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第 10 章

ドキュメント内 ディック『暗闇のスキャナー』 (ページ 113-123)

スクランブル・スーツを着て、フレッドはホロ再生装置の群れの前にすわり、ジム・バ リスがボブ・アークターの居間でキノコについての本を読んでいるのを見ていた。なぜキ ノコなんだ? とフレッドは不思議に思い、テープを早送りして一時間後にあわせた。バ リスはまだすわっていて、本に没頭し、メモを取っている。

やがてバリスは本を置き、家を出てスキャナーの有効範囲を出た。戻ったときには茶色 い紙袋を持っていて、それをコーヒーテーブルの上に置いて開けた。そこから乾燥したキ ノコを取り出し、それを一つ一つ、本のカラー写真と比べ始めた。バリスにしてはまれに 見る、非常な注意をはらって、一つ残らず比べた。最後に、みすぼらしいキノコを一つだ け横にどけ、残りを紙袋に戻した。ポケットから空のカプセルを一つかみ取り出して、そ れから正確な手つきで、そのキノコを砕き、カプセルに入れてふたをした。

それがすむと、バリスは電話をかけはじめた。電話盗聴機が、かけた先の電話番号を自 動的に記録した。

「もしもし、ジムだけど」

「で?」

「おい、すごいのキメた」

「冗談」

「シロサイビ・メキシカーナ」

「なにそれ」

「珍しい幻覚性のキノコ。数千年前の南米の秘教でも使われてた。空が飛べだり、透明 人間になったり、動物のことばがわかったり̶̶」

「いらない」ガチャン。

またかける。「もしもし、ジムだけど」

「ジムって? どのジム?」

「ヒゲはやしてて……緑のサングラス、レザーパンツ。ワンダんとこのハプニングで 会った̶̶」

「ああ、そうか、ジムね。うん」

「有機性幻覚剤をキメる気は?」

「うーん、そうねえ……」不安。「あんた、ホントにジム? なんか声がちがうけど」

「信じがたいもんが手に入ったの。珍しい南米の有機性キノコで、数千年前のインドの 秘教でも使われてた。空が飛べたり、透明人間になったり、車が消えたり、動物のことば がわかるようになったり̶̶」

「車なんてしょっちゅう消えるよ。レッカー車移動の駐車禁止ゾーンにとめたときなん か。ハッハッハ」

「このシロサイビ、六カプセルほど都合できるかも」

「いくら?」

「一つ五ドル」

「そいつはスゴい! マジ? おい、どっかで会おう」それから疑惑。「ねえ、確かおま え̶̶お前、一度おれをカモらなかったっけ。そのキノコって、どこで手に入れた? 薄 めたLSDじゃないって保証は?」

「土偶につめてアメリカ国内に持ちこんだの。美術館宛の芸術品の一つとして厳重な警 備をつけて、この土偶だけ印をつけといた。税関のイヌども、全然気づきゃしない」そし てバリスはつけ加えた。「もしトリップできなきゃ金は返す」

「うーん、そんな約束は意味ないよ。そいつで脳がやられて、猿になって木の枝をとび まわるようになったりするかもしんないし」

「二日前に自分で試してみたよ。もう最っ高のトリップ̶̶極彩色。メスカリンよりは 絶対にいいね。客にガセをつかませるのは嫌いだから、ブツはいつも自分で試す。保証 付き」

フレッドの背後から、別のスクランブル・スーツもホロ・モニターを観ていた。「何を さばいてんの? メスカリンとか言ってたけど?」

「キノコをカプセルにつめたヤツ。こいつだか、他のやつだかが、そこらへんで採って きたキノコ」

「ものすごく毒性の強い毒キノコもあるのに」とフレッドの背後のスクランブル・スー ツは言った。

第三のスクランブル・スーツが、自分のホロ・スキャナーの検分をしばらくやめて、こ ちらに加わって立った。「テングダケ科のキノコには、赤血球破壊成分の毒素が四種類含 まれてる。死ぬまで二週間。治療薬はない。途方もなく苦しいんだって。野生のキノコを ちゃんと見分けられるのは、専門家だけだよ」

