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認知言語学における事態把握の概念

2. 1 認知言語学とは

ラネカー (2011:742)は、認知言語学とは外部世界の対象や事態は認知主体としての我々 から独立して解釈されるのではなく、主体の投げかける視点との関連でさまざまな意味づ けがなされる、主観性および主体性を基盤とするアプローチであるとしている。認知言語

学は、1980年代頃から新しい研究態度の模索として少しずつまとまり始め、次第に大きな

うねりを形成するようになった。池上 (2008b)によると、その基本的な姿勢は、<ことば>

を使う<ひと>との関連で<ことば>を考えてみようとする立場である。従来、<ひと>という 存在は厳密な科学的研究に馴染まないということで出来るだけ排除すべきものと見なされ がちであったのに対して、認知言語学では<ことば>というものが<ひと>によって使われる ものである以上、<ひと>によって使われる道具なら用途に適うような<すがた>をとるのが 当然であるのと同じように、<ことば>もその<すがた>には、それを使う<ひと>のあらゆる 思惑(あるいは<こころ>の働き)の刻印が認められるはずだというのがその基本的な姿勢 である(池上 2008b:1)。

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2. 2 事態把握とは

池上 (2008b)によると、<事態把握>は<ひと>の<ことば>への関わりに注目する認知言語 学の基本的姿勢を特徴づけるもっとも重要な概念の1つである。すなわち、話者は言語使 用に先立って、

(5) ⅰ. まず、言語化しようとする<事態>のどの部分を言語化し、どの部分を言 語化しないか、また、言語化する部分については、それをどのような視 点から言語化するか―要するに、言語化しようとする<事態>を自らとの 関連でどう把握するか―という<認知的>な営みを<主体的>に行い([事 態把握])

ⅱ. その上で、自らの<事態把握>の仕方にふさわしい表現の仕方を選び、言 語化する([発話])

(池上 2008b:1)

この際、たとえ言語化しようとする<事態>が同一であっても、話者がそれを自分との関 連でどう捉えるかによって、いくつかの違った表現形式―例えば、自動詞を使うか、他動 詞を使うか、(「皿が割れました」―「皿を割りました」)、能動態で表現するか、受動態で 表現するか(「太郎が次郎をなぐる」―「次郎が太郎になぐられる」)など―によって言語 化されうる。この場合、違った 言語化の仕方は話者による違った<事態把握>を反映 しており、その意味で<意味>も違うと考える。つまり、ある<事態>の<意味>は問題の

<事態>そのものに客観的に内在しているのではなく、話者が自分との関連でその<事態>か ら<主体的>に創出するものとして認知言語学では<意味>の本質を捉える(池上2008b:2)。

本研究では、この発話のプロセスを踏まえて、中古から現代の各時代の書き言葉口語体

(野村2011)のデータ、すなわち各時代の発話に最も近いとされるデータにおける表現の

仕方(ⅱ)から、逆にその話者が<事態>を自らとの関連でどう把握したのか(ⅰ)を調べ る。

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2. 3 事態把握の対照言語的相違

濱田 (2013:75)によると、人間は人種や民族を問わず共通に有する基本的な認知能力を 有しており、その能力を活性化させて事態を捉え、それを言語化することでコミュニケー ション活動をしている。人間言語の分化は人種や民族がそれぞれの環境の中で育んできた

「好まれる事態の捉え方とそれを基礎として生じた好まれる言い回し(言語表現)」の結果 であり、人間が共通に有している認知能力の中のいずれかを主に活性化して事態を把握す るかが固定化したものと考えることができる。池上 (2006:161-197)では、言語類型論の立 場から英語話者好みの表現と日本語好みの表現として以下の①~⑦の項目において言語間 の表現の違いを挙げている。

① BE言語とHAVE言語

日本語はBE言語、英語は HAVE言語と呼ばれる。<所有>を表す時、BE 言語は「~がある/いる」という本来<存在>の表現を拡張して用いる。この場 合、<人間>は<(あるものの存在する)場所>としての把握にとどまる。

例)BE言語

<存在>この部屋には窓が二つある。

<所有>私には子供が二人いる。

HAVE 言語は<存在>を表す時、「~を持っている」という本来<所有>を表 す表現を転用して用いる。この場合、<人間>を表す項は主語として前景化さ れる。そして、HAVEという他動詞を介して所有物を表す項を直接目的語と してとり、<所有者>としてそれを直接支配する主体という構図で捉える。

20 例)HAVE言語

<存在>This room has two windows.

<所有>I have two children.

