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氷見の八艘張網漁 ―― 後継者問題を中心に(中村春貴)

中村 春貴 はじめに

テーマとその選定理由

寒ブリで有名である氷見は、越中式定置網漁が盛んなことで知られている。11 月ごろか ら 3 月にかけて脂が一番のった寒ブリが水揚げされる。氷見の寒ブリは、その美味しさで 全国ブランドとして名が通っている。しかし、調査をしていくうちに、氷見では寒ブリが よく獲れる定置網以外にも、様々な漁法が存在することがわかってきた。なかでも私が興 味をもち、本章でとりあげるのは、一般にはそれほど知られていない「八艘張網漁」とい う漁法である。全盛期には定置網漁よりも勢いがあった八艘張網漁だが、現在では氷見で 操業する組織が一つにまでに減ってしまった。目下のところ、唯一操業している「有磯組」

にしても、その存続すら危うい状態となっている。本章で特に後継者問題をテーマにする ことにしたのは、この背景を明らかにしたいと考えたためである。

報告について

以下の報告では、八艘張網漁の漁法についての具体的説明をしたうえで(第2節)、八艘 張網漁の歴史的変遷について記述する(第3節)。そして八艘張網漁の組織の運営方法や組 織の構成員などについての説明をしたあと(第4節)、八艘張網漁の現在置かれている状況 を報告する(第5節)。最後に、八艘張網漁の過去と現状についてまとめたうえで、後継者 問題の原因と対策について記述して(第6節)、その後それまでのまとめを報告する(第7 章)。最後に、実際に八艘張網漁に同行して観察してきた様子を紹介する。

1. 八艘張網漁とは

そもそも八艘張網漁とは、具体的にどういった漁法なのだろうか。ごく簡単に説明する と、海の底に敷いた八角形の網の上に灯りをともして魚を集め、周囲を囲んだ八艘の船で 網を引き上げ、集まってきた魚を獲る方法であり、「八艘張網」という名前はこの網の形に 由来する。

八艘張網は光に集まる魚の習性を利用しているため、漁船は、日が暮れ始めた頃に出漁 する。漁に使用する船は、魚を集めるための集魚灯を保持している船(中船なかふね)が 1 艘、網 を揚げる船(側がわぶね)が8艘、船に問題が起きた時の予備となる船(道楽どうらくせん)が2艘である。

漁場は決まっており、そこに する八角形の頂点の位置に移 中船が集魚灯を点けて魚が集 げの際、不均等に揚げると魚 出しながら揚げる。最後に大 して海に沈める。この時、網 艘張網漁では、操業期間中に ってくるのを獲るという受け 光を利用し魚をおびき寄せて 獲れる魚はイワシ、アジ、

る。このほかにも、集魚灯で 八艘張網漁で使われる船は い。そのため、出漁できない

図1. 八艘張網漁の

2. 八艘張網漁の歴史

以下の記述は、『氷見市史 さん委員会編、2000年、pp 氷見で八艘張網漁法がはじ 24年ごろに、当時島根県方 って試験的に導入したのが初 あるいは「四手網よ つ で あ み」と通称さ もともと、四艘張網が導入

~1.8メートル)の漁場で夜 明りに誘われてカタクチイワ イワシを追ってまたおびただ

には既に網が沈められている。漁場に着くと、

移動して網を巻き取るための準備をして待機す 集まったのを確認すると、側船に網を揚げる合 魚が間から逃げてしまうことがある。そのため 大きなタモを使って魚をすくい獲り、その後、

網が破れていたりすると船の上で網の補修を行 に陸仕事はない。定置網漁が、設置してある網 け身の漁であるのに対して、八艘張網漁は網を て獲るという能動的な漁なのである。

、ソウダガツオ、カマス、イカ、ニギス、サバ で集まってくる魚は獲れる。

は大型定置網の船よりも小さいため、天候や波 い日も少なくない。

の仕組みを表す図(氷見市編『氷見の漁業』p.

6』「第五章 漁業 第三節 八艘張網漁(敷網 p.155-159)による。

じまったのは、それほど古いことではない。も 方面に出稼ぎ漁に行っていた人たちが彼の地の

初めとされる。導入当初は四艘張網だったので、

される。

入される以前から、水深70尋余り(≒105メー 間、船の端でバッテリー電球を灯してイカの釣 ワシの大群が浮上してくることが経験的に知ら だしいアジとサバの群が海上近くまで浮いてく

それぞれが担当 する(図1を参照)。

合図をする。網揚 め、親方が指示を 網を元の形に戻 行う。そのため八 網に魚が自然に入 を設置したうえで バ、フクラギであ 波の影響が出やす

2より)

網)」(氷見市史編

とは、昭和 23~

「ジャコ網」に習

、氷見では「四手よ つ で」、

ートル;1尋は1.5 釣漁をしていると、

られていた。その くるので、初めは

釣り棒を使った手釣りで、枝鉤えだばりをつけて一度に二匹ずつ釣っていた。しかし釣漁だと大量 でも200キログラムと水揚げ量に限界がある。そこで、昭和23年(1948年)に初めて一 ヵ統の四艘張網を試験的に敷設・操業したのである。

当初の漁では、釣漁の倍にあたる、10貫ザルに10杯分(約400キログラム)あまりの アジを水揚げした。しかし、資金と資材があまり豊かでなく網の規模も小さいため、いっ たん魚取り網に入った魚群も水揚げ作業の途中に網外へ逃げてしまう。そのため網の改良 が図られ、魚取り網をより深い場所に敷設し、かつ魚取り網の上方につけた網の規模を大 きくするための工夫を施した。

