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ドキュメント内 『宗教研究』178号(37巻3輯) (ページ 63-72)

   渋苦  護  がて  し見  の  関 

       

  

  

  

  

  

ト種 

  

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一 

。 

  

見 飲食 反 骨 連柱 ︒目連悲哀︒ 即 

鈴鹿 飯往銅其母 ︒ 母 待針 飯 ︒ 便 

以 左手 障飯 右手捕食︒ 食未 入口 

化成火 炭遂 不行金︒目連大町 悲 

号嘩泣 ︒ 馳還 自体︒具陳如此︒ 

仏言︒ 波風罪根深 結 ︒ 非汝 

一人力 所 奈何︒ 汝 雅孝順 声 動天 

地 ︒天神地神邪魔外道︒道士 四 

天王 神 ︒ 亦 不能奈何︒占領十方 

衆僧戒伸之 力 ︒刀狩解脱︒ 五 ロム﹁ 

ぎ説 救済 法︒合一切 難皆離憂 

苦 ︒ 

伝吉目連︒十方衆僧七月十五日 

僧官 悉時 ︒当為 七 世父母︒ 及現 

在 父母厄難中音︒ 

具飯 

百味 五 

果汲渚 金器︒香油 錘燭 床敷臥具 | 

︒ 尽世 甘美咲 著盆中 ︒供養十方 

大徳衆僧︒当地 之日 ︒一切聖衆 

或在 山間禅定︒ 成得 四道果︒ 或 

樹下経行︒戎エハ通自在︒教化 

声聞縁覚︒ 或 十地菩薩大人権現 

比丘︒ 在 大衆中 皆 同一心受 鉢  当須 

衆僧戒伸之 力 ︒ 乃得 解脱︒昔今 

当説 救済芝浜︒合一切 難皆離憂 

苦 ︒ 

佐吉目連︒ セ月 十五日 

当為 七 世父母︒ 在 厄難牢者︒ 具 炒飯 五 

果汲濯盆器 ︒香油 錘燭 床場臥具 

︒ 尽世 甘美 咲 供養 

衆僧︒当地乞目︒一切聖衆 

或 佳山間禅定︒ 或得 四道果︒ 或 

樹下経行︒ 或得 六通飛行︒教化 

菩薩大人権 示| 声聞縁覚︒ 

比丘︒ 在 大衆中 昔 

共同心受 

鉢  見 飲食反骨 連柱 ︒目連悲哀︒ 即 

鉢盛 散在 輌 異母︒ 母得鉢飯 ︒ 便 

以 左手 障飯 右手捕食︒ 食未 入口 

化成火成送本 得食 ︒目連 

馳 遠目 仏 ︒具陳如此︒ 

仙台目連︒牧民罪根深 

非汝| 

結 ︒ 

一人力 所 奈何︒ 

(372)@  64 

黄繭 盆経 類の訳経史的考察 

和羅飯 ︒ 具 清浄戒聖衆文道其 彼 江洋 ︒共有供養此等 

自恐 

僻者︒ 

現在父母 セ 世父母六種親展︒ 得 坦三途 之苦応時 解脱衣食自然︒ 

若役有人父母現在者福楽百年︒ 若已亡セ 世父母生天︒自在化生 人天華 北 ︒ 受 無量快楽︒ 持仏 勅 十方衆僧︒智光 為 施主 家 呪願 七 世父母︒ 行 禅定意 然後 受食︒ 切愛盆暗先安 在 仏塔 

前 ︒衆僧呪願意︒便宮受食︒ 爾時目連比丘反比大会大菩薩 衆 ︒ 皆 大歓喜︒両目連 悲蹄 江戸 釈 

然除滅 ︒居待目連 其母 ︒ 即 船足 日 得脱一軸餓鬼 之苦 ︒ 爾時目連復白仏言︒弟子所生欠 

ほ ︒ 得蒙 三宝功徳志力︒衆僧戒 伸之 力故 ︒ 若 未来世一切仏弟子 行 孝順者赤麻 奉此孟 南蛮 救度現 

在 父母乃至 七 世父母︒ 為可爾不 ︒仏言︒大書快 聞 ︒ 我 五欲 説 ︒ 政令 復問 ︒善男子︒若布比丘 比  仏勅 衆僧︒ 当為施主 

家士世父母︒ 

行 禅定意 然後 

食此供 ︒  和羅 ︒真清浄戒聖衆左道具徳 

江津︒共存供養此等 と衆 ︒ 

セ 世父母五種親展︒ 

得| 

世 二 一堂 

解脱衣食自然︒1 

応時 

65@  (373) 

