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で、もしかするとエルジェが何かの折 りに正チ ャンを見てヒントを得たかもしれないし、ある いは両者に共通する 誰かが描いた原型

"が

ったのかもしれない。

私 としては、 日本の浮世絵がゴッホやゴーギ ャンに影響を与えたように、正チャンがはるば る海を渡ってヨーロッパにたどりつ き、エルジ ェという絵描 きに出会ったと想像 したいところ だが・¨ いずれにしても、現代の若い女性が愛 しているタンタンの兄貴格に、彼女たちのお祖 父さんやお祖母 さんのアイ ドルだった正チャン がいたというのは面白いことだ。

私の健康法

前田

 

刑事弁護士

10月 17日 に満80歳にな り、例会で傘寿の祝 をしていただいた。

我ながら、戦前、戦中、戦後を通 じて、 よく これまで生 き延びて きた と思 うが、80歳にも なると、知人や友人か ら、「お元気ですね。80 歳 には見 えませんね。」 と言われ、「御趣味や お楽 しみは何ですか。」 と問われることが多い。

しか し、この「手に手つないで」に寄稿 を求 められても執筆に窮するくらい、自慢するよう な趣味 もないので、そのように答 えると、「それ では何か特別の健康法をされていますか。」 との お尋ねを受けることになる。

そこで、改めて自分なりの「健康法」は何か と考えてみると、週に2、

 3回

の「麻雀」 と月 に 1回 程度の「ゴルフ」が私にとっての「健康 法」であ り、それに加えて、毎 日事務所に出て

「ワープロ」に取 り組んでいることが最大の「健 康法」であることに気付 く。

「麻雀」 も「ゴルフ」 も、文字 どお り「下手 の横好 き」で、パー トナーに迷惑をかけないこ とを信条 としつつ、親 しい友人たちと一刻を過 ごすのを無上の楽 しみにしているが、古 くから の仲間が体調を崩 して参加できなくなってきた のは、寂 しい限 りである。

「ワープロ」は、在官中から親 しんできたし、

「認知症」の防止にも役立つ と信 じて毎 日取 り 組んでいるが、最近は、「パソコン」が主流 と な り、「ワープロ」の機能だけを有する機器が 製造されなくなった上、故障 しても修理 しても らえない状況になったのは困ったことであ り、

親 しい友人を失う思いである。

やむなく中古の「ワープロ」を買い集めて故 障に備えているが、同感の人 も少なくないと思 うので、関係機器メーカーが「ワープロ」の生 産を再開して くれることを心から望んでいる。

休耕 田で

お田植 えまつ り

宮 西

戦後六十余年、異例の経済復興、その後は景 気過熱の反動か長期不況の大波 に襲われた。

片や戦争 も飢 え も知 らない若者達の飽食の時 代が続 く。

この暮 らし方への反省か ら、人は自然に戻 り たい、山村 で暮 らす、そ して帰農へのひそかな 憧れを持つ ようになったのか。

千代 田区永 田町の神社 で、 さほど広 くない境 内での神僕畑づ くり、榊 の挿木、竹林 の造成、

更 には新 島、三宅島のアシタバ栽培 と試みなが らも、田づ くりへの願望は年 ごとに募 りつつあ った。

偶 々建設会社 を卒業 し成田市の東 に戻 った山

林主が規制緩和 のおかげで六枚の休耕 田の再活 用 を計画 された と聞 き、是非共お手伝 いをと申 し出て、集 まった氏子共々四十名、俄農夫 に加 わった。三年前の こと。

この田圃は八年近 くも半強制的な休耕で、当 時の国策 とは言 え勿体 ない農政で した。お蔭で 立木の ような雑草がはびこ り伐根、開拓 に難儀 したが、農機の発達めざましく、田に水 を張 る ことが出来た とい う。

第1回田植 2005.4.30

‑昨

年五月、古式 に則 りお田植 え神事 を行 な い豊作 を祈願 した。

古 くは夜 間に大等火 を焚 き焼 け残 りの柱 の倒 れ方やその方角で年 占をした伝 えが各地に残 る。

さて、休耕 田では、地力がわか らない。丹青 こ めた稲 も白穂が交 じり、窒素分の過大 とされた。

収穫六割。

二年 目、昨年 は三月末種籾、四月十二 日お田 植 え、八月十七 日抜穂祭、稲刈 りと順調 に進み、

ほぼ豊作。減薬栽培のため草取 り、畔刈 りな ど 数回出かけた。

併行 して榊畑手入れ、筍掘 り、大根、野菜の 取 り入 れなど楽 しみ もある。

明年か ら農機 を使 わない田植 え、稲刈 り全 て 手メJり、 田圃の天 日干 しで味の良い「ふ さをと め」を神様にお供えしてはと重い宿題を課せ ら れている。

イタリア版

̀男

はつ らい よ

'

中野

 

豊士

銀行 ―信託銀行

若干時間的余裕 も出来たのを機 に ̀イタリア ルネ ッサ ンスを巡 る旅'に参加、 イタリア各地 10数都 市 を

2週

間か け て訪 ね て参 りま した。

文字通 り̀世界遺産の宝庫'ですか ら、行 く先 々 で歴史的な建造物や美術 品 を目の当た りに し、

シャッター を切 り続 けた毎 日で した。 しか し、

アルバ ムの整理 も一段落 し、振 り返って最 も印 象 に残 ったのは、観光地の現場で、額 に汗 して 働 き、生活 している人々の姿であ りました。 こ れぞ、 イタリア版の ̀男はつ らい よ'〜折柄 日

