下関市 加 藤 康 子
さて、「炉辺談話」、今回は、いつになく真剣に 自分の仕事のことについて書いてみようと思う。
私の医院がある町は、下関市内でも歴史の古いと ころで、源平の合戦にまつわる史跡や、高杉晋作 にまつわる史跡などが、町を歩けば、ほら、そこ にというぐらいたくさん残っている。この町は漁 師町なので、魚が獲れなくなった昨今、衰退の一 途をたどり、多くの若者は町を出て行き、お年寄 りばかりが残された。私の医院に来られる患者さ んも、当然、高齢者が目立つ。
毎日毎日同じ愚痴をこぼしていかれるおばあさ ん、朝から一杯引っ掛けて陽気にしゃべるおじい さん、父の代から数えて 40 年余り通い続けてい る方もいらっしゃるので、うちの医院は一種独特 な親近感に満ち満ちている。
そんな中でも古株の A さん、この人はいった んしゃべり始めると、なかなか止まらないので、
待合室の患者さんがいらいらしているのではない だろうかといつもひやひやするのだが、ある時、
50 代の若さで亡くなったご主人の話になった。
亡くなってもう 30 年以上も経つのだが、時折、
ふっとご主人の思い出が蘇るのだろう。このとき も突然、しゃべりだした。
「先生、亡くなった主人は、漁師だったのですが、
漁に出て、海の上をなまこが漂ってくると、パッ と捕まえて、はらわたも何も出さずに、むしゃむ しゃ食べてしまうんですよ」
なまこなんて、調理してあっても苦手な私は、
生きたまま人の口でかみ砕かれるなまこの姿を 思って、ちょっと気持ちが悪くなった。しかし、
なまこのはらわたは このわた として、珍重さ れているくらいだから、好きな人にはきっと飛び 切り新鮮な、こたえられないご馳走なんだろう。
「主人が亡くなったのは 12 月 25 日でしたが、
亡くなったあと、病院のベッドを片づけていたら、
枕元のひきだしの中に、子供達にあげるお年玉が 入っていたんですよ。5 つの袋にそれぞれ子供達 の名前が書いてありました。正月にはうちに帰る つもりだったんでしょうね。酒癖が悪くて、苦労 させられたけど、子供だけは大切にしてくれまし た。まだ 52 才だったんですけどね・・・」
患者さんもしんみり、私もしんみり・・・。スタッ フ一同感傷に浸っていると、
「先生、私はタコは食べないようにしているん です」と A さん。
「タコ ? なぜですか ?」
「主人に似ているからです。タコを見ると主人 の後ろ頭を思い出すんです。だから子供達にもタ コは食べさせないんです。もう 30 年以上もずっ と」
タコの頭を思い浮かべてみる私、波の上を漂う なまこと、つるつる頭(ほんとはあれは頭じゃな いらしい)のタコ、診察室は海の香りに満たされ る。
その「タコを食べない A さん」、翌日も来院さ れて、今度は占いの話になった。
「先生、私ね、昨日、コンピューターの手相占 いをやってきたんですよ。機械の上に手をかざし て、生年月日と血液型を入れて、コンピューター に診断してもらうんですけどね」
よくショッピングセンターなどで見かける、あ れね、あれ。若い女の子が(若くない女の人も、
時にはおじさんも)ガラス板の上に手をかざして いるのを見かける。
「そしたらねぇ、『あなたの人生はこれから上向
いてきますよ。明るい未来が見えていますよ。こ れまで苦労されることも多かったと思いますが、
