ト教と同一視して批判し︑自性を悟ることこそが仏教であると主張した︒丙吟の著作には︑有桐浄土を再定する
雪窓のような批判に対処している箇所が見られる︒その対処の方法が︑理事融即を用いた教学構築だったと考え
ら れ
る ︒
その様子は.﹃普門品紗﹄で省相の浄土を批判する﹃金剛経﹄と真宗との関係を問答した部分にも見ら
れ る
し ・
5 ︑月感の批判に答えた﹃真名答書
Lに も
︑
又准ニ金剛経一如下真宗専念﹂色仏一以レ声称ニ仏名・則説中邪道ヘ既一︐経之説如一水火相阻‑︒然空即是色︒金剛経
非 干
全 捨
い 一
称 名
・ 説
ι也 ︒
色 即
是 空
︒ 浄
土 教
非 下
全 捨
品 川
住 説
上 也
︒ 共
為 レ
体 並
ハ 為
ル 用
︒
又彼直顕此幼顕也︒唯随ニ其
機 ・
修 レ
道 為
L要 央
15
{また﹃金剛経﹄に准ずるに︑実宗の専ら色仏を念じ︑芦をもって仏名を麻うるは則ち邪道の説のごとし︒すでに二経の説︑水火
のあい限むるがごとし.しかるに空即是色なり・﹃金剛経﹄はまったく称名を拾てる説にあらざるなり︒色即是空なり︒浄土教
もまったく無住の説を姶てるにあらざるなり.ともに体となし︑共に朗となす・また︑彼は直額︑これは助額なり︒ただその機
に随いて道を修するを婆となすのみJ
‑346 ‑
と︑同旨を述べていることからもうかがえる︒このような状況を考えれば︑ 西吟の言う﹁他﹂とは︑雪窓宗寵な
どが主張する浄上教批判を指していると考えられる.
また︑第四章で紹介した﹃私観子﹄では︑沖土教に対する批判が取り上げられていた︒つまり︑
︐
︐
︐
︐
︐
︐
︐
︐ ノ
2 a ' '
〆
先無量寿者︑彼土教主︑阿弥陀漢語也︒三徳円満中挙ニ法身常恒徳・︒若云ニ無量光一者︑是般若徳也︒若無量
ト レ ノ テ 一 ノ カ 刊 誌 ノ コ ト フ キ ヲ ヲ ヲ ノ ト レ タ ハ
寿覚者︑是解脱徳也︒今︑挙ニ根本法身常恒徳ヘ包ニ迷霊寿‑︒有人︑挙ニ寿一一種F云
ニ理
非尽
釈‑
︒是
恐非
也・
5
の部分である︒右の文からは︑当時︑﹁無量寿﹂としてしか弥陀を語らない曇鴛に対して︑﹁理非尽の釈﹂︑つま
り理の面が述べられないと批判する者がいたことが知られる︒そして︑﹃私観子﹄の論者は︑弥陀を法身と解釈
して︑法身であるから解脱と般若を具足する︑理を具した仏であると反論したのである︒
この
よう
に︑
西吟の教学背景や︑学寮で流命していた﹃私観子﹄の背景には︑理の面が欠けているという浄土
教批判があったことが知られる︒西吟は︑そのような状況を憂慮して﹁他のために笑わるるのみ﹂と︑真宗の仏
教たる由縁を示すために︑理の両を学寮の講義に取り入れたと考えられる︒
ただし︑西吟が理の面を講義に取り入れた理由は︑単に浄土教批判に対応するためだけではなかったと考える︒
‑341‑
鎮西系典籍の大量出版との関連である︒そのように考える理由は︑当時の学寮に流布していた﹃私観子﹄の中に︑
良忠の﹃論註記﹄などが何度も引用されており︑何らかの関係性を見ることができるからである︒また︑本願寺
寺内
版と
して
︑
f
恵の﹃無量寿経紗﹄が出版されていることもその証芹︐となるだろう︒浄土宗鎮西派は︑法然門下の弁長から良忠へという流れの中で形成され︑良忠の後︑六派に分かれることとな
る︒良忠が関東と京都とで柄躍したこともあって︑その六派も京都三流と関東三流とに分かれている︒京都三流
とは一条・一一一条・木幡の一一‑流を指し︑関東三流とは藤田・名越・白旗の三流を指す︒以下︑各流について簡単に
述べ
てお
こう
・
5
京都
宍流
の中
︑
一条流は礼阿然空
( 1
一二九七)の流れを汲む流派である︒然阿が京都一条にある華開院に住
した
こと
か
ら︑その名で呼ばれるが︑
仁和寺西谷の法光明院にも位したことか
ら︑西谷義 ・ 法光明院義
とも呼ば
れる︒門下
に向阿証資
(一 二
六 三 3 一
三四五﹀があり︑彼の ﹃
三部仮名紗﹄(
﹃帰命本願抄
﹄ ﹃
問要妙 ﹄
﹃父子相
迎﹄)はよく知られている︒ただし︑員 鉄との強い結び つきをもった一条流にあっては︑ 都が灰燈に帰した応仁
の乱を境にして教勢
が衰え︑後に
'H旗流に吸収されたという︒
からその名
で 呼
ば れ
︑
三 条
流は︑了恵道光(
一 二
四 三
1
一 一
三 ニ
O )
の流れを汲む流 派である︒道光が京 都三条の悟真寺に住したこと
その地を望西穫とも蓮華堂とも言うこと から︑望西棲・ 蓮華堂義とも呼ばれる︒道光は法
然の﹃語燈記
Lを編集した 人物であるが︑その門流は振るわず︑し ばらくして法
脈 が
絶 え
た と
い う
︒
木幡流は︑慈心良空
( i
一 二
九 七
)
の流れを汲む流派で ある︒京都字治木幡の尊勝寺に 住したことから︑その
‑348・
名で呼ばれる
︒良空は︑良忠の教 えを受けて﹃浄土宗要集﹄ などを著わすが門流は振 るわず︑しばらくして法
脈が絶えたという
︒関東
三流の中
︑藤田流は唱阿性心(生投不詳﹀の流れを汲む流派である
︒性心が下総藤田の庄
の 高
声寺に住し
た
こ と
か
ら
︑
その
名
で呼ばれる
︒また︑性心の弟下である持阿良心
( 1
二 ニ 二 三
)
が︑伝持した 秘 書を土塔の中
に所蔵した
ことから︑
土塔流
とも呼ばれる
︒﹃伝通記授決紗
﹄や
﹃ 決疑紗見聞
﹄な
どがあり
︑それらを総称して︑
﹁ 藤間見聞 ﹂
や﹁
持阿見開
﹂などと呼ばれる
︒そ の
後 ︑
一
時は繁栄したが︑近世初期に名越流または
' U
旗流に併
合されて法
脈を 絶
っ
たという
︒名越流は︑尊観良弁(二一三九 i 一三二ハ)の流れを汲む流派である
︒良弁が鎌倉名越の善 導寺に住したこと
から .
名越流または善導寺義と呼ばれる︒良弁は︑後に述べる白旗流と見解を異に
し ︑
論 争
す る
こ 量
伊 と 畠 ・ 司
そ
の後︑理本
良栄(一三四二 1
一回 二八