銀行の期待損失SELは,追加融資を考慮し なければ,
qα(L) =SEL=D(e(rM0−rL0)T −1) +E0[(D−AT)+|XT =−√
TΦ−1(α)] (3.38) と表現できる.(3.38)式の条件付期待値を評価すると,追加融資を考慮しない場合のSELは,
SEL=D{e(rM0−rL0)T −1 + Φ(dS)} −A0eµTe−σ√T√RΦ−1(α)e−Rσ2T /2Φ(dS−σ√ T√
1−R) (3.39) で与えられる(詳細は3.C節を参照).ここで,dSは次式のように定義した.
dS ≡ d0+√
RΦ−1(α)
√1−R = Φ−1(P D) +√
RΦ−1(α)
√1−R (3.40)
13
本章では,バーゼルIIの内部格付アプローチの考え方(Basel Committee on Banking Supervision [2005b]
を参照)に即して,資産価値と共通ファクターの相関を正の値
√Rとしているが,共通ファクターと負の相関を持 つ資産価値についても本章の枠組みで考えられる.
3.3.3 時点tでのストレス時期待損失
時点tでの追加融資後の当該企業のストレス時期待損失は,
SELt(∆∗) =D(e(rM0−rL0)T −1) + ∆∗(e(rM−rL)τ−1) +Et[(D+ ∆∗−AT)+|XT =−√
TΦ−1(α), Xt, Yt] (3.41) と表現される.ここでは,追加融資がなされる場合と追加融資がなされない場合に分けて,(3.41) 式右辺の期待値がどのように表現されるかを考察する.
追加融資がなされる場合 Xt,XT−t≡XT −Xtを用いてストレスの条件を表すと,
XT =Xt+XT−t=−√
TΦ−1(α) (3.42)
となる.∆∗が時点tでのELを最小化する最適な追加融資量であることを考慮すると,AT は,
YT−t≡YT −Ytも用いて,
AT = (At+ ∆∗e−rLτ)e(µ−σ2/2)τeσ(√RXT−t+√1−RYT−t)
= (D+ ∆∗)e−d∗σ√τeσ(√RXT−t+√1−RYT−t)
= (D+ ∆∗)e−d∗σ√τeσ{√R(−√TΦ−1(α)−Xt)+√1−RYT−t}
(3.43)
と表現される.このとき,(3.41)式は次式に帰着する.
SELt(∆∗) =D(e(rM0−rL0)T −1) + ∆∗(e(rM−rL)τ−1)
+ (D+ ∆∗)Et[(1−e−d∗σ√τe−σ√RTΦ−1(α)e−σ√RXteσ√1−RYT−t)+|Xt]
=D(e(rM0−rL0)T −1) + (e(rM−rL)τ−1)At−Dξ∗ ξ∗−e−rLτ + At−De−rLτ
ξ∗−e−rLτ Et[(1−e−d∗σ√τe−σ√RTΦ−1(α)e−σ√RXteσ√1−RYT−t)+|Xt] (3.44) 追加融資がなされない場合 追加融資がなされない場合,∆∗= 0より,(3.41)式は次式に帰着 する.
SELt(0) =D(e(rM0−rL0)T −1) +Et[(D−AT)+|XT =−√
TΦ−1(α), Xt, Yt]
=D(e(rM0−rL0)T −1) +Et[(D−A0e(µ−σ2/2)Teσ{−√RTΦ−1(α)+√1−R(Yt+YT−t)})+|Yt] (3.45)
3.3.4 初期時点でのストレス時期待損失
追加融資を考慮した初期時点でのストレス時期待損失E0[SELt(∆∗)]は,追加融資を考慮し たELと同様に,時点tでの資産価値Atの状態に応じて3つの状態に分けて評価できる.すな わち,
E0[SELt(∆∗)] =SELI+SELII+SELIII (3.46) ただし,
SELI≡E0[SELt(∆∗1)1{At>Dξ∗
1}] (3.47)
SELII≡E0[SELt(0)1{Dξ∗
2≤At≤Dξ1∗}] (3.48) SELIII ≡E0[SELt(∆∗2)1{At<Dξ∗
2}] (3.49)
となる.これは,追加融資を考慮したELと同様,2次元正規分布の分布関数を用いて解析的 に表現できる.その導出の概略を以下に示す.
