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一
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見 飲食 反 骨 連柱 ︒目連悲哀︒ 即
鈴鹿 飯往銅其母 ︒ 母 待針 飯 ︒ 便
以 左手 障飯 右手捕食︒ 食未 入口
化成火 炭遂 不行金︒目連大町 悲
号嘩泣 ︒ 馳還 自体︒具陳如此︒
仏言︒ @ 波風罪根深 結 ︒ 非汝
一人力 所 奈何︒ 汝 雅孝順 声 動天
地 ︒天神地神邪魔外道︒道士 四
天王 神 ︒ 亦 不能奈何︒占領十方
衆僧戒伸之 力 ︒刀狩解脱︒ 五 ロム﹁
ぎ説 救済 2 法︒合一切 難皆離憂
苦 ︒
伝吉目連︒十方衆僧七月十五日
僧官 悉時 ︒当為 七 世父母︒ 及現
在 父母厄難中音︒
具飯
百味 五果汲渚 金器︒香油 錘燭 床敷臥具 |
︒ 尽世 甘美咲 著盆中 ︒供養十方
大徳衆僧︒当地 之日 ︒一切聖衆
或在 山間禅定︒ 成得 四道果︒ 或
樹下経行︒戎エハ通自在︒教化
声聞縁覚︒ 或 十地菩薩大人権現
比丘︒ 在 大衆中 皆 同一心受 鉢 当須
衆僧戒伸之 力 ︒ 乃得 解脱︒昔今
当説 救済芝浜︒合一切 難皆離憂
苦 ︒
佐吉目連︒ セ月 十五日
当為 七 世父母︒ 在 厄難牢者︒ 具 炒飯 五
果汲濯盆器 ︒香油 錘燭 床場臥具
︒ 尽世 甘美 咲 供養
衆僧︒当地乞目︒一切聖衆
或 佳山間禅定︒ 或得 四道果︒ 或
樹下経行︒ 或得 六通飛行︒教化
菩薩大人権 示| 声聞縁覚︒
比丘︒ 在 大衆中 昔
共同心受
鉢 見 飲食反骨 連柱 ︒目連悲哀︒ 即鉢盛 散在 輌 異母︒ 母得鉢飯 ︒ 便
以 左手 障飯 右手捕食︒ 食未 入口
化成火成送本 得食 ︒目連
馳 遠目 仏 ︒具陳如此︒
仙台目連︒牧民罪根深
非汝|
結 ︒一人力 所 奈何︒
(372)@ 64
黄繭 盆経 類の訳経史的考察
和羅飯 ︒ 具 清浄戒聖衆文道其 彼 江洋 ︒共有供養此等
自恐
僻者︒現在父母 セ 世父母六種親展︒ 得 坦三途 之苦応時 解脱衣食自然︒
若役有人父母現在者福楽百年︒ 若已亡セ 世父母生天︒自在化生 人天華 北 ︒ 受 無量快楽︒ 持仏 勅 十方衆僧︒智光 為 施主 家 呪願 七 世父母︒ 行 禅定意 然後 受食︒ 切愛盆暗先安 在 仏塔
前 ︒衆僧呪願意︒便宮受食︒ 爾時目連比丘反比大会大菩薩 衆 ︒ 皆 大歓喜︒両目連 悲蹄 江戸 釈
然除滅 ︒居待目連 其母 ︒ 即 船足 日 得脱一軸餓鬼 之苦 ︒ 爾時目連復白仏言︒弟子所生欠
ほ ︒ 得蒙 三宝功徳志力︒衆僧戒 伸之 力故 ︒ 若 未来世一切仏弟子 行 孝順者赤麻 奉此孟 南蛮 救度現
在 父母乃至 七 世父母︒ 為可爾不 ︒仏言︒大書快 聞 ︒ 我 五欲 説 ︒ 政令 復問 ︒善男子︒若布比丘 比 仏勅 衆僧︒ 当為施主
家士世父母︒
行 禅定意 然後食此供 ︒ 和羅 ︒真清浄戒聖衆左道具徳
江津︒共存供養此等 と衆 ︒
セ 世父母五種親展︒
得|
世 二 一堂
解脱衣食自然︒1
応時65@ (373)
以上が﹁
倍 あって ︑
両経 の 太 丘尼 ︒国王太子王子大臣宰相︒
二 一公百官万民庶人︒行幸 悪 者︒
菅麻為所生現在父母︒過去 セ世
父母︒ 於 七月十五日︒ 仏 歓喜 目
︒僧官 恐日 ︒ 以 百味飲食 安 霊菌
ゑ申 ︒ 施 十方自 恐僧 ︒ 乞願 便便
現在父母寿命百年無病︒ 無 一切
苦悩玄恵︒乃至 七 世父母艦餓鬼
苦 ︒ 得 生天人中福楽無極︒佐吉
諸善男子善女人足仏弟子 修 孝順
者︒ 応 念念中帯 憶 父母供養乃至
セ 世父母︒年年七月十五日︒ 常
以 孝順 慈 億所生父母︒乃至 七世
ゑ母偽作霊菌 盆施仏 度僧︒ 以報
分母 長養 慈愛左思︒若一切仏前