操業初年度は、中船のほか四艘の船による四艘張網で、しかも秋季だけの操業だったが、

次年度からはより深い場所での操業にも耐え得るように網取り船を四艘から八艘に増やし、

現在の操業に近い八艘張網に変わった。同時に、それまで(万力まんりきを使いながら)人力で行 われていた網取り作業が、動力式ドラムの導入によって機械化が図られた。

当時の操業は、明りを灯す中船(灯船)を中心に、四隅と各辺の中央部に位置して網を 揚げる網取り船 8艘の、合わせて9 艘が一船団を組んだ。四隅の船のほか、四辺の中央部 に各々一艘の船を配するのは、網揚げ時に沖合での早い潮流によって網が一方に流された り緩んだりすることで、いったん網に入った魚がここから逃げ出すのを防ぐためとされる。

当時の八艘張網漁は、現在と違って集魚灯とする灯船の光量も比較的弱い。また板を敷 いた座板張りの漁船の上に漁の合間、風雨を避けるために張った帆布製テントの中に入っ て、中船の船頭の「網起し」の声が掛かるまで待機した。魚群探知機や無線機も装備され ていなかったため、網入れや網揚げは船頭の経験と勘に頼る部分が大きく、「網起し」の合 図などはあらかじめ決めておいた動作を、懐中電灯を用いることで知らせあった。

昭和26年(1951年)9月、この敷網漁業(当時は、四艘張網)は許可制となった。最盛 期には氷見町のほか、阿尾・薮田・宇波・中波各地先沖に12ヵ統が許可されていたが、当 時の操業期間は周年免許ではなかった。

その後、敷網漁業者側からたびたび操業期間の延長が要望され、数次の変遷を経て、昭 和 51 年(1976 年)に敷網(八艘張網)に関して、次のように許可方針が改められた。対 象漁船は総トン数 8.5トン未満で、操業場所は氷見市沖水深 100 メートル以深。操業期間 は周年だが、「竹里掛ちくりのがけ」や「川尻漁場」など特定漁場では、11月16日から12月21日まで の35日間は大敷網(大型定置網)によるブリとフクラギが八艘張網の集魚灯の明りを嫌っ て網に入らないといって操業が禁止された。平成8年(1996年)の段階で、氷見地区では

「有磯組」・「加納組」・「やまじゅう組」の 3 ヵ統の八艘張網が許可され、動力船に自家発 電機を積み込んでいる。

以上が『氷見市史』にもとづく八艘張網漁の起源だが、聞き取り調査の中では、これと は異なる説を聞くことが出来たので、そちらについても紹介しておく。それは、元定置網

漁師の酒井勝宏さんの父親と八艘張網漁の親方である本川雅幸さんの父親が「四手」を発 案したという説である。酒井勝宏氏によると、彼ら漁師たちは戦時中に食べ物がなくて食 糧確保に必死だったが、その時、魚が光に集まるという習性を利用して漁ができると考え たのだという。手はじめに、かんてら(灯り)を灯して寄ってきた魚を、4人それぞれのふ んどしを使って捕まえた。その後に、このアイデアをもとに試行錯誤した結果、「四手網」

を考案した、というものである。

3. 八艘張網漁の組織

昭和40年頃までは、八層張網漁の組は6つ存在していた。しかし平成に入った頃から八 艘張網漁の組が消滅、合併を繰り返して、現在では有磯組だけになった。

現在、八艘張網漁を操業している「有磯組」は、共同経営という形で運営されている。

代表は、有磯組の「親方」である本川雅幸さんである。本川さんは八艘張網漁を始めて50 年、親方になって26年というベテラン漁師である。定置網漁のように法人化されて、株式 会社と変わらない組織体系となっているのと比べると、有磯組の経営方法はいかにも昔な がらのそれである。たとえば、株式会社化の進んでいる定置網漁では厚生年金や保険など が整っているのに対して、八艘張網漁の漁師には厚生年金の保証はない。

有磯組における、網の所有者は個人ではなく有磯組(法人)である。昔から漁に使われ る網は大変高価なもので、それを所有している者のことを「網元」と呼んだ。しかし現在 の有磯組では、八艘張網は組織で共同の所有物となっている。また、有磯組では、すべて の船を合わせて八艘保有している。ただし、常にすべての船を動かせるというわけではな く、故障して動かせない時もある。

八艘張網漁の賃金は月給制で、最低賃金の10万円、これに漁獲高に応じた上乗せ金が発 生するという、歩合制を取り入れた形になっている。ちなみに、これは水夫の賃金であっ て、船を出す船主には基本給料および漁獲高の上乗せ金に、さらに船の使用料が上乗せさ れる。また、決算の際には漁獲高に応じてボーナスが出るというが、そのほかにも船の燃 料代や、番屋の電気代、ロープや網の補修にかかる費用といった、共有資材にかかる必要 経費は有磯組から支給される。

次に記すのは、有磯組の構成員についてである。大まかに見てみると、多くの構成員は 厚生年金を受け取っている、60歳を超えた高齢者である。今回の調査では、1人だけ、30 代の男性と話をすることができたが、その男性の場合は、父親が八艘張網漁を営んでいる ということであった。彼らが八艘張網漁に入ったきっかけとしては、会社勤めでサラリー マンをやっていたが、定年退職してから、友人や親戚のつてで有磯組に入ったという人が 多かった。これはいずれも、船持ちではなく、水夫(船乗り)である。他にも、会社を辞