これからは楽しいことがいっぱいですよ』と言う んですわ。喜んでうちに帰って、もらってきた用 紙を機嫌良く見直していたら、なんと自分の生年 月日が明治 14 年になっているんです ! 私は大正 14 年ですよっ ! あんまりじゃないですか。500 円返してほしいですよ」
悪いけど一同大爆笑。
明治 14 年生まれで血液型 A 型で、その手相の 人には明るい未来が待っているって、
そうゆうことなのだ・・・
しかし、明治 14 年生まれの人って、この世に 存在しているの ?? 生きているとしたらいったい 何歳 ? 明治元年が 1868 年だから、明治 14 年は 1882 年、2005 − 1882 = 123 ・・・、ギネスも のの長寿者だ。
123 才の人に明るい未来が待っているかどう か・・・、あんまり期待できそうにないような気も する。
占いで思い出したが、私がいつも通る道の途中 に「占いの館」ってのがある。いかにも怪しげな 建物で、病気・失せもの・心配事などなど即座に 解決 ! あなたも勇気を持ってドアを叩いてみよう
・・・なんて看板が出ている。こないだしげしげと 見つめてみたら、いつの間にか看板が新しくなっ ていて、「占い学校入門受付中」となっていた。
年齢・性別不問、ただし適正はチェックします・・・、
適正チェックって、いったいどうやって ? 面接で この人は占い師向きとか占い師には適さないと か、先生が判断するのだろうか ?? 看板の前で首 を傾げていたら、中からポニーテールのおじさ んが出てきた。かなりの年輩なのだがポニーテー ル、衣装は黒ずくめ(足はサンダル履き)。うーむ、
占い師っぽいと言えば言えるかも。立ち止まって 見ていた私を、占い学校入門希望と思ったか、悩 み事を相談に来たやつれたおばさんと思ったか、
それはどうだかわからないが、おじさんは私に一 瞥をくれると、 犬の散歩に出かけていった。
世の中にはいろんな職業があるものだね。不景 気の今、占い師さんも景気が悪いのか、それとも 不景気だからこそ、景気がいいのか、ちょっと聞 いてみたいような気もする。
うちの医院は高齢の患者さんが多いということ は最初に書いたが、高齢の患者さんで何が困るっ て、耳の聞こえが悪いことにはほんとに悩まされ る。耳の遠い方にこちらの話を分かっていただこ うと思うと、こちらの声のボリュームを最大限に 上げなければならない。まるで喧嘩でもしている ような怒鳴り声になる。
で、次は、83 才の B さんの話になる。
この方もかなりの難聴なので、大声を張り上 げるのだが(もちろん、時には筆談も活用する)、
聞こえているのかいないのかもよくわからない。
聞こえていないのに聞こえているような曖昧な返 事をされるので、対処に困ってしまう。
血圧を測って、胸の音を聞いて、一生懸命病状 について説明して(声がかれる・・・)、
その都度、患者さんが「うん、うん」と頷くの を横目で見ながら、よっしゃ、これで分かってく れたはずと思って、次へ移ろうとすると、
「先生、血圧はどんなでしょうか ? 胸の音はど んなでしょうか ? 今日は息が苦しいように思うの ですが」と聞かれて、ガクッと来る。また一から 説明し直し・・・・・・。
「あのぉ、今、説明したこと、通じてませんで したかねぇ ?」と聞くと、
「はぁ、 通じ がないんです」
「は ?」
「通じがないので、便秘の薬、欲しいんです」
スタッフがクククと笑っている。
通じない・・・、通じがない・・・、ふーむ、なるほ どね。
通じがないのだ〜、この方。通じがないから通 じないのだ←わけわからん ?
