4. 1 はじめに
岡 (2013)によると、「主体の論理」が強い英語では、主体は場に独立した形で存在する ため主語を必要とし、事態の基本型は<する>型(変化の対象を目的語にとる他動詞文など)
で、事態把握は個に着目し、その行為に焦点を当てる。他方、「場所の論理」が強い日本語 では、主体は場に依存して場に埋め込まれた形で存在する。そのため、主語を必要とせず、
事態の基本型は<なる>型(自動詞文など)で、事態把握は動作主よりも状況全体の変化に 焦点を当てる。このように<する>/<なる>の選択に関してこれまでは類型が異なる言語を対 照させて通言語的に論じられてきたが、同一言語内においても時代によって好まれる表現 は変化するのではないだろうか。この仮説をもとに、本研究では認知言語学の観点から、
現代日本語で<なる>表現が好まれると言われている心理動詞構文(Bando 1996, 羽鳥
1997, 坂東・松村 2001, 谷口 2005)に着目し、あえて<する>表現が選択される割合を
中古から現代の時代ごとに比較することで、日本語の<する>/<なる>表現の使用の変化を探 る。そして、構文選択の変化から日本語における事態把握の仕方が通時的にどのように変 化したかを明らかにする。
74
4. 2 心理動詞の定義
吉永 (2008:87)は以下のように心理動詞を、①感情的心理動詞、②知覚感覚的心理動詞、
③思考認識的心理動詞の3つに下位分類している。
①感情的心理動詞―悩む, 困る, あきれる, あせる, 悲しむ
<感情>…色々な精神状態, 心理作用。(喜怒哀楽, 好き嫌い, 高揚・落胆な ど)。
②知覚感覚的心理動詞―痛む, 痺れる, 震える, 音がする
<知覚感覚>…感覚器官からの刺激により感知される神経作用。具体的。
③思考認識的心理動詞―思う, 考える, 疑う, 信じる, 分かる, 覚える <思考認識>…知的な精神活動。目的を伴うことが多く, 能動的, 意志的。
(吉永 2008:87)
本研究では、これまでの研究(Bando 1996, 羽鳥 1997, 坂東・松村 2001, 谷口 2005, 大槻 2014など)で対照言語学の分野で言語間の構文選択の違いが論じられてきた①感情 的心理動詞を研究対象とし、日本語の同一言語内での構文選択の変化を調べる。したがっ て、本稿における心理動詞とは感情的心理動詞を指す。
4. 3 <する>表現と<なる>表現の定義 4. 3. 1 守屋 (2016)
守屋 (2016)によると、<する>表現とは、事態の出来・変化に際し、動因―多くは行為者
―を軸とし、事態をその動因による動作・作用として分析的に捉え、言語化するものを指 す。そして、以下の例のように、行為者が行為を行うという意味構造をとり、目的語を伴 う他動詞の表現が好まれる。
75 (29) “Spring has come.”
“You dropped your wallet.”
