1. はじめに
室町末期においてオ段長音に開合の別があることはキリシタン資料、謡曲伝書、及び仮 名遣書などにより認められる。その統合過程は橋本進吉1928によって開音:au>ao>ɔː>oː、
合音:ou>oo>oːと解釈されている。しかし、キリシタン資料のローマ字表記が表記であ
る以上は、一定の写音法則に従ったとも考えられ、実際の音価との間には距離があると思 われる。謡曲伝書、仮名遣書は記述による音声描写で、それに対する解釈も先学の間で意 見が分かれている。
明代中国資料の中には『日本国考略』など、所拠言語が呉方言である資料がある。呉方 言、例えば寧波方言はɔとoを持つ音韻体系を有し、さらに19世紀以前にはaoも存在し ていた。こうしたɔ、o、aoの音韻対立をもつ言語の資料は、日本語の開合を分析するう えに実に貴重である。この節では中国資料を通して、アウ・オウなどの連母音が長音化す る順序や、いわゆるオ段長音の開合の別、その音価及び統合の過程を考察する。
2. 先行研究
周知の通り、ロドリゲス『日本大文典』、イエズス会『日葡辞書』などのキリシタン資 料ではオ段長音のなかで、アウ・アオなどの連母音に由来するものをǒ、オオ・オウなど の連母音に由来するものを ôと表記している。仮名遣書ではそれらを「ひろがる」「すば る」と呼び、それぞれいわゆる開音と合音とに対応する。
音変化の過程については、開音がau>ao>ɔː、合音がou>oo>oːという変化を経て、そ れから開音と合音がさらに一つのoːに統合した、という橋本説が現在ほぼ通説になってい る。
しかし、これに反対する意見もある。川上蓁1980では「その前もあとも五母音で安定 していた日本語がその一時期だけ六母音であったとは、ほとんど考えられないことである」
と指摘し、開音の音価を[oː]1、合音の音価を[ou]とし、開合の別を長母音と二重母音との 対立と推定した。
豊島正之1984は、謡曲伝書や仮名遣書を精査して、開合の音変化の過程を次のように 推定した。
開音:au → *ao2→ oo = oo
合音:ou = ou → oo
川上と豊島の指摘通り、通説となっている橋本説の音価の再構には疑問点がある。しか し、川上説と豊島説にも、以下に述べるように音声学的に説明しにくい点があり、更なる 検討を要する。
一方、浜田敦1955は早くから中国資料の考察を行っているが、『日本国考略』などの呉 方言資料について、所拠言語との対照研究には不十分なところもある。大友信一1963の 研究は『日本国考略』『日本風土記』『日本一鑑』などの多くの資料にわたって展開されて おり、大きな成果を収めた。そこでは以下のように開合の混同の時期を推定している。
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「お」段長音開合については、従来キリシタン資料を基礎として、「お」段長音開 音と「お」段長音合音とは、殆んど混同していないという事であったが、必ずしも、
この事を裏付ける結果が得られたわけではなく、逆に、『日本国考略』当時から、す なわち一五〇〇年頃から次第に混同の方向に向っていたのではないかと推測される。
しかし、大むねは区別があり、キリシタン資料との差は、程度の差という事になる(大 友1963:708)
大友の研究も、橋本説に従いながら、中国資料における開合の混同そのものに着眼して いる点、従来の多くの研究と異なるものではない。
福島邦道1993では『日本国考略』の著者がオ段長音の開合について「十分な把握をし ていなかった」、「厳密にǒとôをよく識別して、音訳漢字をえらんでいたかどうか疑わし い」(:253)と述べるように、中国資料に対して不信を示している。『日本国考略』の著者 の母語に対して十分な把握をしていないために、このような不信を抱くことになったので あろう。ɔ、o、ao の三つの韻母を持つ寧波方言を母語とする『日本国考略』の著者は、
