第 4 章 新しい自由主義
3. 新しい自由主義と議会制民主主義
3.2. 議会と熟議
これまでの結果を踏まえて、最後に、メルロ=ポンティが議会制民主主義を最適な政体と して考えるようになる理由をまとめてみよう。
メルロ=ポンティは、『ヒューマニズムとテロル』において、「歴史は、人間的共存の論理 のようなものが存在するのでない限り、意味を持たない」と述べていた。それは、メルロ=
ポンティが、人間の共存には暴力が不可避なのであり、かかる人間の共存という政治的問題 を道徳や倫理に訴えかけることで解決することが不可能だと考えていたからである。つま り、歴史には「無階級社会」という意味=方向があるおかげで、歴史においては最終的に人 間の共存という政治的問題を解決できると考えられていたのである。もっとも、そこに至る には人間の実践が不可欠であり、「無階級社会」を創出する革命的暴力をメルロ=ポンティ は肯定するのだ。
メルロ=ポンティは、マルクス主義の歴史哲学を放棄したのちも、人間の共存という課題 を放棄したわけではなかった。そして、メルロ=ポンティは、マルクス主義とは別の仕方で この課題に取り組もうとしていたのであり、そのとき手がかりを見出したのがマキャベリ だったのである。マキャベリによれば、権力は世論によって正しいものであると見られなけ ればならないのであり、メルロ=ポンティにとって民主主義とはこのような世論によって 権力の正当性が担保される政治体制を指していた。そして、「政治」とは権力を創出するこ とで人間の共存を作り出す制度だったのである。この制度には、目的となる理想的な共存の 状態があるのだが、それはマルクス主義のようにあらかじめ目標として定められているの ではないし、決してその状態へは到達できないのである。それゆえ、「政治」という制度に おいては、不断に正当な権力を創出しながら漸進することしかできないのであるが、それは 希望のない状況ではない。「政治」という制度がある限り、私たちは少なくとも目的へと発 展しているのである。
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そして、政治家は、芸術家と同じようにこの目的へと人々を導くことができなければなら ない。しかし、どんな優れた政治家であっても得られるのは、「暫定的例証」に過ぎず、彼 の判断が誤りだったということはあり得る。上記のように、メルロ=ポンティは、本質直観 は常に素朴さを含んでおり誤謬の可能性があるものではあるが、しかしそれは決して私た ちの欠陥ではないと考えている。そうだとすれば、政治家が捉える歴史についての「暫定的 例証」が誤謬の可能性を含んでいるとしても、それは問題ではない。むしろ、必要となるの は他者との対話であり、対話をとおして真理へと接近していくことなのである。
『弁証法の冒険』の終章において、メルロ=ポンティは、新しい自由主義を主張し、議会 制民主主義を擁護するようになるが、ここでの自由主義とは、メルロ=ポンティが1940年 代に批判していたような自由主義が持つ楽天的な哲学に戻ることを意図しているのではな い。彼は、議会政治を支持する理由について次のように述べる。
議会的・民主的行動の限界ということについて言えば、制度に由来するような限界があ るがこれは受け入れなければならない。なぜなら〈議会〉は、最小限の反対派と真理と を保証してくれる、これまで知られた唯一の制度だからである。また、議会の運用と術 策に由来する他の限界もあるが、これはいかなる尊敬にも価しない。しかしそれらの限 界は〈議会〉そのものにおいて告発されることが可能である。議会のまやかしは真の問 題を立てないこと、あるいは歪んだ形でしか立てないこと、あるいはあまりに遅くしか 立てないことにある。(AD: 331/311)
議会とは、まさに学問的実践と同様に「最小限の反対派と真理」を保証してくれる制度なの である。前節で述べたように、政治家に必要とされる能力とは、「歴史の兆候を読み取る能 力」であり、歴史によって求められるものを「暫定的例証」として直観することができてい なければならない。しかしながら、どんなに優れた政治家であっても、あくまでも直観され るものは暫定的で誤謬の可能性があるのであり、それを真理へと近づけてくれるのが議会 における熟議である。それゆえに、議会は「最小限の真理」を保証してくれるのだ。
ただし、メルロ=ポンティは、ただ議会が存在し、そこで意見の交換を行えば、正しい結 論が導き出されると考えているわけではない。議会には「まやかし」があり、政治家たちは 自分たちに都合の悪い「真の問題を立てないこと、あるいは歪んだ形でしか立てないこと、
あるいはあまりに遅くしか立てないこと」が常にあるのだ。だからこそ、必要なのは熟議で あり、反対派がいる緊張感の中での真剣な討論なのだ。そのために、新しい自由主義では、
「自らの宇宙そのもののなかに、自分に異議を申立てるものを入れこむ」(AD: 330/310)の であり、常に批判に開かれることを求めるのである。議会における議論には、痛いことを告 げてくれる反対派が必要なのであり、常に反対派が存在することは真理を保証することで もあるのだ。
かくして、メルロ=ポンティは、政治家たちの熟議が担保される議会制民主主義こそが最 良の政治体制だと結論づけているのである。
