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第 4 章 農村の格差と農民の移住:郷鎮・村データを用いて

2. 補助金とターゲッティング

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ることを目標としている。新県城の建設のためには、土地の収容と、新県城での労働 力の確保が必要となるため、周囲の農民を移住させなければならない。中陽鋼鉄が所 在するT村は行政合併によって近隣の村と合併し、農民の移住と土地収用が大いに進 展した。この新県城建設と移住の背景には、中陽鋼鉄からの税金と寄付によって県経 済を発展させ貧困を緩和し、同時に江沢民の妹である中国林業科学研究院院長の江沢 彗によって山西省の退耕還林モデル県に指定されたため退耕還林を促進させたい県政 府と、企業をより発展させたい中陽鋼鉄の思惑の一致がみられる。

中陽鋼鉄と比較すると納める金額は少ない炭鉱についても、県は優遇している。例 えば炭鉱の採掘が原因で農民が移住しているが、農民を移住させずに住居を補修し採 掘を制限する方法も考えられる。ところが県が石炭採掘を優先させているため、結果 として県の移住計画は貧困地域よりも石炭資源が多く眠る地域を優先する形となった。

また、無理な操業が原因で炭鉱事故が相次いで発生しているが、検査は短期間で終了 し経営への影響は小さい。県がここまで炭鉱を優遇するのは、炭鉱からの税収・寄付 金よりも、むしろ炭鉱と中陽鋼鉄の間には、洗炭工場とコークス工場を介在する、原 材料取引の関係があるからである。つまり石炭採掘と移住の背後にも、上述の思惑の 一致がみられる。

こうして中陽鋼鉄の開発に伴う土地収用、炭鉱の採掘に伴う地盤沈下、そして政府 が実施する退耕還林と行政合併、これら三つの経路によって農民の移住が進展してい る。

低所得地域には政府による移住の経路がしか存在しないことが問題である。政府は 低所得地域の郷鎮政府所在地に小城鎮を建設し、周辺の農民を移住させているが、政 府は移民に対して仕事を斡旋しないし、小城鎮の付近には中陽鋼鉄や炭鉱が存在しな い。結果的に移民に対して非農業への転職を保証していないため大幅な所得上昇には つながらない。したがって移住と転職のメカニズムが低所得地域に存在しないことが、

中陽県における郷鎮間所得格差の原因であるといえる。

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高いことが確認できる。低所得地域に対して、同じように援助していれば、同じ割合 だけ所得が上昇するはずである。なぜ低所得地域の中でも、最も不平等を強く感じて いる、より貧しい郷鎮に対して、より多くの援助をしなかったのだろうか。

貧困県である中陽県には 2000 年時点で純収入 500元以下の貧困農民がおよそ 8000 人存在していた。2010 年での全員の貧困脱却を目指し、郷鎮、行政村、世帯(個人)

レベルにおいて様々な扶貧政策が存在している。

郷鎮レベルでは、三つの低所得郷の中で最も平均所得が高い下棗林郷だけが省の貧 困郷に指定されている。2004 年から 2005 年にかけて、下棗林郷の所得増加率は県内 で最も高い45.2%であるから、他の郷に比べて多くの補助金を受けていることが想像 される。なお、県政府での聞き取り調査によれば、かつて下棗林郷の南には呉家マオ 郷という低所得の郷が隣接していたが、下棗林郷と合併した後に旧呉家マオ郷の農民 1 人当たり純収入が大幅に増加したというから、省の指定を受けることに成功さえす れば所得を大きく引き上げることができるといえよう。

行政村レベルでは、山西省のプロジェクト対象になった行政村の全農家に年 1000 元を補助する制度がある。補助金は1年限りであり、毎年対象となる行政村が変更す るため、2006年現在、全県で 100ある行政村のうち、わずか 4~5 村しか対象になっ ていない。

世帯や個人レベルでは、以下のものがある。まず、養殖や野菜ハウスの設立を目的 として合計200万元の補助金を、申請した農家、すなわち労働意欲のある人へ直接支 給している。さらに民生局から零細農家への1000元の救済資金が補助される。

これらの補助金は、郷鎮や村、あるいは世帯や個人を選別しているため、受給でき ない地域や世帯の間に所得格差が発生する。特に郷鎮と村に対する補助金は、貧困層 に対するターゲッティングにおいて問題がある。なぜなら省の貧困郷より貧しい郷が 実際に存在するし、県内最低水準である農民1人当たり純収入 500元未満の村を優先 しないからである。それゆえ、貧しい郷鎮であればあるほど、郷鎮間格差の縮小を感 じていないのである。

ただし、これらの扶貧政策に伴う所得移転が全体として低所得農家の所得上昇に結 びつき、県内の郷鎮間所得格差を縮小させていることもまた事実である。

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おわりに

Rozelle(1994)は 1980年代の沿海部における、ある一県内の郷鎮データを用いて、

県内郷鎮間所得格差を分析し、格差拡大の原因は郷鎮企業の発展であると結論づけた。

本稿は 2000 年代の内陸部の県内郷鎮データを用いて分析したが、Rozelle 同様に、郷 鎮間格差の主な原因は龍頭企業(郷鎮企業である中陽鋼鉄)の発展と農村余剰労働力 の吸収であり、既存研究と同様の結果を導いたといえる。すなわち、内陸部農村で蘇 南モデルがみられたのである。

しかし龍頭企業の発展の背景には、単純ではないメカニズムが存在しているため、

先行研究とは異なる結果も多分に含まれている。すなわち、退耕還林政策による生態 移民、中陽鋼鉄の急成長に伴う土地収用、資源価格高騰がもたらした石炭採掘による 住居崩壊、寄付金・税金と環境保護政策・開発政策をめぐる県政府・龍頭企業・炭鉱 の利害関係、これらのメカニズムの存在により、一部地域では農民の移住と非農業へ の転職が進み、農民の所得が急激に上昇し、農村の地域格差が拡大したのである。

さらに付け加えるなら、低生産部門から高生産部門へ余剰労働力が移転したため、

結果として、少なくとも2000年代の一時期においては、県内における都市農村間所得 格差は縮小し、低所得地域への扶貧政策によって農村内の地域間所得格差も縮小を始 めている。

無論のこと本稿では、一つの県だけを対象にしているため、本稿における結論を内 陸部貧困県における農村の地域格差に対して一般化することはできない。今後、多く の県を調査し、郷鎮や村レベルでの信頼できるデータを収集し、貧困県農村における 地域格差の問題を分析することが望まれる。

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