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実際に「リヴァー・リスニング」プロジェクトで得られた水中音はオンラインのデータベースに登録され、

オーストラリア河川協会に渡されるとともに、サウンドマップやリスニング・セッションのようなかたち で一般公開される。ここでもヴィンデレンのプロジェクトと同じように、水中音の用途を録音作品の素材 や科学の分析のためのデータなどと固定するのではなく、それを録音し、聴取することによる環境理解の 可能性を最大化するための柔軟なフレームワークが特徴となっていることがわかる。

しかしながら、以上のヴィンデレンやバークレイのプロジェクトは、その全体的なコンセプトとして水 中生態系の破壊といった環境問題への対処、それに向けての聴覚的鋭敏さの向上といった方向性が掲げら れており、音環境をある種の世界の指標とみてそれを集中的な聴取によって改善していこうとする一種の サウンドスケープ思想の枠組みが活動の規範となっている傾向が認められる。しかし、このようなオープ ンな枠組みによって聴取の経験を組織しようとする動きは、サウンドスケープの文脈のみで起こっている わけではない。

《ザトウクジラの歌》の監修者であるロジャー・ペインが、「ホエール・ハワイ」というラジオ局を開設 し、クジラの声をリアルタイムに放送する架空のプロジェクトを構想していたことは前章で述べたとおり である。また、海洋科学者のマイケル・アンドレは、海洋生物音響学の研究素材として広く深海の音を提 供するために、ハイドロフォンが設置された深海の環境音をライヴ・ストリーミングするオンライン・ア プリケーション「深海環境を聞く Listening to Deep Ocean Environment(LIDO)」を開発・公開した(André et al. 2011)。このように、科学者はしばしば関心の対象となる水中音のブロードキャストを想像し、試み てきたが、それを芸術の文脈で解釈した作品が、ケイティ―・パターソンによる《バトナ氷河(の音)

Vatnajökull (the sound of)》(2007年)である。本作品は当初インスタレーション作品の一種として提示さ れたが、実際にギャラリーの壁にはネオンサインで電話番号が提示されているに過ぎない。しかし、その 番号にその場で電話をかけると、アイスランド最大の氷河であるバトナ氷河のラグーンに設置されたハイ ドロフォンにより、リアルタイムに溶解する氷河の音が中継される仕組みになっている。いっけん地球温 暖化に対する反対の意志を表明するかのようなこの作品は、しかしながらその自由で両義的な解釈へと開 かれている点に特徴がある。パターソンは次のように述べている。

偉大なるものが破壊されている音を聞くことは、ある意味で心の痛む出来事です。しかし、それはま た非常に美しく、自然を称えるものでもあるのです(Kennedy 2007にて言及)

このようにパターソンは本作品から環境破壊が連想されることを認めているが、それをエコロジー運動の 文脈に結びつけるようなコメントを慎重に抑制し、ただ電話をつうじて音のみを伝えることによって、そ の解釈を方向づけないよう注意を払っている。そのため、《バトナ氷河(の音)》は、見方によっては地球温 暖化の実態をレポートするリアルタイムのドキュメントともとれるし、電話という身近なメディアを利用 して地球規模のダイナミックな自然現象との結びつきを印象的に表現する作品とみることもできる。その どちらもが同時に、あるいは流動的に起こり得るような、オープンな音の経験を提供するのである。

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藤枝守の《珪藻土の声 Voices from the Diatomaceous Earth》(2009年)は、焼成された多孔質の珪藻土 を、ハイドロフォンの仕掛けられた水槽に沈め、それが吐き出す複雑な気泡の音をパネルスピーカから聴 取するインスタレーション作品である(図45)。著者自身も幾度か制作に関わったこの作品では、事前に予 測することのできないカオティックな気泡の響きが、石を水に沈めるという参加者の行為にしたがってリ アルタイムに立ち上る構造となっている。藤枝は本作品にについて次のように述べている。

その音にじっと耳をかたむけてみると、ときおり虫や鳥が鳴いているようにもきこえ、あきらかにパ ターンをもっていて、ずっと聴いていても飽きない。おそらく、このようなパターンは、珪藻土の複 雑な多孔質の内部構造が水の侵入にともなって音響的な「かたち」となって現れたものと考えること ができる。[…] 一二〇〇万年という時間の堆積のなかに入り込んだ「気」が「音」に転化した珪藻土 の息づかいは、一時間以上も途絶えることなく響き続けた(藤枝 2010: 21-22)