本 では、寅 さんシリーズ全編のTV再放映 中で もあ りますが〜ではないか と思い、 ここにその スナ ップ数点 をご紹介する次第です。

有音メJり 2005.8.29

<その

1>̀君

待 て ど も'〜ローマ・ スペ イ ン 広場 の似顔絵描 きです。丁度、後方 にデート(?) の相手 と待合せ の紳士 も居合せ て。

<その

2>̀橋

の多 い街 で'〜ヴェネ ツィアの

ゴ ン ドラ漕 ぎが主役 です。大男 ですか ら数 々の 橋 を くぐる度 に巨体 を縮 め る様子 が、 そのいか つ い ル ックス と相侯 ってユ ー モ ア とペ ー ソス を…。

<その

3>̀ハ

イポーズ

'フ

ィレンツェ・ ウフ ィツィ美術館前がナワバ リの道化師です。観光 客 をしっか り捉 え、にっこ り笑って、流石 にプ

ロですね!

<その

4>̀ま

け とくよ

!'〜

ヴェネツィア名 物の仮面売 りです。冷やか し客 に値切 られなが らも、 しっか りとソロバ ンは弾いているようで した。

ここに登場する主役達 は、いずれ も̀生きるた めに

'と

い う悲壮感を漂わせ なが らも、そ こは 根が陽気 なイタリアン。明る く、 しか ししたた かにマイビジネスを楽 しんでいる様 に見受けま

したが・・・。

̀男はつ らい よ'の人気者 ̀寅さん'の生 き

様 には、洋の東西、相通ず る ものがあるようで すね。

人生の師

尾崎

 

敏紘

洋紙販 売

心か ら尊敬す る鈴木和夫大先輩か ら有難い事 に、 この度、御著書「八十歳のラブレター」 と

「写真集

 

旅の途上 にて」 を拝読 させ て頂 く機 会が与 え られた。入会 して僅か

3年

の私 にとっ て も鈴木和夫 さんが、東京 ロータリークラブの 会長やガバナー補佐 をおつ とめになられた偉大 な存在である事 は、既 に熟知 していたが、加 え

て私 に とっては、東京商科大学 (現一橋大学)

の同窓大先輩であ り、更に、紙 0パ ルプ業界 に 身 を置 くもの としてユーザーである印刷業界の

TOPを

極 め られた鈴木和夫会員 には、 ビジネ ス を通 じて も大変お世話 にな り、叉現在 も引 き 続 き御高配 を頂いている。

以上、三つのポイ ン トか ら私 自身、かねがね 御尊名 は承 り、叉東京 ロー タリークラブの諸活 動 に参加の折 も、大所高所か ら何か と御指導 を 頂 き、心か ら感謝 している。

厳 しい時代 を、見事 に生 き抜かれた鈴木和夫 さんの 自叙伝 である「第一章私の歩いて きた道」

か ら導かれた三つの信条、

①「如何なる時でも『自然』を侮っては生き ていけないということ」

②「騎 り高ぶった時には必ず自滅するという こと」

③「神の領域に足を踏み込んだ時には天罰が 下るということ」

は、今後、若輩の私自身生きて行 く上での貴重 な指針とする積 りである。

加えて写真集「旅の途上にて」は、国境を越 えた 人間愛

"に

満ち満ちていて、ページをめ

くる度、ほのぼの としたあたたか さが伝 わって くる。正 に鈴木和夫 さんの 人への愛"その も

のが写真集 に満 ちあふれている感 じである。

人生の師

"と

仰 ぐ鈴木和夫 さんの形骸 に触 れる事が出来るのは、ひとえに東京 ロー タリー クラブの会員であったお陰であ り、東京 ロータ リークラブの素晴 らしい絆 に、心か ら感謝 して いる次第である。

人間略池

社本

 

一夫

弁理士

「天人合 一人 間略池」。 そ う表現 され る四川 省北部の黄龍 は、眠山山脈の谷間に炭酸 カルシ ウムが堆積 して作 り上 げた3400と も言 われ る 大小 の海子(湖沼)を、標高

3570mの

五彩池か ら 標高差

370mで

3.6kmの 間幅35〜

170mで

棚 田の ように連ねた深黄色の風景区である。夏 には雪 宝頂 (5588m)や 玉翠 峰 (5160m)か らの雪

解け水が海子の縁 を超 えて水量豊かに流れをつ くり、 清 江か ら長江 に合流す る。

雪宝頂 (5588m)

9月、成都 で開いたセ ミナーのあ と足 を延 ば して到着 した九秦黄龍空港 は標 高3500m、 山の 頂 を平 らに削 って建 設 され、下 り立 つ と平衡 感 覚 を失 った高 山病 の予 兆 の ような不 思議 な気 分 であ った。

予 報 が雨 だ ったか ら、 中国の ガイ ドが

3時

間 で絶 景 の五彩 池 までの3.6kmを往 復 で きる筈 が ない とい い カ ゴの利用 を強 くす す め、 九恭溝 で 大 雨 に出会 った印象 を思 い、つ い カゴを予約 し た。が、 山の天気 は変 わ りやす い。黄龍 に到着 す る ころか ら何 と快 晴 にな った。

カ ゴは1人 乗 りで屈 強 なチベ ッ ト族 の若者 が

2人

で肩 に担 ぎ、上下 に揺動 させ なが ら早足 で

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