(守屋2016:27-28)
これに対し、<なる>表現とは、事態の出来・変化に際し、その動因を―たとえ人間であ っても―必ずしも言語的に明示しない表現を指す。そして、以下の例のように、<なる>を はじめとする自動詞の表現が選ばれる。
(30) 「春になった」
「財布が落ちましたよ」
(守屋2016:27-28)
すなわち、同じ出来事であっても、その原因に着目するか、その変化に着目するかとい う認知主体の視点の違いが、<する>表現と<なる>表現の選択に表れている。
4. 3. 2 山梨 (1995)
このような同じ出来事でも認知主体の捉え方が違うということを事態解釈モデルによっ て表した研究に第2章でも取り上げた山梨 (1995)がある。ここでは、山梨 (1995:254-259) による図11を用いて<する>と<なる>の定義を説明する。図11のa~dはそれぞれ(8)のa
~dを表し、図の枠線は認知のスコープ(前景化された事象)を表す。
(8) a. 太郎が鍵で窓を開けた。
b. 鍵で窓が開いた。
c. 窓が開いた。
d. 窓が開いている。
76
図 11 山梨 (1995:254-259)による認知のスコープ
守屋 (2016)で<する>表現とは、「事態をその動因による動作・作用として分析的に捉え、
言語化するもの」と定義されているが、山梨による図 11 でこのような事態の切り取り方 をしているのは、最左端の変化を引き起こす存在とその働きかけがスコープに入っている (a)にあたる。また、このようなスコープであれば、変化の対象に視点を置いた受身であっ ても<する>表現に含まれると考えられる。
また、守屋 (2016)によると<なる>表現とは、「事態の出来・変化に際し、その動因を―
たとえ人間であっても―必ずしも言語的に明示しない表現」である。これは、山梨 (1995) による図 11 でいえば、最左端の変化を引き起こす存在とその働きかけがスコープに入っ ていない事態把握の表現ということになる。したがって、図11の(b)~(d)がこれにあたる。
山梨による図11は典型的な動力連鎖を表しているため、動作主と変化の対象の間に道 具が表されている。本研究で扱う心理動詞構文も抽象的な力の伝達としてこのような動力
77
連鎖によって図式化することはできるが、多くの場合は道具が介在しないため、谷口
(2005)による以下の図17を用いて<する>表現と<なる>表現を定義する。
(a) 他動構造
(b) 自動構造
図 17 谷口 (2005:261)による他動構造と自動構造の事態解釈モデル
これによって、本研究で研究対象とする各構文の事態解釈モデルを<する>表現と<なる>
表現に分けて表すと以下の図18のようになる。
<<刺激>が~を―させる>
78
<…は<刺激>に―(さ)せられる>
(a) <する>表現
<…は<刺激>に/で/を―する>
<…は―する>
(b) <なる>表現
図 18 <する>表現と<なる>表現
谷口 (2005)では破線の囲みは自律的事象を表すとしているが、上の図では山梨 (1995) による図 11 での囲みのように認知のスコープに入っている事象を表している。使役受身
79
構文以外は、この囲みの中の最左端(動力連鎖の始まり)が主語として表されるため、
<する>表現では経験者に心的変化を及ぼす刺激が、<なる>表現では心的変化が起こる経験 者がそれぞれ主語で表される。
なお、心理動詞構文を<する>表現と<なる>表現に二分すればこのようになるが、これら の間には連続性があるとされている。4
4. 4 研究対象
4. 4. 1 研究対象の心理動詞
本研究では、まず以下の各時代を代表する作家と作品の総索引によって出現頻度の高い 心理動詞を調べた。
中古:『古典対照語い表』
(『大鏡』、『更級日記』、『紫式部日記』、『源氏物語』、
『枕草子』、『蜻蛉日記』、『後撰和歌集』、『土左日記』、
『古今和歌集』、『伊勢物語』、『竹取物語』) 中世:『古典対照語い表』(『徒然草』、『方丈記』)
『平家物語総索引』
近世:『近代文学総索引 井原西鶴』
『校本芭蕉全集 第10巻 俳書解題・綜合索引』
『近代文学総索引 近松門左衛門』