状態IのSEL (3.44)式を用いて,(3.47)式を評価すると次式を得る(詳細は3.D節を参照). SELI=D(e(rM0−rL0)T −1)Φ(−δ∗1)
+ 1
ξ∗1−e−rLτ [(e(rM−rL)τ −1){A0eµtΦ(−δ1∗+σ√
t)−Dξ∗1Φ(−δ∗1)} +A0eµt{Φ2(−δ1∗+σ√
t, h∗1+σRt/√η;ρ∗)
−e−σh∗1√η−σ2t/2+σ2(1−R)T /2Φ2(−δ∗1+σ(1−R)√
t, h∗1−σ(1−R)τ /√η;ρ∗)}
−De−rLτ{Φ2(−δ1∗, h∗1;ρ∗)−e−σh∗1√η+σ2η/2Φ2(−δ∗1−σR√
t, h∗1−σ√η;ρ∗)}]
(3.50)
ただし,η,h∗1,h∗2,ρ∗は(3.51), (3.52), (3.53)式のように与える.
η ≡(1−R)τ +Rt (3.51)
h∗i ≡ d∗i√
τ+ Φ−1(α)√
√η RT, i= 1,2 (3.52)
ρ∗ ≡R√
t/η (3.53)
状態IIのSEL (3.45)式を用いて,(3.48)式を評価すると,次式を得る(詳細は3.D節を参照). SELII =D(e(rM0−rL0)T −1){Φ(δ∗1)−Φ(δ2∗)}+D{Φ2(dS, δ1∗;ρS)−Φ2(dS, δ∗2;ρS)}
−A0e(µ−σ2R/2)T−σ√RTΦ−1(α){Φ2(dS−σS, δ1∗−ρSσS;ρS)
−Φ2(dS−σS, δ2∗−ρSσS;ρS)}
(3.54)
ただし,dSは(3.40)式,ρS,σSは(3.55), (3.56)式のように与える.
ρS ≡√
(1−R)t/T (3.55)
σS≡σ√
(1−R)T (3.56)
状態IIIのSEL 状態IのSELと同様に,(3.49)式を評価すると,次式を得る(詳細は3.D節 を参照).
SELIII=D(e(rM0−rL0)T −1)Φ(δ2∗)
+ 1
ξ2∗−e−rLτ[(e(rM−rL)τ −1){A0eµtΦ(δ2∗−σ√
t)−Dξ2∗Φ(δ2∗)} +A0eµt{Φ2(δ2∗−σ√
t, h∗2+σRt/√η;−ρ∗)
−e−σh∗2√η−σ2t/2+σ2(1−R)T /2Φ2(δ2∗−σ(1−R)√
t, h∗2−σ(1−R)τ /√η;−ρ∗)}
−De−rLτ{Φ2(δ∗2, h∗2;−ρ∗)−e−σh∗2√η+σ2η/2Φ2(δ2∗+σR√
t, h∗2−σ√η;−ρ∗)}]
(3.57)
全体のSEL (3.46), (3.50), (3.54), (3.57)式より,追加融資を考慮したストレス時期待損失 SELは,次式のように2次元正規分布の分布関数を用いた解析解で表せる.