開音と合音を意識的に識別する必要もなく、自然に聞き分けられたはずである。それにキ リシタン資料や他の資料と異なり、『日本国考略』では一つひとつの音節に当たる音注漢 字が一定していない。すなわち固定した写音法にとらわれず、聞いたままの日本語音を写 している。『日本国考略』が写音資料として貴重なところは、まさにこの点にある。
3. 中国資料の考察
上に述べたように、オ段長音は開音が[ɔː]、合音が[oː]、そして合音の母音がオ段短音と 同じであるとされている。開合の問題を解決するには、オ段短音が音韻体系にあることを 前提として考えなければならない。以下では、中国資料に現れるオ段長音の開合音および オ段短音の音注漢字を考察する。ここでは特に呉方言資料の『日本国考略』『日本図纂』
『日本風土記』、及び北方方言の『日本館訳語』を使用する(同時期の中国資料には『日 本一鑑』もあるが、固定した写音法に従ったものであり、開合音の混同を忠実に反映して いないので、考察対象から外すことにした)。これらの中国資料に見られる開合に関わる 語を、キリシタン資料と照らし合わせ、先行研究による解読を検討する。さらに韻書や寧 波西洋人資料などの中国側の資料で再構された呉方言音、北方方言音に基づいて、開音と 合音の音価を推定する。
アウ連母音やオウ連母音が長音化し、いわゆるオ段長音になってから、開音と合音とい うものがはじめて成立する。連母音が長音化を起こす前には、開音でも合音でもない。も ちろん、開音あるいは合音と呼ぶべきでもない。ただし、以下の考察からも分かるように、
中国資料が反映した連母音の中には、すでに長音化しているものと、していないものがあ る。それゆえ、ここでは論述の便宜上、長音化していないものも開音または合音と呼ぶこ とにする。
3.1. 『日本国考略』
『日本国考略』の音注漢字を中古音の分類によって下にまとめる(音価は19世紀の寧 波方言再構音、数字は用例数、二重下線は混同らしいもの、下線は誤刻、またはその他の
162 理由があるかと疑わせるものを示す)。
《開音》
效摂 [ao]報1(バウ)/老1(ラウ)/倒1(タウ)
[iao]刁1吊1(チャウ)/効1耀1(ヤウ)
宕摂 [ɔŋ]剛1(カウ)
[uɔŋ]黄3(アウ)/王1(ワウ)
[iɔŋ]常1(シャウ)
假摂 [uɔ]花1(ハウ)
[yɔ]下1(ヤウ)
果摂 [o]和1賀1(アウ)/哥4(カウ)/多1(タウ)/羅1(ラウ)
通摂 [oŋ]松1(サウ)
《合音》《オ段短音》
果摂 [o]阿13何12河5倭4(オ)/何1倭1(オオ)/哥8个7科3課1(コ)
/哥3柯1科1个1(ゴ)/哥1(コウ)/梭3鎖1(ソ)/梭1(ソウ)/
多15惰1(ト)/陀4(ド)/大1(ドウ)3//多3(トオ)那3糯2奈1
(ノ)/坡1(ホ)/婆1(ボ)/羅2(ロ)
遇摂 [u]烏2(オ)/烏3(オオ)/古2姑1(コ)/姑1(ゴ)/所1踈1蘇1
(ソ)/奴4(ノ)/奴1(ノウ)/暮1(モ)/路2盧1(ロ)
通摂 [oŋ]翁1(オオ)/空3公1(コ)
[oʔ]木4(モ)/禄2(ロ)
流摂 [iu]由1(ヨウ)
山摂 [un]漫3滿1(モ)
[un]寬1(コ)
[aʔ]達1(ト)/達1(ド)/発1(ホ)
[oʔ]掇2(ト)
[əʔ]末4(モ)
[yiʔ]月1(ヨ)
效摂 [iao]妙1(ニョウ)/姚1(ヨウ)/邀1(ヨウ)
假摂 [ɔ]沙1(ソ)/拏1(ノ)/麻1(モ)
江摂・宕摂 [ɔŋ]昂1(ノ)
[iɔʔ]学1(ヨッ)
3.1.1. 效摂・宕摂の音注漢字