「知ってる」とフレッドは、当局の便宜のため、テープのその部分のテープ位置番号を 書きとめた。

バリスはまたダイヤルをまわしていた。

「この件での違法事項は何になるんだろう」とフレッド。

「不当広告表示」と他のスクランブル・スーツの一人が言い、二人とも笑って、自分の スクリーンに戻った。フレッドは自分のを観続けた。

4号ホロ・モニターで家の玄関が開き、しょんぼりしたボブ・アークターが入ってきた。

「よう」

「いよう」バリスはカプセルをかき集め、ポケットの奥深くにつっこんだ。「ドナとは しっぽり?」とクスクス笑う。「後ろから前からってな具合だろ、え?」

「お前、いい加減にしろよ」とアークターは4号モニターから消え、一瞬後、ベッドルー ムで5号モニターに捕らえられた。そこのドアを蹴飛ばして閉めると、アークターは白い 錠剤の入ったビニール袋を多数取り出した。一瞬どうしようかと迷っていたが、それを ベッドのカバーの下に押しこんで隠した。そしてコートを脱いだ。ぐったりして悲しそう だ。顔もやつれている。

ボブ・アークターは、しばらく乱れたベッドの端に、たった一人ですわっていた。やが てようやく頭を振り、迷いつつ立ち上がる……それから髪をなでつけて部屋を出た。そし てバリスに近づくのを、居間の中央スキャナーが捕らえる。その間に、一方の2号モニ

ターでは、バリスがキノコ入りの茶色い袋をソファのクッションの下に隠し、キノコの解 説書をもとの目だたない場所に戻すのが目撃されていた。

「何してた?」アークターがきいた。

バリスはきっぱりと言った。「研究」

「何の?」

「デリケートなある菌類の性質について」とバリスはクスクス笑った。「かわいいデカパ イ嬢とは、あんまりうまいこといかなかったらしいね、え?」

アークターはバリスをにらんでから、台所にいってコーヒーポットのコンセントをさ した。

バリスがのんきそうに後から来た。「ボブ、オレの言ったことで、何か気を悪くしたん ならごめん」アークターがコーヒーの温まるのを待つ間、バリスは意味もなく指で拍子を 取りながら、そこらをうろついていた。

「ラックマンは?」

「たぶんどっか外で公衆電話の金を盗もうとしてるんだろう。お前さんの水圧式ジャッ キを持ってったから。それって、あいつが電話をブッ壊しに行くときだろ?」

「おれのジャッキを」アークターは繰り返した。

バリスが言った。「ねえ、オレならお前さんの努力を専門的にアシストしてやれるんだ けどな、あのかわいいデカパイ嬢をコマそうって̶̶」

フレッドはテープを高速で早送りした。メーターはとうとう二時間後を示した。

「̶̶たまった分の家賃を払うか、さもなきゃ脳スコープの修理にかかれよ」アークター が激しい口調でバリスに言っていた。

「抵抗はもう頼んであるから̶̶」

フレッドは再びテープを早送りした。もう二時間分が過ぎた。

今度は5号モニターが、寝室のアークターを写していた。ベッドに入っていて、目覚ま しラジオがFMのKNXに合わせてあって、フォーク・ロックを小さな音で流している。

居間の2号モニターは、バリスが一人でまたキノコについて読んでいるのを写していた。

二人とも長いこと何もしなかった。一度、アークターが身じろぎして、ラジオのボリュー ムをあげた。好きな曲がかかったようだ。居間では、バリスが身動きもせずに読み続け た。アークターもついにベッドに横たわり、身動きしなかった。

電話が鳴った。バリスが手をのばして受話器を耳に当てた。「もしもし?」

電話盗聴機で、電話をかけてきた男の声が言った。「アークターさんですか?」

「はい、そうですが」とバリス。

こいつはおったまげた、とフレッドは胸の中で言った。手をのばして電話盗聴機のボ リュームを上げる。

正体不明の相手は、ゆっくりした低い声で言った。「アークターさん、こんな遅くにお 電話いたしまして申し訳ないんですがね、例のあなたの小切手が銀行で清算でき̶̶」

「ああ、そうでした。その件でお電話しようと思ってたとこだったんですよ。こちらの 事情を申し上げますとですね、内臓性流行感冒症のひどい発作がありまして、体温低下、

幽門部けいれん、腹痛……とにかく今はもう自分のことでパニックになってまして、そん なセコい二十ドルの小切手を清算するだけの余裕がないんですよ。それにはっきり言っ て、そうじゃなくと清算する気はもともとないですし」

