第一節 安重根と千葉十七の相互理解過程を題材とした教材
(り 安重根と干葉十七1
安と千葉の相互理解過程を物語化した演劇教材は,低学年にとっては非常に難しい。
当時の複雑な時代背景を理解する必要があるため、高学年に適した教材である。高学 年であれば、この教材にあらわれるナショナルな価値・感情、すなわち、韓国人,日 本人であることの責任についての理解は可能であろう。
敬度なカトリック系キリスト教信者であった安重根は,韓国の信川郡清渓洞で育っ た。安は、日本が韓国併合の政策を徐々に進めていたとき、韓国が日本の抑圧にさら されている,という危機感を抱いていた。しかし,彼はそれに対して即座に実行に移 すのではなく,このような状況下において自分が何をなすべきか、深く考える日々を 過ごしていた。そして、第三次日韓協約が結ばれた後、義兵運動に参加した。
ところで,韓国併合政策の中心人物は、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎らであった が、とくに,伊藤は初代総理大臣を務めた後、初代韓国統監の任に就いた。伊藤は、
その政策の立て役者であったといえる1909年10月,伊藤はロシアの蔵相との会談の ためにハルビン‑赴いた。その目的は、極東問題、日本の韓国併合など、日露両帝国 の利害関係の調整であった。そして同月26日,安は,ハルビン駅頭に降り立った伊藤 を射殺した。安は、最初に伊藤を撃ったが,確信できなかったため、伊藤に随行して いた日本人3名も撃った。彼らは負傷するにとどまったが、伊藤は撃たれてから30分 後に死亡した。安は、現場ですぐに挿らえられ、旅順刑務所に投獄された。
尋問と裁判の中で、安は、伊藤射殺の理由を次のように述べている0
伊藤個人‑の私怨があったからではない。政治家である伊藤には,日清・日露戦争 において日本が掲げていた、韓国独立と東洋平和という大義名分を日本自らが破った
ことや,国王高宗の妃である閏妃を殺害したことなどを含む、15の罪があったからだ、
と。
また,安が、獄中において書き進めた『安応七歴史』の一部には、裁判の形態に対 する不服と、伊藤射殺に関わっての自省について、次のような内容が記されている。
自らの行為は、私怨からおこなったのではなく、正当な行為であると信じて、国際 公法に則した審理を要求していた。しかし、日本側の検察官らはその訴えを聞き入れ ず,さらに裁判では、検察官らは、極刑を早々に進めようとしていた。それに対して、
「要するに,私に死刑を求める理由は、自分のような人物を生かしておいては、多く
の韓国人が自分を見習って同じような行動を起こすとおそれているからだ。もし日本 人に罪がなければ、なぜ韓国人をはばかる必要があろうか。多くの日本人のうち、伊 藤一人が被害を受けたのはなぜか。韓国人をはばかる日本人は、みな伊藤と同じ目的 を持っからではないか」,と日本人に対する的確な批判を表明している。また、安は、
閏妃戟殺の指揮をとりながらも、罪を免れた三浦梧楼と自分の罪は、どちらが重く、
軽いのか,そして、自分の罪は何であるのか、と心の中で葛藤していた。しかし、伊 藤個人の命を奪ったことに対しては、自分は大罪人であり、自分自身の仁の弱さが罪 であり,同時にそれは韓国人の罪でもある、と自省している。
安は、事件5ヶ月後の1910年3月26日に刑を執行された。
千葉十七は、宮城県栗原郡に生まれ,育った。
千葉は軍人を志し、日露戦争の二年前に徴兵検査を受け、入隊後すぐ憲兵を志願し た。旅順の関東軍督府憲兵隊に所属していた千葉は,伊藤射殺の情報が入ると、翌27
日、安ほか8名の韓国人をハルビンから旅順刑務所に護送する任務を命じられた。さ らに,安の看守の一人としての任務を言い渡された.当初,千葉は、安に対して、激 しい憎しみを抱いていた。また、日本の最も偉大な政治家を「殺害」したことがなぜ 義挙であるといえるのか,という疑念も抱いていた。
しかし,千葉は、獄中における安の態度や、検察による尋問,及び裁判に対する安 の主張に接することにより,過去の経験のもとに抱いていた疑念や憎しみという感情 が揺さぶられた。その結果,千葉は日本の政策や自分の立場について疑問を抱くよう になり、安との対話を希望するようになった。その後、実現した安との対話を通して、
千葉は安の立場を徐々に理解していった。そして、千葉は、安に対して、日本人が韓 国人に対して侵した行為について謝罪した。その後、安の死刑執行当日,自分がかね てから懇望していた安直筆の書を安から贈呈された千葉は、生涯その遺墨保存と俄悔 供養を行い続けた。
(2)安と千葉の対話
安と千葉は、どのような対話をしたのであろうか。この間の二人の対話を、斎藤泰 彦の著述を借りて引用すれば、次の通りである2。
千葉は、安の獄中の態度や伊藤射殺をめぐる主張に少しずつ心を揺さぶられ、直接、
安と語り合いたいと思う。ある時、千葉が安にたばこを勧めて、家族や故郷について 尋ねたのをきっかけに、対話を進める3。
