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諸本

ドキュメント内 博士学位請求論文 (ページ 32-42)

1. はじめに

『日本国考略』の初刊本は現存しない。重刊本以降の諸本では、寄語の音注漢字の誤刻 や脱字、衍字などが多く、解読に支障をきたす。そもそも音注漢字は割注の形で項目の見 出しの下に施されている。例えば、

迷南米 明日挨遂 亜失旦 (原文縦書き)

割注が小さいため、読みにくいことは言うまでもない。それだけならば、誤刻や脱字、衍 字などはそれほどひどくならないはずなのだが、こうした音注は日本語の発音を写すもの であり、音注漢字の配列自体が意味とほとんど無関係で、脈絡がない。日本語の知識が皆 無の刻工にとって、本書における「寄語」の部分は無意味な漢字配列でしかなく、さらに それが不鮮明で掠れた字である場合、文脈から推測することは不可能なため、誤刻が誘発 されることは想像に難くない。重刊本及びそれ以降の諸本の編纂に際しては、誤りが一層 ひどくなる。

しかし、諸本に見られる寄語の以上のような誤りはおそらく作業の際に起こる、不可抗 力の理由によるものであり、決して『日本国考略』そのものの、日本語を記録する際の「粗 製濫造」によるものではないということも言っておかなければならない。ほかにも本の破 損、虫食いなどによる諸本の異同も生じている。従って、『日本国考略』の寄語を考察す る際には諸本の詳細な対照が不可欠となる。

そのような状況の中、大友信一1963は『日本国考略』の諸本に対する丹念な考察によ り、大きな成果を残している。また蒋垂東はさらに重刊本以降のものを二三冊紹介した。

筆者がさらに調べたところ、朝鮮本系統のものは見つかったが、重刊本より善い本を見つ けることはできなかった。ただし、諸本及び寄語の再録書は数多く見つかっている以上は、

寄語の校訂において、各本の間の伝承関係を整理する必要があろう。この章では、『日本 国考略』の諸本、及び寄語の再録書の成立、所蔵を述べ、各書の伝承関係を明らかにする。

2. 重刊本の伝承

2.1. 重刊本1530年(明・嘉靖九年)

東洋文庫所蔵の『日本国考略』は、1530 年、寧波府定海縣事王文光によって重刻され た書であり、現存する最古にして、且つ唯一の、明代中国で刊行された単行本であると言 われている。明刊の単行本はこれ以外現存しないため、今までこの重刊本は単に「明刊本」

と呼ばれてきた。しかし、蒋2010の指摘にもあるとおり、『中国古籍善本書目』によれば、

中国の無錫市図書館にも明の重刊本が一冊所蔵されており、版式は「十行十九字白口左右 双辺」とされている。東洋文庫本の版式では十行十九字白口まで一致するが、匡郭が四周 単辺で、無錫市図書館本と異なり、別本のようである。ところで、東洋文庫本に「天文類」

の12「雷」や「身体類」の224「身」、225「目」という項目が重刊本を底本とした『日本 図纂』や朝鮮本などには記されておらず、東洋文庫本以外にも重刊本の別本があることを 裏付けている。残念ながら、無錫市図書館に伺ったところ、本書は破損が甚だしく、閲覧

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できる状態ではないとのことであった。書の修復を待たなければならないが、その存在は 寄語の校訂に重大な意味を持つに違いない。

2.2. 朝鮮本1565年跋(明・嘉靖四十四年)

朝鮮本というのは、朝鮮人が入手した重刊本を、再刻したものである。版本及びその写 本は日本、韓国、中国にも散見される。日本では早稲田大学図書館蔵本、内閣文庫蔵本、

東大史料編纂所蔵本1などの写本がある。韓国では国立中央図書館蔵の写本がある2。また 中国国家図書館は刻本のマイクロフィルムを所蔵している3

朝鮮本は巻末に鈴平府院君尹漑4が書いた嘉靖四十四年(1565)の跋があるのが特徴で ある。その跋によれば、乙卯倭変5を経験した尹漑が朝鮮防衛上の考慮から入手した『日 本国考略』の重刊本を、漢学教授金驥にさらに翻刻させたという。従って朝鮮本は重刊本 の校訂上、重要な版本であると言える。

2.3. 叢書本

重刊本の『日本国考略』は明から清にかけ、数多くの叢書に収められている。知り得る 限りでは以下のものがある。

2.3.1. 『国朝典故』1542年(明・嘉靖二十一年)

明の鄧士龍が編纂した叢書である。この本には三つの版本があり、それぞれは北京大学 図書館蔵刊本、北京図書館藏朱當㴐写本、無名氏写本である。最近では1993年に北京大 学出版社により、その校訂本が出版されているが、寄語の部分には誤植も見られる。『国 朝典故』は『日本国考略』が重刊された12年後に刊行され、朝鮮本よりも早くできあが ったもので、現在、『四庫全書存目叢書』に収められている『日本国考略』はこの版本に よるものである。

2.3.2. 『明鈔五種』(明)

明の写本としては唯一のもので上海図書館にある。著者と制作年はまだ分かっていない が、重刊本王文光の序があり、重刊本の写本であると考えられる6

2.3.3. 『得月簃叢書』1831年(清・道光十一年)