效摂、宕摂の字は合音より開音に用いられている。寧波西洋人資料により、效摂、宕摂 の韻母の音価はそれぞれ[ao]、[ɔŋ]などと再構することができる。『日本国考略』では效摂、
宕摂の一等字(i 介音のないもの)は開音の直音に、三四等字(i 介音のあるもの)は開 拗長音に当てられている。現代中国方言においては效摂は二重母音で現れることが多く、
宕摂は多く主母音が後舌広母音で現れる。例えば、以下の通り。
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效摂:「報」北方方言[pau](北京)、粤方言[pou](広州)、客家方言[pau](梅県)
宕摂:「黄」北方方言[xuaŋ](北京)、粤方言[wɔŋ](広州)、客家方言[fɔŋ](梅県)
一方、開合の別がすでに失われた19世紀には、呉江(現在蘇州市)の人である翁広平 が撰した『吾妻鏡補』1815や玉燕の『東語入門』1884という呉方言による中国資料があ る。そこでは、オ段長音を果摂と假摂の字のみで表わし、效摂の字(拗音の音注を除く)
を使わない点において『日本国考略』などの16世紀の資料と異なる。考えられる理由は、
效摂が二重母音であったから、すでに合音と統合した開合音に相応しくないものとなって いたことが挙げられる。これは、呉方言の效摂が19世紀以前に二重母音であったことの 根拠ともなる。
こうして16世紀の寧波方言における效摂、宕摂の主母音はそれぞれ二重母音と広母音 であり、19 世紀のそれとさほどの相違はないと考えられる。かえって、效摂と宕摂の字 が開音に当てられていたことはその傍証にもなる。従って、效摂と宕摂の字は開音に相応 しい音注であると言えるのである。
效摂と宕摂の両方の字が当てられていることから、開音の音価は[au]なのか、[ɔ]なのか という問題が出てくる。二重母音[ao]である效摂の字が用いられることは開音が[au]であ ったことを思わせるが4、単母音[ɔ]を持つ宕摂の字の使用は必ずしも開音が[ɔ]であったこ との根拠にはならない。例えば、
232盒子 剛白哥(カウバコ)、241扇 黄旗(アウギ)
などの例では「剛」「黄」のいずれも濁音の前に置かれている。それは濁音の前にある入 り渡り鼻音を写すために用いられたのである。一方、キリシタン資料では、濁音の前のǒ、 ôとonとの間に交替現象があると報告されている(森田武1993:186-187)。濁音の前の連 母音が長音化しやすかった可能性も否定できない。
jongue( 上ジャウ下f. 245/11)、vonzon (王ワウ孫f. 259/1)
3.1.2. 拗音優先
直長音の開合と並行して、拗長音の開音が[iau]であったとすれば、合音は[iou]であった と考えるのが自然である。しかし效摂三等の字[iao]は開音のみならず、合音にも用いられ ている。これについて大友1963は「開合音よりは(直)拗音に留意した結果の音注と考 えるべき」と指摘した。開合の別より直拗の違いの方が中国人にとって顕著な音声特徴で あったということである。そのため、拗長音の音注に[i]介音を持つ效摂三等の字が優先的 に用いられたというのである。ところが、寧波方言では合音に相応しい音節[iou]がなく、
合音の拗音を写すのに效摂三等の字[iao]、および流摂三等の字[iu]を使わざるを得なかっ たのである。このことは19世紀の寧波方言の音韻体系からも証明できる。19世紀の寧波 方言において、介音[i]を持つ音節[iao](效摂)、[iu](流摂)、[iɔʔ](江宕摂入声)はある
が、[iou]は存在しない。それゆえ、效摂三等の字が開合の両方に使用されるのは寧波方言
側の事情によることであり、日本語側の開合の混同とは無関係である。