このように、藤枝は第一に珪藻土の気泡音の音響的な魅力への気づきを語り、そのうえでその魅力的な音 のパターンを珪藻土の生成過程(植物プランクトンの死骸の堆積による)を反映した多孔質構造と結びつ けている。ここでも、確かに音はある環境(珪藻土の内部構造)の指標として位置づけられているが、その 結びつきはあくまで緩やかで想像的なものである。そして、パターソンの《バトナ氷河》と同じく、それが 意図的に演出されることもなければ、その聞こえの経験が予め方向づけられることもない。ここにも、実 体化された作品やサウンドスケープ的枠組みの影響を離れて、音を聞くという行為そのものへ回帰するよ うな傾向を認めることができるだろう。

図45.藤枝守《珪藻土の声》の様子 [撮影:藤枝守]

最後に、先にも取り上げたデヴィッド・ダンが2000年代から展開するマイクロ・リスニングと呼ばれる ワークショップ形式のプロジェクトを紹介する。このプロジェクトでは、いくつかの特殊な音を聞くため

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のマイクロフォンを安価に手作りするための方法が作曲家本人によって考案され、実際に指導される。ダ ンによれば、マイクロ・リスニングとは「音をつうじて環境への観察を深めるための科学と芸術の学際領 域にある」プロジェクトであり、「新しい安価なテクノロジーを提供することで、未知の自然/人工現象の 発見をうながし、集合的な環境への感度を高める」ことを目的とした活動である(Dunn 2007)。そしてそ の「テクノロジー」のうちの一つに、ハイドロフォンが含まれている 45。このハイドロフォンの製作方法 はプラスチック容器にピエゾ素子を封入し、そこにミネラルオイルを注ぐというものであり、かつてフラ ンク・ワトリントンが『安価なハイドロフォンの製作法と使用法』に記した方法の一つにほぼ準じている ことから、このプロジェクトを二節で論じたようなホビー・エレクトロニクスの試みへの回帰とみること もできるだろう。しかし、ここではまさにそのようなフラットなホビー的活動こそが、テクノロジーをつ うじた環境との新たな関わり方の指針を示しているという反転した思想を読み取ることができる。ダンは 地球規模で展開する環境問題に対する危機意識を抱いていることを告白したうえで、「作曲家として自らの 時間を使うもっともいいやり方は、自然のメッセージのいくつかにただ耳を傾け、それを他の人たちに伝 えることだと考えたのです」と述べている(ダン 2008: 94)。つまり、彼は環境問題に対する問題意識への 応答として、単に音にメッセージ性を加えたりそれを神秘的に表現して人々の情動を喚起したりするので はなく、あえて多様な解釈へと開かれたシンプルな聴取の行為へと向かおうとしていることがわかる。そ こには、ホビー・エレクトロニクスの世界にもつうじる音への好奇心が、実は我々の新たな自然環境との 関係性を展開する原動力になり得るという、音を実証的に扱おうとする科学的な文脈とは反対の方向性を 持つエコロジー思想の具現化を認めることができるだろう。

以上のような実践群は、いずれも音を録音作品として固定化するのではなく、聴取の経験それ自体を組 織したり、その機会を作り出そうとしたりする試みであった。それらは、あえて音を作品表現として実体 化しないことにより、自由な解釈に開かれたオープンな音の体験を提供している。もちろん、こうした実 践がいかなる芸術的意義を持つかという点には個別に議論の余地があると考えられる。しかしながら、特 に近年になって、こうした流れに位置づけられる実践が盛んに試みられている事実は無視すべきではない。

前章で述べたように、海洋生物の音についての科学的理解の進展は、海中の音世界を徐々に分節化し、い くつかの段階を経てやがてそれに社会的な意味を与えていった。しかしながら、それは音をいかに聞き、

想像すべきかという問題に対する解釈を画一化する作用も併せ持っていた。それに対して、このような芸 術実践は、聞くという行為の可能性を所与の思考に基づいて方向づけるのではなく、それを―芸術的な 枠組みすら相対化しながら―再び開放するような運動とみなせる。すなわち、新たに知覚化された水中 の音世界が我々にいかなる想像力や世界認識をもたらすのかということを、現代の音響芸術の自由な形式 において改めて問い直そうとする動きを認めることができるのである。

45 その他には、地中の蟻の巣の中の音を聞く挿入型マイクロフォン、樹木内の音を聞くためのマイクロフォン、コウ モリの鳴音をはじめとする空気中の超音波を聞くためのマイクロフォンなどがあるが、アクセシビリティの向上を 図るために、すべて数千円以内の予算で容易に製作可能なようにデザインされており、さらにオンラインで製作マ ニュアルが公開されている。