「何ですって?」男は慌てた様子はなかったが、しゃがれ声で言った。不吉な声で。

「ええ、その通り。まさに今申し上げた通りでして」

「アークターさん、あの小切手はもう二回も銀行から突っ返されてるんですよ。それに あなたのおっしゃってたインフルエンザの症状ですが̶̶」

「いやあ、どうも誰かに悪いもん喰わされたみたいでして」バリスの顔にはきつい微笑 が浮かんでいた。

「それじゃ、あなたはまるで̶̶」男はことばを探した。

「何とでも言ってくださいよ」バリスはまだにやにやしていた。

男の荒い呼吸が電話越しにもわかった。「アークターさん、あたしゃあの小切手を地方 検事に持ってきますからね。それと、この際ですから言わせてもらえれば、あんたらみた いな̶̶」

「ターン・オン、チューン・アウト、グッド・バイ」と言って、バリスは電話を切った。

電話盗聴ユニットは、自動的に相手方の電話番号を記録していた。電話がつながるとす ぐに発生する、耳には聞こえない信号によって、電子的に得られるのだ。メーターに出て いるその番号を読んで、フレッドはホロ・スキャナーのテープの再生をすべて切り、自分 用の警察電話を取って、その番号の持ち主のプリントアウトを求めた。

「エングルソーン錠前店、アナハイム、ハーバー一三四三よ、色男さん」と警察の情報 オペレータが告げた。

「錠前店ね。わかった」それをメモって電話を切った。錠前店……二十ドルだとかなり の金額だ。ということは、店外に呼んで仕事をさせたな̶̶たぶん来てもらって、合い鍵 をつくらせたんだろう。「持ち主」が鍵をなくしたってことで。

仮説。バリスはアークターのふりをして、エングルソーン錠前店に電話して不法に「合 いカギ」をつくらせた。家のカギか、車のキーか、あるいは両方。エングルソーンには、

キーホルダーごとなくした、とでも言ったんだろう……でも、錠前屋のほうは、念のため に身分証明書がわりに小切手を切るようバリスに要求したんだろう。バリスは家に戻っ て、アークターの未使用小切手帳をガメて、そこから錠前屋に小切手を切ってやったんだ ろう。その小切手が、清算されなかった。でも、なぜだろう。アークターの預金残高はい つもたっぷりあったし、その程度の小切手なら問題なく引き落とせるはず。でも、もしそ うなったら、あとで戻ってきた清算済み小切手を見て、それが自分のじゃなくてバリスの ものだとわかってしまう。だからバリスはアークターのたんすを嗅ぎまわって、たぶんか なり昔に、すでに解約した口座用の古い小切手を見つけてきて、それを使ったんだろう。

口座は閉じていたから、小切手も清算されない。今やバリスは窮地に立たされている。

でも、どうしてバリスは出向いて小切手を現金で買い戻さないんだろう。今のやりかた だと、債権者のほうはすでにカンカンで電話までしてきて、いずれ小切手を地方検事に持 ちこむだろう。するとアークターにバレる。バリスは首まで面倒に浸かることになる。で も、すでに怒り狂った債権者に対するバリスの口のききかたは……コスく挑発していっそ う怒らせ、相手が何をするかわからない状態にまでした。もっと悪いことに̶̶バリスの 説明した「インフルエンザ」の症状は、ヘロインが切れかけたときの症状なのだ。少しで もものを知ってる人間ならすぐにわかる。それにバリスは、自分が重症のヤク中だと露骨 に宣言して電話を切った。それがどうしたって? それをみんな、ボブ・アークターの名 義でやったのだ。

こうなると錠前屋のほうも、自分にヤク中の債務者がいて、不渡り小切手をよこしてお きながら気にもせず、それを清算するつもりもないのを知ったわけだ。そしてそのヤク中

ドキュメント内 ディック『暗闇のスキャナー』 (ページ 113-123)

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