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祭礼の運営と継承――一刎八幡宮奉拝三十三年式年大祭の事例より(横江彩香)

横江 彩香 はじめに

私の出身地である富山市婦中町の農村では、かつて獅子舞を行う春祭りが行われていた が、少子化や運営側の高齢化が原因で、1996年を最後にその伝統は途絶えてしまった。そ の影響もあって、私は祭り、特に集客を目的としない、地域の伝統的な祭りの継承や運営 に興味があった。初めて一刎を訪れた際、この村にどのような祭りがあるのかを調べてみ たところ、ちょうど今年(2013年)の7月21日に、「一刎八幡宮奉拝ほうはいさんじゅうさんねん三十三年式年しきねん大祭」

という祭りが開催されると知った。これは33年に1度しか行われない大祭で、例年行われ ている春祭りや秋祭りなどとは異なるものである。本章では、大祭の運営を準備段階から 記述することで、過疎化や33年に1度しか実施されないという希少性の影響を明らかにす ることを試みる。そのうえで、この大祭を継続していくために必要なこととはなにかにつ いても考察を行う。

調査では、大祭の運営を担う宮総代を中心に、一刎のすべての住人を対象に聞き取り調 査を行った。また大祭の当日には、大祭の様子を観察すると同時に、大祭の中の催しの一 つである稚児参りの参加者たちに聞き取り調査を行った。

1. 一刎八幡宮および一刎八幡宮奉拝三十三年式年大祭の概要

一刎八幡宮(写真1)は「宮みや格内かくない」、「番場ば ん ば」、「浦うら」、「谷内や ち」、「奥出お く で」、「中田浦な か た う ら」の 住人が氏子となっている。以下、この6つの地区1のことを「氏子圏内」と呼ぶ。(唯一こ こに含まれていない「上かみ」の住人は、一刎内にあるもう一つの神社、高階社たかしなしゃの氏子であ る。)宮司を務めるのは、氷見市市街地にある日宮神社で宮司を務める吉川氏である。一刎 で例年行われる祭りには、正月元旦の歳さいたんさい、3月の祈年祭き ね ん さ い、4月の春祭り、6月の除じょこうさい、 7月の祇園ぎ お んまつり祭、9月の秋祭り、11月の新嘗祭にいなめさい、などがある。八幡宮の管理や祭りの運営は 宮総代と宮司が中心となって行われている。宮総代は、各地区の総代株と呼ばれる総代と なる資格を持った者の中から選任された代表者と、総代長の7人によって構成されている。

宮総代の任期は各地区で異なっており、2年前後で交代することになっているが、総代長は 例外で、具体的な任期は定められていない。

2003年には、宮総代が中心となって、一刎八幡宮や一刎の様々な事柄に関する歴史を詳 細に記した『一刎八幡宮史』を発行した(一刎八幡宮史編集委員会2003)。この書籍を発行

する発起人となった当時の宮総代長の藤井氏によると、この書籍を発行した狙いは、「今後、

一刎を離れて外部に出ていく住人達にも一刎の歴史や文化を忘れずにいてもらうため」だ という。

奉拝三十三年式年大祭は、33年に1度開催される祭りである。『一刎八幡宮史』によると、

その周期が33年である理由は、「「三」は芽出度め で たい数、それを重ねて「三十三年」毎にとは、

永遠に芽出度くしていくねがい願」、ということである。

奉拝三十三年式年大祭において、形式上もっとも重視されるのは、本殿(写真2)を開放 し、この日以外は見ることのできない御神体を拝む「御開帳」である。また大祭の間は、

稚児に上がった子供たちが衣装を着て行列をつくり、八幡宮に参拝する稚児参り、楽人神 楽によって披露される巫女舞、一刎の獅子方保存会によって披露される獅子舞など様々な 神事が催される。

写真1. 一刎八幡宮 写真2. 扉が閉じられた本殿

2. 祭りの準備および運営について

2-1. 宮総代による準備

宮総代が大祭の準備のために集まりはじめたのは、昨年(2012年)の12月であった。5 月の時点で宮総代のひとりに話を聞いたところ、「これからの準備も、話し合いで一つずつ 決めごとを決めていくことが中心となる」とのことだった。

