第一節 初期の国際理解教育の目的と背景
ここでは、戦後国際理解教育の諸論から、現在の国際理解教育の目的の検討のため に重要となるものを吟味し、国際理解教育の今日的課題を明らかにする。とくに,初 期の国際理解教育論の展開と、ここでの国際理解教育の目的を再検討する。初期の国 際理解教育の展開に見る限り、抽象的かつ理念的な内容が盛り込まれていることは否 めないが、これまでの研究史のなかでも、初期の研究には理論面に関して,非常に重 要な研究が行われている。この時代は,第二次大戦直後で,二度と戦争を起こさない ために、平和な世界が保たれるよう,教育が果たすべき役割について,具体的な考察 に取り組んでいる。とくに、ユネスコが国際理解教育について提言した以降、日本で も,国際理解教育の基礎的な理論の検討に力が注がれた。
戦争‑の強い反省をこめて進められた基礎理論の検討の上に初期の国際理解教育の 目的や内容がしめされており、ここから、現代の国際理解教育の課題や目的を考察す るために大きな示唆が得られると考える。そこで、まず、これまでの国際理解教育の 中でも、最も具体的に基礎理論から検討されていると考える初期の国際理解教育の基 礎的な理論を整理してみよう。初期の国際理解教育論では,とくに、次のような目的 があげられていた.第一に、自己批判・自己言及の心性の形成、第二に、健全なナシ ョナルな価値・感情の形成である。中でも,国民的資質や自覚の形成は、近年の国際 理解教育の理論ではほとんど具体的に取り上げられることがなく、第二次大戦直後で、
同時に東西冷戦期の始まりという時代にあって,いわゆる「積極的な平和」論1にも似 た平和を追求しようとする動きが見られるのも、この時代の国際理解教育の特徴であ るといえる。当時の時代背景から、これら二つの目的が掲げられていたことは容易に 理解できるが,これらの目的は、現代の国際理解教育にも十分に通用する,重要なも のである。いつの時代でも、戦争は,地球全体の生命体‑の最大・最強の暴力である。
戦争という痛み、苦しみ,他国‑の反省の上に深く検討された、初期の国際理解教育 に示された目的は、現在の国際理解教育にも十分に通用するものである。しかしなが ら、これら二点については、国際理解教育の目的として再吟味されていない。とくに、
第二については,現在の国際理解教育に国民的資質の育成が目的としてあげられてい るにもかかわらず、ここに示されているような健全なナショナルな価値・感情が国民 的資質として再考されるべきであろうが、現在の国際理解教育で示されている国民的 資質には異なる意味がふくまれており、これが,たとえ国際理解教育の本来の意義と は反するものであったとしても、こういった問題についての具体的な検討もみられな
い。
そこで、上述の二つの目的について,初期の国際理解教育ではどのように検討が進 められてきたのかを整理してみたい。
第二節 自己批判・自己言及の心性の形成
第一に、自己批判・自己言及の心性の形成については、ユネスコ国際理解教育の勧 普(第二回総会決議,及び1949年に発表された共同宣言など)や、勝田守一の研究で 指摘されている。初期の国際理解教育研究では、国際社会を射程にとらえるのみなら ず、国や民族のようなナショナルな要素をもつものについての理解に際しても、国民 的資質や自覚を必要とするという議論がなされており、その基底には、国民として、
自国や白文化に対する自己批判・自己言及の態度が必要とされていた0
前章でも検討した「1949共同宣言」の項目Eでは、 「自他いずれに対しても批判的な 自己抑制に満ちた評価を創り上げるよう努める」ことが明記されている。これは,そ れまで,教育を通して,偏向的な国家主義を国民の内部に形成してきたことの反省に 立っていることはいうまでもない。
