• 検索結果がありません。

第一節 演劇教材の有効性

(1)これまでの演劇を用いた教材についての若干の整理

前章で,国際理解教育で擬似的体験の内容、方法を設定することの意義を述べたが, 本章では、それを教材化するために行こうな方法である,演劇について検討してみた

い。

近年、 (演劇)を用いた教育活動が再び着目されはじめ,その教育的意義も見直され ている。

日本の学校教育史をひも解けば、 (演劇)を用いた教育実践は決して新しいものでは なく,大正芸術教育運動をはじめ,現在まで数多くの研究や実践がなされている。し かし、とくに近年,竹内敏晴や鳥山敏子、佐藤学、渡部淳らによって、教育における 演劇の有効性や演劇のもたらす作用に着目した研究が盛んにみられるようになったl。

これらの研究を参考に、教育における演劇の有効性や教育的効果について、筆者な りに整理してみると、次のようにまとめることができる。

第一に,演劇による教育を通して,学習者の表現能力、想像力を高めることができ ることである。これは、国語科教育における演劇による教材の、言葉の学習、文学の 学習といった、国語科の目的に応じた演劇の教育的な効果にも通じるものでもある。

第二に、学習者が演劇という表現活動を通して,他者とかかわり、互いに感情をぶ つけ合う中で、一つのものを作り上げるという、集団性を高めることができることで ある。

第三に、演劇という活動は、個々の人間が他の役柄とかかわりながら、自己を発揮 していくという,自己の開発ができるということである。

第四に、与えられた役柄を演じ、その人物の立場を理解することを通して、社会や その中に生きる人々などに対する洞察力を身につけることができることである。

第五に、表現を通じて内なるものを表に現し、自分の世界を他者に向けて開き、他 者から開かれることにより,コミュニケーション能力を高めることができることであ る。

このように、演劇では、主として他者とのかかわりの中で自己の人間性が高まって いくという、自己目的的活動が重視されている。そして、これは,国際理解教育にお いても、今後、有効な教育方法の1つとなるものであろう。しかし、これまでの研究 では,自己目的的活動を通して,他者認識が可能となるという観点のみに着目し、演 劇を通して促される自己言及に関しての検討が欠落してきた.一方で,従来の研究成

果を十分に反映させることを考えながらも、他方で,国際理解教育において演劇によ る教材を開発する意義を明らかにするためには、演劇を用いることによる自己言及の 可能性について検証していく必要があるといえる。

(2)演劇と自己言及

ディドロによると、俳優の仕事は、 「感情的同化を起こすことではなく、感情の外的 表出を子細に観察し,研究し、これを外形的に巧みに描写すること」であり、 「俳優に 必要なのは感じやすさではなく冷静な知性であり、むしろ感じやすさの欠如こそが名 優の条件である」と述べている2。ディドロの言及から明らかになることは、与えられ

た役柄から,距離を置いてその人物について概観する立場を常に持っていることが重 要である。

また,ブレヒトは、役作りの過程について次のように述べる。

「もし俳優が自分のみにあれこれがふりかかるなら・自分はどうなっているだろ う?こういったりああしたりするならどんな様子に見えるだろう?としか問わないな ら、それは幼稚きわまるたぐいの感情移入である。 ‑‑そうやってあちことからいろ いろと助言を得ながら、その人をきっかけとして新しい事件が起こったのだ・と考え られる新しい役を作り上げてゆくために、自分はこれまでにある人がこういい・ああ するのを・どんな風に聞きまた見てきたか?とか‑‑その他もっといろいろと問うこ

ともせずにだ。役の統一は,つまり、個々の特徴が相矛盾する・その仕方によってつ くられるのだ。」 3

ブレヒトが指摘するように、役者は、役作りの段階で常にその役から距離を置いて (問い)を持ち続けることが重要なのである。そして,また、 「個々の特徴が相矛盾す る・その仕方によってつくられるのだ」とあるように、役者と役,役者と他の役者と その役との間に異交通が成立し、つねに葛藤が生じることが、役作りの基本となる。

役者は、問いと葛藤を持ち続けることにより、すこしづっ、役の立場、他の役者とそ の役の立場の認識を深化させることができるのである。

さらに、仲島陽一は、ルソーの演劇に関する論究を用いて次のように述べる.ルソ ーは, 「同化作用そのものに対しても倫理的反省を加え」ており、 「感情的同化は、 ① それが自己忘却、自己超出、自己疎外であり, ②模倣によって何かを身につけること が真の習得ではないと考えている」 4と指摘している。つまり,感情的同化よって役柄 に同化してしまうことで、自己は他者になりかわってしまい、演じている間,自己が 喪失されてしまう。すると,与えられた役柄と、自己に関する探求が深化しないので

ある。感情的同化による自己忘却、自己超出、自己疎外という問題は、これまでの演 劇教材や、類似する要素を持つゲーム・シミュレーション教材の研究において、見落 とされてきた点であろう。自己と役柄の二つの立場を持ち続けることに、演劇を国際 理解教育の教材として用いる意義が見いだせる。この点については、堀尾の次のよう な指摘からも明らかとなる。

