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寧波方言の子音推移について

ドキュメント内 博士学位請求論文 (ページ 122-130)

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る区別を述べているように取れる。『音節』の成立時、[hʲ]グループは[ɕ]グループと共存し ていたと考えたほうが妥当であろう。ただし注意しなければならないのは『音節』より約 50年も前に成立した『初学』当時、つまり19世紀半ばの段階ではまだ口蓋化が起こって いなかった可能性が高いということである。

胡のもう一つの理由は寧波地域の方言、及び寧波以南の一部の地域では、[hʲ]グループ の子音が観察され、[ɕ]グループの子音が欠如しており、その子音の状態は寧波西洋人資 料の記述とそっくりだということである。

筆者は胡の指摘に同意する。補足的に理由を言えば、次の二点を挙げることができる。

まず、馬・屠2013でも述べたとおり『初学』の冒頭にある音節の配列は子音の調音位 置によって並べられている。例えば母音oの場合は次の通りである。

ko kʽo go ngo o ho ʽo to tʽo do no lo l ̌o po pʽo bo mo m̌o tso tsʽo so zo

調音位置の同じ子音同士が隣り合っていることが分かる。そして軟口蓋音が母音と隣接 している。舌尖音ts、sなどがt、dなどと離れているが、それはおそらく調音法が摩擦音 や破擦音で、破裂音とは異なるからであろう。次に母音iの配列を見てみたい。

kyi kyʽi gyi nyi i hyi yi ti tʽi di ni li l ̌i pi pʽi bi mi m̌i fi vi tsi tsʽi dzi si zi

ky gy hyなどは母音i yiと隣り合って並べられている。このような配列はky gy hy が口蓋化しておらず、軟口蓋音であったことを意味する。

また、一般音声学的視点から見た場合、上でも述べたとおり、『初学』から帰納される 寧波方言には、ミニマルペアとなる歯茎音[s ts tsʻ z](以下[s]グループ)と後部歯茎音[ʃ tʃ

tʃʻ ʒ](以下[ʃ]グループ)が存在している。例えば、

舂shông[ʃɔŋ] ≠ 桑sông[sɔŋ]

尚jông[ʒɔŋ] ≠ 上zông[zɔŋ]

中cong[tʃoŋ] ≠ 宗tsong[tsoŋ]

沖cʽong[tʃʻoŋ] ≠ 聡tsʽong[tsʻoŋ]

重djong[dʒoŋ] ≠ 従dzong[dzoŋ]

このミニマルペアの対立は安定しており、その存在は16世紀にも遡りうると考えられ る5。安定したこのミニマルペアが存在している以上、歯茎硬口蓋音、すなわち[ɕ]グルー プが存在するとは考えにくいのである。なぜならば、聴覚や調音の面から考えれば、後部 歯茎音と歯茎硬口蓋音の差は極めて微細であり、音韻的に対立させている言語は少ない6。 少なくとも寧波方言において歯茎音、後部歯茎音、歯茎硬口蓋音の鼎立は到底安定した音 韻構造であるとは思われないからである。

2.2. 尖団の統合

中国語音韻学において、精組[s ts tsʻ dz]に属し、介音[i]または韻母[i]が後続するもの

(例:西、精)は、清朝の初めに、満州文字で先端の尖った字母で写したので尖音と呼ば れる。一方牙喉音が口蓋化したもの、すなわち上述の[hʲ]グループ>[ɕ]グループという変

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化を遂げた音(例:稀、京)は先端の丸い字母で写したので団音と呼ばれる。中国の近世 から現代にかけて、尖音と団音が混同し、[s]グループ>[ɕ]グループという音変化は官話 方言をはじめ、多くの方言に起こっており(現代北京語:西=稀[ɕi]、精=京[tɕiŋ])、寧 波方言もその一つである。この節ではパーカーの記述に基づき、先行研究の指摘を検討し、

尖団の統合の時期及び過程を推測する。

『初学』が記した寧波方言の子音には、調音上近似する子音[s]グループ、[ʃ]グループ、

[hʲ]グループが存在していたことがうかがえる。上に引用した『音節』の記述から考えれ

ば、当時hy ky kyʻ gyと表記されたものはすでに口蓋化を起こし、[ɕ]グループに変化し始

めた(ただし、[hʲ]グループは完全に消失していない)。『彙解』『音節』『便覧』において 尖団の区別が明確であったことから、徐1990はその統合時期を20世紀初めの20年間と 推定している。

