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ニ 一

心 之

言 ︑

余抽

出一

札為

一一

︑い

7

﹃論

詑﹄

1

札 ニ = ‑

一 品

‑R

去V

︑汁

是札

論主

佐一

一宇

和一

仏﹂

E

一心について理事・定散・起行安心に通じるとする中に︑用の一心と事の一心とが述べられている︒ここでは よ Z

このように︑鎮西系の注釈書の中には︑理の面に関して言及する部分が見られる︒

右の

よう

な解

釈が

そのまま西吟の解釈とまったく同じとは言えないが︑西吟が﹃他のために笑わるるのみ﹂

と述べた﹁他﹂は︑右のような理の面にも言及する鎮西系の教学姿勢を指しているのではなかっただろうか︒そ

して

それらの鎮西系典籍は︑西吟当時に多く出版されているし︑了患の﹃無量寿経紗﹄も本願寺寺内版として

出版されている︒その他にも︑当時の所化内に流布していた﹃私観子﹄に︑鎮西系の典籍︑が引用されていること

などを考えても︑西吟や学寮の所化が鎮西系の典籍を目にする機会が多かったと考えられる︒

以上のように︑理に言及しなければ﹁他のために笑わるる﹂と述べた﹁他﹂とは︑雪窓宗窪などから出た浄土

‑356

教批

判と

理に言及して対外的に教学を大成しようとする鎮西系とを指すと考えられる︒特に︑鎮西系の教学を

大成した聖問が︑広範な仏教の知識をもって浄土宗を大成させたことは︑一曲吟における引用典籍の傾向と教学的

課題とを鑑みても︑同様の傾向を持っていたと考えられる︒そのような同じ課題を持っていた鎮西系典籍の大量

出版は︑西吟にとって重要な教学構築の方法論として受け取られたと考える︒

西吟教学の背景については︑様々なことが指摘されているが︑筆者は︑理が欠落しているとして浄土教を批判

した雪窓宗雀との関係と︑広範な仏教の知識をもって対外的に浄士教を大成した鎮西系典籍の出版とが背景とな

っ て

理に言及する西吟の教学が生まれたと考える︒そして︑仏教の体系の中に真宗を位置づける課題を持った

同吟の時代には︑仏教典籍が大量に出版されているので

ある

ただ

し︑

西吟と鎮西系統との解釈とがまったく同じというわけでもない︒例えば︑良栄の﹃往生論註記見聞﹄

J 9 9

9マヘザ

=

.

問此文等者.浄影

天台等諸

師︑今経法界身

一 ‑ . 身中法身名

‑注

界 身

・釈

︒ 是 理 法界也︒然今家導師意法界

MT

=

Jhyb

‑ ‑

u

者所化衆生界︑身者是能化仏身也

然 起 信 論 指

ニ衆

生心

v

二 法界

・︒故今彼

論︑

法界名同

故為

レ令

レ知

‑孟

λ

.

金二

此問

也︒起信論云是一

法界心遍於

彼八処失︒又云所レ言法者謂衆生心奏

︒此等文意也︒次

答意法界言

難レ.

同︑事理義辺遁異也︒起信論約﹂理法界一︒今文約事法界・︒理法ω介者大乗止観云法者法爾故︑界者性差別故︑

/

以 三 此

心 体 法 爾 具

=足一切諸法・

故一

言=

法界

長︒

真 知 理 法

︑ 性 具 万 法

体宛

然也

故一子法界一︒事法界

者法謂事事諸法即柳桜等事相法也︒界者事事諸法其体差別也︒今仏

三十二 相等是事仏故衆生観心所

レ浮

︒三

十二

相等是事法界也

︒故 彼論

A7

釈 ︑

吉岡義意各別也・5

‑357 ‑ とある︒ここでは法界身について︑事法界と理法界とを分け︑天台などでいう法界身とは理法界︑浄

土教でいう 法界身とは事法界として区別されている︒このよう

に ︑

栄の解

釈は︑天台や﹃起信論﹄などの解釈を認めなが

らも

﹁一一討同義意各別也﹂と押さえて︑浄上教との分別を明確にするのである

. 5

第三章でも指摘したように︑閲描以前に著された西吟の﹃普門品紗﹄は︑聖道・浄土の区別が不明確であ

り ︑

観心や自性の教説を︑真宗においても中心とするよ

うに受け取ら

れかねない解釈であった︒その点では右の﹃往

生論註記見聞﹄と趣

きを異

して

いる

しか

し︑

﹃正

信念

仏偶要解

﹄の解釈では︑聖道・

浄土の区

を出来るだ

け明確化しようとする意図があったことは先に述べた通りである︒これらのことから︑西吟は他宗の典籍を用い

て理に言及し︑仏教の体系の中に真宗を位置づけ︑対外的に認められるべき真宗教学へと向上させようとしたが︑

その解釈に行きすぎたところがあったために︑承応の閲臓が引き起こされたと考えられよう︒月感は西吟を再批

判し

て︑

次下ニ云︒学者ヲシテ信智ヲ成セムカタメナリ卜︒実

再破シテ云︒モシシカラハ︒何ソ結句々々ニ於テ︒ソノ義ヲワケサルヤ︒モシソノ義ヲワクトイハ︑︒

コ レ

大妄語ナリ︒所化等カツテキカストイへリ︒マタ問書等ニモミへサルトコロナリ・

5

と︑聖道・浄土の分別が不明確であると批判しているが︑それはまさに西吟教学の欠点を突いた︑正しい批判で

‑358

あったと考える︒

本章では ︑ 西 吟教学の 背 景に 出版の動向があった ことを 指摘

し た

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