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平 成

17年 4月

6

編集兼発行 人

 

高橋 達直 山本 徹

(クラブ会報委員長)

(クラブ会報副委員長)

に 電畢畢

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東京 ロー タリークラブ

創 立86周 年記念例会

2006年

10月 18日 (水

)18:00

帝 国ホテル   富士 の間

兼家族会 手卜子

No242*January      2007(季 )

東京 ロー タリークラブ

創立86周 年記念例会兼家族会

2006年

10月 18日 (水

)18:00

帝 国ホテル   富士 の間

手 子

242*」anuary      2007(季)

教育について 思 うこと

〜少年柔道か ら 学ぶ もの〜

安西

 

邦夫

ガス供給

昨今、教育 に対す る世の中の関心が急激 に高 まっている。「教員の質 を上 げて欲 しい」と望 む 主婦がいる一方、「最低限の規範意識は家庭で身 に付 けて もらわない と困る」と嘆 く教員がいる。

双方の主張には同感す るところもあるが、私 自 身が少年少女の育成の一端 に携 わっている少年 柔道 を参考 に して、思 うところを述べてみたい。

私が少年柔道 と関わ りを持 ったのは、平成2 年 4月 に全 日本柔道少年団の団長 を仰せつかっ てか らであ る。以来16年 間、毎年 5月 5日 の 子供の 日に柔道のメ ッカ講道館で開催 される全 国大会 (小5・

6年

生が出場)の運営 に微力 を捧 げている。 この大会 は、単 に勝 ち負 けを競 うだけではない。柔道の基本 を正 しく学んで も らうことによって、「心 。技 。体」のバ ランスが とれた、健全 な人材 を育成することを目的 とし ている。そ して、柔道での鍛錬 を通 じて、わが 国の将来 に大 きく貢献で きる立派な人材 に成長 することを願っているものである。 この大会 に 出場 した選手の中か ら、世界チ ャンピオ ンやオ リンピック選手など多 くの一流選手が出ている が、柔道少年団の団長 として、私が常 々申 し上 げていることは、第一 に礼儀作法 を重ん じるこ とである。技 も大切であるが、それ以上 に、礼 に始 まり礼 に終 わる柔道の試合 を通じて、精神が 鍛 え られ、相手へのいたわ りや思いや り、感謝 の気持 ち といった、今後の人生 を歩むうえで非 常 に大切 なことが学べ るもの と確信 している。

大会 当 日は手 に汗握 る熱戦が繰 り広 げ られ、

私 も選手たちの一生懸命 な戦いぶ りを目のあた

りに して大いに感銘 を受 けている。同時に、子 供 たちを熱心 に指導 されている全国各地の道場 の先生方や ご家族の皆様 をは じめ とする関係者 の方々のご労苦や情熱 には心 を打たれるものが あ り本当に頭の下がる思いである。

従来「躾 は家庭で」 と考 えられていたが、最 近では「学問だけではな く、躾や生活態度 も学 校 の先生に任せ る」 といった風潮がある。 もと よ り両々相 まって行 われるべ きであることは申 す まで もないことである。 この少年柔道は、家 庭や地域社会 における教育の大切 さを教 えて く れるだけでな く、教育の原点 を考 える上で多 く の示唆 を与 えて くれる。

豊か な環境 の中で育 まれた少年少女 たちの 正 々堂々とした柔道の試合 を見ていると、いつ の間にか 自分 自身 も励 まされ、元気 をもらって いることに気付 く。今年 もまた、元気一杯 な少 年少女たちの熱戦 に出会 えることを今か ら楽 し みに している。

私の健康法

 

信義

建物用装置販売

還暦 を過 ぎてか ら、現在住んでいる横浜市青 葉区あざみ野に初めて土地 を購入 し、やっと念 願の

1戸

建 ての家 を建 てることが出来 ました。

この我が家の完成 とほぼ時 を同 じくして、す ぐ 近 くに東急が経営する「ア トリオあざみ野」 と い うとて も素晴 らしいスポーツクラブがオープ ンしま したので早速その会員 にな り、以来12 年 もの間、土 日祝 日の休 日には朝

9時

の開店時

よ り12時 迄 の午前 中

3時

間、 プー ルでの早歩 きの水 中散歩 を中心 に、乾式サウナ とスチーム サウナに併せて5回入浴 し充分 に汗 を流 しなが ら、身体 を動かす ことが私の休みの 日の 日課 と なってお ります。人間の老いは足腰か らとよく 云われ ますので、プールでの早歩 きには重点的 に60分 か ら90分 の時間をあてています。

東京 オ リンピ ックのあ と、昭和 も40年 代 に 入 った頃 よ り、北欧のフィンラン ドか らサウナ 風呂が輸入 され、 このサ ウナ と前後 してスポー ッジムが全 国各地に展開 されるようにな りまし た。私 も横 浜 に転居す る以前、30年 もの間世 田谷区に住んでいましたので、東中野に最初 に 出来 ました「東京 アス レチ ッククラブ」か ら新 宿住友 ビルの地下の「 ドゥスポーツ」 にも入会 し、 これ等の施設 をよく利用 しなが ら健康づ く りに励 んだ ものです。

高校時代 には陸上競技部に籍 を置 き、夏の全 国大会 に

800mリ

レーのア ンカー として出場 し た経歴 もあ り、暇 さえあれば自宅の近 くをよく ジ ョギ ング してい ま したが50歳 を過 ぎた頃 よ り室内専 門で汗 を出す ようになって来 ました。

