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旧公図から⾒る⽔路網周辺の空間

ドキュメント内 水都・桐生の形成史に関する研究 (ページ 30-37)

第 2 章 江⼾後期〜明治初期における桐⽣の⽔⼒利⽤の実態と 都市形成との関わり

2.2 課題設定と研究⽅法

2.3.1 旧公図から⾒る⽔路網周辺の空間

桐⽣のまちには、現存する⾚岩⽤⽔の他に⼤堰⽤⽔という⽤⽔路が存在した。旧公図を⽤いるこ とで、これらの⽔路網の地理的展開状況を、⽀流を含めて再現できるとともに、流域の空間構成をあ る程度読み取ることができる。道路は⾚、河川と⽤⽔路は⻘または⽔⾊で⽰されている。

⼤堰⽤⽔ 桐⽣新町

図 2-3-2 に桐⽣新町周辺地域の旧公図を⽰す。

中央を縦断する直線状のメインストリートを挟む形で対照的に敷地割がなされており、⼤野⼋右衛

⾨によってなされた計画的な町割りが⾒て取れる。メインストリートの左側には⽔路が道路に沿って引 かれており、これが⼤堰⽤⽔である。図中の道の上端には桐⽣天満宮があり、まちの始まりである「宿 頭」として位置づけられている。図下部の左に突き出た形状の部分は浄運寺の敷地で、まちの終端で ある「留まり」として位置づけられている。左上の突き出た部分は横⼭町という地区で、江⼾期には代 官の陣屋があった。

⼤堰⽤⽔ 下久⽅村

図 2-3-3 に下久⽅村周辺地域の旧公図を⽰す。

下久⽅村は、桐⽣新町の北東部に位置し、桐⽣新町を流れる⼤堰⽤⽔の上流側に位置する。

計画的な町割りがなされていないため、道路及び⽤⽔路は不規則なパターンとなっている。図中の右 側の太い⻘は桐⽣川で、この図のさらに上部に⼤堰⽤⽔の取⽔⼝がある。⼤堰⽤⽔は不規則に枝 分かれし、必ずしも道路に沿った展開にはなっていない。これは、⼤堰⽤⽔が農業にも使⽤されていた ためであろう。「桐⽣新町寄場組合村⼈別家業改請印帳」によれば、記録にある業種の 9 割以上は 農業及び農業兼業であり、地図中の敷地も多くが農地であったと考えられる。

⼤堰⽤⽔ 今泉村

図 2-3-4 に今泉村周辺地域の旧公図を⽰す。

下久⽅村同様に不規則な道路と⽤⽔路のパターンを⾒て取れる。今泉村は下久⽅村を流れる⼤

堰⽤⽔の東部⽀流の下流側に位置し、⼤堰⽤⽔はさらに⽀流に分かれ複雑な流路をなしている。

下久⽅村との違いは、古来の物と思われる不規則な道路と⽤⽔路のパターンの上に、やや太い道路 が格⼦状にめぐらされている点である。家業改請印帳に⾒る農業及び農業兼業者の割合は 7 割弱 であり、今泉村では約 3 分の 1 は織物関係業種を専業の⽣業としていた。その点で今泉村の⽅が下 久⽅村よりも都市開発が進んでいたと⾒て取ることができる。

⾚岩⽤⽔ 新宿村

図 2-3-5 に新宿村周辺地域の旧公図を⽰す。

下久⽅村や今泉村と異なり、計画的な開発が進められたのではないかと思われる規則的な道路パ ターンを⾒て取れる。⽤⽔路は道路と平⾏か直交するように流路が展開する箇所が多くみられ、このパ

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ターンも規則的といえる。家業改請印帳に⾒る農業及び農業兼業者の割合は 7 割程度で、今泉村 とほぼ同⽔準である。

図 2-3-1 に⽰すように、新宿村には桐⽣新町のような「宿頭」「留まり」と⾒て取ることもできる⼆つ の宗教的なランドマークがある(最勝寺と定善寺)。このような構造も開発の計画性を感じさせる点であ る。ただし新宿村では、通常宿頭には神社が設置されるのに対し、寺院(最勝寺)である 19)ほか、定 善寺の先にも集落が続いているなど、桐⽣新町と⽐べると完全には町割構成の体をなしていない。

新宿村は、⼤野⼋右衛⾨が桐⽣新町の町割りをする以前から存在した村であり、その歴史はより 古く、町割りの経緯の解明は今後の研究課題の⼀つといえる。

⾚岩⽤⽔ 境野村

図 2-3-6 に境野村周辺地域の旧公図を⽰す。

境野村は新宿村の下流側に隣接する村だが、新宿村のような規則的な区画は⾒られず、今泉村 や下久⽅村の不規則な道路パターンに類似する。⽀流が必ずしも道路に沿わない点も両村と共通す る。家業改請印帳に⾒る⽣業において、境野村における農業ないし農業兼業の⼾数は全体の 9 割 近く存在し、⽤⽔路の⽔が農業にも⽤いられていたことを⽰している。

図 2-3-1 新宿村の空間構成と⼆寺

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図 2-3-2 桐⽣新町(旧公図)

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図 2-3-3 下久⽅村(旧公図)

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図 2-3-4 今泉村(旧公図)

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図 2-3-5 新宿村(旧公図)

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図 2-3-6 境野村(旧公図)

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