尖団の問題は団音の[ɕ]グループが発生してから、本来安定していた尖音の[s]グループ と、いつ、どのように統合したかということである。この問題について、パーカーの記述 に注目したい。パーカーは『音節』のローマ字(すなわち『初学』のローマ字)の欠点を 指摘し、自分なりのローマ字方案を作った。そこで[s]グループ、[ʃ]グループ、[hʲ]グルー プの混同について次のように述べている。

寧波ではhi「喜」とsi「洗」(英語のheとsee)の違いはほとんど失っている。ただ し、不思議なことに、hih「鬩」とsih「屑」(英語のhitとsit、tを除く)は時に明確 に区別される。即ち、hihの発音はhsihで、sihの発音は純粋なsである。ただし、hieh

「歇」とsheh「攝」の二音節とも寧波では韻母ihとなるから、問題が複雑になって いるわけである。前者はhsih、後者はsihとよく読まれている。理論上iの前に現れ るhはhsになり、そして、sとshは区別されない7。日常会話においてはこれらをす べてhs(北京のそれと同じ)と見なしても、誤解は招かないであろう。hing, sing「興 心」、hiao, siao「梟消」、hien, sien「軒先」、hie, sie「駭卸」などについては、その違 いは不明確、ないし不規則である。使い分けられることもあるが、hs だけが使われ ることもある。しかし、純粋なhが純粋なsの代わりに使われることはないし、反対 に純粋なsが純粋なhの代わりに使われることもない8

[hʲ]と[s]それぞれの音節について両声母の口蓋化や統合の程度、及びその違いを述べる 段落である。まず、hsという表記は「北京のそれと同じ」と述べられるところから、[hʲ]

グループが口蓋化して北京方言の[ɕ]などになっていると考えられる。『音節』の記述と一 致する。

[hʲ]グループと[s]グループのどちらが先に口蓋化を起こしたかという問題において、北 京方言の場合には、[hʲ]グループが先に口蓋化したという説と、[s]グループが先に口蓋化 したという説の両説があり、見解が分かれている9。では、寧波方言の場合はどうなるか。

「hihの発音はhsihで、sihの発音は純粋なsである」の記述から、[hʲiʔ]>[ɕiʔ]という変化 が先行し、[siʔ]と区別されていたということが分かる。こうした団音[ɕ]の発生は、それに 調音位置が近い尖音[s]の口蓋化にに先行して、後に間もなく[s]>[ɕ]との統合を引き起こ したということである。

ただし、団音[ɕ]と尖音[s]の統合の具合は、各音節において斉一的ではなく、韻母が i

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である音節(hi[ɕi]:si[si])は i 介音(hing[ɕiŋ]:si[siŋ]など)、入声(hih[ɕiʔ]:si[siʔ])よ り先に統合を遂げたということが明らかである。一方、団音の音価[hʲ]は各音節により変 化程度に差があるが、完全に消失していないことはまた『音節』の観察と符合している。

同グループの[kʲ kʲʻ ɡʲ]、[ts tsʻ dz]も同様に考えてよい。その音変化の過程を次の表に示す

([hʲ]と[s]を例とする)。

【表2】

[hʲi]  [ɕi] 

[hʲiŋ] [hʲiao]…  [ɕiŋ]([hʲiŋ]) [ɕiao]([hʲiao]) … 

[hʲiʔ]  [ɕiʔ]  [ɕi]

[ɕiŋ][ɕiao]…

s

[si]  [ɕi]  [ɕiʔ]

[siŋ][siao]…  [ɕiŋ]([siŋ]) [ɕiao]([siao]) … 

[siʔ]  [ɕiʔ]([siʔ]) 

これを要するに、音節によって尖団の統合には遅速があった。ただし、1880 年代にお いてはすでに始まっていたに相違ない。それゆえ、それは徐のいう20世紀の初めより、

