えで
め本中
@c
論
的い
っは て 宗 の
考え、
思想 教
已、
33@ (479)
教 士不 四 自己から他の愛への認識へと進んだ啄木の意識 は ︑やがて︑人間をこえた無限の喜悦︑光明への 憧惧と ︑それを 追
永 しようというところへ発展しでいく︒﹁自我 拡張﹂から出発した啄木の心の遍歴は︑﹁自他 融 合 ﹂を目ざす方向へ 向 って進展していくが︑その時︑自我の拡張に ある愛は︑自己を愛する者のみ愛するという偏狭 な 愛から︑愛とはす べてを包み︑一体となり︑融合するというところ へまで拡大するのである︒
自己を越えて自他融合にいたった時︑その﹁ 自 他 融合﹂の﹁ 他 ﹂として︑啄木は︑人間を越えた 宇宙の実在︑大い なる 昔 ギ心を考えた︒この 大 いなる 意 生心 が︑ 単に 自己拡張のみでなく︑自他を融合し︑外界を一心 に 包容するという 自 覚 にたつ時︑人の心に激しくインスパイアする ものがある︒それが信仰である︒啄木はこのよう さらに︑
﹁人のキャラクターを琢磨するのは唯一︑自ら 困 苦し︑ 自ら煩悶するの 外 ないと思ふて ぬる ︒ そ して 願 くは自分 も 成る丈多くの困難をへたいと希望して ぬ るの だし
られる︒それは︑詩人として華々しく活動してい る 啄木ではない︒ 病
を 養いながら︑人間関係の蹉趺を意識しながら︑ それをこえたある力にすがり︑それによって 自 己を生かそうという 努力の姿である︒それでは︑啄木のい う ﹁自己 拡張﹂の意志と﹁自他融合﹂の愛の合一にある 信 仰の姿は︑啄木にと って︑具体的にどういう意味をもっていたであろ ぅか ︒
れを既成の
﹁
すること
ば次期の
シチ ーを
として︑白
の分出であ
といって ︑
が︑ 愛によ
する︒啄木 ものではない︑別のかたちで求めたのである︒ 次 の手紙にはそれがくわしい︒
我々の宗教は昔の人の如く他力 教 ではならぬ︒ こ 0 世界に神乃至人間以上の力の実在する事は ︑ 無論否定
の 出来ぬ精神状態にまで意識されて居るが︑それ かと云ってその無上者の命令にさ へ 従ひ︑讃美 して居れ
生活に於て永遠な︑無垢な︑和楽平等な祝福を 得る位の宗教心ではとても 我︐ら 有意生心の人間の木 然 の不セ ︵ 5‑ 2 満足させることが出来ぬ︒⁝⁝⁝﹂
らの宗教は︑﹁人間以上の霊智の 力 を認め︑その 力が 万有の根源である事を認め︑ 更 らに自己も 亦 その カ
ると観じ︑かくて我ら生存の好機を得て︑その 意義のために健闘し努力するのが︑ 乃ち 人間の道 である﹂︵ 2 6 ︶
これを宗教の第一義としている︒そして更に ︑超 意識的な神の 力 が世界を支配する根本意志であ り ︑それ
って進歩するところに宗教的人格の地位が確立︑ 真人の境に悟入してその奥儀をき ね めることが できると
は ︑これを人格的宗教とよび︑説教や説諭をこ ‑ えて︑その人の人格に体現されたものこそ真の宗 教 である ︵ り巧 ︶ も 世の何人にも劣ることはき真理の愛僕なり﹂ という啄木は︑宗教そのものには大きな関心を抱 きながら︑しかしそ 啄木は禅宗の寺の出である︒父は僧侶であった し ︑母方にもその系統がある︒そのままでいれば ︑ 寺を継いで僧侶
となる筈の地位にあった︒しかし︑啄木は ︑文 学 に進むととでこれを退けたのである︒仏教にっ いての素養はあった