子 ︒ 広 重奉持碁 法 ︒ 目連比丘︒友一切衆︒ 爾時目連比丘︒ 四輩 弟子︒ 聞仏
歓喜奉行︒
玉蘭 盆経 ﹂と﹁報恩 奉盆経 ﹂の全文である︒ 分 所説歓喜奉行︒
量からいえば﹁ 孟蘭盆経 ﹂が﹁報恩 奉盆経 ﹂
大正大蔵経では前者が二段︑後者が一段におさ められている︒
文を見てまず気づくことは︑その全体が酷似し ていることであろう︒ことに﹁報恩 奉盆経 ﹂ は ﹁ 孟蘭盆経 ﹂ のちょうど 二
(374) 66
察しよう︒﹁ に 経の本文比較だけから 孟蘭盆経 ﹂⑤
盆 の 前半中に︑ほとんどそのままの形で発見される ﹁ 孟蘭盆経 ﹂の後半の部分は︑﹁報恩 奉盆経 ﹂に欠けているが︑ ﹁ 孟蘭盆経 ﹂の前半と後半はほぼ同じ内容を重複 して述べてあるから︑その重複部分を欠いても ゴ報恩奉公 経 ﹂は これだけで首尾一貫した経典 と 見なすことができ る ︒ さらに詳細に両経の内容や表現を観察して
い く と ︑﹁開元銀﹂等のいう同本 異 訳読 は 根本的に成 立しえないことが
と 記して︑﹁玉蘭 盆経 ﹂の 異 訳経であることを 否定したのである︒この経は現存しているのでそ の 本文に と ︑分量は約一段︑内容は阿難の間により︑ 仏 滅後四月八日とセ児十五日に斉会を設くべきこと を説いた る ︒同法軽銀﹂以下の経 録 がこれを 異 訳経と 見 なしたのは・恐らく経文中の七月十五日という 語 句 にひき からであろう︒﹁開元銀﹂がこれを 異 訳経から 削 除して独立の単経に編入したのほ賢明な処置で あった︒
場合にも三宝 紀ヒの デタラメな訳者査定を無 批判に継承して竺法護 訳 としたことが惜しまれる
以上の考察によって︑﹁ 孟蘭盆経 ﹂ ほ 本来一回 しか翻訳されることがなかったこと︑﹁報恩奉公 経 ﹂は ついてみる ものであ まめされた ただしこの 恐らくの
ち
般泥 直後 濯騰経 一巻㌫ 鰯榊 乱山西晋三蔵色法護 訳
石化 濯臓経 大周等 録皆為 重訳 云与 霊菌 盆 経専 同 木具訳者謹也 今 詩文典故 為 単衣︐︵ ︐ ︶
る 一つのヒントにならないであろうか︒﹁憎相 録 ﹂と﹁ 法経 録しの隔たりは約百年あるから︑ 経 録の記載に即して 素 直に考えれば・﹁ 孟 南蛮 経 ﹂の方がさきに存在 し ︑のちに﹁報恩 奉盆経 ﹂ができたということに なる︒またこれら 二 っ の経題はど う 考えたらよいか︒﹁ 孟蘭盆経 ﹂ の 本文中に 孟蘭盆 とい︐ ユ 二ロ葉は二回現れているか ら ︑﹁ 孟蘭盆経 ﹂と い う 経題が附せられてもさして不自然ではない︒ しかし﹁報恩 奉盆経 ﹂の方は経の本文にこれに 相当する語句が見 ぃ だされないばかりでなく︑ 経 全体の主旨とも 相 容れないものである︒このことは﹁報恩 奉盆経 ﹂ の 成立が﹁ 孟蘭恋経 ﹂ より遅いことを暗示するものではなかろうか︒ 以 上 ︑二つの理由から﹁ 孟蘭盆経 ﹂の方が古く ︑ 原型に近いと推定しこ 主八 ︑︒ ︑Ⅴ
録 ﹂から﹁大周 録 ﹂にいたる諸経 録は ︑﹁ 濯騰経 ﹂という経典をも ﹁ 孟蘭盆経 ﹂の 異 訳経とし︑﹁報恩 奉盆経 ﹂を 合 わせて三径同本 異訳 として記載している︒もと もとこの経は コ僧祐 録ヒの ﹁失調 雑経録 ﹂にあったもので︒ ︵︒︶ i , 恐らく︐ ﹁ 孟蘭盆経 ﹂と同じ頃に成立したものであろう︒ ところが︑﹁開元銀 ヒ
はこの経について
C 376) 68
く ︑当時玉蘭盆供の儀式や供物に関していろい ろ 議論があったらしく︑その質問に答える典拠 と して部分的に紹介さ れているにすぎない︒しかし現在の蔵経には 欠 けていて︑われわれには知られなかった種類の﹁ 孟蘭盆経 ﹂が掲載さ れているので︑その点に任目したい︒ここに 引 かれた経は﹁小盗報恩 経 ﹂と﹁大禁浄土 経 ﹂の 二 つである︒前者は