約20年も早く進んでいたことが分かる。

こうした尖団の統合には子音[ʃ tʃ tʃʻ ʒ]も関わりあって連動的な音変化を起こしたと推 測される。それに関して、胡は口蓋化した[ɕ]グループの音価が[ʃ]グループに近似のもの になったため、[ʃ]グループが本来の調音位置から押し出され、[s]グループへの変化を引 き起こした。そこで、[s]グループの字が数多くなり、またその他の原因により、結局[s]

グループの一部(+[i])が[ɕ]グループへ統合することになったと推測し、またそれを押し

連鎖(push chain)という理論で解釈した。それについてパーカーはどのように記述して

いるかを見てみたい。

shは必ずïという特殊な母音の前に現れる。この母音はiとüの中間の母音であるが、

tsz の母音とは異なる。この母音を一つの韻母と見なす。当面では純粋な sh、ch、j 以外のものはその前に現れない。従って、「書世、主知、如緒」をshï、chï、jïと発音 する。その声母は純粋なものではなく、hsに変化することがある(それと関わるch とj も)。しかし、いかなる状況でもs、ts、zに変化することはない。この声母とそ の母音は開音節のみならず、「神順、鎮准、人巡、詢筍」(jïng、chïng、jïng、shïngの ような音節にも現れる。MorrisonのNingpo Vocabulary〔筆者注:『彙解』〕ではsh、c、 jを用いて、三つの声母を表わしたが、この綴り方ではその母音を区別することがで きない。もちろん、chは有気のchʻï なども含む(例えば「趣鼠」)。また、この三つ の声母の後ろにしか来ない、もう一つの母音がある。これは英語の shut の母音であ り、例えば「説刷設」shêh、「拙出」chêhとchʻêh、「日術集」jêhである10

shに後接する母音について、パーカーは『彙解』の表記shüを批判し、それをïで書き 表わした。この母音はおそらく彼が以前に考察した北京、温州、広東などの方言に見られ ないほど特殊な母音であろうか、これらの方言に比較する記述もなかった。「この母音は

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i とü〔筆者注:[i]と[y]〕の中間の母音であるが、tsz の母音〔筆者注:[ɿ]〕とは異なる」

ということが、現代寧波方言に見られる[ɿ]の円唇母音[ʮ]のことを想起させる。[ʮ]は寧波 方言、ないし呉方言においても散見されるものだが、他方言に多く見られるものではない。

しかも円唇母音[ʮ]の分布はパーカーの表記shï chï chʻï jï、つまり[ʃ]グループの音節に対応 している。

【表3】

表記(パーカー) 現代寧波11

書世 shï [sʮ]

主知 chï [tsʮ]

趣鼠 chʻï [tsʻʮ]

如緒 jï [zʮ]

したがって、この「特殊な母音」を円唇母音[ʮ]としておきたい12。ただし、上の表に見 られるように現代寧波方言では円唇母音[ʮ]に前接するのは sh、ch、chʻ、j が表す[ʃ]グル ープの子音でなく、[s]グループの子音である。「その声母は純粋なものではなく、hsに変 化することがある(それと関わるchとjも)。しかし、どんな状況でもs、ts、zに変化す ることはない。」とあるから、パーカーが観察したsh、ch、chʻ、jはhs[ɕ]などに近い音の ため、[ɕ]に変化することも起こっていたが、[s]になることはまだなかったということで ある。しかし、現代寧波方言では[ʃ]グループが規則的に[s]グループになっている。パー カーの記述と矛盾する結果になる。

この記述が反映するのは、[ʃ]グループが[s]グループへ変化する中間段階だったのでは ないかと思われる。[ɕ]グループの発生により本来安定していた[ʃ]グループが調音上や聴 覚上に[ɕ]グループと近似するものになってきた(例えば「書」[ʃy]と「虚」[ɕy])。中間段 階において[ʃ]グループは[ɕ]グループとの間に混同例も発生していた可能性がある。例え ば現代寧波方言で「取」や「娶」に[tsʻʮ]と[tɕʻy]二つの音があるが、それは当時の[ʃ]グル ープと[ɕ]グループとの混同の名残であるかもしれない13。しかし、その時の[ɕ]グループは [s]グループと統合して、字数の多い音節になっていた。それ以上の意味の混乱を回避す るために、[ʃ]グループは[ʃy] > [ʃʮ] > [sʮ]という音変化の道を選んだ、ということである。

