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第 12 章

ドキュメント内 ディック『暗闇のスキャナー』 (ページ 133-145)

その二日後、フレッドは不審に思いつつ3号ホロ・スキャナーを見ていた。ホシのロ バート・アークターが、自宅の居間の本棚から、なんだかいい加減に本を抜き出している。

後ろにヤクが隠されているのかな? と思って、スキャナーのレンズをズーム・インさせ た。あるいは電話番号か住所がメモってあるんだろうか。読むために本を取り出したので はないことは見てとれた。家に戻ったばかりで、コートも脱いでいない。そして妙な雰囲 気を漂わせている。張りつめていながら、同時にぐったりしているのだ。不承不承の緊急 事態、という感じ。

スキャナーのズームレンズがとらえたページには、女の右乳首にかじりついている男の 写真があった。二人ともはだかだ。女はどうやらオルガズムに達しているようだ。目を閉 じかけて、口はだらんと開いて無言のうめき声を発している。アークターのズリネタだろ うか、とフレッドは見続けた。でも、アークターは写真にはいっさい興味を示さなかっ た。かわりに、何やら謎めかしたせりふを、つっかえながら暗唱した。一部はドイツ語 で、どうも盗み聞きしてるやつを不思議がらせてやろうという腹らしい。ひょっとしてこ いつ、同居人たちが家のどこかにいると思っていて、こうやっておびき出そうとしている のかもしれない、とフレッドは思った。

誰も現れなかった。長いことスキャナーを見ていたフレッドにはわかっていたことだ が、ラックマンは物質Dと混ぜたバルビツールをしこたまのんで、服を着たままバッド ルームでのびていた。ベッドまであと数歩ってところ。バリスは家を出たきりだった。

アークターは何してるんだ? とフレッドは思って、この部分のテープ位置番号を書き 留めた。こいつ、どんどんおかしくなってきてる。こいつのことを密告してきたタレコミ 屋の言い分も、もっともだ。

それとも、アークターが唱えた文章は、あいつが家に設置した電子装置への音声コマン ドかもしれない、とフレッドは推測した。スイッチを入れるコマンドか切るコマンドかは わからないけど。あるいは対スキャナー用の妨害力場を作り出すようなコマンドかも。こ れみたいなスキャナーを無効にするやつ。でも、あの文句が、アークター自身にとって以 外に、いささかでも意味や目的があろうとは思えなかった。

こいつはイカレてる。本気で。自分の脳スコープが壊されてんのを見つけた日以来̶̶

車を、命にかかわるようなやりかたでいじくりまわされて帰ってきた日には、もう確実に

̶̶あいつはずっとイカレきってる。それ以前にも多少はそのケがあったけど。でも、あ の「犬のクソの日」とアークターが呼んでいる日以降は完全におかしい。

しかし、あいつを責めるわけにもいくまい。あんなことがあれば、誰でもおかしくな る。アークターが疲れた様子でコートを脱ぐのを見ながら、フレッドは思った。でも、み んなはふつう、回復するもんだ。こいつはしなかった。それどころかひどくなる一方。誰

もいないのに、ありもしないメッセージを、しかも外国語で読んでみせるなんて。

こいつがおれをだましてるんじゃなければの話だが、と考えて、フレッドは動揺した。

自分が監視されているのを、何らかの手段でつきとめて、そして……実際の行動を隠そう としてるのでは? それともおれたち相手にパズルをしてるだけとか? ま、いずれわか ることだ。

おれはこいつがだましてるんだと思うね。人によっては、見られているのがわかる。第 六感ってやつ。偏執狂じゃなくて、ただの原始的な本能。ネズミとか、狩られる動物には みんな備わっている。自分が狙われているのがわかるのだ。感じるのだ。こいつ、おれた ちのためにくだらないことをやって、こっちを引っ張り回そうとしてる。でも̶̶断定は できない。嘘に嘘が重なってるから。何層も。

寝室のスキャナーを見ると、アークターがブツブツと朗読する音でラックマンが目をさ ました。ラックマンは、もうろうとしたままからだを起こし、聞き耳をたてた。そして、

アークターがコートをかけようとしてハンガーを落とした音を聞いた。ラックマンは、長 くたくましい脚で立ち上がり、ベッド横のテーブルに常備してある手斧を一動作で手にし た。すっくと立って、獣のようになめらかに、寝室のドアに向かった。