近代:『作家用語索引 芥川龍之介』
『作家用語索引 森鴎外』
『たけくらべ総索引』
現代:国立国語研究所『現代日本語書き言葉均衡コーパス』語彙表の短単位語彙
表データ
4 2016年9月11日の日本認知言語学会第17回全国大会での著者の研究発表後、池上嘉彦先
生からいただいたたくさんの貴重なご意見の中にもこのご指摘があった。
80
そして、この結果、以下の心理動詞30個の出現頻度が高いことがわかった。
「飽きる」「呆れる」「侮る」「慌てる」「憐れむ」「案じる」「安堵する」
「恨む」「羨む」「恐れる」「怯える」「悔やむ」「苦しむ」「後悔する」
「退屈する」「憎む」「びっくりする」「悩む」「喜ぶ」「迷う」「(戸)惑う」
「腹が立つ/腹を立てる」「驚く」「怒る」「困る」「堪える」「恥じる」
「楽しむ」「悲しむ」「嘆く」
このうち複数の時代で10例以上のデータが集まり、さらに<する>表現が1例以上集まっ た以下の動詞13個を研究対象の動詞とした。
「悩む」「喜ぶ」「迷う」「(戸)惑う」「腹が立つ/腹を立てる」「驚く」
「怒る」「困る」「堪える」「恥じる」「楽しむ」「悲しむ」「嘆く」
各動詞のデータ数は、時代間に大差が出ないよう15例以上集まった時代の中で最も少な い時代に合わせるか、全ての時代で15例に満たない動詞は10例ずつ収集した(最大100例、
最小10例)。
4. 4. 2 研究対象の構文
集めた文例は前節で論じた山梨 (1995)を踏まえて定義した以下の<する>表現と<なる>
表現に分けて集めた。
①<する表現>:統語構造が<<刺激>が<経験者>を―す(他動詞)/させる(使役)>
および<<経験者>が<刺激>に―される(他動詞受身)/させられる
(使役受身)>の心理動詞構文
81 a. 自動詞の使役文
例)船子どもは、腹鼓を打ちて、海をさへおどろかして、波立 てつべし
(紀貫之『土佐日記』)
ぼくは怒ったら怖いのよ。ぼくを怒らせたら、も、どうな るか。
(筒井康隆『文学部唯野教授』)
b. 感情の対象を目的語にとる他動詞の使役文 例)死んだお父さんを喜ばせるのだよ
(夢野久作『ルルとミミ』) いふたゆゑに一言に。恥しめたら腹立そうに。つん〳〵と
して帰つたが。
(『比翼連理花迺志満台』)
c. <(刺激)が+(経験者の身体部位・心など)を+
(心理動詞)させる>
例)富は人の心を惑はして生活の分限を濫るものだと悟つた
(内田魯庵『投機』)
それはなにばかりの人にてか、この御心をかく思ひ悩さ
む
(『夜の寝覚』)
②<なる>表現:統語構造が<<経験者>が(<刺激>に/で/を)―する(自動詞/他 動性の低い他動詞)>の心理動詞構文
a. 自動詞文
例)イヽヱもふ、どうも形ばつかりで、いたづらには困りき ります
(風鈴山人『甲駅新話』)
82
自分の虫のいい世界が実現しないのに腹を立ててるか ら、そんなに毎日毎日ぐびぐび飲むんだよ
(内田春菊『準備だけはあるのに、旅の』)
b. 感情の対象を目的語にとる他動詞文
例) 在京の徳といふは、このやうな珍物、美物を食うて、常 に楽しむぞ。
(イソップ『天草版伊曽保物語』)
子供が悲しむからやめてって言ったら、その男、俺もこ この子供だって
(乃南アサ『晩鐘 下』)
c. <(経験者)が+(刺激)に+(経験者の身体部位・心など)
を+(心理動詞)させる>
例)内務大臣といふものはソンナ小問題ばかりに頭を惱まし ては居られんよ
(鷹陵山人『聴診器の響』)
天もうち暗うで日の光も見えなんだれば, 老少ともに魂 を消し, 鳥獣もことごとく心を迷わす
(『天草版平家物語』)
なお、「悩む」、「驚く」、「困る」に対する「悩ます」、「驚かす」、「困らす」のような、自 動詞の使役形およびその短縮形(井口 1994:80, 庵他 2001:137-138)、もしくは、自動詞 の派生他動詞形(玉村他編 1993:427, 野田 1995:206)とされる動詞は、後者の立場では
「悩ませる」、「驚かせる」、「困らせる」と意味が異なる。一方で、どちらの立場をとって も<する>表現に分類されることに変わりはないため、本研究では語彙的使役(他動詞)の 構文と文法的使役(自動詞の使役形)の構文を一括して「使役構文」と称することとする。