さらに,項目Fでは、世界的連帯性の促進のために、大量的通信手段を善用し、人々 が他国の人々について正しい理解を示すよう促すことが国連諸機関の責務であること を指摘している。確かに、情報を収集し、知識としてそれらを参考しながら他国につ いての理解の基盤を作ることは重要であるが、情報を通しての他国理解は、ともすれ ば悪用され,有害となるおそれもある。第二次大戦時は,情報の収集能力が急速に向 上するにしたがって情報が汎用されるようになり、戦略として悪用されてきたことは 周知である。項目 Fでは,それらの反省も含めて,国連諸機関は、常に往復交通に基 づいた情報の流れを支援することが強調されているのである。情報を有効に活用し、
往復交通が実現するところに,人々が,他国民からの自国をみる視点をもつことがで きるようになる。このように、まず、 「1949共同宣言」の項目EとFからは、 (国際理 解)の基本として、外に視点を置き,自己を批判的にとらえるという心性が必要とな ることが読み取れる。
また、ユネスコ初代事務局長であったジュリアン・ハックスリーは, 1947年に次の ような報告をしている。
「人間の多様性を保つことは非常に重要なことである。いづれにせよ,人間の多様 性を減じようとする一切の企ては、科学的に見て正しくないし、長い行程をもつ人間 の進歩に反することである」 20
また,丸山真男は, 1949年に開催されたユネスコ平和問題討議会の中で、次のよう
に述べている。
「本来、真のインターナショナリズムというものは,各民族の文化的個性を尊重す ることによってのみ可能だと考える。 ‑一民族文化の個性を互いに尊重していくと言
うことが、むしろ本当のインターナショナルな精神じやないかと思います」 30
ユネスコは世界中の人々が一丸となって,平和な世界を創り上げることを求める一 方で、個別の国家や民族,文化などといった(ナショナルな)側面について正面から 取り上げることはしなかったが,ハックスリーや丸山は,ユネスコ国際教育会議につ いて検討する中で、国家,民族、文化の多様性を理解し、個々のナショナルな価値を 相互に理解し尊重することが、平和な国際社会を形成する基盤を為すことを指摘して いるのである。ある国家が他の国家を、あるいは民族を滅することは,平和な国際社 会を形成できないばかりか、新たな生命の誕生を絶ち,また,後世までその昔しみを 残し続けるものである。すべてのナショナルな性質を帯びるものは、自一他のナショ
ナルに対して優劣の価値を認めず、それぞれに個別の価値を見いだし、尊重しあうこ とが重要であり、第二次大戦の反省と新しい世界平和の実現が目指された初期の国際 理解教育では,その導入をめぐって平和な国際社会の形成と各国家・民族相互のナシ
ョナルな価値の尊重との関係を重視しなければならないことを明確に示していた。
また、ユネスコの第二回総会決議、及び「1949共同宣言」においても、具体的な地 域や一部で生じた紛争に限定することなく、広く国際社会をとらえ,その中では、万 人が共同の目的として世界平和を希求し、協力して実現すること,そのための個人の 人間的成長が強く必要とされている。そして、後にユネスコの国際理解教育から薄れ ていくようになる、自己反省・批判の必要性についての言及が,この時代のユネスコ
国際理解教育において明確に確認できる。不当な国家主義により戦争は生じるのであ り,それを阻害するためにも、教育を通じて、国家主義的自己正義について自己反省 的に検討していく必要があること,教育はそれを保障しなければならないことが指摘
されているのである。また、このような国家主義的自己正義に対する自己反省は,他 国民や他民族といった他の集団の視点から自己が身を置く集団を眺めるという,外か
らの視点での検討される必要もある。そのためには,他集団についての十分な理解と 自集団との歴史的な関係についての理解がなければ、他者の視点から自己反省をする ことは不可能となるのである。
一方,勝田は, 「私たちの直面している非常に困難な問題について,子どもたちが誠 実な愛情をもって取り組んでいくという、そういう意欲を抜きにして、国際的理解の 教育は有害でこそあれ,決して有効ではない」 4と述べている。ここで指摘されている
「誠実な愛情」とは、自己や自集団のみならず、他者や他集団‑の愛情も含まれてい