「自分のとりくむ役づくりのなかで,それに同一化し、日常性の中の自分を「異化」

することによって,自分の人格,自己像にとっての新しい契機をつかむことができる。」

5

堀尾の指摘にあるように,役柄に「同化」し,自己を「異化」することで,演劇を通し て、他者としての役柄のみならず,自己理解も可能となるのである。

また、演劇の(異化)効果は、役柄‑の同化と同時に、役柄からの自己の分裂、つ まり異化することによって自己を常に持ち続けることで,自己言及を可能にするとい

う意味と、追体験の世界と自己が生きる世界とが混同することを防ぐ。とくに,初等 教育の段階にある子どもにとっては、この(異化)効果を常に心がけておくことで、

追体験のマイナスの要素となりうる恐怖心のみにかられたり、偏見を助長することを 妨げることができよう。

第二節 初等教育の国際理解教育の演劇教材開発の視座

以上の考察から、演劇教材の教育的効果について、次の五点に要約できよう。

1)演劇教材では、実際には会うことのできない人間の生き様を、与えられた脚本通 りに演じることにより,自己の内部にその人物の(貌)を創造することが可能と なる((貌)の見える自己一他者関係の構築)0

2)役者は、与えられた役柄に感情移入するのではなく、役柄に人格を移し替えた自 己と,役柄から距離を置いた自己を保持し続け,距離をおいたところから、役柄 について問いを持ち続けることが重要となる。なぜなら,問いを解決するときに 生じる葛藤により、自己言及をするからである。このように、役者は、二つの貌 を自己の内部に設定することにより、役柄と自己との間で、対話を創り出すこと が可能となる。 (葛藤的な自己内対話の能力の形成)0

3)役者は、ひとりの人間を演じることを通して、その人物の様々な背景について認 識する。それをきっかけとして、与えられた役柄が生きた世界と同じ場所にいる 人々‑と自己を開くことを可能とする(個を通した多くの他者の貌の創造)。

4)役者は,脚本という閉ざされた世界における他の演者との関係性の中で他の演者

と接することにより、演じるという相互行為を通じて,他の演者が演じている役 柄にづいての認識を深めていく(往還的な他者認識と自己言及の能力の形成)0 5)役者と観客の関係は、 「他者から見られることによって、自己がかわる(対他的存

在)」である人間の特性を浮き彫りにする.つまり、役者は常に観客の反応の一部 始終といった感覚にさらされることにより、より深い自己言及が可能となる(螺 旋状の自己言及の発展)

これら五点の演劇教材の教育的効果に,先に検討した初等教育の国際理解教育の目 的を照らし合わせてみると、国際理解教育での演劇教材の意義は、次のように整理で きる。

第一に,他の文化に生きる人間をマクロにとらえる見方では見落とされがちであっ た本質を把握することができること。これは、 2)葛藤的な自己内対話の能力の形成、

4)往還的な他者認識と自己言及の能力の形成から導かれる。ここでいう本質の把握と は,一人ひとりの人間の生き様を演じることによって、その人間について深く理解す ることのみならず,その人間が育った環境,文化をも深く理解することも必要となる ため、他の文化に生きる人間をマクロにとらえるよりも、他者、他文化に対しての深 い理解が可能となる。さらには、学習者は、自己内対話を重ねながら、他者について の深い理解が必要とされるのであるが、その際、他者がもつものと自己のアイデンテ ィティやナショナルなものとを併せ持っことが必要となる。それによって,他者のナ ショナルなもの‑の理解と同時に、自己のナショナルなもの‑の理解を深めていくこ

とが可能となる。 2),4)のような教育的効果は,国際理解教育の目的にあげた、自己・

他者理解のために必要な自己批判・自己言及の態度を形成するとともに、自己批判・

自己言及に基づくナショナルな価値・感情の育成することに意義が見出せる。

第二に、異なる場に生きる他者との共生の感覚を実感できること。この点は、上述 の1) (貌)の見える自己一他者関係の構築、 3)個を通した多くの他者の貌の創造か ら導かれる。国際理解教育の目的にあげた、他者とのつながりを感じ取る感性を形成 するというのは、目の前にいる他者との直接のつながりのみでなく,遠く離れた場に いる他者ともつながっていることも実感できる感性が重要なのである。演劇教材の個 を通した多くの他者の貌の創造、 (貌)の見える自己一他者関係の構築といった教育的 効果からは、こうした感性を培うことに意義が見出せる。

第三に、ある人物を通して、その人物が生きる世界と同じ場所で生きる人々に対し て、自己を開放することができること。これは、 1)から5)のすべての教育的効果から 導かれる。本研究では,国際理解教育が想定する国際社会に生きる人間については, 人と人とのつながりを築き、それを基盤として地球文化・地球社会を創造することが できる人間としているのであるが、そのためには,学習者が自己を他の文化、社会‑

と開放し,他の場所‑と向かっていく必要がある。