5. 1 はじめに
これまでの研究では、上代から中世までの<われ>という客観的把握の指標の明示頻度以 外は調査されていないため、複数の事態把握の指標の使用の間に相関はあるのかという疑 問が残されている。本章では、共に日本語では少ないとされる<われ>の明示と心理動詞構 文での<する>の選択(池上2006b, 羽鳥1997)の比率の中古から現代での変化と、<なる>
表現におけるニ格の使用頻度を比較し、これら3つの事態把握の指標の間に相関があるの かを明らかにする。
5. 2 <なる>表現と主観的把握の相関性
岡 (2013)は、事態の基本型が<する>型の場合、事態把握は主体が場の外から見る客観的 把握であり、事態の基本型が<なる>型の場合の事態把握は主観的把握であるとしている。
また、池上 (2008a)や池上他 (2010)、守屋他 (2010)は、<なる>表現が<事態の主観的把握
>を反映しているとし、<なる>表現と主観的把握の相関を論じている。池上他 (2010)、守 屋他 (2010)では、事態把握と<なる>表現、特に膠着語間に共通する動詞「なる」と「なる」
相当語をめぐる類型論的研究を行い、トルコ語をはじめとするトゥルク諸語や韓国語など
143
の、事態の<主観的把握>の傾向を有する膠着語では、<なる>表現および<なる>相当語が共 通して観察されていると論じている。Honda (1994)によると、<なる>的表現の一特徴は、
事態を招来する行為者が話し手の場合にそれが明示されないことにあり、話し手が明示さ れないことは主観的把握の特徴である。守屋他 (2010)は、このことから<なる>表現を好ん で用いることと、主観的把握という事態把握には相関があるとしている。また、序論でも 述べたように、池上 (2008a:89-90, 2016:7)は、「春めく」のような身体感覚に訴え、「私」
という語が結びつきようのない日本語の<なる>的な表現を例に挙げ、<なる>的な表現の本 質は<主観的把握>(つまり、<体験>的な事態把握)の言語化ではないかと論じている。
このように、これまで主観的把握と状況変化着目型事態把握の間には相関があるのでは ないかと論じられてきた。そこで本章では、客観的把握の指標である<われ>と<する>表現 の使用の相関を量的に検証する。
5. 3 各指標の使用頻度の結果
以下の図15、表22、および図29、表55はそれぞれ第3章と第4章で明らかになった
<われ>の明示頻度と<する>表現の使用頻度の通時的変化を調べた結果である。
図 15 <われ>の明示頻度の変化
0.0%
5.0%
10.0%
15.0%
20.0%
中古 中世 近世 近代 現代
144
表 22 <われ>の明示頻度の各時代間の有意差の有無
中古 中世 近世 近代 現代
中古
中世 4.16719581
近世 -7.0102255 1.13387310
近代 0.86049712 -6.8886692 -7.0102255
現代 -1.5077003 -5.8419740 -6.1205492 0.86049712
有意水準αで両側検定 α=5 棄却域|z|≧1.96
図 29 <する>表現の使用の変化
表 55 <する>の使用比率の各時代間の有意差の有無
中古 中世 近世 近代 現代
中古
中世 2.929028
近世 1.712674 -1.23556
近代 1.345799 -3.25179 -2.011703
現代 2.883424 -0.44972 0.1019795 3.303576
有意水準αで両側検定 α=5 棄却域|z|≧1.96
0.0%
2.0%
4.0%
6.0%
8.0%
10.0%
12.0%
中古 中世 近世 近代 現代
145
本研究では、<われ>と<する>の相関関係を調べるにあたって、岩永他 (1996) の基準に したがって、相関関係の有無および強弱を判断する。独立行政法人情報処理推進機構 (IPA)
(2010:333)によると、2 つの変数x とy について、両者の間に直線的な関連性が認められ
るとき、x とy の間には相関関係があるといい、相関関係の程度を示す数値を単相関係数 という。単相関係数は-1 から+1までの値をとる。単相関係数が-1もしくは+1に近い 時は2 つの変数の関係は直線的で、-1もしくは+1 から遠ざかるに従って直線関係は薄 れていき、0 に近い時は変数の間にまったく直線的な関係はない。このような相関関係の 強弱は、岩永他 (1996)と吉田 (1998)で次の表56の基準によって判断されている。
表 56 相関係数と相関性の度合い
相関係数 相関性の度合い 0.0 ≦| r |≦ 0.2 ほとんど相関なし
0.2 <| r |≦ 0.4 弱い相関あり
0.4 < |r| ≦ 0.7 比較的強い相関あり
0.7 < |r| ≦ 1.0 強い相関あり
(吉田 1998:74)
本研究は以上の表56にしたがって指標間の相関性の強弱を判断する。
5. 4 <われ>と<する>表現の相関性
<われ>と<する>表現の変化の間に相関関係があるかを調べた結果が以下の表55、表56、
表57および図30である。
146
表 57 <われ>と<する>表現の各時代の使用比率
<われ> <する>
中古 0.127272727 0.095238095
中世 0.080808081 0.041666667
近世 0.06661251 0.064981949
近代 0.165000000 0.110047847
現代 0.150000000 0.048837209
表 58 中古から現代の<われ>と<する>表現の相関関係
<中古~現代>
われ する
われ 1
する 0.55983819768772
65
1
表 59 中古から近代の<われ>と<する>表現の相関関係
<中古~近代>
われ する
われ 1
する 0.845337345631859 1
147
図 30 <われ>と<する>表現の相関関係
中古から現代の<われ>と<する>の出現率の相関係数はr=0.55と弱い正の相関はあるが、
現代を除くとr=0.84の非常に強い正の相関がある。現代では<われ>の明示比率が近代より 有意に低くなかったことがこの相関関係を崩していると考えられる。
5. 5 まとめ
中古から近代にかけては<われ>の明示頻度と<する>表現の使用頻度の変化は同様の動き を見せたが、現代でのみ異なる様相を見せた。この要因を探るために、次章からは第4章 で収集した心理動詞構文の<する>表現と<なる>表現の中身をより詳しく見ていく。<する>
表現は使役受身構文、<なる>表現は刺激を表示する格助詞の使用の観点から、各時代の構 文選択の傾向を明らかにし、近代と現代でどのような違いがあって、<する>表現の使用で 有意差が出たのかを探っていく。
<
す る>
の使 用 比率
<われ>の明示比率
148