今回、式次第に関する様々な事柄について話し合う必要があったのは、33 年前の資料が 不足していたため、前例に則った祭りの運営をすることが困難な状況になってしまってい たことが原因である。残されていた資料は、日宮神社に保管されていた大祭の式次第と祝 詞、また33年前の大祭の際に一刎の住人によって撮影されていた数枚の写真(写真3)の みで、あとは現在の宮総代を中心に前回(33 年前)の大祭を経験した世代の人びとの記憶 だけであった。33 年前という遠い過去の記憶であるため、それも話し合いが難航した原因

となったようだ。

大祭の直前の 7 月になると、拝殿の中での道具の配置や詳しい流れなどについて、宮司 の助言を受けながら準備が進められた。また、大祭に必要な道具は宮司が中心となって用 意し、大祭1週間前の7月13日には、神事で使われる道具が宮総代長の自宅に運び込まれ ていた。

写真3. 33年前に撮影された写真

2-2. 稚児参りの準備

今回の大祭における稚児参りの対象年齢は、一般的な稚児参りよりも幅広く、0歳から小 学生までとして募集された。宮総代の間では稚児に上がる子供が最低でも20人は必要であ ると考えられていたが、一刎には小学生以下の子供が数人しかいないため、稚児参りを実 施するために十分な人数を集めるためには、どうしても一刎の外に住んでいる子供を呼び 寄せる必要があった。稚児の募集方法としては、一刎内に数か所設置されている掲示板へ の広告の掲示(図1)や地元のケーブルテレビでの呼びかけ、家族や親戚に適齢の子供がい る一刎住人への呼びかけなどが主なものだった。これらの効果もあってか、最終的には兄 弟で参加する家族を含めて、27 の家族が稚児参りに参加することとなった。そのうち一刎 在住の家族は2家族で、そのほかは一刎外部からの参加となった。

稚児参りのためには、稚児の食事や着付けをする「稚児の宿」を用意する必要がある。

当初は公民館が宿の候補として挙げられていたが、公民館から八幡宮までは距離があり、7 月の炎天下の中で重い衣装を着た子供を歩かせるのは難しいのではないかという意見が上 がった。そこで、宮総代のなかで、八幡宮からの距離が近い場所に住む山田氏の家を稚児 の宿とすることとなった。稚児を出す家からは、稚児1 人につき1万円の負担をしてもら うことになっており、稚児と稚児の家族の分の弁当代、貸衣装代、着付け代などにあてら れる。

稚児の着付けや化粧は、宮総代が自ら施すのは難しいという判断から、仏具店や縫衣店 の店員に依頼することになった。稚児の家族あてに事前に配布されたお知らせには、家族

が安心して子供を稚児に上げられるよう、「着付け、お化粧はすべてベテランスタッフがお 世話いたします」と記載されていた。また、稚児は衣装のほかに「幸運の鈴」という鈴を 持って歩くことになっており、稚児参り終了後には記念品として持ち帰ることができるこ とになっていた。

図1. 稚児の募集を呼びかける広告

2-3. 巫女舞および獅子舞の準備

楽人神楽による巫女舞の準備の中心は、外部からの人集めであった。今回は、大祭でし か見ることのできない「浦安の舞」が舞われるとのことだった。33 年前には一刎在住の 2 名の女子中学生が巫女舞を舞ったそうだが、現在の一刎には適齢の女子が十分いないため、

石川県の白しらやま神社の本職の巫女 2 名に依頼し、本衣装である十などの楽器を使って神 楽を演奏してもらう楽人は、富山県内の神主 4 名に依頼した。これらの人集めはすべて宮 司が中心となって行っており、巫女や楽人の人選については、宮総代は深くはかかわって いない様子であった。巫女と楽人はそれぞれ異なる神社に依頼しているため、音合わせを する時間は大祭の当日のみの極めて短いものとなった。万一音合わせがうまくいかなかっ た場合には、生演奏ではなく CD による音源を利用して巫女舞を披露することを宮司が宮 総代に提案していた。

獅子舞の準備に関しては、宮総代ではなく獅子方保存会が中心となって進めていた。一 刎八幡宮の氏子圏内には、獅子方保存会が所持する大獅子と宮格内が独自に所持する小獅 子が存在する。普段の春祭りや秋祭りではこの双方が同時に披露されることはないのだが、

今回の大祭では、この 2 つの獅子が同時に舞うこととなった。獅子舞の練習は、例年の祭