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れ  題

ドキュメント内 『宗教研究』215号(46巻4輯) (ページ 100-113)

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福音書の成立 

起は ︑このように総合的な見通しが立つように なった時点で︑初めて可能になったわけである︒ 

組織神学者達の黙示文学に対する関心は︑現代 の時代状況における将来志向にあてはまるものを 黙示文学の中に見  出したことによるのかも知れないが︑個々の 動 機は若干異なっていると思われる︒マルクス主義 との折衝を求める 

・モルトマンにおいては︑ K. マルクスや F. ェン ゲルスが黙示文学を重視していたという事実が ︑なにがしかの影響 ︵ 4 l ユ ︶ を 与えているということも考えられる︒ともか く ︑伝統的にキリスト教神学の中心問題からはず され︑どちらかとい  えば︑異端と結びっき易いものとみなされてきた 黙示文学に注目するということは︑組織神学の 閉塞状況の中では︑ ︵ 二リ l Ⅰ ︶ それだけで︑一応の革新的意味を持っていたので ある︒他方︑新約聖書学者達︑特に E. ケー ゼ マンにおける黙示 文 

学 復権の直接的動機は︑ R. ブルトマンに対する 学問的批判であったと思われる︒即ち︑ R. ブル トマンが︑原始キリ 

スト教の終末論を︑飲口不文学の思想との対比の 

︐ っ ちに描き出そうとしていることに対して︑疑問 が 投げかけられたの  である︒︵ 6‑i  このような試みは︑﹁史的イェスの問題 ﹂︑﹁・編集史的方法﹂についての論議と共に ︑ブ ルトマン学派の自己 ︵ 7 l Ⅰ ︶ 展開の作業の一環とみなされるべきであろう︒ R. ブルトマン自身︑ E. ケー ゼ マンの問題提起 を 受けて︑ 一 論文を ︵ り W ︶ 発表している︒ 

黙示文学の問題をめぐる最近の学界の動きは︑お よそ以上のようであるが︑ここでは︑組織神学 面には立ち入ら 

  

考えてみることにする︒編集史的方法に基づく 土 ︵ 観 福音書研究によっ 

い う 形容詞には注目しなければならない︒ 

は ︑ 初めから統一的なものではなく︑むし 

捨 選択と調停が行われ︑次第に統一されて 

るようなものが見出されれば︑それに基づ 

最初期の段階において保障されていたこと 

に慎重に検討されなければならない︒ 

E, ケー ゼ マンの第二の認識に対して 繰 

ということであった︒この問いは︑最初︑  最近の研究によれば︑新約聖書に反映されてい る 原始キリスト教の思想 

ろ ︑多様な思想の葛藤の中にあり︑やがて︑ 内 的及び外的要因に基づく 取 

いくものと考えられる︒しかし︑もしすべての キ リスト敬神学の根源とな 

いて原始キリスト教思想全体を見通す可能性が開 かれ︑統一性は︑すでに 

になる︒ E. ケー ゼ マンの命題は︑このような 問題との関連において︑ 特 

返し提起されてきた疑問は︑そもそも﹁黙示 文 学 ﹂をど う 定義づけるのか ︵ 2 ︶ G. エ ーベリンクによって投げかけられ︑ E. ケー ゼ マンは︑﹁原始キリ    

ぬ永文学に関する E. ケー ゼ マンの論文の中で 最も有名になった命題は ︑ 次のようなものである ﹁イエスの説教  は ︑本来神学とはいえないのであるから︑黙示 文 

  

﹂この命題には︑ 二  つめ 重要な認識が含まれている︒まず第一に ︑ィ エ スの宣教は︑独特なものとして︑所謂﹁神学 ﹂とは区別される︒ 

この場合の神学という概念は︑一般的な広い意味 で 用いられているのではなく︑キリスト教の教 義の基礎となった 弁 

  証 作業をさすと考えられる︒そして第二に ︑ ﹁ キリスト教神学﹂と呼ばれうるものは︑すべて︑ 黙示文学を基盤とし 

て 生まれ出たものとみなされるのである︒ 

第一の認識は︑史的イエス と ケ リュグマ のキ リ ストを一応区別してとらえようとする R. ブルト マン以来の問題意 ︵ 弟 ︶ 誠 にそったもので︑それ自体特に目新しいもの ではない︒しかし︑第二の認識は重要で︑就中 ﹁ヰ べての﹂︵ リ 二︶ ンし 