E0[SELt(∆∗)] =D(e(rM0−rL0)T −1)
+ 1
ξ1∗−e−rLτ [(e(rM−rL)τ−1){A0eµtΦ(−δ1∗+σ√
t)−Dξ1∗Φ(−δ1∗)} +{A0eµtΦ2(−δ∗1+σ√
t, h∗1+σRt/√η;ρ∗)−De−rLτ{Φ2(−δ∗1, h∗1;ρ∗)}
−e−σh∗1√η{A0eµt−σ2t/2+σS2/2Φ2(−δ∗1+σ(1−R)√
t, h∗1−σ(1−R)τ /√η;ρ∗)
−De−rLτ+σ2η/2Φ2(−δ∗1−σR√
t, h∗1−σ√η;ρ∗)}]
+ 1
ξ2∗−e−rLτ[(e(rM−rL)τ −1){A0eµtΦ(δ2∗−σ√
t)−Dξ2∗Φ(δ2∗)} +{A0eµtΦ2(δ2∗−σ√
t, h∗2+σRt/√η;−ρ∗)−De−rLτΦ2(δ∗2, h∗2;−ρ∗)}
−e−σh∗2√η{A0eµt−σ2t/2+σS2/2Φ2(δ2∗−σ(1−R)√
t, h∗2−σ(1−R)τ /√η;−ρ∗)
−De−rLτ+σ2η/2Φ2(δ2∗+σR√
t, h∗2−σ√η;−ρ∗)}] +D{Φ2(dS, δ∗1;ρS)−Φ2(dS, δ2∗;ρS)}
−De−dSσS+σ2S/2{Φ2(dS−σS, δ1∗−ρSσS;ρS)−Φ2(dS−σS, δ2∗−ρSσS;ρS)}
(3.58)
3.3.5 追加融資を考慮したELとULの数値例
3.2.4節と同じ設定のもとで追加融資を考慮したELとULの数値例を示す.ULの算出では,
信頼水準α= 99.9%として,追加融資を考慮したEL,SEL,ULの寄与を求め,追加融資を考 慮しないEL,SEL,ULの寄与と比較する.相関については,R = 0.12をベースにR= 0.24 の場合も検証する14.その結果を表3.3に示す.
表3.3: 追加融資を考慮したULと考慮しないUL
A0 EL(∆∗) EL(0) R=0.12 (参考)R=0.24
SEL(∆∗) SEL(0) U L(∆∗) U L(0) U L(∆∗) U L(0)
80 10.78 12.00 30.16 23.18 19.37 11.18 27.40 15.81
85 7.45 8.03 22.26 18.62 14.81 10.60 21.30 15.37 90 4.66 4.90 15.97 14.32 11.31 9.42 16.82 14.16 95 2.54 2.63 11.18 10.43 8.64 7.80 13.56 12.28 100 1.06 1.10 7.69 7.12 6.63 6.02 11.17 9.97
105 0.11 0.15 5.32 4.48 5.21 4.32 9.59 7.58
110 −0.47 −0.40 3.91 2.50 4.38 2.90 8.85 5.39
120 −1.06 −0.86 3.16 0.23 4.22 1.09 9.63 2.25
備考: 簡単化のため以下のような表記法を用いている.EL(∆∗)≡E0[LT(∆∗)],SEL(∆∗)≡ E0[SELt(∆∗)],U L(∆∗) ≡ E0[SELt(∆∗)]−E0[LT(∆∗)],EL(0) ≡ E0[LT(0)], SEL(0)≡E0[SELt(0)],U L(0)≡E0[SELt(0)]−E0[LT(0)].
14
バーゼルIIの内部格付アプローチでは,事業法人向けの与信について,PDに応じて指定関数に従い0.12〜 0.24のRを設定することが求められている(ただし,売上高が5千万ユーロ未満の場合は売上高でも調整される). ここでは,バーゼルIIで求められる相関Rのうち,最も小さいもの(0.12)と最も大きいもの(0.24)を設定した.
表3.3より,期待損失を最小化するような追加融資が行われる場合,ELは小さくなるものの,
SELが大きくなり,ULの寄与が拡大することがわかる.これは,ELを抑制するための追加融 資がEaDを拡大させたため,満期時点がストレス状態にあった場合,損失がより拡大してしま うことを意味している.また,ULの増加幅は相関Rが高いほど大きくなることがわかる.
このように,銀行が期待損失の最小化(期待収益の最大化)行動を行うと,ULで測ったと きに非常に大きな信用リスクを抱えてしまう危険性があることがわかる.この問題に対しては,
平均分散分析のように,ELを一定値より低い水準に抑えたうえで,ULを最小化するという行 動原理や,自己資本をある一定水準に保つため,ULの上限をその範囲に抑えつつ,ELを最小 化(期待収益を最大化)する行動原理を規定し対処することが考えられる.あるいは,ELと ULが取りうる組合せの中から,両者のトレードオフを勘案して銀行にとって望ましい組合せ を選択するという考え方もある.銀行が融資の信用リスクを動的に管理しようとする場合,EL やULに対してどのような選好を持ち,その選好に従ってどのように行動するかの判断基準を 明確に持つことが求められる.