  

以上が﹁ 

倍 あって ︑ 

両経 の 太  丘尼 ︒国王太子王子大臣宰相︒ 

二 一公百官万民庶人︒行幸 悪 者︒ 

菅麻為所生現在父母︒過去 セ世 

父母︒ 於 七月十五日︒ 仏 歓喜 目 

︒僧官 恐日 ︒ 以 百味飲食 安 霊菌 

ゑ申 ︒ 施 十方自 恐僧 ︒ 乞願 便便 

現在父母寿命百年無病︒ 無 一切 

苦悩玄恵︒乃至 七 世父母艦餓鬼 

苦 ︒ 得 生天人中福楽無極︒佐吉 

諸善男子善女人足仏弟子 修 孝順 

者︒ 応 念念中帯 憶 父母供養乃至 

セ 世父母︒年年七月十五日︒ 常 

以 孝順 慈 億所生父母︒乃至 七世 

ゑ母偽作霊菌 盆施仏 度僧︒ 以報 

分母 長養 慈愛左思︒若一切仏前 

子 ︒ 広 重奉持碁 法 ︒ 目連比丘︒友一切衆︒ 爾時目連比丘︒ 四輩 弟子︒ 聞仏 

歓喜奉行︒ 

玉蘭 盆経 ﹂と﹁報恩 奉盆経 ﹂の全文である︒ 分  所説歓喜奉行︒ 

量からいえば﹁ 孟蘭盆経 ﹂が﹁報恩 奉盆経 ﹂ 

大正大蔵経では前者が二段︑後者が一段におさ められている︒ 

文を見てまず気づくことは︑その全体が酷似し ていることであろう︒ことに﹁報恩 奉盆経 ﹂ は ﹁ 孟蘭盆経 ﹂  のちょうど 二 

(374)   66 

    

察しよう︒﹁ に 経の本文比較だけから  孟蘭盆経  ﹂⑤ 

    

   盆  の 前半中に︑ほとんどそのままの形で発見される  ﹁ 孟蘭盆経  ﹂の後半の部分は︑﹁報恩  奉盆経  ﹂に欠けているが︑  ﹁ 孟蘭盆経  ﹂の前半と後半はほぼ同じ内容を重複  して述べてあるから︑その重複部分を欠いても  ゴ報恩奉公  経 ﹂は  これだけで首尾一貫した経典  と 見なすことができ  る ︒  さらに詳細に両経の内容や表現を観察して 

い く と ︑﹁開元銀﹂等のいう同本  異 訳読 は 根本的に成  立しえないことが 

        

  と 記して︑﹁玉蘭 盆経 ﹂の 異 訳経であることを 否定したのである︒この経は現存しているのでそ の 本文に  と ︑分量は約一段︑内容は阿難の間により︑ 仏 滅後四月八日とセ児十五日に斉会を設くべきこと を説いた  る ︒同法軽銀﹂以下の経 録 がこれを 異 訳経と 見 なしたのは・恐らく経文中の七月十五日という 語 句 にひき  からであろう︒﹁開元銀﹂がこれを 異 訳経から 削 除して独立の単経に編入したのほ賢明な処置で あった︒ 

場合にも三宝 紀ヒの デタラメな訳者査定を無 批判に継承して竺法護 訳 としたことが惜しまれる    

以上の考察によって︑﹁ 孟蘭盆経 ﹂ ほ 本来一回 しか翻訳されることがなかったこと︑﹁報恩奉公 経 ﹂は  ついてみる ものであ まめされた ただしこの 恐らくの 