昨今 では特 にサウナ大好 き人間になって しま い暇 を見つけてはほ とん ど毎 日の ようにどこか のサウナにはいっています。汗 を出 した後、水 風 呂での爽快感 はなん ともいえません。正 に至 福 のひとときです。

又、現在利用 している「ア トリオあ ざみ野」

の飲料水ですが、 これが、すべてアルカリイオ ン水が常備 されていて、 とて もおい しい水 なの で毎回思い切 り飲 んでいます。

古稀 を過 ぎ、 間 もな く74歳 の誕 生 日を迎 え ようとしている今 日、一番心掛 けているのが、

早寝 早起 きです。 出来 る限 り10時 には床 につ くように し、睡眠時間 も平均

8時

間 とるように して健康の維持 に努めたい と思っています。

正チ ャンとタンタン

加藤

 

丈夫

電気制御機器製造

下の二つの絵 をご覧下 さい。

左 はいま若い女性 たちに人気 のある海外のマ ンガ「 タンタンの冒険」、右 は古希 を過 ぎた人 な ら誰で も知 っている昭和初期のマ ンガ「正チ ャンの冒険」である。

タンタンの作者 はベルギーのエルジェとい う 人で、 これが世 に出たの は1929年 だか ら、 も う80年 近 くも人気 を保 っていることになるが、

東京 をは じめ世界 の大都市のデパー トや文具店 では、本 と一緒 に主人公 を題材 にしたノー トや 下敷 き、 カ レンダーや ファイルボ ックスな どを 並べたタンタンコーナーが盛況だ。

一方、正チ ャンの作者 は戦前の少年倶楽部 に 連載 された「敵 中横 断三百里」「亜細亜 の曙」

「呼Lえる密林」 の挿絵 な ど迫真の精密画で人気 を集めた樺島勝一。主人公の トレー ドマークで ある毛糸で編んだ「正チ ャン帽」 は、当時ち ょ っと上品な家庭の子供たちに愛用 された。

二つのマ ンガは絵 もス トー リー もそっ くりで 違 っているのは連れている動物が、 タンタンが 小大 なのに正チ ャンはウサギ とい う点だけ。

実 は、正チ ャンがアサ ヒグラフの連載 に登場 したの は1923年 。 タ ンタン発表 の

6年

前 なの

で、もしかするとエルジェが何かの折 りに正チ ャンを見てヒントを得たかもしれないし、ある いは両者に共通する 誰かが描いた原型

"が

ったのかもしれない。

私 としては、 日本の浮世絵がゴッホやゴーギ ャンに影響を与えたように、正チャンがはるば る海を渡ってヨーロッパにたどりつ き、エルジ ェという絵描 きに出会ったと想像 したいところ だが・¨ いずれにしても、現代の若い女性が愛 しているタンタンの兄貴格に、彼女たちのお祖 父さんやお祖母 さんのアイ ドルだった正チャン がいたというのは面白いことだ。

私の健康法

前田

 

刑事弁護士

10月 17日 に満80歳にな り、例会で傘寿の祝 をしていただいた。

我ながら、戦前、戦中、戦後を通 じて、 よく これまで生 き延びて きた と思 うが、80歳にも なると、知人や友人か ら、「お元気ですね。80 歳 には見 えませんね。」 と言われ、「御趣味や お楽 しみは何ですか。」 と問われることが多い。

しか し、この「手に手つないで」に寄稿 を求 められても執筆に窮するくらい、自慢するよう な趣味 もないので、そのように答 えると、「それ では何か特別の健康法をされていますか。」 との お尋ねを受けることになる。

そこで、改めて自分なりの「健康法」は何か と考えてみると、週に2、

 3回

の「麻雀」 と月 に 1回 程度の「ゴルフ」が私にとっての「健康 法」であ り、それに加えて、毎 日事務所に出て

「ワープロ」に取 り組んでいることが最大の「健 康法」であることに気付 く。

「麻雀」 も「ゴルフ」 も、文字 どお り「下手 の横好 き」で、パー トナーに迷惑をかけないこ とを信条 としつつ、親 しい友人たちと一刻を過 ごすのを無上の楽 しみにしているが、古 くから の仲間が体調を崩 して参加できなくなってきた のは、寂 しい限 りである。

「ワープロ」は、在官中から親 しんできたし、

「認知症」の防止にも役立つ と信 じて毎 日取 り 組んでいるが、最近は、「パソコン」が主流 と な り、「ワープロ」の機能だけを有する機器が 製造されなくなった上、故障 しても修理 しても らえない状況になったのは困ったことであ り、

親 しい友人を失う思いである。

やむなく中古の「ワープロ」を買い集めて故 障に備えているが、同感の人 も少なくないと思 うので、関係機器メーカーが「ワープロ」の生 産を再開して くれることを心から望んでいる。

休耕 田で

お田植 えまつ り

宮 西

戦後六十余年、異例の経済復興、その後は景 気過熱の反動か長期不況の大波 に襲われた。

片や戦争 も飢 え も知 らない若者達の飽食の時 代が続 く。

この暮 らし方への反省か ら、人は自然に戻 り たい、山村 で暮 らす、そ して帰農へのひそかな 憧れを持つ ようになったのか。

千代 田区永 田町の神社 で、 さほど広 くない境 内での神僕畑づ くり、榊 の挿木、竹林 の造成、

更 には新 島、三宅島のアシタバ栽培 と試みなが らも、田づ くりへの願望は年 ごとに募 りつつあ った。

偶 々建設会社 を卒業 し成田市の東 に戻 った山

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