次に来られた 78 才になる喘息の C さん、先日 喘息の吸入薬を処方したので、「きゅうにゅうは、
まだありますか ?」と聞いてみた。
C さん、「はい、ぎゅうにゅうはいつも切らさ ないようにしてます」
あ、はぁ・・・、牛乳ね、牛乳・・・、うーん、体に いいです、牛乳、しっかり飲んでください。
私の医院は、「お待たせしない」がモットーな
ので(って、つまりあんまりはやっていないっ てことか・・・)、たまに患者さんが多くて待合室が 混むときには、常連さんはすぐにいらいらしてく るようだ。その日はなぜか朝から患者さんが続々 やってきて、待っている人はかなり不機嫌になっ ていた。そんな時、先にも登場した B さんが診 察室に入ってきた。耳が遠くて 通じが悪い B さんだ。
B さんは入って来るやいなや「今日は、随分患 者さんが多いですね」とちょっと不機嫌な顔で私 に言った。普段、暇なのであんまり待たされたこ ともないし、待つということに慣れていないのだ。
「そうですねぇ、10 時までは暇だったんですが
・・・」と私が答えると、
B さんは、「今日はどうしたんでしょうね。い つもはガラ空きなのに」と大きな声で言った。耳 が遠いので、自分の声が大きくなるのだ。B さん の大きな声は待合室まで筒抜け。
いつもはガラ空きって、そりゃ、ないでしょ、
B さん。確かにうちの医院はあまり流行っている とは言えないけど、ガラ空きってことはないで すよぉ、ガラ空きってことは・・・。そこそこ人数、
来ているんですよ〜。
「あ、あのぉ、いつもガラ空きってことはない んですけどぉ。たまたま B さんが患者さん少な いときに来られるから・・・」と必死で言い訳した のだが、B さんには全然通じない。何しろ通じが ない人だから、こちらの声はほとんど聞こえてい ない様子。ひたすら自分の言い分だけを声高に主 張する。しょうがないから、「はいはい、お待た せしてすみませんでしたね」と私は詫びて、B さ んの診察に当たる。
その後に来られた D さん、血圧がなかなか下 がらないので、あれこれ薬を工夫したり塩分制限 をするよう食餌指導もしたり、随分苦労してきた 結果か、今日は血圧がかなり下がって、正常値に 近くなっていた。
「お、やりましたね ! 今日は、血圧、いいですよ。
よかったですねー、私も嬉しい !」
と私は心から喜んで D さんに言った。苦心惨 憺してきた結果がようやく数字に表れたと思った のだが、D さん曰く、 「そうかね ! 、それはよかっ
た。黒酢を飲んだおかげやね」・・・・・・、しーん。
沈黙するしかない私。
毎日こんな事の繰り返し・・・、いいんです、何 を言われても耐えます。開業医はサービス業。顔 で笑って心で泣く毎日。
先日、循環器の先生に心臓のエコー検査をして もらった E さん、心臓の大動脈弁と僧帽弁が年 のせいで硬くなっていて、うまく閉じなくなって いるのだった。さて、この結果をどう説明する ? 簡単な心臓の略図を描いて、僧帽弁と大動脈弁が どういうものであるか、先に知ってもらっておこ う。難しい説明であることは百も承知だが、時間 をかけて説明すれば、分かってもらえるだろう。
問題は E さんもかなりの難聴であること・・・。し かし、略図を見ながら、うんうんと頷いているの で、E さんもある程度は分かってくれている様子。
うん、よしよし、ここまでは順調。
「今、説明したこの二つの弁ですが、これらの 弁がー、硬くなっていてー(ぜえぜえ・・・、ここ までで私は結構ぜえぜえ、喉が少し痛くなり始 めている)、うまく閉じないそうなんですよぉー
(ふぅー、言えたぞ、分かってくれたかな)」
しかし、E さん、きょとんとしている。うーむ、
まだこれではだめか・・・。
「E さん、心臓の弁がね、硬くなってぇ・・・」
E さん答えて曰く、「はぁはぁ、便はいつも固い んです。固くてなかなか出んから、苦労するんで す」
絶句・・・・・・。いいんです、いいんです、こんな ことではめげません。
うちの医院の場合、高齢の患者さんに負けず劣 らず多いのが、「ヤ」のつく皆様で、父の代から 引き続き、多くの「ヤ」様が通院されている。長 い歴史の中で、中には堅気になった方あり、バリ バリ現役の方あり、駆け出しの方あり・・・、い ろいろなのだが、その筋の方はたいてい見た瞬間 にわかる。何しろ子供の頃からそういう類の人々 を見慣れてきている私なので、「○ヤ瞬間判定セ ンサー」みたいなのが、備わっているのだ。
昨年の冬、一人の中年のおじさんが高熱と関節 痛を訴えて来院された。おじさんは仕事を抜け出