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第 2 章 政治と歴史

1. 自由主義への批判

1.1. 楽天主義の哲学

メルロ=ポンティは、「戦争は起こった」(1945年)において、「楽天主義」の哲学が蔓延 していた戦前のフランスと自身を含めたフランス人たちの状況を次のように回顧している。

この楽天主義の哲学は、人間社会を、常に平和と幸福とに備えている意識の総和に帰し ていたが、実のところこれは、辛うじて戦勝国となった国の産み出した哲学であった。

[…]われわれは強制収容所が存在することを、ユダヤ人が迫害されていることを知っ ていたが、その確信は思考の世界に属していた。われわれはまだ残忍さや死と鼻突き合 わせて生きてはおらず、これを容認するかこれと対決するかの二者択一の状態に置か れたことは一度としてなかった。[…]われわれは例外的な状況が統合されてできた、

平和と経験と自由とが可能となる特定の場所に住んでいたのだが、それが護られるべ き土地であるとは知らなかった。それは人間の自然の分け前〔宿命〕(lot)であるとい うふうに考えていた。[…]子供の頃から自由を行使し、個人生活を生きることに慣れ てきたわれわれが、自由や個人生活は苦労をして手に入れたものであることをどうし て知りえただろうか?自由を持ち続けるためには自由を拘束せねばならぬことをどう して学びえただろうか?われわれは世界を前にした素裸の意識だった。この個人主義 とこの普遍主義が地図の上にその場を持っているということを、どうして知りえただ ろうか?[…]平和な状態で生きるとは、フランスに、またある一つの国家に生きると は、そういうことなのだということをわれわれは知らなかったのである。(SNS: 169–

28 170/203–204)

楽天主義の哲学とは、「人間社会を、常に平和と幸福に備えている意識の総和」とすること で、私たちは互いに自由を侵害することがなく平和な共存ができると考える幻想のような ものである。このような哲学に子供の頃から親しみ、それに浸っていたフランス人にとって、

ユダヤ人の強制収容所があり、ユダヤ人が迫害されているという事実を聴いたとしても、そ れはあくまで思考の中の話であって、現実の問題として深刻に受け止めることができてい なかったのである。

ところで、メルロ=ポンティは、『知覚の現象学』において、スタイル(身体的技能)を 身につけることと特定の社会集団へ帰属することを結びつけていた。つまり、私たちは身体 を持つことによって特定の社会集団に帰属しているのであり、私たちは互いにとって「素裸 の意識」ではなく、互いの自由を侵害することのない自由な個人ではない、ということであ る。メルロ=ポンティは次のように言う。

われわれは、ユダヤ人とかドイツ人とかは存在しない、ただ人間だけが、さらには意識 だけが存在すると考えていた。誰しもいつでも常に新たな自由の中で自分たちのなり たいものとなり、したいことをするよう選んでいるようにわれわれには思われていた。

われわれは理解していなかったのだ、ちょうど役者が、彼の理解を越え、彼の一つ一つ の動作の意味を変えてしまう役割のなかに滑り込んでゆき、彼自身がその産み手でも あるが囚われ人でもあるあの大いなる幻(fantôme)を彼の周囲に連れ歩くように、共 存の中にあるわれわれは誰しも自分が選んだのではない歴史性の背景のもとで他の人 間にたいして姿を現わし、「アーリア人」、ユダヤ人、フランス人、ドイツ人として、、、

(en qualité)他の人間にたいして振舞っているのだということを。意識には、おのれを疎外 しおのれ自身を忘却するという奇妙な力があることを。個人に関しては想像もつかな いようなばかげた憎しみによって意識は外部からは脅かされ内部からはそそのかされ るということを。(SNS: 175/210–211)2

私たちは、自ら意識的に選択していないにもかかわらず、身体的に実存することによってい つの間にか特定の社会集団に帰属してしまっている。このとき、私たちは自分が「誰か」と して「性質づけられている」ということを意識していない。しかしながら、私たちは他者に

2 川崎(2015)は『知覚の現象学』が「性質づけが引き起こしうる暴力的な事態をほとん ど考察していない」(川崎 2015: 67)のに対して、『ヒューマニズムとテロル』や「戦争が 起こった」では「性質づけ」の暴力性の側面が論じられていると指摘している。そして、