ち 

般泥  直後  濯騰経  一巻㌫  鰯榊  乱山西晋三蔵色法護  訳 

石化  濯臓経  大周等  録皆為  重訳  云与  霊菌  盆  経専  同  木具訳者謹也  今  詩文典故  為  単衣︐︵  ︐ ︶ 

る 一つのヒントにならないであろうか︒﹁憎相 録 ﹂と﹁ 法経 録しの隔たりは約百年あるから︑ 経 録の記載に即して 素  直に考えれば・﹁ 孟 南蛮 経 ﹂の方がさきに存在 し ︑のちに﹁報恩 奉盆経 ﹂ができたということに なる︒またこれら 二  っ の経題はど う 考えたらよいか︒﹁ 孟蘭盆経 ﹂ の 本文中に 孟蘭盆 とい︐ ユ 二ロ葉は二回現れているか ら ︑﹁ 孟蘭盆経 ﹂と  い う 経題が附せられてもさして不自然ではない︒ しかし﹁報恩 奉盆経 ﹂の方は経の本文にこれに 相当する語句が見 ぃ  だされないばかりでなく︑ 経 全体の主旨とも 相 容れないものである︒このことは﹁報恩 奉盆経 ﹂ の 成立が﹁ 孟蘭恋経 ﹂  より遅いことを暗示するものではなかろうか︒ 以 上 ︑二つの理由から﹁ 孟蘭盆経 ﹂の方が古く ︑ 原型に近いと推定し 

こ 主八 ︑︒ ︑Ⅴ 

  録 ﹂から﹁大周 録 ﹂にいたる諸経 録は ︑﹁ 濯騰経 ﹂という経典をも ﹁ 孟蘭盆経 ﹂の 異 訳経とし︑﹁報恩 奉盆経 ﹂を 合 わせて三径同本 異訳 として記載している︒もと もとこの経は コ僧祐  録ヒの ﹁失調 雑経録 ﹂にあったもので︒ ︵︒︶ i , 恐らく︐ ﹁ 孟蘭盆経 ﹂と同じ頃に成立したものであろう︒ ところが︑﹁開元銀 ヒ 

はこの経について 

C  376)   68 

く  ︑当時玉蘭盆供の儀式や供物に関していろい  ろ  議論があったらしく︑その質問に答える典拠  と  して部分的に紹介さ  れているにすぎない︒しかし現在の蔵経には  欠  けていて︑われわれには知られなかった種類の﹁  孟蘭盆経  ﹂が掲載さ  れているので︑その点に任目したい︒ここに  引  かれた経は﹁小盗報恩  経  ﹂と﹁大禁浄土  経  ﹂の  二  つである︒前者は 

﹁小変  経  ﹂︑後者  は  ﹁大金  経  ﹂とも略称されてい  る  ︒その内容を見るに・﹁  小盆  報恩  経  ﹂は現存  の  ﹁ 孟蘭盆経  ﹂と  同  一であることは︑引用された箇所がごく小部分で  あるにもかかわらずきわめて明白である︒ 

  

大変  経  ﹂の名で引用きれている  現  蔵経中に存しな  い逸存経  である︒本文を  的 

握法  ︒将来献体度僧︒一見  之鏑盆  ロ  [  ︒五百  いれ  睡  ㍗ 錬盆  聞  ︒五百瑠璃  仏説目連救民  盆  ︒五百 脱  王勃餓鬼  輯探盆 

    

  

銀針︒  盛  満干色白木香︒五百瑠璃  鉢  ︒  盛  満干色素  余香︒五百  碑瑛鉢  ︒  盛満    

69  (377) 

ず 散逸してしまった古い経典も豊富に引用され ているので︑訳経史研究上︑貴重な資料の一つに 数えられている︒ と ‑ 仁 t ・︶ ころでこの 春 第六十二に︑﹁ 孟蘭盆経 ﹂の引用が 見 いだされる︒もちろん全文を引用するのが 日 的 だったのではな  に ﹁ 孟蘭盆経 ﹂より 抜奉 されてできたこと︒﹁ 濯腱経 ﹂ ほ 成立したのは﹁ 孟蘭盆経 ﹂と同じく 