が ︑それは啄木の選ぶべき信仰ではなかった︒
キリスト教は︑当時の文化の中では新しい輝き をもっていた︒啄木の回りには︑キリスト教と関 係の深い者が幾人
かいた︒しかし︑これも︑啄木の心に灯をとも すにいたっていない︒﹁我は仏徒に非ず ︑ス 基督 教徒に非ず︒然れど
(480 ・ )
既成宗教に対しては︒啄木は積極的にこれを 受 け 入れていない︒一方︑積極的にこれに反抗の 舌 口を弄してもいな 4 七 い ︒反対の態度はむしろ別のかたちの宗教を提出 することによって︑消極的に低されているとい える︒
木
ナ
﹁ 石 甘 "思想と宗教
の をさしている︒
この神は︑啄木に於て ︑ 美と結びつく︒明治竹竿 0 日記 甲辰詩程 冒頭に ︑
﹁美は神の影なり︒理想の花の一 % なり︒象られ たる無窮なり︒之を求むるはやがて太一︑絶対 に 融合するの
謂峨
はるのみ︒かくして︑我は我自らの内に無窮を見 ︑永生を見︑不滅を見る︒これ 神 なりや︑ 果 た我 なりや︑知ら ︐ ︒ただ︑この世の栄誉を超へ︑争を超へ︑ 不 幸を超 へたる 浩 藻の極みに︑我が霊が永劫の栄 光 を友とするを 知 3 結合する境地︑之を信仰とは 云ふ ﹂︵ 7 2 ︶ ︵ 鴉 ︶ そして︑自然の中に﹁ある動かすべからざる 明 哲の ㌔ ぴ ︶を見︑﹁人生諸相の浬 円 とした融合の世 界 ﹂を創造できるの ‑ ㏄︶ は ︑自然の中に我を見出せる人である︒啄木はし ばしば神という語を使っているが︑それは︑ こ 0 字 宙に 遍満するも とするのである︒これは暗に︑教義︑儀式中心
親しみ︑神の道のために健闘する宗教心でなく てはな か 聖典によって︑随意に自家信仰の糧としなけ ればな が ︑これはいうまでもなく︑ニィ チェ の超人に よるも 合 ﹂の一致した宗教的人格を見ているのである︒ ここ
ことにする︒
啄木は︑このようにに宇宙の根本意志を ︑ 神と して る ︒自然の中に神を見︑宇宙の中に神を描くの
啄木の書いたものの中でしばしばあらわれてい る ︒
﹁信仰は無限の権威なり︒宇宙の中に我の遍満 す る 既成宗教を批判しているのである︒真の宗教 は ︒直接に神に
らず︑それにいたるためには︑法華経であれ︑ 聖 書 であれ︑ 何 みないというのである︒ここで︑真人の思想が 表現されている のである︒そして︑啄木は︑真人に︑ 一 ︐自己拡張 ﹂と﹁自他 融 に 啄木の天才 憧 慎思想があらわれる︒が︑それ はのちにふれる とらえる立場にたったが︑これは︑いわぬる 汎 神 論の立場であ
わば 脱 キリスト教思想であり︑ 又脱 他力 教 でも ある︒これは︑
るを見︑若しくは︑我の中に宇宙の呼吸を聞き て︑ 人と宇宙 と
︵ 4 3 ︶
﹁生は斯く感じ︑斯く信じて詩のために努力して 居る︒ 又 ︑将来︑詩とは限らず︑凡て我が赴く 所にこの信念に
よって行動しゃつと思ふて居る︒それ故に我に
ここにいう斯く感じ︑斯く信じたというのほ ︑ 神の知が宏大無辺で神の愛が無差別で微妙であ るということであ
る ︒啄木にとって詩は神につらなるものであった
このように啄木が時に生命の輝きを見出してこれ に 没頭したことは︑その背後に宇宙の根源であ る 実在につながる
意識が強くはたらいていたからである︒啄木は ︑ 人間を超えた宇宙の大いなる 力 は︑万有の根源 であり︑自己もこの