居間では、アークターがコーヒーテーブルの手紙を取って目を通しはじめた。でかいク ズ手紙をごみ箱に投げこんだ。はずした。

寝室で、ラックマンがそれを聞いた。ビクッとして、空気の匂いを嗅ぐかのように頭を あげた。

アークターは、手紙を読みながら、不意に顔をしかめて「クソッ、まったく」と言った。

寝室では、ラックマンが緊張をゆるめ、カタンと斧を起き、髪をなでつけてドアを開け、

部屋を出た。「よう。どうかした?」

アークターは言った。「車でメイラー・マイクロフィルム社のビルの横を通りがかっ てさ」

「またフカシかよ」

「で、連中は棚卸しをやってた。でも、社員の誰かが、どうやら在庫をかかとにくっつけ て持ち出しちゃったみたいで、それだもんでみんなピンセットと小さい虫メガネ持って、

メイラー・マイキロフィルム社の駐車場に出てたの。それと小さな紙袋も持って」

「礼金でも出たの?」ラックマンはあくびをしながら、手のひらで引き締まったかたい 腹を叩いた。

「出るには出たけど、それもなくしたんだって。小さなコインだったから」

「運転してると、この手の事件にはよく出くわすの?」とラックマン。

「オレンジ郡でだけだよ」とアークター。

「メイラー・マイクロフィルム社のビルって、大きさどんくらい?」

「高さ約三センチ」

「重さの見積は?」

「社員込みで?」

フレッドはテープを早送りした。メータの読みで、テープ一時間分送ったところで止め てみた。

「̶̶約五キロ」とアークターが言っているところだった。

「じゃあ、横を通ったってわかんないじゃん、そんな高さ三センチで重さ五キロなんて んじゃ」

アークターは、今ではソファにすわって脚を投げ出していた。「でっかい看板があんの」

まったく! とフレッドは、またテープを早送りした。今度は、直感で、たった十分ほ どたったところで止めた。

「̶̶それってどんな看板? ネオンとかのやつ? 色は? そんなんあったっけ。目 だつの?」

「ホレ、見せてやるよ。持って帰ってきたんだ」とアークターはシャツのポケットを 探った。

フレッドはまたテープを早送りした。

「̶̶バレないでどっかの国にマイクロフィルムを持ちこむ方法って知ってる?」と ラックマンが話していた。

「そんなのどうにでもなるじゃん」アークターはふんぞりかえってマリファナを吸って いた。空気に煙が充満してきた。

「いや、つまり税関の絶対に考えつかないような方法。バリスがないしょで教えてくれ た方法なんだけど。本に載せるからって口止めされてるんだ」

「本って? 『一般家庭用ヤクと̶̶』」

「ちがう。『アメリカへのお手軽密輸出入マニュアル̶̶持ち出すか持ち込むかはキミし だい』。マイクロフィルムはヤクの荷と一緒に密輸するんだって。たとえばヘロインとか と。マイクロフィルムはヤクの袋の底に入れとく。すごく小さいから誰も気がつかない。

誰も̶̶」

「でもそしたら、どっかのヤク中が、半分ヘロインで半分マイクロフィルムの注射を射っ ちゃうぜ」

「うーん、ま、そしたら、そいつはお目にかかったこともないほどクソ物知りなジャン キーになるだろうよ」

「マイクロフィルムの内容次第だけどね」

「あいつ、ヤクを持って国境を越える方法をもう一つ考えついた。ほら、税関で、何か 申告するものはないかって聞かれるじゃん。それでヤク持ってますなんて言えないだろ

̶̶」

「わかるわかる。どうやんの?」

「うん、つまり、まずでっかいハッシシのかたまりを持ってきて、それを人間の形に彫 る。それから中に空洞部をつくって、そこに時計みたいなゼンマイ仕掛けと、ちっちゃい テープレコーダを入れといて、税関の列でそいつを前に立たせて、そいつが税関を抜け る直前にゼンマイを巻いてやる。するとそいつは税関の係官のとこに行って、向こうが

『何か申告するものはありますか?』って言うと、そのハッシシのかたまりが『ありませ ん』って答えて歩き続ける。それで国境の向こう側まで行くわけ」

「ゼンマイのかわりに太陽電池みたいなのにしといて、そしたら何年も歩き続けられる。

永久に」

「そんなことしてどうなんの? いずれ太平洋か大西洋に行き着くだけだろ。それどこ ろか、地の果てを踏み外して、まるで̶̶」

「そいつがエスキモーの村に行ったら面白いな。高さ百八十センチのハッシシのかたま り、時価̶̶えーと、時価でどんくらいかな」

「十億ドル」

「もっとする。二十億」

ドキュメント内 ディック『暗闇のスキャナー』 (ページ 133-145)

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