安「人間の命は、皆両親から授けられたものであり、この命の流れは無 窮なる流れです。どんなに貧しくとも平和に暮らせるのは幸せなこ
とです。ご両親は大切にしてあげてください。」
千葉は,このような安の家族を愛する人柄に心をうたれるが、両親から授けられた ありがたい命を賭けてまで、なぜ伊藤射殺に及んだのか、という疑問を抱き、その動 機を尋ねた。
これに対して、安は、次のように答えた。
安「人の生きる姿には,その人がおかれた立場や環境によって美しく見 える場合も醜い場合もある。伊藤の政策や日本による韓国統治は, 強い日本の立場からすればみな美しくも善政にも見えるが、韓国の 国民は日本の圧政下でものもいえず、どんなに正直に生きようとし ても生きていくこと自体が困難となっている。生存することさえ危
ういのに、美や醜を語ることなどできない。日本人も韓国人も対等 に生きられてこそ互いに美醜や正邪を語り合える。伊藤に対しては まったく私怨はなく、伊藤にも家族にも詫びたい。」 4
千葉は、安の主張から徐々に明らかになる韓国の状況や,安との対話の内容から, 自らに対して次のような問いを持った。
千葉「われわれ日本人は、いっも正しいことをやってきたとは思わない が、今となってはやはり、安や韓国に対してはいささか負い目があ
るように感じられてならない。」 5 しばらくして,安と千葉は再び語り合った。
千葉「日本があなたの国の独立を踏みにじるようになったことを、日本 人の一人としてお詫びしたい。」
安は千葉の手を取り、
安「あなたのような人から‑。歴史の流れは、個人の力ではどうしよう もないかも知れません。韓日の関係も伊藤公一人の責任ではないか もしれないし、今回の私の行動も歴史の流れを変えることはできな いかも知れません。しかし、将来韓国同胞たちの独立心を呼び覚ま すきっかけとなることを願っています。」
千葉「日本の憲兵として、あなたのような人格者を重大な犯人として看 守するのはつらい。」
安「あなたは軍人として当然の任務を果たしているのです。私が伊藤公 を射殺したのも、独立平和を願い活動している義兵軍の参謀中将の 任を与えられ、その任務を遂行したまでです。お互いの立場立場で 仕方のないことだから,最後まで自分の任務に忠実に尽くすことが 大切です」 6
死刑執行当日、千葉は安と伊藤の二人の命を思い、
千葉「この半年たらずの短い間に、ふたりもの尊い命が‑‑」
と、千葉は元勲としてあがめた伊藤と敬慕して止まない安との別れを悼んだ。そし て、先述したが、安は、千葉に以前一度だけ頼まれた書を書き、渡した。その際、
安「東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえったとき,またうまれか わってお会いしたいものです」
と千葉に語った。これが、安が千葉に語った最後の言葉である。
安の死刑執行後、千葉は、 「安に対するこの審判が,後世必ずや世界の歴史から糾弾 されるだろう。またその日が来なければ,韓国にも本当の平和はめぐってこないかも 知れぬ。これからの日韓はしばらく冬の時代を過ごさなければならないのではないか」
7と日誌に書きとどめている。また、晩年、千葉は日韓関係の真相を知るために、歴史 を学んだ。そして、安との出会いを振り返り、 「いささか安八の身びいきになるかもし れないが、維新から歩み続けてきた日本の道は、やはり結果としては、安の国に対し、
冷たい仕打ちとなってしまった」、と自責の念を抱いている8。
第二節 教材の意義‥安と千葉の相互理解から学ぶく国際理解)
(り 他者との接触を通しての衝撃と叡歯吾の自覚
安と千葉の対話を通して,二人はどのように相互に理解し合っていったのであろう か。その過程を追ってみたい。そして、安と千葉の相互理解という、非常にミクロな 関係が,国際理解‑とつながっていることを学ぶことができるという意義を明らかに
したい。
当初、千葉は安の人物像について、日本の元勲である政治家を「殺害」した、野蛮 で凶悪な犯人という偏見を持っていた。伊藤という人物は、日本人ばかりでなく韓国 人に対してもすばらしい政策を採っていたと認識していたため、安に対する激しい憎
しみとなっていたのである。
しかし、千葉は,きわめて礼儀正しく,毅然としている安の姿を目にした時, 「安と いう人物は、自分が安に対して抱いていた怒りや憎しみをもあっさりと飲み込んでし まうようだ」 9、という印象を受けている。千葉は、それまでに安に対して抱いていた 感情が,安の姿に触れることにより、全く別の感情に変化していく感覚を自覚してい るのである。
一方、安は、首謀者である伊藤が極悪であるがゆえに、日本人はみな悪人であると いう偏見を持っていた。しかし、安は,旅順にいる干葉ら日本人の仁義に厚い振る舞 いに接したとき、同じ日本人でも、旅順の日本人は、そこの指導者が仁慈であるため に,みな仁に厚いのであろうか、という印象を受けている。安は、人により,また、
集団のおかれた立場により,同じ日本人であっても異なるのであり,自分の中に十把