根源から今出されたものであると考えた︒した がって自己の存在は有意義である︒有意義である からこそ︑人間はそ
の 意義のために努力しなければならない︒宇宙の 大いなる意志は︑﹁自己拡張﹂と﹁自他融合﹂ を 求めて居り︑その
要求に応じて︑人間は努力しなければならない︒ それは︑具体的には与えられた仕事に没頭する ことによって果たさ
れる︒それの達せられたところに一つの境地が ある︒この宗教的境地は︑﹁自己拡張﹂と﹁自他 融合﹂の両面を克し
た 人によって達せられる︒宗教的人格であり︑ 啄 木 はそれを真人とよぶ︒人間の生存の意義は ︑ 天職を全うするよう
努力して﹁真人﹂の境地にいたることであり︑ 天 オ のみがこれをなしとげ ぅ ると啄木は考えたの ︵㌍ ‑ ﹁詩は理想一花︑神の影︑而してまた 我 生命に 候 同じようなことは︑ ‑ ㌍ ‑ ﹁私は︑詩神の奴隷の一人としてこの世に生れた と 信じて居ります︒詩は我生命である︒ ﹂ とあり︑また︑ ︵・ 3 ︑ ︶
< は 882) 3 り
啄木は以前から梁川に心を寄せていたが︑その 説 に帰依はしなかった︒梁川とは︑かつて詩を論 じ ︑宗教を語った 麹 ことがあり︑梁川における 詩と 宗教の合一に 深く動かされていた︒梁川の見神の体験︑それ による自分の使命の達成 想への抱負が︑啄木にとっては強い刺激であっ た ︒その頃︑病床にある梁川と啄木との間に幸一正 的 感応があったこともあ の手本であった︒しかし︑啄木は梁川の宗教に ついて次のように批判し 恢 ている︒その根本は︑啄木のいう哲学︑世界 の 二面性は︑﹁自己拡張﹂と﹁自他融合﹂をも とにし︑これが合一した 石 ところに理想の宗教的境地をおくのであるが ︑梁川は︑この二面性についてはみとめながら ︑啄木とは反対の立場に
37 (483}
否 しているのではない︒解釈をかえて︑ひとつ の 宗教を異なる角度からとらえようとしているの である︒その点で注
目していいのは︑綱島梁川の宗教についての 味 木の態度である︒ ︐ ︵ 6 3 ︶ ここで
る︒ ニイ
の超人を
人主義の
は︑すで
とってい
から︑ ニ
く 努力を
ては︑ 一
啄木の ︑啄木のいう真人が出てくるのであるが︑これ は ︑前述したごとく︑ ニ イチェの﹁超人﹂の思想 から出てい
チェ によれば︑超人ほ︑自己をふくめた一切な 支配する者で︑心身共に人間をこえた理想的人間 である︒ こ 目 ざして︑人間は努力する︒啄木もその一人で ある︒啄木が ニ イチェに深く共鳴したのは︑ ニイ チェ が ︑個 究極に﹁超人﹂をもってきている点である︒ 啄 木の胸中には︑天才 憧 惧の気持が強くはたらいて いる︒啄木 に 幼時から自分の オ を信じ︑周囲もこれを 看 して いた︒自分は天才であるという意識は︑啄木に 常にっき ま る ︒その意識をもっていたことを︑後年回顧 し て 反省しているのは印象的である︒このような 啄 木 であった イチェへの超人をもとにした天才 憧惧が 強く心 にやきつけられ︑自分がその超人︵啄木のいう 真 人 ︶たるべ 傾け う くし︑詩を づ くり︑歌を詠み︑小説を書 いたのである︒とくに︑芸術の極としての詩が ︑ 啄木にとっ 番の心の支えであり︑その意味で宗教意識を伴 ︐ つものであった︒
このような宗教意識は︑既成のものへの対抗にそ 0 基礎をおいている︒啄木は︑既成の宗教を全 く 否定し 拒