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の 比

較を行った文献 的研究も見ら れ︑学問的教学を

形成し ようとした傾向が昆 られる︒し かし︑その一方で ︑口伝 や切紙についても言 及する

場 面 が あ る ︒

① 毘首渇磨 l

︑ 如 白 紙 口 伝 一 ︒

‑ 耳

観経単座ノ文ハ如

‑ ‑ ‑

︒ 別紙

有 ニ 口

.3

③帝釈者︑翻訳名義ノ知シ︒但観

心 ニ口伝アル事 也.‑ 嵩

④摩尼如意性之事︑観心アリ︒円伝︒

. 昌

273‑

右の中︑①②は﹁毘首掲磨﹂と﹁華座観﹂とについて︑ 口伝の内容が別紙(切紙)に書かれていることを産味し

て い

る ︒

このような︑特定 の 事柄に関して切紙・口伝を残すのは︑切紙の形態と してよく 見られることである ︒

し か し ︑

﹃ 私

観子

h

の 特 徴 は

③④の ように観心につ いての切紙 を伝えていること

で あ

る ︒

﹃ 私 観 子

﹄ が

切紙 ・ u 伝について触れて いる意 義については︑後に 検討するこ

と に

す る

第三節

﹃私観子﹄の著者に関する検討

これまで﹃私観子﹄の内容について検討し︑文献研究などを取り入れた学問的特徴や︑様々な仏教思想を背景

としていることを述べた︒それによって︑﹃私観子﹄が近世仏教を考える上においても︑有意義な資料であるこ

とを示せたと考える︒しかし︑﹃私観子﹄が承応の閲踏で争点となったことからも︑論争における資料的価値が

高く

.

その著者が誰であるのかは検討されるべき問題である.そこで本節では︑最初に本願寺の見解に対する疑

同点をあげ︑その後に著者の問題を検討しておく︒

第一項本願寺の見解に対する疑問

‑274‑

﹃私観子﹄は︑西吟の弟子である円海が︑各所での講義を備忘録的に書き取ったものとされた︒しかし︑各所

での講義を書き取ったにしては︑不自然な点が見られる︒まず︑本章第二節で示したように︑﹃私観子﹄が﹃論

証﹄の一連の解説書である点である︒各所での講義を書き取ったものであれば︑ここまで順序立てた講義ノ!ト

にはなりえないと考える・

5

また

︑﹃

私観

bの内容からも同一人物による講義と考えられる︒﹃私観子﹄では﹁知虚空しを解釈して︑

如虚空者︑来生ノ者錐レ

満︑終

ニ知無也︒上ノ仮名

無生

人ノ

知シ

︒即

レ空

生︑

終日生/知レ雫︒即レ仮生︑終日

生歴然

世 ・ 5

と述

べ ︑ 仮名無生人に

ついては

すでに触れてたとしている

︒そこで︑﹃私観子

﹄の﹁

如虚空

﹂の釈以前で︑﹁仮

名無生人﹂について解説されているかを確認してみると︑

答ノ二義

ノ第一ノ下ニ︑所謂実衆生者︑人執

也︒所見実生死

者︑法執也︒第二ノ義ハ︑

依他起ヲ明

ス︒縁起

窮也

︒離

二衆

縁‑

無一

所有

‑ 也 ︒

次問答ノ下二︑天親

往生ハ無生二/︑生往生

也 ︒

即レ空仮生ナレハ︑終

日生

実二無生也︒即レ仮無牛

一而

止し

也︒終日行︑不レ動¥歩・︒仮名ノ故ニ︑無生々々ナ

レ舟

仮名

也︒

非レ

一一

政終

日生︑非レ巽故生レトモ無生ナリ︒此故︑天親ノ往生ハ中道ノ生也︒非一非異

故 ︑ 自性往反自

在 ︑

是仮名生ノ義也・5 一而

異 也

︒ 故 絶 二 異

一 也 ︒

‑275 ‑

とあり︑すでに述べられていることが知られる︒同じよ

うな

例は

﹁備

諸珍宝性

につ いて

一法句具足妙世

ト︑廿九種々性如

レ 上

・5

備諸

│者

一法

句がすべてを具

足し てお り︑ 浄土の二十九種荘

厳もすべて真如であることはすでに述べたとある部分か

らも知られる︒つまり︑﹃私観子﹄の本文を探してみ

れば

﹁備諸珍宝性﹂の釈以前に︑

如来者︑如埋木党︒来

始覚 也︒ 如者理也︑本也︑真

也 ︒

来者智也︑始也︑俗

也 ︒

理ハ万法ノ正体︑此ヲ顕ヲ

ハ云

レ智

世︒此智

ハ理ヨリ生ス︒

理ヲシルハ智

ニアリ︒シル理ハ智卜.ニ/異︑々ニノ一

不二

也︒

故如ニ来

アリ︑来ニ如アリテ不二ナル故︑始本不二

也 ︒

俗不

二也 ・5

と釈しているのは前者を指し︑

浄土

ニ方

位等

ノ義

ナシ

トイ

へト

モ︑

約レ

処有

二方

位‑

也︒

保約

セハ

無ニ

比義

一︒

自性

無レ

選︒

無方

ノ処

而立

二世

界名

ハ︑自性真俗二諦ニワタルカユヘナリ.故二十九旬︑全一法句也・5

とあるのは後者を指すと考えられる︒

以トしのように︑﹃私観子﹄はその内容から見ても.相互に連絡しており︑一連の︑しかも同一人物による講義

であると考えられる︒本願寺が﹃私観子﹄を︑円海による各所での備忘録とするのは︑﹃私観子﹄の内容から考

えれ

ば不

自然

な主

張と

‑言

わざ

るを

えな

い︒

では︑﹃私観子﹄は誰の講義であったのだろうか︒検討されるべき人物は︑月感が指摘する西吟である︒先に

‑276 ‑

も述べたように.これまで︑﹃私観子﹄は﹃安楽集﹄の講義本であると考えられてきた︒それは︑月感が丙吟の

講義内容を弟子から聞いたと思われる年に︑西吟が﹃安楽集﹄の講義を行っていたからであろう︒確かに﹃安居

講業記﹄には︑承応元(一六五二)年に西吟が﹃安楽集﹄を講義したことが記録されている︒しかし︑﹃私観子﹄

は﹃論註﹄の解説書であった︒ならば︑西吟は﹃論註﹄の講義を行っていたかを検討しなければならない︒

本願寺における安居の内容を記録した﹃安居講業記﹄を見ると︑西吟の能化在職期間には︑﹃論註﹄の講義は

行われていない︒﹃安居講業記﹄に西吟による﹃論註﹄講義が記録されていない以上︑﹃私観子﹄を西吟の講義

内容とすることはできない︒しかし︑西吟が﹃論註﹄の講義を行っていたとする記録がある︒西吟の弟下であり.

次代の能化に就任する知空の日記である︒

知 空 の

明光隆寺知空師追円

記 抄

出 ﹄

には︑自身の略

歴 を 述 べ て ︑

以下のように述

べ て

い る

其より七条 河を渡 り︑六条学林へ罷 川︑永照寺西 吟ノ正信偶・論註

・ 安 楽 集

・ 起

信論・法 花口経等之数 部之

講 談

を 承

り ︑

それ広巣閉口へ罷帰︑学業無怠候 ・ z

右の記録 から︑知設が西吟の講義を聞いていたことが知られるが︑知空はその中で︑西吟の﹃論註﹄講義を聞い

たと記して いる︒このこと

か ら

︑ ﹃

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