﹁小変 経 ﹂︑後者 は ﹁大金 経 ﹂とも略称されてい る ︒その内容を見るに・﹁ 小盆 報恩 経 ﹂は現存 の ﹁ 孟蘭盆経 ﹂と 同 一であることは︑引用された箇所がごく小部分で あるにもかかわらずきわめて明白である︒
大変 経 ﹂の名で引用きれている 現 蔵経中に存しな い逸存経 である︒本文を 的
握法 ︒将来献体度僧︒一見 之鏑盆 ロ [ ︒五百 いれ 睡 ㍗ 錬盆 聞 ︒五百瑠璃 仏説目連救民 盆 ︒五百 脱 王勃餓鬼 輯探盆
銀針︒ 盛 満干色白木香︒五百瑠璃 鉢 ︒ 盛 満干色素 余香︒五百 碑瑛鉢 ︒ 盛満
69 (377)
ず 散逸してしまった古い経典も豊富に引用され ているので︑訳経史研究上︑貴重な資料の一つに 数えられている︒ と ‑ 仁 t ・︶ ころでこの 春 第六十二に︑﹁ 孟蘭盆経 ﹂の引用が 見 いだされる︒もちろん全文を引用するのが 日 的 だったのではな に ﹁ 孟蘭盆経 ﹂より 抜奉 されてできたこと︒﹁ 濯腱経 ﹂ ほ 成立したのは﹁ 孟蘭盆経 ﹂と同じく
﹁ 孟蘭盆経 ﹂㌻は関係のない独立の一緒であった ことがほぼ明らかとなった 0
一 一
次に司法苑珠林﹂の中に収録された﹁ 孟蘭盆経 ﹂について考察を進めたい︒司法苑珠林し一
よって十年の歳月を費して編纂されたといわれ︑ その中にほかって存在したが何らかの理由で らい古いが︑もともと 00 巻は唐代の道世に
現在の蔵経に蒐集され
千包黄蓮華︒五百 塙磯鉢 ︒ 盛 満干 色赤 蓮華︒ 五 百 珊瑚 鉢 ︒ 盛 満干白青木香︒五百 現拍鉢 ︒ 盛 満干 色白蓮華︒正視 如 法 ︒即効 兵 巨巌 駕 十四万象︒慎到 砥 直手︒ 礼仏 奉盆 度僧︒ 以セ宝 金鉢 倶 施与 仏度 僧︒受用意︒ 還 駕 帰国︒ 七 世父母
超過七十二胡生死亡 罪 ︒
英次須達居士︒民会 怯母 ︒二百優婆夷︒波斯匿 壬 末利夫人等︒ 頒宣 国内︒ 依 目連盃洗 為 善道 盆 ︒ を用 五百紫金 盃黄 金盃︒ 盛満 百一味飲食︒後 以 五百紫金 輿 ︒五百 黄金 輿 ︒ 盛満 百一物︒事実具足︒ 遂 至正波夫人前 ︒ 見其 如法︒時正 即以厳駕 ︒十八万来 共至 仏前︒ 奉 千金 盃 千金 輿 尊覧︒敬礼遣帰︒ 七 世父母超過七十二幼生死友 罪 以上が﹁法苑珠林し所引の全文である︒その内 容は ︑ 瓶沙王 ︑須達居士︑波斯匿三 % 利夫人等が 目連の盆 法 によ って五百の金 盃 等を造り︑仏及び僧に施与し︑ そ の 功徳によって 七 世の父母の罪を滅したとなす ﹁ 依 目連索 法 ﹂と あって﹁玉蘭 盆経 ﹂の目連歌母の説話を予想し た 語句があるから︑おそらく﹁ 孟蘭盆経 ﹂よりか なり後の成立であろ ぅと 考えられるが︑この資料だけからはそれ 以 上の推論は不可能である︒
一方︑パリ国民図書館に所蔵されている ペ リオ 蒐 集 の 敦煙 本の中に﹁浄土 孟 南蛮 経 ﹂︵ペリオ 杢一 一八五日こがある︒ n 的 ︶ この ペ リオ本については︑かつて本田義 英 博士が その大要を紹介された︒また今日では東洋文庫 の敦埋 出土文献の で イクロフィルムによって︑全容を知ることができ る ︒分量は一行十七字で二十四行の字 詰 のもの 五紙︑欠落のない 完
全な 写本である︒
この﹁浄土玉蘭 盆経 ﹂の内容を調べてみると︑面 白いことに︑この経の中にはさきに全文をあげ た ﹁大変浄土 経 ﹂ と 完全に一致する箇所が発見される︒それが 単 なる字句や表現の類似ではなくて︑ 逐語 的に一致 するから︑ペリオ 本 の ﹁浄土霊菌 盆経 ﹂とコ法苑珠林﹂に引用され た ﹁大公浄土 経 ﹂は︑もともと同一 経 であったこ とは間違いない︒ し てみれば︑ 現 蔵経に収められてはいないが︑ 現 存の ﹁ 孟蘭盆経 ﹂とは別種の﹁ 孟蘭盆経 ﹂がかつ て 存在していたこと
が︑ 二つの側面から証明されたことになる︒