「戦争は起こった」のこの引用箇所からは「性質づけ」と脅かされる経験との結びつきに 着目し、次のように述べている。「脅かされる経験においては、個人性の側面が消失し、

単なる性質をもった実存への疎外が生じる。そして、こうした不条理な事態は、お互いに 切り離された個人の中ではなく、敵対を含む『共存』において、つまり『一つの間主体 性』においてのみ起こる。歴史性を帯び、性質づけられた諸々の主体が、対立・相克を伴 いながらも共存せざるをえないこと、これが受肉した意識の宿命であり、社会的な生の本 性なのである」(川崎 2015: 69)。

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対しては常に「誰か」として現われているのであり、私たちはユダヤ人、フランス人、ドイ ツ人になっているのである。

このとき、私は自分の社会集団の一員として、ある種の役割を演じるようにそそのかされ、

他の社会集団に属する他者は私にとって脅威として現われる。つまり、ある社会集団の一員 としての私と別の社会集団の一員としての他者との間には利害の対立が生じるのであり、

私の自由は他者の自由を侵害してしまっているのである。例えば、フランス人としての私と ドイツ人としての他者との間では、ドイツの領土の拡張は前者にとっては不利益になるが、

後者にとっては利益になる。また、メルロ=ポンティは次のような事例を挙げている。

人びとは〔占領下に〕とどまることによって妥協をし、出ていくことによって妥協をし たので、誰一人きれいな手をした者はいないのである[…]。われわれは「純粋道徳」

を忘れ、民衆の健全な不道徳主義を学んだ。道徳的人間は手を汚すことを欲しない。そ れは彼が、自分の肯じられない企てから身を遠ざけてやましくない意識を都合するの に十分な余暇と才能と財産をふつう持っているからだ。民衆にはこの自由がない。自動 車修理工場で働く機械工は、生きようと欲するなら、ドイツ軍の車の修理をすることを 余儀なくされていた。われわれの仲間のある者は、必要とするドイツ哲学の書物を買お うとしてリヴ・ゴーシュ書店に申し込んでいた。夜が明けると、彼は蜂起に参加しドイ ツ軍によって銃殺されてしまった。われわれは世界と混じりあい、世界と妥協しつつ、

世界のなかにある。(SNS: 178–179/215)

自動車修理工は、自らが生きていくためにドイツ軍の車を修理する。だが、彼の行いはドイ ツ軍に抵抗しているレジスタンスの人々に不利益を及ぼしているだろう。あるいは、ドイツ 哲学を勉強している者にとって、ドイツ人の書いた書物を買うということは自分の利益に なることである。しかし、フランス人としての彼にとっては、ドイツ人は敵であり、戦って 倒すべき相手なのであった。つまり、私たちはある社会集団に属し、その一員としてふるま う限り、互いに害を及ぼしているのであり、「誰一人きれいな手をした者はいない」のであ る。それを否定できるのは、「純粋道徳」を奉じる道徳的人間のように、私たちが「世界と 混じりあい、世界と妥協しつつ、世界のなかにある」ことを認めない者だけなのだ。

後の「マルクス主義をめぐって」(1946 年)では、上記のような楽観論に対する批判は、

「純粋道徳」を信じる「民主主義についてのカント的幻想」(SNS: 124/150)に対して行われ ている3。メルロ=ポンティは、次のように述べている。

民主主義的楽観論は、人権が保証されている国にあってはもはやいかなる自由も他の 自由を浸食する(empiète)4ことはないし、自律的かつ理性的主体としての人間の共存 の安全が保障されている、と考える。これは、暴力というものは人類の歴史においてエ ピソードとしてしか出現しないものだし、特に経済的諸関係はおのずから公平と調和

3 山下(2011)はこの「カント的幻想」という概念に着目しながら、メルロ=ポンティの 政治的転回に関する上記のKruks(1989)などの見解を批判的に検討している。

4 Saint Aubert(2004)は、自他の「浸食(empiétement)」という概念を手がかりにして

1940年代のメルロ=ポンティの哲学を読み解いている。