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幻  ︑偽名性︑メシア表象︑動物による象徴︑  数  に  意味を持たせること等々の二次的特徴を加える  ことによって︑黙示  文学の大体の姿を描きうるが︑︵  5  2  ︶  歴史的にどの  範  囲までをこれに含めて考えるかということは︑  容  具  に決定し難い︒  H  D,  ベッ  ツ  は︑黙示文学を︑純粋にユダヤ教内  部の孤立した現象とは見ず︑ヘレニズム的  ︑オ  リエント  的  シンクレ 

  

    

土日 

恵果に導くためには︑特殊な文学類型として  の  ﹁黙示録﹂と思想類型としての﹁黙示文学思想  ﹂とを区別する必要があ  思  営め︐    

  

佐にメスを入れるために有効な試みといえよう  ︒即ち︑これによれば︑     恩  いきなり一般的な定義から出発することはせ  ず  ︑さしあたり黙示文学を思想傾向の面でとら  え  ︑しかも︑﹁原始キ  リ 

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‑ 袖 ︶ スト 教 黙示文学という主題について 1 一の冒頭の注 で︑次のようにこれに答えている︒﹁黙示文学 という術語もあいま  いなままであることは否定できない︒しかし︑ あ いまいでないような術語があるだろうか︒文脈 からすれば︑私がほ  とんどいつでも︑間近な再臨待望︵ 色 す名 笘汗い ま ひ rtu 品 安 つゅ ru の︵の︶を表わすために︑原始 キ リスト 教 黙示文学に  ついて語っていることは明らかである︒﹂これは ︑黙示文学を新たに定義しょうとする試みでは なく︑むしろ︑その  ような定義が陥り易い観念性を避け︑実際にど のような歴史的現象が黙示文学という術語の背景 にあったかを見極め 

ようとする試みであるといえよう︒ 

確かに︑黙示文学一般の定義をめぐっては︑ 従 来 多くの見解があり︑必ずしも一致した結論に達 しているとはいえ  ない︒一応︑間近に迫った終末の到来に対する 強い関心とそれにともな う 二元論的思惟を基本的 特徴とし︑さらに︑ 

八 ︑一ノリント人への第二の手紙﹂一二・一1匹 ︑ ﹁エペソ人への手紙﹂三・三 | 一二︑ コ丁 サロ ニ ケ人への第一の手  ︵ 04 3 り ︶ 書 ﹂一七・二 01 三七があげられる︒また︑ 断 片 的なものとしては︑﹁コリント人への第一の手 紙 ﹂一五・二 01 二  スト 教 黙示文学﹂として︒歴史的に対象を限定 する︒歴史的に限定されれば︑扱われる文献の 範囲も定まってくる 

が ︑ E. ケー ゼ マンは︑文学類型にとらわれず︑ 広く思想傾向の痕跡をさぐろうとしている︒ こ れは︑黙示文学の定 

ら︑ 私は︑そこに︑広範囲にわたる復活 節 後の  と 保持され︑ユダヤ教黙示文学の伝統から神学  という意味での原始キリスト教黙示文学は ︑復  が ︑さらに︑それと結びっいた特徴を﹁熱狂 主  義 の問題の困難さをふまえ︑特殊的限定を通じ 

は 当面の問題ではなく︑ E. ケー ゼ マンの限定  よう︒従って︑ここでは︑ G, エーベリンクの 批 

前述のように︑ E. ケー ゼ マンは︑﹁原始キリ 

︵㏄︶  熱狂主義の最初の段階を見出すのである︒し ‑0 3  ︶ その  的に 養 われ︑遂には︑熱狂的な希望と宣舌口をと  活 部位の聖霊体験を通して生まれ︑聖霊を受けた  て ︑一般的なものへの見通しを切り開こうとする にそってその妥当性を検討することが必要になる 義 