﹁ 孟蘭盆経 ﹂㌻は関係のない独立の一緒であった ことがほぼ明らかとなった 0 

一 一 

次に司法苑珠林﹂の中に収録された﹁ 孟蘭盆経 ﹂について考察を進めたい︒司法苑珠林し一 

よって十年の歳月を費して編纂されたといわれ︑ その中にほかって存在したが何らかの理由で  らい古いが︑もともと 00 巻は唐代の道世に 

現在の蔵経に蒐集され 

  

  

千包黄蓮華︒五百 塙磯鉢 ︒ 盛 満干 色赤 蓮華︒ 五 百 珊瑚 鉢 ︒ 盛 満干白青木香︒五百 現拍鉢 ︒ 盛 満干 色白蓮華︒正視 如  法 ︒即効 兵 巨巌 駕 十四万象︒慎到 砥 直手︒ 礼仏 奉盆 度僧︒ 以セ宝 金鉢 倶 施与 仏度 僧︒受用意︒ 還 駕 帰国︒ 七 世父母 

超過七十二胡生死亡 罪 ︒ 

英次須達居士︒民会 怯母 ︒二百優婆夷︒波斯匿 壬 末利夫人等︒ 頒宣 国内︒ 依 目連盃洗 為 善道 盆 ︒ を用 五百紫金 盃黄  金盃︒ 盛満 百一味飲食︒後 以 五百紫金 輿 ︒五百 黄金 輿 ︒ 盛満 百一物︒事実具足︒ 遂 至正波夫人前 ︒ 見其 如法︒時正  即以厳駕 ︒十八万来 共至 仏前︒ 奉 千金 盃 千金 輿 尊覧︒敬礼遣帰︒ 七 世父母超過七十二幼生死友 罪    以上が﹁法苑珠林し所引の全文である︒その内 容は ︑ 瓶沙王 ︑須達居士︑波斯匿三 利夫人等が 目連の盆 法 によ  って五百の金 盃 等を造り︑仏及び僧に施与し︑ そ の 功徳によって 七 世の父母の罪を滅したとなす ﹁ 依 目連索 法 ﹂と  あって﹁玉蘭 盆経 ﹂の目連歌母の説話を予想し た 語句があるから︑おそらく﹁ 孟蘭盆経 ﹂よりか なり後の成立であろ  ぅと 考えられるが︑この資料だけからはそれ 以 上の推論は不可能である︒ 

一方︑パリ国民図書館に所蔵されている ペ リオ 蒐 集 の 敦煙 本の中に﹁浄土 孟 南蛮 経 ﹂︵ペリオ 杢一 一八五日こがある︒ 的 ︶ この ペ リオ本については︑かつて本田義 英 博士が その大要を紹介された︒また今日では東洋文庫 の敦埋 出土文献の で  イクロフィルムによって︑全容を知ることができ る ︒分量は一行十七字で二十四行の字 詰 のもの 五紙︑欠落のない 完 

全な 写本である︒ 

この﹁浄土玉蘭 盆経 ﹂の内容を調べてみると︑面 白いことに︑この経の中にはさきに全文をあげ た ﹁大変浄土 経 ﹂  と 完全に一致する箇所が発見される︒それが 単 なる字句や表現の類似ではなくて︑ 逐語 的に一致 するから︑ペリオ 本  の ﹁浄土霊菌 盆経 ﹂とコ法苑珠林﹂に引用され た ﹁大公浄土 経 ﹂は︑もともと同一 経 であったこ とは間違いない︒ し  てみれば︑ 現 蔵経に収められてはいないが︑ 現 存の ﹁ 孟蘭盆経 ﹂とは別種の﹁ 孟蘭盆経 ﹂がかつ て 存在していたこと 

が︑ 二つの側面から証明されたことになる︒ 

  

ドキュメント内 『宗教研究』178号(37巻3輯) (ページ 63-72)

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