(池上 2006:164-167)

②知覚表現

日本語において「見る/聞く」ということは、自らの意図に従って行動するこ とであり、人間は<動作主>として認識されている。対して「見える/聞こえる」

ということは、人間は刺激の<到達点>として認識され、「見る/聞く」とは違っ た構文で表現される。

「見る」

<人間> (動作主) →→→ <対象>

「聞く」

「見える」

<人間> (到達点) ←←← <刺激源>

「聞こえる」

英語では、どちらの表現においても人間が<動作主>として示され、違った語 彙項目の選択によって区別される。

例)以下のようにおおまかに対応する。

「星を見る」→“I look at a star.”

「風を聞く」→“I listen to the wind.”

「星が見える」→“I see a star.”

「風が聞こえる」→“I hear the wind.”

(池上 2006:169-171)

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③<事態そのもの>と<事態の当事者へのかかわり>

日本語では、ある事態がその事態に関わった人にどのような影響を与えたか という視点に立って言語化する。迷惑の受身、授受動詞、移動動詞の補助動詞 的用法にこれが表れている。英語では、事態そのものだけを事実として客観的 視点で言語化する。

例)・日本語の迷惑の受身

日本語:「(私は)雨に降られた。」

→私が降雨という事態の巻き添えになって迷惑を蒙ったと いう意味

想定されている主語は<私>であり、私にとっての都合の 悪さを意味の中核として語っている。

英語:“It rained upon (on) me.”

→upon/on me で私に都合が悪いことが起こったことを表し てはいるが、<私>に対する影響は<雨が降る>という中核の 事態に付随して言及されているに過ぎない。

・日本語の授受表現

英語:“She read me a book.”(客観的事実)

日本語:「彼女は私に本を読んだ。」

→客観的事実

「彼女は私に本を読んでくれた。」

→主観的な恩恵の意味を含む。

(池上 2006:171-175)

④行為の主体性を薄める「なる」

日本語では「なる」を用いることで、実際には当事者の意志に基づいての行 為であっても、あたかも当事者の意図を越えた<成り行き>でことが運んでしま

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ったという意味になる。英語の“become”にはこのような補助動詞的用法はない。

例)(結婚式への招待状)

英語:“We are getting married.”

日本語:・「私達は結婚することにしました。」

→2 人の決意があまりにも強く打ちだされていると感じら れ、好まれない。

・「私達は結婚することになりました。

→「なる」によって「私達」(当事者)

の主体性が薄められるため、好んで用いられる。

(池上 2006:175-176)

⑤事態とその起因への言及

同じ事態を表すにも、日本語話者は自動詞を好んで用い、事態の起因の存在 にあえて言及しない。英語話者は他動詞の受動態を用いることで、起因を明確 に言語化する。

例)(戦死した人のことを話題にして)

英語:“He was killed in the war.”

→他動詞の受動態を用いることで、加害者の関与が暗に言及さ れている。

日本語:「彼は戦争で死んだ。」

→自動詞を用いることで自然に「死んだ」かのように表現し、

加害者の関与にあえて言及しない。

(池上 2006:176-178)

⑥人間主語か無生物主語か

日本語では一貫して<人間主語>の構文を好んで用いる。対して英語は<起因>

や<手段>に相当する<無生物主語>の構文を好んで用いる。

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例)英語:“Does that name suggest anything to you?”

→“that name”という無生物主語が用いられている。

日本語:「その名前に何か思い当たることはありますか?」

→主語を置くとしたら「あなたは」という人間主語になる。

(池上 2006:178-182)

⑦自己の他者化/ゼロ化される主体

日本語では<自己>はあくまで<自己>として認知するのに対して、英語では自 己を客観的な外の視点で他者と同様に認識する。

例)(道に迷って人に尋ねる時に)

英語:“Where am I?”

日本語:・「私はどこ?」×

→日本語では、第三者について「~さんはどこ?」と問う ように自分自身の居場所を聞く言い方はしない。

・「ここはどこ?」◎

→自分自身の視点で問う

このように、日本語では自己を原点として知覚することを言語化する。原点 である自己は視野に入らないため言語化されない。一方、英語では主体も客観 視されるため、主語として常に明示される。

(池上 2006:183-187, 189-196)

本研究ではこのようにこれまでは対照言語学的に異なると分析されてきた事態把握が、

同一言語内においても通時的に見られるのではないかとの仮説に基づいて分析する。本研 究で分析する事態把握は、「⑦自己の他者化/ゼロ化される主体」で話者が言語化されるの が<われ>の明示、「④行為の主体性を薄める『なる』」「⑤事態とその起因への言及」で行為 の主体性を含意し、起因に言及するのが<する>表現の使用にそれぞれ該当する。

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