﹂ 釜 コ目完守の 日扁 ︶に見出す︒﹁私の考えてい  判 にもかかわらず︑黙示文学一般が正確に定義 スト 

教 黙示文学﹂の思想傾向を﹁間近な再臨待望 

堤 八口の待望の内容は ︑  もなうものであるか  人 によって生き生き  試みとして理解され るような間近な待望  されているかどうか のである︒ 

﹂としてとらえた 

さらに具体的にいえば︑﹁即位する人の子の顕 現 ﹂であった︒黙示文学的思想傾向を︑特定の歴 史的形態においてと 

らえようとする E. ケー ゼ マンの意図が︑ここ にうかがわれるであろう︒ 

論議の対象をさしあたり思想傾向に限定すれば︑ 用いられ ぅる 資料は ︑ 必ずしも所謂 コ 黙示録﹂ 的形態をそなえて 

いる文書だけでなくてもよいことになる︒新約聖 書の中に見られる黙示録的な箇所は︑黙示文学 の 定義の仕方による 

変動を考慮に入れても︑それほど多くはない︒ 比較的まとまった箇所としては︑普通︑﹁ヨハネ 0% ど 本銀﹂︑﹁マルコ 

による福音書 口 一三とその平行記事︵﹁マタイ Ⅰに ト ネる福士 日 垂口﹂二四︑﹁ルム刀に トレ よる 福 土日車 日 ﹂三一 ︶ ︑ ﹁ル力による福音    

  

  

  

      

肚 吊文学の思想    ︑今のところ︑ E. ケー ゼ マンの推定に特に反 対すべき理由は見出され  ないであろう︒しかし︑カリスマ的な巡回預言 者によって指導される教団組織は ︑ ﹁ヨハネに よ る 福音 圭旦や ﹁ ョハ 

矛の黙示録﹂の背後にも想定されてしる ︑ Ⅱ︒︵ 6 3  ︶ もし︑ 教団組織が︑そこで支配的な神学思想と何らか の 関係を持っとすれ 恥 

ば︑ ﹁マタイによる福音書﹂の背後に最古の神 学 思想の痕跡を求めることが果たして妥当である かどうかは︑もう 少 50   し 慎重に検討されなければならないであろう︒ と もかく︑復活 節 後のキリスト教会の形成が ︑エ ルサレムを唯一の中    

書の成立 

会の首導者であったことがうかがわれるという ぎ ︵ 43 レ ﹁マタイによる福音書﹂は︑この地域で成立し 与 にので︑他の福士日重日 ︵ ぺ 3 ︒ ノ よりも古い時代の特徴をとどめているわけである     紙 ﹂ 四 ︐一 二| 五・六︑﹁テサロ ニ ケ人への第二 の手紙﹂一・四 |一 0 ︑ ニ ・ 一| 一二︑﹁ ヘ ブル 人への手紙﹂一二・ 

三三 ︒ 二九︑﹁ヤコブの手紙﹂ 五 ・セ ー一 Ⅰ﹁ ペテロの第一の手紙 し 一二千一五︑﹁ペテ ロ の 第二の手紙﹂ 三 ︐  一 01 一 三︑﹁ ョ ハ不の第一の手紙﹂二・一八 | 二八︑四︐ 一 1人︑﹁ヨハネの第二の手紙﹂ セ等 がある︒それに対し  て ︑正典外には︑いくつかの黙示録的な文書が 知られている︒ところが︑ E. ケー ゼ マンの説は ︑これら正典内外の  文書に基づいて立てられているわけではないの である︒ 

前述の命題を提出するにあたって︑資料として 用いられたのは︑専ら﹁マタ イ による福音書﹂で あった︒ E. ケ| 

ゼ マンの主張によれば︑原始キリスト教黙示文学 に 基づく復活 節 後の神学を担っていた者達は ︑ 初めユダヤ人キ リス  ト 教徒の少数グループであり︑それがさらに大き な 教会の一つのセクトになり︑最後には︑文献 に 痕跡を残して消滅  してしまったのであるが︑そのような推移が﹁ マタ イ による福音書﹂の背後に現われていると みなされるからであ    の 原初的形態は︑熱狂主義をともない︑﹁パレス ティナ と シリアの 境  目 に存在するいくつかの心教会﹂と結びついてお り ︑そこでは︑カリスマ的な﹁巡回預言者﹂︵ 毛 がコ 年のⅡ づ ︵ 0 で ゴ のむが 教 

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