この推測を音声学における押し推移(push shift)という音変化の概念で説明すると、す なわち、後部歯茎音の[ʃ]グループが、歯茎硬口蓋音の[ɕ]グループによって、歯茎という

「縄張り」から追い出され、舌尖化を起こし、[s]グループに変化したということである。

胡の推測に近い結果となるが、音変化の順番としては[s]グループ(+[i])が[ɕ]グループ へ合流した後に、[ʃ]グループが音変化を始めるということである。押し推移がただ一か所 に起こったため、胡のいう「押し連鎖」とは異なる結果となった。さらに考えれば、胡の 解釈は次の理由から否定されよう。つまり先に[ʃ]グループが[s]グループに変化したとし ても、[ʃ]グループから変化した音節の韻母は元からの[s]グループの音節の韻母と区別さ れるため、それによる意味の混乱は招かない。それゆえ、[ʃ]グループの変化は[s]グルー プを追い出す力を持っていなかったはずである。

また、以上に述べた子音の変化は後の母音変化にも関連している。現代寧波方言には音

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節[ki]「干、該」、[kʻi]「看」が新たに形成されている。これらの音節は『初学』ではken、 ke、kʽenと、パーカーでは kein、ke、kʻeinと表記されている。韻母の鼻音の脱落、主母 音の狭母音化が起こったことが分かる14。音節[ki]、[kʻi]の形成が以上述べた子音の変化と 無関係のものではない。すなわち、[hʲ]グループが口蓋化して本来の軟口蓋の調音位置を 離れた後に、隣接する音節[kẽ][ke][kʻẽ]が空白に引き寄せられ、その調音位置を占めるこ とになったのである。これはいわゆる引き推移(drag shift)という音変化である。趙元任 1928では「干、該、看」の母音を[ɪ]と表記しているから、この音変化は20世紀に入って から起こったと考えられる。

子音におけるこの一連の変化をまとめると、以下の図のように示すことが可能である。

図で音変化の順番を数字で示したが、①と②においては時間差が短く、①が進行してい る間に②が起こり始めた。③はおそらく①が終わった後に動き出したと思われる。また、

①、②は後接する母音が[i][y]の場合に限って、起こる部分的変化であるに対して、③は すべての音節において起こるという全面的変化である。さらに④と⑤は、③の変化が終了 した後に起こった音変化である。

3. 終りに

この節では、パーカーの記述を中心に、19 世紀の寧波方言の子音について分析を行っ た。パーカーは他資料に反映されない実際の音韻現象について詳細に記述している。それ によって当時の牙喉音の口蓋化、尖団の統合、及び後部歯茎音の舌尖化における連動的音 変化を知ることができた。1850年代~80年代の間に牙喉音の口蓋化がはじまり、それに よって間もなく80年代にも尖団の統合は音節別で起こり始めた。その後、後部歯茎音は さらなる混同を避けるために、舌尖化を引き起こした。そして20世紀に入ると、狭母音 化とともに、牙喉音(kiなど)が新たに形成されるということである。

明代中国資料の『日本国考略』や『日本図纂』、『日本風土記』における牙喉音の音注漢 字はア・カ・ガ・ワ行音に当てられており、サ・ザ・タ・ダ行音に当てられていなかった。

これは、寧波方言を含む呉方言において牙喉音の口蓋化が、16 世紀にはまだ起こってい なかったことを裏付ける。また、『日本国考略』ではヤ行音に「牙」「学」「下」を当てる いくつかの用例が見られ、そこには牙喉音の二等韻に介音iの存在していたことが窺える。

[s ts tsʻ z]+ [i]

[hʲ kʲ kʲʻ ɡʲ]+ [i y]

[ɕ tɕ tɕʻ ʑ dʑ]+[i y]

[ʃ tʃ tʃʻ ʒ]

[s ts tsʻ z]+他 [s ts tsʻ z]+[i]

[h k kʻ ɡ]+他

「他」:[i y]以外の母音

[kʲi kʲʻi]

[kʲɪ̃ kʲɪ kʲʻɪ̃]

[kẽ ke kʻẽ]

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