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おわりに
最後に、これまでの議論をまとめたうえで(1)、そこから明らかになった今後の課題を示 しておきたい(2)。
1. まとめと結論
最初に記しておいたように、本論文では『ヒューマニズムとテロル』(1947年)から『弁 証法の冒険』(1955年)にかけてのメルロ=ポンティの政治哲学の変化に関して、以下のよ うな解釈を提示することが目的となっていた。
(1)『知覚の現象学』(1945年)にはメルロ=ポンティの社会理論が粗描されている。
(2)『ヒューマニズムとテロル』をはじめとした1940年代のメルロ=ポンティの政治的著 作は、(1)の社会理論に基づいて展開されているが、歴史理論に関してはかかる理論か ら逸脱し、マルクス主義の歴史哲学を援用している。
(3)(2)の歴史理論の問題点は(1)の社会理論の不完全さに一因がある。かかる不完全さ は1950年代の制度化論によって克服され、歴史は制度化の過程として捉えられるよう になる。
(4)(3)の結果として、『弁証法の冒険』では、新しい自由主義を主張し、議会制民主主義 が最適な政治体制であるとメルロ=ポンティは考えるようになる。
本論文では、第1章において、上記の(1)に答えた。『知覚の現象学』では、あくまでも主 題となっているのは知覚や身体なのであるが、その記述からは2つの社会理論、すなわち知 覚をモデルとした社会規範に関する理論と表現をモデルとした社会変動論を読み取ること ができたのである。
また、第2章では、(2)で述べられているように、『ヒューマニズムとテロル』といった 政治的著作において上記の 2 つの社会理論がどのように展開されているのかを明らかにし た。結果として、政治指導者(革命家)の政治的行為を語る場面では社会変動論、人間たち の共存と闘争を語る場面では社会規範に関する理論が用いられていることが分かった。そ の一方で、メルロ=ポンティは、人間の共存という政治的問題の解決を「無階級社会」とい う歴史の成熟点を設定するマルクス主義の歴史哲学に託していた。
続いて、第3章で取り組んだのは(3)についてである。メルロ=ポンティの社会理論は、
制度の分析を欠いていたため、主観的な分析にとどまり、2つの社会理論を統合することが できていなかった。その結果として、メルロ=ポンティの社会理論は、社会を一連の歴史的 な過程として捉えることができなかったのである。しかし、かかる問題点は、制度化論によ って2つの社会理論が統合されることで解消される。歴史は、制度化の過程として捉えられ るようになったのである。
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最後に、第4章は(4)に対応していた。メルロ=ポンティは、歴史を制度化の過程とし て捉えることで、「無階級社会」という歴史の目的を設定することはできなくなった。最終 的に、このような状況の中で、人間の共存を可能にできる最善の政体を議会制民主主義にメ ルロ=ポンティは見出したのである。
2. 今後の課題
最後に、今後の課題として以下の2点を述べる。
(1)後期のメルロ=ポンティの政治哲学
まず、本論文では、メルロ=ポンティの後期の著作については扱うことができなかった。
メルロ=ポンティは、突然の死もあって、『弁証法の冒険』以降のまとまった政治的著作を 残してはいない。もっとも、『見えるものと見えないもの』をはじめとした後期の存在論か ら政治哲学的な着想を見出している研究も少なくない。例えば、「肉(chair)」という概念で ある。マルティン・プロット(Plot 2012)は、この概念によってメルロ=ポンティの後期の 政治哲学を民主主義の政治哲学として解釈しようとしている。(2)の後世への影響を射程に 入れるならば、メルロ=ポンティの後期の政治哲学を研究することは必須となるだろう。
(2)後世への影響
また、弟子のクロード・ルフォールやルフォールの盟友であったコルネリュウス・カスト リアディスへメルロ=ポンティが与えた影響は、現代のフランスの政治哲学を理解するう えで重要となるだろう。宇野(2004, 2008)が言うように、ルフォールとカストリアディス は、さらにマルセル・ゴーシェやピエール・マナンなどに影響を与えており、現代のフラン ス政治哲学の一大潮流となっている。この源流に位置しているメルロ=ポンティの政治哲 学とそのルフォールやカストリアディスへの影響を明らかにすることは大きな意義を持つ はずである。
以上の2点の課題は、おそらく相互に絡まり合っているように思える。というのも、メル ロ=ポンティの後期の政治哲学の研究は、メルロ=ポンティの急死により政治哲学が未完 に終わっているため、直接には政治哲学として語っていないものを手がかりとしなければ ならなくなる。それゆえに、ルフォールとカストリアディスは後期のメルロ=ポンティの政 治哲学を探る上での参照軸になるであろう。また、ルフォールとカストリアディスの政治哲 学もまた、宇野が言うように「メルロ=ポンティの政治哲学の実現者」(宇野 2008: 264)と して読まれるべきなのかもしれない。したがって、このような事情を踏まえて、今後の研究 を行っていきたい。