• 検索結果がありません。

課題設定と研究⽅法

ドキュメント内 水都・桐生の形成史に関する研究 (ページ 56-61)

第 3 章 近代⽔⼒⼯場の建設 桐⽣と欧⽶⽔⼒産業都市の⽐較

3.2 課題設定と研究⽅法

49

50

3.3 ⽇本織物会社⽔⼒技術と物流システムの整備

⽇本織物会社が欧⽶から導⼊した技術は⽔⼒動⼒とその動⼒によって稼動させる織機をはじめと した⾃動機械の技術であるが、創業者の佐⽻家は織物製品の輸送も重視し、桐⽣と横浜をつなぐ両

⽑鉄道(現 JR 両⽑線)の敷設にも重要な役割を果たした。

本節では、⽔⼒技術とあわせ、⽇本織物会社の創業者が寄与した物流システムについても触れ、

桐⽣に導⼊された近代技術をまとめる。

3.3.1 利⽔の形態

図 3-3-1 は、⽇本織物会社が開削した⽔

路を地図上にプロットしたものである。図中の★

印の部分に⽔⾞が設置されている。取⽔⼝付 近で新川と⽴体交差し、⼯場へ向けて直線的 な進路を取り、⼯場敷地上流で分⽔し、敷地 内をぐるりと 1 周するように流れてから、再び合流 する。合流後は、渡良瀬川に向けて直線的に 流れる。

図 3-3-2 は、創業家の末裔である佐⽻宏之

⽒から提供していただいた⽔⾞建設中を撮影し たものである。⽔⾞設置部から下流は、上流部 に対して約 10 メートルの落差が設けられてい た。図 3-3-3 は、同⽒から提供いただいた⼯場 敷地内の図である。この図から、⽤⽔路を挟ん で⼯場の対岸にある⼩屋に発電設備があったこ とがわかる。

破線および⽮印についての記号の説明はないが、恐らく電⼒供給網の経路を⽰していると考えられ る。ただし、他の⽂献による⼯場動⼒については、蒸気機関⼀台 100 ⾺⼒、タービン⽔⾞⼆台 336

⾺⼒という記載があるため14)、電⼒の⽤途は、機械動⼒ではなく照明⽤途で⽤いられていた可能性 が⾼い。

図 3-3-1 ⽇本織物会社⽤⽔路模式図

51

図 3-3-2 ⽇本織物会社⽔⾞設置⼯事の様⼦

52 3.2.2 物流システムの近代化

桐⽣の近代的動⼒を備えた設備の導⼊事例は、明治 13(1880)年に設⽴した成愛社の蒸気機 関を動⼒とする整理(仕上げ)機が他に先駆けて導⼊されたほか、桐⽣撚⽷合資会社や⼤東織布株 式会社、共⽴機業株式会社などが撚⽷機や⼒織機を相次いで導⼊した。

このように近代設備を備えた⼯場は⽇本織物会社の他にもいくつかあるが、⽇本織物会社の創業 者である佐⽻家の取り組みにおいて特筆すべき点は、織物⼯場の他に筆頭株主として両⽑鉄道の設

⽴も主導した点にある。両⽑鉄道は、前橋⇔⼩⼭間をつなぎ、⾚⽻線を経由して桐⽣⇔横浜の鉄 図 3-3-3 ⽇本織物会社動⼒⽔路図

53

道輸送を可能にした15)。⽇本織物会社は⼯場敷地内から桐⽣駅へつなぐ私営線も設置し、⼯場か ら直接横浜へ輸出⽤織物製品を出荷できる体制をしいた。

明治期の産業⾰命の黎明期において、桐⽣織物業の近代化が佐⽻家を中⼼とした桐⽣の事業 家・資産家によって⼿がけられ、当時の最先端⽔準といえる⼯場と物流インフラを整えたことは、⽇本 の産業史においても注⽬すべき点である。内陸の地⽅都市でこのような先進的な開発に踏み切った 背景には、これらの開発の着⼿前に、⽇本織物会社の創業家・佐⽻喜六の⽗である吉太郎による欧

⽶の視察が⼤きな影響を与えていたと考えられる。

3.2.3 ⽇本織物会社のエネルギー⽅針

前出の佐⽻秀夫⽒の講演録によれば、吉太郎は政府の使節団に同⾏する形でアメリカとイギリス を視察したとされる。その際イギリスにおいて、マンチェスターの近代的な⼯場に驚嘆するとともに、マンチ ェスター⇔リバプール間を結ぶ鉄道を⾒たことが、両⽑鉄道の構想につながったと述べている。鉄道につ いては、イギリスの視察が⼤きな影響を与えたことは間違いないが、織物⼯場の動⼒源については必ず しもマンチェスターの⼯場を参考としたとはいえない。マンチェスターの織物⼯場は、主に蒸気機関を動

⼒としており、桐⽣の⽔⼒⼯場とは異なる動⼒システムであった。秀夫⽒の講演録では鉄道について の視察の状況については語られているが、⽔⼒動⼒についてはほとんど触れられていない。また、アメリカ の視察がいかなるものであったかについても同様にほとんど触れられていない。しかし、のちに⽇本織物 会社が主要な動⼒に⽔⾞動⼒を採⽤したことを考えると、視察旅⾏の過程でアメリカの⽔⼒利⽤技 術の情報を何らかの形で⼊⼿したのではないかと考えられる。

⽇本織物会社の創業者である佐⽻喜六は、同社の⼯場機械の買付のため⼯務⻑の⼭岡次郎と ともに明治 21(1888)年に渡⽶した 16)。当時のイギリスではマンチェスターを中⼼に蒸気機関を⼯場 動⼒とする技術が主流となっていた。しかし、彼らはアメリカのスタウトミルアンドテンプル(Stout Mill &

Temple)社から、タービン⽔⾞を購⼊しており、別途蒸気機関の設備も購⼊してはいるものの、主要 動⼒を⽔⼒とした。このことについて⻲⽥は、⽇本織物会社設⽴趣意書及其要綱 17)の中で、蒸気

⼒との⽐較の上で⽔利の優位性が書かれているという点に触れ、当時⾼価な⽯炭の使⽤を避ける狙 いがあったと考察している 18)。これは、アメリカ北東部の⽔⼒利⽤型の織物⼯場群が、蒸気機関を採

⽤しなかった理由と共通する。このことからも、⽇本織物会社が建設した⽔⼒利⽤型の⼯場は、アメリ カの⽔⼒利⽤技術に⼤きなヒントを得ていたと推測できる。

次節ではその欧⽶⽔⼒利⽤型⼯場群の事例を紹介するとともに、⽇本織物会社の⼯場との⽐較 を⾏う。

54

ドキュメント内 水都・桐生の形成史に関する研究 (ページ 56-61)