清の栄誉が編集した叢書である。所収の『日本国考略』の序文を見ると、重刊本を転載 したものであることが分かる。ただし、重刊本と異なる箇所も見られる。重刊本では巻頭 に王文光序、鄭余慶引、それから本文という順となっており、本文の冒頭に薛俊による叙 述がある。『得月簃叢書』本では、鄭余慶引、王文光序、その次に薛俊の序、すなわち重 刊本における薛俊の叙述となっており、順序が乱れている。また本書は「寄語略」で終わ っており、重刊本にある「評議略」、「防御略」、「補遺」の部分は見られない。大友はこの 本を端本と見て、その体裁が初刊本の体裁を反映しているという。

「寄語略」においても重刊本と異なるところが多く見られる。特に注意すべきは、重刊 本では漢語の下に割注形式で音注が記されているのに対して、『得月簃叢書』では逆に、

音注を上、漢語を音注の下に並べている。例えば、

27 重刊本: 天天帝

得月簃叢書本: 天帝

とある。それに音注のいくつかは重刊本とは異なる字を使っている。例えば、

重刊本 得月簃叢書本

羊 羊其 揚其

害 天 添

眼 眉眉 梅梅

などがある。これら左右の字は現代北方方言や呉方言では同音字であり、当時もそうであ ったと推定されることから考えて、同音による誤りが生じたものであろう。それについて、

福島1965は『得月簃叢書』の音注を施した人は日本語の分かる人であるとした。そうで あるとすれば、なぜ「眼」の音注「眉眉」を一字に直さなかったかという疑問が残る。

一方、寄語を他の書と照らし合せてみると、誤字の箇所が『国朝典故』本と似ているこ とが分かる。

『国朝典故』本 『得月簃叢書』本 その他の諸本

硯 那俚力子 那俚力子 孫助俚/尊力子

大刀 𤄃四達打柰 𤄃四達打柰 𤄃中撻打柰 快去 活古計 活古計 法古計

昨日 傑妙 傑妙 傑奴

このように、『得月簃叢書』本は『国朝典故』本を底本にしたか、または『国朝典故』本 と同じ底本を使ったかということになる。とにかく、他のものに比べ、以上の特徴を持つ ので、この版本は参考に値する。『得月簃叢書』はその後に『叢書集成初編』に収められ た。

2.4. 類書、寄語の転載書

『日本国考略』の中の「寄語略」が多くの書物に転載されていることは先行文献におい ても紹介されているが、調べたところ、それ以外に数種の文献があった。

2.4.1. 『日本図纂』1561年(明・嘉靖四十年)

明の鄭若曾が編纂した書で、初版は単行本であると思われているが、現在広く流布して いる版本は清康熙三十年(1691)に鄭若曾の五世孫の鄭起泓が再刊した『鄭開陽雑著』に 収められたものである。単行本には中国国家図書館蔵明写本7と日本静嘉堂文庫蔵重鐫本 との二書がある8。大友 1959は、単行本に嘉靖辛酉(1561)夏五月の序があることから、

初刊は1561年に完成されたと推定している。

この書の寄語は「寄語島名」と「寄語雑類」の二部からなり、「寄語雑類」では『日本 国考略』「寄語略」とほぼ同じ語彙が並んでおり、鄭若曾が『日本国考略』の寄語略を転 載したものと考えられる。一方、『日本国考略』にはなかった「寄語島名」には日本令制 国の国名及びいくつかの島名が載せられており、鄭若曾が新たに増補した部分である。

「寄語島名」における日本国名は上下の二段に配列され、五畿七道順に並べられている。

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まず畿内の国名から、東山道の国名までは、十七丁表の上段の右から左へ、それから十七 丁裏の上段、それから十八丁表の上段、というように上段に並べられ、そして西海道の国 名からは、十七丁表の下段に戻り、それから十七丁裏、十八丁表、といった配列の順序で ある。五畿七道に関する記述は本書の「日本紀略」にもあり、編纂者は日本の行政区分が 分かっているはずにも関わらず、なぜかここで順序を誤ったのかという疑問が残る。編集 者が複数いた可能性がある。

その後の『籌海図編』ではその順序をさらに乱して並べてしまった。下に述べる『日本 風土記』における寄語島名も『籌海図編』と同じように順序が乱れている。ここから、『日 本風土記』は『籌海図編』に拠っていることが分かる。

2.4.2. 『籌海図編』1562年(明・嘉靖四十一年)

鄭若曾の著書であり、その成立は嘉靖四十一年(1562)とされ、『日本図纂』よりわず か十カ月後に刊行されたものである。本書は明の歴史において重要な位置を占める軍事名 著とされ、その後の海防書にも大きな影響を与えている。その中に日本に関する記述は巻

『籌 海 図 編』

『 日 本風 土 記

』 寄語

島名 山城

筑 前

太 和

筑後

河 内

豐 前

和泉

豐 後

攝 津

肥前

伊 賀

肥 後

伊勢

日 向

志 摩 大隅

尾 張

薩 摩

三河

紀 伊

遠 江 炎路

駿 河

阿 波

伊豆

讃 耆

甲 裴

『 日 本 図纂

』 寄

語島 名 山 城

筑 前

太 和

筑 後

河 内

豐 前

和 泉

豐 後

攝 津

肥 前

伊 賀

肥 後

(

版心) 伊 勢

日 向

志 摩

大 隅

尾 張

薩 摩

三 河

紀 伊

遠 江

炎 路

駿 河

阿 波

伊 豆

讃 耆 甲 裴

伊 豫

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